龍
https://minamiyoko3734.amebaownd.com/posts/45699422 【龍】
http://tsukinoshizuku2012.weebly.com/40845.html 【龍】より
現在のイランという国は、少数派のシーア派のイスラム教徒の国です。
このイランという国ですが、他のイスラム教の国々がアラブ人なのに対して、実は、アーリア人(西洋人と同じ)だったりします。
だから、そのプライドから、周りのイスラム教の国々と争ったりします。
イラン・イラク戦争で、犬猿の仲だったイラクのフセインをアメリカが倒した事により、イランの敵が減りました。
タリバンのアルカイダもそうです。
周りの敵対する国が減ることによって、イランの脅威が増していっているのが現状です。
最初、フランスとイギリスが、この国の石油などの利権を得ていましたが、アメリカが来て、フランスは追い出されました。
イランは、イギリスも追い出してくれるものと思っていましたが、アメリカはイギリスの肩を持ち、CIAの工作でモザテク政権の転覆のクーデターを起こされ、国民はアメリカに深い恨みを持っているそうです。
この国は、元々、ペルシアと言って、メソポタミア文明の発祥の地であり、キュロス大王がバビロニアを滅ぼし、捕まっていたユダヤ人を開放したという歴史があります。
そして、キュロス大王は、全ての人民には自分の宗教を選ぶ権利があるとし、様々な民族を平等に扱う事を決め、それを粘土板の円柱に記録しました。
これによって旧約聖書のイザヤ書45章1節にはキュロス大王はユダヤ人の救世主と記され、キュロス大王が残した粘土板の円柱に書かれた文字が世界最初の人権 憲章として6つの公式言語で翻訳され、国際連合の世界人権宣言の最初の4つの権利に受け継がれました。
キュロス大王の円柱は「キュロス・シリンダー」と呼ばれ国 際連合の本部にレプリカが展示されています。
ユダヤ人にとってペルシアは恩のある国で、現在もイランには沢山のユダヤ人が住んでいます。
日本では「鳥」の時代である飛鳥時代に活躍した秦河勝(はたのかわかつ)は、シルクロードを通ってペルシアから中国に移住した民族で、「秦」(しん)という国を作って中国を統一した秦の始皇帝の子孫だと言われます。
キュロス大王自身はアフラ・マズターという神様が主神のゾロアスター教を信仰していてアケネメス朝ペルシアのシンボルは「鳥」でした。
旧約聖書において翼の生えた天使が好意的に記されているのは、このアケネメス朝ペルシアの「鳥」が影響しているものと思われます。
反対にユダヤ人を幽閉したバビロニアのネブカドネザル2世の信仰していたアムル人のマルドゥクという「牛」と、アッカド人のムシュフシュという「龍」(蛇)の神様は旧約聖書では悪魔の象徴として描かれ、アムル人は呪われたカナンの子孫という事になります。
秦河勝は聖徳太子に、弥勒菩薩(みろくぼさつ)の仏像をプレゼントして、お酒の作り方や、絹(シルク)の作り方を教えました。
日本からは、アコヤ貝の天然真珠(核の入っていないしずく形)が、珍しい宝物としてシルクロードを通じて輸出されました。
昔は、ペルシア湾が世界最大の真珠の産地で、アコヤ貝と同じ、ウグイス貝科のマハーラという貝から真珠が採取されていました。
カタールという土地が世界最大の真珠産業の場所でしたが、日本の御木本幸吉が、丸いアコヤ貝の養殖真珠を成功させてからは衰退の道を歩みます。
その代わり、石油が世界に求められるようになってからは、カタールは石油や天然ガスで財を築いています。
それから、ゾロアスター教は、ユダヤ教、キリスト教、イスラム教にも影響を与えた宗教です。
干支が12支だったり、星座が12星座だったり、一週間が7日だったり、一年が12ヶ月で365日だったり、一時間が60分などの決まりは、みんなペルシアで教えられていたことです。西洋は、ペルシアの天文学の正確さに、驚きと、畏敬の念を持っていました。
その為、ペルシアの国教であった、ゾロアスター教を無視出来なかったのです。
キリスト教の前身と言える、ユダヤ教が、その要素をどんどん取り入れました。
ゾロアスター教の最高神はアフラ・マズター(別名をアスラ)と言い、仏教にも取り入れられて阿修羅(アシュラ)と呼ばれています。
三つの顔を持つ仏様で、正面がアフラ・マズターの顔で、両側面の顔は、それぞれミトラという「火」の神様と、ヴァルナという「水」の神様になります。
ゾロアスター教が滅んだ後は、キリスト教がこれを受け継ぎ、正面をイエス・キリストを置き、ミトラは「ミカエル」という天使となり、ヴァルナは「ガブリエル」という天使となります。
キリスト教のシンボルである十字架は「火」と「水」が結び付くという「x」の意味が含まれ、それにイエス・キリストを加えた三位一体を表すシンボルは「*」になります。
この阿修羅の仏像が、奈良の興福寺にあります。
軍神で戦いの神様でありながら、悲しげな表情をしていて、女性のような曲線的な姿は、世界に誇れる日本の仏像の傑作だと言えます。
車のマツダという社名は、このアフラ・マズターのマズターから取ったそうです。
アフラ・マズターは、左手に光の輪を握っている姿で描かれ、この光の輪が宇宙を掌握する契約の印らしく、キリスト教の結婚指輪の原点となりました。
ミカエルは、ドラゴン(蛇の王)の姿に化けた悪魔ルシファーと戦って、勝利するというあの天使です。
ギリシャ神話では、ミトラは、ペルセウス(ペルシアから来たもの)と呼ばれ、メデューサ(ゴーゴン)という「蛇」を退治した英雄だとも言われます。
インドはペルシアと同じアーリア人が支配した国なのですが、ペルシアと敵対していた為、ミトラもヴァルナも悪魔だとして代わりにインドラというバビロニアで信仰されたマルドゥクと同じ「牛」の神様を善神としました。
インドラは仏教の帝釈天(たいしゃくてん)で、常に阿修羅と戦っているとされるのはこの為です。
インドラは雷を自在に操れて、ギリシャ神話のゼウスと同一神だと思われます。
帝釈天と阿修羅の関係は、雷神(牛)と風神(鳥)の関係にも置き換える事が出来ます。
現代のDNA解析によるとギリシャ人や、エジプト人は「牛」を信仰したハム系の民族と同じだとされます。
ギリシャ神話にはアポロンという太陽神がいますが、この神様はトラキア人が信仰したデュオニューソスというお酒(ワイン)の神様と表裏一体の神様でもあります。
紀元前2000年~1400年頃、ギリシャのクレタ島にミノア文明というヨーロッパで最初の古代文明が生まれたとされ、おそらく、その文明を伝えたのがトラキア人で、デュオニューソスの信仰がギリシャ人に吸収されアポロンと名前が変わったのだと思われます。
デュオニューソスは、ギリシャ語で「若いゼウス」という意味で、その姿は「牛」の角に「蛇」が絡まった姿で表されたり、「豹」や「獅子」の戦車に乗った姿で表されたりします。
ギリシャ神話では、デュオニューソスは、ゼウスと古代ギリシャにあったテーバイという都市国家の王女セメレーの子供だとされますが、別の話では、ゼウスが「蛇」の姿に化けて穀物神デーメーテールの娘であるペルセポネーに産ませた子にザグレウスという神様がいて、この神様がタイタンという巨人族と戦った時に、様々な動物に変身して戦ったらしいのですが最後に「牛」の姿になった時に捕らえられ八つ裂きにされて、アテーナーがザグレウスの心臓を救い出してゼウスがこれを飲み込み、後に生まれたデュオニューソスの心臓となったという神話もあります。
デュオニューソスの心臓はザグレウスの母であるペルセポネーの「蛇」の文化が根底にあるということかもしれません。
つまり、ディオニューソスの「牛」の根本はザグレウスの「蛇」だという事です。
また、ディオニューソスのもう一つの顔の「獅子」ですが、太陽の象徴であり、東洋の「狼」と同じで、製鉄の民のヒッタイト人を表します。
トラキア人と同族と思われる民族にアナトリア(現在のトルコ)のフリュギア人がいます。
紀元前1200年にヒッタイト帝国はバルカン半島南東部のトラキアからやって来たフリュギア人の侵入により滅亡し、紀元前1000年から600年にフリュギア王国という黄金文明が生まれます。
この時、おそらく、フリュギア人とヒッタイト人の混血が進み、ディオニューソスを信仰するフリュギア人の乗り物がヒッタイト人の「獅子」となったのだと思われます。
このフリュギア王国の最盛期にミダース王という王様がいて、黄金文明の逸話がギリシャ神話に残されています。
ある日、ディオニューソスの養父であるシーレーノスがミダースの薔薇園で、葡萄酒を飲んで酔っ払って寝ている所を発見し保護します。
これに感謝したディオニューソスがミダース王に「願いを一つだけ叶えてあげよう」と言います。
欲の深いミダース王は「手に触れる物を全て黄金に変えて欲しい」と申し出ます。
そして、願いは叶えられ、彼の触れる物は全て黄金に変わります。
最初は、その能力を喜んでいたのですが、お腹がすいてパンを食べようと手で掴むと黄金に変わってしまい食べれません。
愛する娘に触れた時も黄金になってしまいます。
自分の願いが破滅の元だと悟った王は、元に戻してもらうようにディオニューソスに頼んだというものです。
トラキアの黄金よりも尊いものがあるという教訓を含んだギリシャ側の主張です。
この王様は、「王様の耳はロバの耳」でも有名な人物です。
牧神パーンの崇拝者で、角笛が得意な牧神パーンと竪琴が得意な太陽神アポロンが音楽で競った時に、民衆はアポロンに軍配を上げたのに、彼だけはパーンだと言い張ります。
これに怒ったアポロンがミダース王の耳をロバの耳に変えたという話です。
ヒッタイト帝国はロバを王権の象徴、または紋章としていたそうです。
ミダース王が崇拝した「羊」の牧神パーンはギリシャのペロポネソス半島の中央部のアルカディアで信仰されていた神様で、カナン人(フェニキア人)の「羊」の神様であるバアル・ハモンがルーツだと思われます。
さらにそのルーツを遡るとシュメール文明のアッカド人が信仰したドゥムジ(タンムーズ)という「麦」の神様にたどり着きます。
ドゥムジにはゲシュティンアンナという姉がいて「葡萄の木」の神様であり、ギリシャ神話のペルセポネーに当たります。
つまり、ディオニューソスの心臓のザグレウスは、このゲシュティンアンナの子供に当たるわけです。
ゼウスの母親であるレアーは、「獅子」の戦車がシンボルのキュベレーと呼ばれる女神と同一視されます。
キュベレーはミダース王の国であるフリギュアで人気のあるヒッタイト人の信仰した大地母神でした。
アナトリア半島のリュディアでは「獅子」の顔が彫られた世界最古の貨幣も見つかっていて、そのルーツを遡ると同じくシュメール文明のイナンナ(イシュタル)にまでたどり着きます。
ヒッタイト人の信仰するキュベレーの「獅子」は、フリュギア人の信仰するディオニューソスの「牛」と結びついて、「獅子」と「牛」の両面を持つヘラクレスという英雄が生まれたのだと思われます。
ディオニューソスとアポロンは同じ神様ですが、ディオニューソスと呼ぶ時はトラキア人やフリュギア人を表し、アポロンと呼ぶ時はギリシャ人を指すようです。
イエス・キリストが「最後の晩餐」で、「パンは私の肉、葡萄酒は私の血」だと言って弟子達に食べさせたと言われます。
このパンは「十字架」の牧神パーンの「羊」を表し、葡萄酒は「薔薇」のディオニューソスの「牛」を表し、この二つの信仰をキリスト教が受け継いでいる事を象徴しているのだと私は思います。
旧約聖書の民数記6章に規定があり、葡萄の産物を一切口にする事は禁じられていましたが、おそらくこれは、ユダヤ教が当時、東ヨーロッパに勢力を持つトラキア人の信仰するディオニューソスの宗教に吸収される事を警戒した為だと思います。
最後の晩餐以降、キリスト教では葡萄酒を重要なお酒としてミサに用いたり、修道院が積極的に葡萄栽培や、醸造技術の研究を行い葡萄酒の普及に貢献しました。
葡萄酒は、強壮剤や解熱剤、利尿剤、疲労回復などの薬としても活用されました。
パンは手でちぎられる為、犠牲になった「羊」の象徴で、エジプトのオシリス神や、イシス神の父親であるクヌム神に当たります。
クヌム神は粘土をこねて人間を生み出したとされる神様で、古代エジプトの最南端の町エレファンティネ(アスワン)で信仰され、北イスラエル王国と南ユダ王国に分かれる前のヤコブの12人の子供達を意味するのかもしれません。
母であるイシスと、その子供のホルスの母子像は、聖母マリアとイエス・キリストの母子像のモデルであるとも考えられていて、そうなると父親のオシリスは養父ヨセフになります。
オシリスは「聖なる牛」と呼ばれるアピスと習合し、上エジプトと下エジプトの統一王朝の最初の首都であるメンフィスではプタハという名前で信仰されました。
「言葉」によって全てを生み出した創造神とされますが弟のセトによってバラバラにされナイル川に流され殺害されます。
殺害された後は冥界の王として君臨し、オシリスとセトの関係は日本の大物主命と素戔嗚尊の関係とよく似ています。
中国神話の創造神に「盤古」(ばんこ)と呼ばれる神様がいて、「盤古」の左目が太陽に、右目が月に、吐息や声が風雨や雷霆になったとされ、左目から天照大神、右目から月読命、鼻から素戔嗚尊を生んだとされる伊弉諾命(いざなぎのみこと)との共通性が見られ、中国の神話を念頭に置いて日本の神話が作られた可能性があるように思います。
エジプトのホルス神の場合、右目が太陽で、左目が月だとされ、中国や日本とは逆で、父の敵のセトを討つ時に左目が奪われたとされます。
この中国神話の「盤古」は頭に二本の角があったことから日本では「牛」を象徴する「盤牛王」(ばんごおう)と呼ばれ、素戔嗚尊と習合する形で「牛頭天王」(ごずてんのう)とも呼ばれるようになります。
牛頭天王はインドの祇園精舎の守護神とされますが、インドで信仰された形跡はなく、現在の学説では、牛頭天王は日本独自の神様だとされます。
ただ、ヒンドゥー教の創造神話ではスラビー(カーマデーヌ)と呼ばれる「牛」の女神がいて、その息子がナンディンと呼ばれるシヴァの乗り物だとされ、インドでは「牛」は神聖な神様の使いとされます。
インド・アーリア人がインドに侵入した紀元前18世紀頃にまで遡る古代インドの書物「リグ・ヴェーダ」で最も中心的な神々の王とされるインドラという神様がいます。
アイラーヴァタと呼ばれる白い象に乗った姿で表され、仏教では帝釈天(たいしゃくてん)の名前で呼ばれます。
インドラは紀元前14世紀にヒッタイトとミタンニに結ばれた条文に名前がある事から、「鉄」のヒッタイト人と「馬」のフルリ人(ミタンニ)にも信仰された雷神だと言われています。
ギリシャ神話のゼウスと同じく、ルーツはメソポタミアの「蛇」を信仰するサルゴン王とその息子のナラム・シンにあるように思います。
この二人は「角」の生えた兜を被り、大規模な遠征を繰り返して支配領域を広げ、メソポタミア史上、初めて自らを神とした王になります。
戦争の神としての「牛」のルーツは、サルゴン王の兜にあるのかもしれません。
日本の本地垂迹では「盤古」はイエス・キリストを神格化したと思われる薬師如来や、ペルシアのミトラ(ミカエル)など太陽神の性格を持った大日如来の化身とされました。
盤古(伊弉諾命)から炎帝神農(火之迦具土神)が生まれ、蚩尤(しゆう)に繋がり、そこから新羅の都怒我阿羅斯等(つぬがあらしと)の神功皇后(皇極天皇)に繋がります。
日本人のルーツの一つは長江文明や、夏王朝、そして周や秦であり、中国人のルーツは黄河文明や殷や宋になります。
蚩尤(しゆう)は中国人の祖の黄帝のライバルであり、血のように赤い「楓」(カエデ)がシンボルであり、あらゆる武器を生み出した鬼として、最後は涿鹿(たくろく)という土地で敗れ、その子孫が日本人になったと言われ、中国人は日本人を蔑称として「日本鬼子」(リーベングイズ)と呼びます。
そして、伊弉諾命が物部氏の祖神である事から蘇我氏の素戔嗚尊と習合した「盤古」の子供が五帝龍王を生んだとされ、「牛」から「龍」へと引き継がれていきます。
奈良の生駒市上町の富雄川(とみおがわ)沿いに長弓寺(ちょうきゅうじ)というお寺があります。
小野真弓長弓(おのまゆみたけゆみ)と呼ばれるこの辺りに住んでいた豪族の人物が聖武天皇と狩りに出た際に息子の長麻呂(たけまろ)が鳥に放った矢が誤って長弓(たけゆみ)に当たり、命を落とした事を哀れに思った聖武天皇がこのお寺を建てたと言われます。
この長弓寺には伊弉諾神社(いざなぎじんじゃ)があり、大己貴命(秦氏)と素戔嗚尊(蘇我氏)と共に伊弉諾命(物部氏)が祀られ、牛頭天王社と呼ばれていました。
このお寺には真弓塚と呼ばれる塚があり、長弓のお墓という説や、聖武天皇の弓を埋めた塚という説もありますが、先代旧事本紀(せんだいくじほんぎ)によると、夢のお告げによって饒速日命(にぎはやひのみこと)が鳥見白庭山(とみしらにわやま)に「蛇」の呪力を持つ弓とされる「天羽羽矢」(あめのはばや)を埋めたとされ、それがこの真弓塚ではないかとも言われています。
「天羽羽矢」は別名を「天之加久矢」(あめのかくや)とも言い、月を象徴する「登美夜姫」(とみやひめ)や、竹を象徴する「かぐや姫」を連想させます。
この長弓寺から富雄川をさらに北上すると竹で作られた茶筌の全国生産シェアの90%を占める高山茶筌(たかやまちゃせん)で有名な高山町になります。
たたら製鉄では火力を強める為に鞴(ふいご)を踏んで「風」を送り込みますが、その作業を「番子」(ばんこ)と呼びます。
「盤古」(ばんこ)はこの「番子」(ばんこ)と同じように「風」を意味し、日本神話では中国神話を参考にしつつも、伊弉諾(いざなぎ)の「諾」(なぎ)は素戔嗚尊の象徴である「風」が止まった状態である「凪」(なぎ)を意味するのかもしれません。
たたら製鉄では木炭を使用するのですが、松炭は最も火力を上げる事が出来て、1200℃ちかく上げる事が出来るそうです。
「松」はその姿形から「龍」に例えられ、饒速日命(にぎはやひのみこと)を象徴する木で、生駒市南田原町にある「お松の宮」は秦氏を意味する住吉神社であり、物部氏の「尾」(お)になった皇極天皇を意味するのかもしれません。
群馬県と栃木県で愛されている民謡で、盆踊りの音頭や、花柳界の芸妓により流行が作られた「八木節」(やぎぶし)と呼ばれる民謡があります。
栃木県足利市にあった八木宿(やぎじゅく)において渡辺源太郎が唄った歌謡がルーツだとされます。
この八木宿のあった「八木」(やぎ)という地名は宿場の周りに8本の「松」があった事により、この地名がついたとされます。
盆踊りは盆の時期に死者を供養するための踊りで、平安時代に空也上人(くうやしょうにん)によって始められた踊念仏(おどりねんぶつ)がルーツだとされ、7月15日を中心に7月13日から16日の4日間に行われる仏教行事の盂蘭盆会(うらぼんえ)と結び付きました。
「盂蘭盆」(うらぼん)は古代イランのアヴェスター語で「霊魂」(れいこん)を意味する「ウルヴァン」(URVAN)が語源だとする説があり、祖霊信仰が仏教と結び付いたものではないかと言われています。
盆踊りの中心にある木材を組んで高く立てた台は「櫓」(やぐら)と呼ばれ、「矢」を入れておいた「矢倉」(やぐら)を意味します。
「八木節」の歌い出しの歌詞の「ちょいと(またも)出ました三角野郎が四角四面の櫓の上で」の三角野郎とは、真面目な四角四面の性格ではなく、義理を欠く、人情を欠く、恥を掻くの三角形の半端な男が檜舞台で音頭をとるとは恐縮だという意味です。
地獄の釜の蓋が開くと言われる「お盆」=「盂蘭盆」は閻魔大王となった龍神の「物部守屋」のお祭りという意味も含まれているのかもしれません。
「八木」(やぎ)という地名は奈良の橿原市にもあり、初代天皇である神武天皇を祀る橿原神宮のある土地になります。
神武天皇は秦氏を象徴する天皇で、イスラエル十部族と関係のある天皇だと私は思っています。
現在、近鉄橿原線の「大和八木駅」(やまとやぎえき)は橿原市内膳町になっていますが、元々は磯城郡(しきぐん)耳成村(みみなしむら)という住所になります。
「耳成」(みみなし)とは「耳成山」(みみなしやま)を表していて、推古天皇によって「八岐大蛇」(やまたのおろち)にされた物部守屋(もののべもりや)を象徴するものと思われます。
「耳成山」は元々は「耳無山」(みみなしやま)と書かれていたものを、後世の人が縁起が悪いといって「無」(なし)を「成」(なし)に変えたものとされ、別名を「天神山」(てんじんやま)と呼びますが「耳」(みみ)は「33」(みみ)の第33代天皇の推古天皇を意味し、「松」を表す「八木」(やぎ)の天神には推古天皇は含まないという意味だと思われます。
同じく近鉄橿原線の「八木西口駅」(やぎにしぐちえき)はこの駅の東側が昔は高市郡(たかいちぐん)八木町(やぎちょう)という住所であり、高市郡はおそらく、天武天皇の高市皇子(たけちのみこ)の「高市」(たけち)から来ていて、推古天皇と同じく秦氏のシンボルが「松」ではなく「高」(たけ)=「竹」(たけ)である事を象徴するようです。
「竹」から生まれた「かぐや姫」は皇極天皇の事で、「八木」は「龍」を表すようです。
津軽三味線 八木節 本城勝真
「八木」(やぎ)は「矢の木」であり、「矢作」(やはぎ)と呼ばれる弓削氏が住んでいた土地を表すもので、一般的に「竹」を使用する矢の中心部分である棒の「箆」(の)と呼ばれる部分を指すものと思われます。
つまり、「矢木」(やぎ)と書く場合は秦氏の「竹」を表し、「八木」(やぎ)と書く場合は物部氏の後継者となった皇極天皇の「松」を表し、物部守屋の守屋(もりや)は矢を守る「守矢」(もりや)という意味が含まれているのかしれません。
島根県安来市が発祥の「どじょうすくい」の「安来節」(やすぎぶし)も、「八木節」(やぎぶし)と同じ踊りと一体となった民謡です。
「どじょうすくい」は暴れる「泥鰌」(どじょう)を掴む仕草などを取り入れたものですが、安来鋼(やすきはがね)を作る「たたら製鉄」の材料となる「砂鉄」を採取する所作を踊りに取り入れたものとされ、泥の中に棲む「泥鰌」(どじょう)と鉄を生む「土壌」(どじょう)を掛けたものとされます。
泥は泥濘(ぬかるみ)の額田部氏(ぬかたべし)である推古天皇で、土は土師氏(はじし)である蘇我倉山田石川麻呂(そがくらやまだいしかわまろ)です。
蘇我倉山田石川麻呂は継体天皇(けいたいてんのう)を象徴する皇極天皇に蘇我氏の系図をバトンタッチする人物で、竈(かまど)の神様で荒神(こうじん)の「たたら製鉄」を生み出した「火之迦具土神」(ひのかぐつちかみ)であり、「岩」を削って「穴」(あな)を掘る「鉄」の道具である「鑿」(のみ)から相撲の神様の野見宿禰(のみのすくね)や、大己貴命(おおあなむじのみこと)という異名も持ち、蘇我氏の系図のトップにいる仁徳天皇(にんとくてんのう)に当たります。
額田部氏は仁徳天皇(にんとくてんのう)の兄の額田大中彦王の部民とされ、推古天皇と蘇我倉山田石川麻呂は同族と考えられ、本来、この二人は秦氏を象徴する人物なのですが、蘇我氏の系図に組み込まれます。
神話では大己貴命は素戔嗚尊の婿養子に認められ大国主命(おおくにぬしのみこと)という名前を貰いますが、大国主命は敏達天皇(びだつてんのう)の事であり、物部氏系の天皇になります。
つまり、大己貴命(秦氏)と大国主命(物部氏)は別人なのですが、素戔嗚尊(蘇我氏)を通して同一人物となり、その象徴が秦氏(天照大神)、物部氏(月読命)、蘇我氏(素戔嗚尊)を統一した「盤古」(ばんこ)になるようです。
京都の祇園(ぎおん)に素戔嗚尊を祀る八坂神社(やさかじんじゃ)がありますが、神紋が「木瓜紋」(もっこうもん)に「三つ巴紋」(みつどもえもん)が重なる形の珍しいものです。
「木瓜紋」は素戔嗚尊の事であり、「三つ巴紋」は一般的には八幡神の神紋と考えられていますが、「天の誓約」(あまのうけい)で生まれた素戔嗚尊と天照大神の子供の宗像三女神を象徴する神紋になります。
宗像三女神は秦氏、物部氏、蘇我氏が三位一体となった神様で、水が渦を巻いてグルグルと回転している形を表したものだとも言われます。
「三つ巴紋」について
「かわりばんこ」という交代で順番を変わる言葉がありますが、八坂神社(やさかじんじゃ)の「三つ巴」の紋の意味であり、牛頭天王を表す「木瓜紋」になり、「盤牛王」(ばんごおう)を指す言葉になります。
「たたら製鉄」で鞴(ふいご)を踏む作業を行う「番子」(ばんこ)と呼ばれる仕事は三日三晩、片時も休まず炉内に風を送り続けないといけない為、一人で行う事は無理があり、そこから交代する必要が生まれたようです。
「かわりばんこ」という言葉が「番子」(ばんこ)とは関係がないと言われる方もおりますが、私は日本の成り立ちを考えると十分関係があると思っています。
鳥取県の「日野川」(ひのがわ)、島根県の「斐伊川」(ひいかわ)、「飯梨川」(いいなしがわ)、「伯太川」(はくたがわ)、島根県と広島県に跨る「江の川」(ごうのかわ)などの川、及びその支流の川を頭が八つある「八岐大蛇」に例えて「オロチ河川群」と呼びます。
この辺りの伝承によると、「安来」(やすき)という地名は退治された「八岐大蛇」を埋めた場所に8本の「杉」を植えた場所だとされ、「八杉」(やすぎ)から「安来」(やすき)と呼ばれるようになったようです。
住吉大社に伝わる神功皇后ゆかりの「杉」と同じく宗像三女神の3神と応神天皇を含む住吉神の5神の計8柱の神を意味するようです。
そして、「松」や「杉」に含まれない推古天皇は、矢を入れる「竹」の筒の「靫」(ゆき)になります。
念仏聖(なんぶつひじり)が念仏を行う場所を「別所」(べっしょ)と呼びますが、橿原市の八木町の東にある「雪別所」(ゆきべっしょ)の「雪」(ゆき)は「靫部」(ゆきべ)という「靫」を作る氏族の住んだ土地を表し、推古天皇を意味するものと思われます。
弓削氏(ゆげし)の本拠地であった大阪府八尾市八尾木にある由義神社(ゆぎじんじゃ)の由義(ゆぎ)も「靫」(ゆき)を意味するものと思われ、蘇我氏と縁の深い素戔嗚尊と少彦名命(荒神)が祀られています。
推古天皇は蘇我氏の系図に組み込まれ、秦氏を表す「矢」(や)とは別の扱いを受けたものと思われます。
「安来」(やすぎ)は「安来」(やすらい)で、「やすらい祭」など、イスラエルを表し、「矢木」(やぎ)はイスラエルの祖であるヤコブを象徴する「山羊」(やぎ)を意味するものと思われます。
そして、文字の違う「八木」(やぎ)の方は、「八木節」の弓矢の「櫓」(やぐら)であり、ヤコブの兄で「鹿」を表すエサウであり、弓矢の「物部守屋」を表すようです。
「八本松」(八木)は「八岐大蛇」(やまたのおろち)=「八咫烏」(やたがらす)=「八幡神」(やはたしん)で、その中心人物が七本の角を持つ「鹿」の皇極天皇というわけです。
本来、イスラエルの神の祝福を受けるのは「鹿」のエサウ(兄)であり、「山羊」のヤコブ(弟)ではなかったのですが、「嘘」をつき騙すという行為により兄から権利を奪ったようです。
ただし、旧約聖書では、ヤコブはヤボク川の橋で天使と相撲を取って、イスラエルという名前を貰い、エサウはヤコブを許して和解したとされます。
エサウは古代エジプトのエドム人となり、ヒッタイト人と混血し、それが日本に辿り着いて縄文人となったものと思われます。
日本人は物部氏の象徴である山の頂上では「ヤッホー」と叫びますが、その由来は興味深いものではイスラエルの神「ヤハウェイ」が訛ったものではないかという説もありますが、私は豊受大神を祀る八保神社(やほじんじゃ)の「八保」(やほ)で、「八幡神」(やはたしん)の「八を保つ」という意味があるものと思います。
ちなみに、「山彦」(やまびこ)は古来より、秦河勝(はたのかわかつ)を神格化した秦氏の神、猿田彦大神(天狗)の声で、山には天狗が棲むと信じられていたようです。
天狗の鞍馬寺(くらまでら)や、猿田彦大神の神社などでは「八角形」がシンボルとされます。
「鉄」は「金」と「失」という漢字で出来ていますが、「失」という字が付くのは「物部守屋」が亡くなった事を意味するからだと思われます。
「鉄」の事を「くろがね」とも呼びます。
ちなみに「金」は「こがね」、「銀」は「しろがね」、「銅」は「あかがね」と呼びます。
「鉄」の旧字には「金」と「夷」(えびす)の「銕」(てつ)という字があります。
この字は中国で使われていて、「夷」はタタール人を指す漢字であった事から、タタール人の「金」という意味で「銕」と書かれたようです。
中国の山東省や江蘇省などの東北地方、朝鮮、日本などは東夷(とうい)と呼ばれ、日本の蝦夷(えぞ)や、縄文人を意味します。
中国では古代から近世にかけて使われた弓を横に倒して木の台座の上に取り付けた「弩」(ど)という武器があります。
石弓(いしゆみ)とか大弓(おおゆみ)とも呼ばれます。
秦の始皇帝は西洋に先駆けて、「鉄」の鋳鉄(ちゅうてつ)技術を発展させ、鋳型(いがた)に流し込む事によって、「鉄」の大量生産を可能にし、先端の「鏃」(やじり)=「矢尻」(やじり)の部分を鉄製のものへと切り替え、「弩」の攻撃力を格段にアップさせたとされます。
秦の始皇帝はわずか10年の間で、中国全土を征服し支配に収めます。
武器の大量生産が帝国の建設の鍵となったようです。
つまり、「鉄」と「矢」はとても深い繋がりがあったものと考えられます。
他にも「金」と「哉」(や)と「王」で、「鐵」(てつ)という字があり、新日鐵(しんにってつ)などの企業の名前にも使われています。
「哉」(や)は「哉」(かな)とも読み、文章の最後に付いて感嘆を表す助詞でもありますが、「弥」(や)、「也」(や)、「耶」(や)、「屋」(や)など、色々な意味を持ちますが、「吉」(良い)「戈」(武器)を意味し、基本は八幡神(やはたしん)の「金」(かね)=金属の「矢」(や)を意味するものだと思われます。
出雲地方の「たたら製鉄」のある場所では「金屋子神」(かなやごかみ)という神様が祀られています。
一般的には女神だと言われ、皇極天皇を象徴する女神だと思われます。
「屋」(や)は「春日」を象徴する天児屋命(あめのこやねのみこと)の「傘」(かさ)の意味を含み、その意味で考えると崇神天皇に仕える四道将軍を指し、「金の屋根」に守られている子供という意味もあるのかもしれません。
葛城氏が秦氏を日本に連れて来た朝鮮半島の「伽耶」(かや)という国名に雨を防ぐ「萱」(かや)の意味を含ませているのかもしれません。
或いは「屋子」(やご)で一つの言葉だとすると、水の蠆(サソリ)と書く「蜻蛉」(トンボ)の幼虫の「水蠆」(やご)を想像し、「蜻蛉」(トンボ)は田んぼの害虫を食べる事から、田んぼの守り神として宗像三女神を意味するので、宗像三女神を生み出した「八つの子供」で大己貴命や皇極天皇を含む八幡神を指すのかもしれません。
製鉄の神、八幡神の木が「龍神」を表す「松」であり、「八木」(やぎ)になるようです。
「たたら製鉄」については、下記のホームページが詳しかったので、一緒にご紹介させていただきます。
「鉄の道文化圏 雲南市産業観光部観光復興課ホームページ」
また、長弓寺を富雄川沿いに少し南に下った奈良市二名平野には出雲大社の前身である杵築神社(きづきじんじゃ)があり、現在のご祭神は素戔嗚尊と大国主命、そして市杵島姫になっていますが、元々は敏達天皇(びだつてんのう)=大国主命の子で春日氏の祖である春日皇子が牛頭天王を祀ったのが創建と伝わります。
大国主命はインドではシヴァと呼ばれ、コブラである「蛇」とナンディンと呼ばれる「牛」がシンボルの神様になります。
小野妹子や小野道風、小野篁など、小野氏は、この春日皇子から分かれた氏族だとされますが、私は蘇我氏の女性を物部氏に嫁がせた氏族だと思っています。
さらに富雄川を南に下ると小野妹子の子供の小野富人と呼ばれる人物が創建したとされる霊山寺(りょうせんじ)があり、「富雄」(とみお)とは「富の尾っぽ」となった蘇我氏を表し、「富」(とみ)とは饒速日命(にぎはやひのみこと)=大物主命(物部氏)に嫁いだ登美夜姫(秦氏)である皇極天皇の「春日」(かすが)を意味するものと思われます。
つまり、「尾っぽ」は蘇我氏が春日氏を通じて物部氏の系列に繋げられたという意味になるようです。
神武天皇の弓の先に止まった金鵄(きんし)=金色の鳶(とび)であり、エジプト神話ではイシスを象徴する鳥になります。
イエス・キリストは本来は「牛」を象徴する養父ヨセフの子供であるはずなのですが、「獅子」であるユダ族の聖母マリアが一人で産んだ事になっています。
それは、ユダヤ人の人々に救世主はダビデと同じユダ族から出ると信じられてきた事も原因にあるように思われます。
手でちぎられる運命にある「パン」は「羊」であり、敵対する国や宗教を表していて民族の「分裂」を象徴するのだと思います。
「葡萄酒」はその肉体に流れる血を表し、エジプトのオシリス神であり、「牛」の養父ヨセフに当たります。
国や宗教を結ぶ真理を表していて民族の「統合」を象徴するのだと思います。
「牛」が犠牲の動物とされた背景は、おそらく、ゾロアスター教のペルシアと敵対するヒンドゥー教のインドが「牛」を聖獣として信仰していた事に原因があり、ゾロアスター教の太陽神ミトラを引き継いだキリスト教はギリシャのアルカディアで信仰されていた牧神パーンの「羊」と同じように「牛」を犠牲の動物にしようとしたのだと思われます。
ヒンドゥー教のシヴァの妃のパールバティーは「金」の肌をしていて、ヒマラヤで信仰されていた女神です。
この女神が三位一体の女神で、日本の宗像三女神とよく似ています。
もう一つの顔がドゥルガーと呼ばれる血を好む「赤」の肌の女神で、「獅子」の姿をしていてマヒシャと呼ばれるアスラ(阿修羅)にとどめを刺したベンガル地方で大人気の女神です。
ベンガル地方は「弁柄」(べんがら)=紅殻(べんがら)と呼ばれる「酸化鉄」の産地でもあります。
地球上に一番多く存在する「赤」は「酸化鉄」だと言われていて、陶器や漆器に使用される最古の顔料と言えます。
おそらく、ドゥルガーの「赤」は、この「弁柄」から来ているものではないかと思います。
現在は東ベンガル地方はパキスタンと共にイスラム教の為、インドのヒンドゥー教とは分かれ、独立してバングラディッシュとなっています。
「弁柄」は古代製鉄の材料でもあり、ヒッタイト人が「獅子」をシンボルとする事から戦争の「武器」の「鉄」を意味する女神なのかもしれません。
日本の熊本県の阿蘇や古墳からも大量の「弁柄」が出土していて「阿蘇黄土」(リモナイト)と呼ばれています。
そして、縄文時代の土器の赤色も「弁柄」が使用されており、縄文時代の初期から、すでに日本でも生産されていた事が分かっています。
奈良県の生駒山は「鉄」を多く含む花崗岩(かこうがん)や斑糲岩(はんれいがん)で出来ていて、そのため鉄分の多い地下水が生まれ、そこから、鉄バクテリアが繁殖し、隣接する大阪府交野市や生駒山の奈良盆地には筒状の「弁柄」が多く産出しています。
この辺りは、饒速日命(にぎはやひのみこと)の領地であり、交野市の森遺跡では鍛冶遺跡が見つかっており、古代製鉄が行われていた跡が確認されています。
日本人と「鉄」の縁は飛鳥時代以前まで遡る事が出来るようです。
そして、最後は「黒」の肌の「カーリー」です。
髑髏(ドクロ)、ないしは生首の首飾りをつけ、腰には切り取った手足をつけて、殺戮と破壊の象徴の女神です。
「くろがね」は「鉄」の完成形になります。
おそらく、ドゥルガーの完成形がカーリーだと考えられます。
核分裂や、核融合など、強力なエネルギーが加わって化学変化を起こさない限り、ほとんどの元素は最後は「鉄」になるそうです。
「黒」は生命の終わりである「死」を表しているのかもしれません。
饒速日命(にぎはやひのみこと)が最終的に閻魔大王(えんまだいおう)として信仰されるようになるのも、ただの偶然ではないような気がします。
ゾロアスター教によると「牛」が殺されることで全ての生命活動が始まるとされ、まるでイエス・キリストが十字架に掛けられてから人ではなく、神としてのキリスト教が始まった事を暗示しているかのようです。
北欧の海賊ヴァイキングも、湖沼鉄(二酸化鉄)から「鉄」の武器を作る技術を持っていて、角の生えた兜を被り、毛皮のベストを着て略奪をする野蛮なイメージがあります。
おそらく、角の生えた兜は「猛牛」のイメージであり、ギリシャのアレキサンダー大王もしかり、「鉄」の武力によって征服し略奪する象徴が「角」なのかもしれません。
これは、共にキリスト教に恭順しなかった民族に対するイメージが「悪魔」になったものと思われます。
しかし、「鹿」を信仰するケルト人がカトリックに改宗した事と、性格が温厚でその容姿の美しさから、同じ角の生えた動物でも「鹿」だけは「悪魔」のイメージを免れたのかもしれません。
呪われたハムの子カナンは犠牲の「牛」であり、その原因を作ったのはノアを泥酔させたデュオニューソスの葡萄酒であり、ディオニューソスの信仰を持つ黄金文明のトラキア人だと考えられます。
これは、おそらくバビロニアでユダヤ人を捕虜として幽閉したネブカドネザル2世が信仰した神様がアムル人のマルドゥクと呼ばれる「太陽の牛」の神様で、アッカド人のムシュフシュと呼ばれる「角のある蛇」の神様を乗り物としていた為、「牛」と「蛇」が旧約聖書において悪く書かれる原因になったのだと思われます。
「羊」の牧神パーンや太陽の「牛」のマルドゥクは、シュメール文明のドゥムジがルーツとなります。
ハムの子供はクシ、ミツライム、フテ、カナンの4人がいて、クシという人物はバビロニアで文明を築いた祖で、ミツライムという人物はエジプト人の祖となります。
呪われた「牛」の民族であるカナンには2人の息子の「シドン」と「ヘテ」という人物がいました。
長子「シドン」はシリアとイスラエルの間の地中海東岸の海に沿った細長い地域にフェニキア帝国を築き、航海技術によってアフリカ北岸にカルタゴ(現在のチュニジア共和国)という植民都市を建設し、ペルシアが台頭するとその支配下に入り、ギリシャとペルシアが争うと、ペルシア側についた民族でフェニキア人とも呼ばれました。
カルタゴは、サルディーニャ島、コルシカ島などを勢力下におさめ、イベリア半島にカルタヘナ、アルメリア、バレンシア、バルセロナなどを築き、メデューサや、ゴッドファーザーの島で有名なシチリア島では西半分を支配し、東半分を支配するギリシャ人の植民都市シラクサと対立し、シラクサがローマの援軍を要請し、紀元前264年に始まったポエニ戦争によってカルタゴは滅亡します。
フェニキア人は、フェニックスと呼ばれる不死の「鳥」を信仰する民族であり、鳳凰がシンボルの蘇我氏や秦氏と関係の深い民族だと思われます。
一方、「ヘテ」はヒッタイト人の事で、陸を走る「獅子」を信仰する民族であり、青龍がシンボルの物部氏や、白虎をシンボルとする佐伯氏と関係の深い民族だと思われます。
狼も、虎も、猪も、鹿も、陸を走る動物全てを獣(しし)と読み、それらの百獣の王を「獅子」としたようです。
フェニキア人が信仰したとされる商人の神様は、ヘルメスという神様で、エジプトの「鳥」の神様のトート神だとされますが、トート神の側にいるジャッカルの神様であるアヌビスは、佐伯氏と関係の深い豊受大神と同じ神様で、ヘルメスのもう一つの顔の「獅子」を象徴しているようです。
「鳥」も「獅子」も、ルーツはシュメール文明の「アンズー鳥」と呼ばれるイナンナ(イシュタル)という女神の使いになります。
ヒットラーが拘ったゲルマン人(アーリア人)は牛の兜で表されるヴァイキングでも有名な戦闘を好む狩猟民族で、アウズンブラと呼ばれる雌牛がユミルと呼ばれる巨人を育て、そこから巨人族と人間が生まれ、世界が始まったとされる北欧神話があり、「牛」がシンボルの民族だと考えられます。
アーリア人とはドイツのマックス・ミュラーがヒンドゥー教の聖典「リグ・ヴェーダ」を翻訳した時にインド・ヨーロッパ語族という共通の言語のルーツを持つ民族を、共通の祖先アーリア人から発生したとする「アーリアン学説」というものを考え出し、それがゲルマン人に結び付けられたものです。
アーリア人は「鳥」を信仰するイラン・アーリア人と「牛」を信仰するインド・アーリア人といて、元々のルーツはイラン・アーリア人ですがヨーロッパと繋がりが深いのはインド・アーリア人だと言われています。
ヨーロッパの最古の文明にクレタ島のミノア文明と呼ばれるものがあります。
700℃から800℃程の火力ですが「錬鉄」の生産も行われており、それが東のヒッタイト帝国に伝わり、「製鉄」の技術が生まれ、東ヨーロッパのタタールへと繋がっていきます。
タタールはロシア語ですが、高温の火を扱う事からギリシャ語で地獄の住民を表すタルタロスと重ね合わせタルタル人とも呼ばれていました。
ギリシャ神話ではフェニキアの王女エウローペという女性がいて、彼女に恋をしたギリシャの神々の王ゼウスが、ヘルメスの連れている牛の群れに混じって白い牡牛に化け、それに興味を示したエウローペが牡牛に跨った時に、突然走り出し、エーゲ海を渡ってクレタ島にまで辿り着き、そこで交わってクレタ島のミーノース王を産んだとされます。
クレタ島はミーノータウロスという「牛」の怪物でも有名ですが、おそらく、この神話はアレキサンダー大王によってペルシアが滅び、ペルシアに従属していたフェニキア人がギリシャに吸収された事を表しているのかもしれません。
このフェニキアの「エウローペ」が「ヨーロッパ」の語源となります。
「鉄」という武器でフェニキア人を支配した事を象徴しているのが「牛」なのかもしれません。
ケルト神話でも巨人族と呼ばれる民族が登場しますが、これは「蛇」を信仰するアッカド人が巨大な岩を切る事の出来る「鉄」の発明者で、その切り取った巨大な岩を運ぶ「車輪」を持っていた為、それらの道具を知らなかった民族からすると、各地にあるストーンヘンジや、ピラミッドなどの巨石の建造物は、巨人が運んだものに相違ないと考え、それが神話化したものだと私は思います。
黒海とカスピ海に挟まれたコーカサス地方には洞窟がいくつか発見されており、紀元前3700年頃からアッカド人が荷車を使用していた事が分っていて、日本の縄文人を統括した物部氏や佐伯氏が、これに当たります。
北欧神話から想像するとゲルマン人(アーリア人)は、バビロニアのマルドゥク神という「牛」を信仰するアムル人や、「蛇」を信仰するアッカド人の影響を受けた民族なのかもしれません。
北欧神話で最も人気のあるオーディンと呼ばれる神様はギリシャ神話のヘルメス神と同一神だとされます。
「鳥」であるフェニキア人の信仰した商人の神様であり、エジプト神話の「鳥」の神様であるトート神だとされますが、その本性は「蛇」であり、アヌビスと呼ばれるジャッカルの神様がこれに当たると思われます。
つまり、羽の生えた車輪の神様のヘルメスは「靴」の神様でもあるわけです。
エジプトは「鳥」を信仰する上エジプトが、「蛇」を信仰する下エジプトを統合した国なので、アヌビスは墓場をうろつく「黒いジャッカル」だとされましたが、おそらく、ヒッタイト人が信仰した「白い獅子」がルーツにあるものだと思われます
中国の「秦」(しん)では、「白い獅子」が「白い虎」になり、日本では豊受大神の「白い狐」になり、「蛇」を信仰した佐伯氏は「冠」となります。
そして、「鳥」を信仰した秦氏の血は大化の改新からは天皇家から離れ、「靴」を表す平民の血へと流れていきます。
新幹線などの電鉄や、自動車産業が日本では急速に発達したのも、ヘルメスの功徳なのかもしれません。
日本人の縄文人はおそらくシュメール文明の後継者で、弥生人は中国大陸の長江文明に始まる夏王朝や、秦王朝の後継者で、黄河文明を築いた現在の中国人である漢民族のルーツである殷王朝とは同じアジア人でも民族的には違うようです。
中国文明の土台を日本人のご先祖様が築いて、それを漢民族の中国人が引き継いだという事です。
中国が殷の「鳥」を信仰する漢民族と「蛇」や「牛」を信仰する周の羌族とのせめぎ合いで生まれたと考えられます。
ヨーロッパでは、「鹿」を信仰するケルト人が「鉄」の精錬法を知っていた事から、ケルト人がクレタ島のミノア文明で、トラキア人を通じてヒッタイト人の「鉄」を手に入れたものと思われます。
日本人とアーリア人は、何の関係もないように思われますが、ヒットラーは日本人をアジアで一番ドイツ人に近い民族で、東方のアーリア人だと主張したようです。
「鉄」の機械による産業革命によって戦争に必要な文明が発達していたのが日本で、東方のアーリア人は後づけの理屈のようにも感じます。
ソロモン王の母親のバト・シェバは、私はヒッタイト人の可能性があるのではないかと思っているので、そう考えると、ユダヤ人はセム系の民族だとされますが、ソロモン王以降のユダヤ人や、イエス・キリストもみんな呪われたカナンの血を引いている事になります。
つまり、日本人は、アーリア人よりも、ユダヤ人や、トルコ人と近い民族のように私は思います。
ケルト人の「鹿」の神様ケルヌンノスも右手にはリングを持ち、左手には角のある「蛇」を持つ姿で表現される事から、「牛」のマルドゥクと同じ神様のようです。
ただ、この神様の特徴として胡座(あぐら)をかいた姿で表現される事が多いのは、座禅を組んだお釈迦様の影響を受けているのだと思われ、お釈迦様の前世が「鹿」とされる事からケルヌンノスとお釈迦様が同一視されていたのかもしれません。
ケルヌンノスの頭には、仏教でいう頭光(ずこう)の円が描かれたりする場合もあり、百獣の王であり、太陽神でもあるそうです。
スペインの闘牛は、ミトラ神を引き継いだキリスト教が牧神パーン(ケルヌンノス)=デュオニューソスを殺す儀式であり、西洋人が羊や牛を好んで食べる原因となりました。
イエス・キリストの「肉体のパン(羊)と血の葡萄酒(牛)」はケルト人とトラキア人の宗教を飲み込んで同化したローマ帝国が、キリスト教の土台となる事を予言していたのかもしれません。
このマルドゥクとムシュフシュの関係も、日本神話の大物主命(おおものぬしのみこと)の「蛇」が、少彦名命(すくなひこなのみこと)の「牛」に引き継がれた関係とよく似ています。
デュオニューソスも、少彦名命も、お酒や、医学の神様で、太陽神のアポロンと、大物主命の裏の顔という共通点があります。
ミカエルとルシファーの関係は、ギリシャ神話のアポロン「獅子」とデュオニューソス「蛇」と「牛」が表裏一体の関係なのと似ています。
アポロンの飼っている「牛」をヘルメスが盗んだという話は、ヘルメスがアポロンの持っているデュオニューソスの能力を盗んだ事を表し、ヘルメスが持つケーリュケイオンという魔法の杖も、元々はアポロンの持ち物だったと言われます。
ヘルメスは、エジプトではトートと呼ばれる「鳥」の神様で、ゼウスの言葉を神々に伝える伝令の神様という側面も持ち合わせていると言われます。
ちなみに、12月25日は、この太陽神ミトラが誕生した日として祭られていましたが、キリスト教がそれを取り入れて、キリストの誕生日にしました。
ユダヤ教や、キリスト教が、日曜日を安息日として休みにしたのも、ゾロアスター教の習慣を真似したそうです。
太陽=イエス・キリストというわけです。
仏教では、弥勒菩薩がミトラだと言われています。
このゾロアスター教が、マンスラ(真言)という呪文を唱える宗教であったことや、火(太陽)を崇拝することから、太陽を神格化した大日如来を最高神とする「真言宗」と関わりが深いのではないかと言われています。
後、ヴァルナ(アナーヒター)という月(水)の神様もいます。
ギリシャ神話では月の女神アルテミスが、そして、ヒンドゥー教ではサラスバティー(弁財天)という水の神様が、ヴァルナと、同じ神様だと言われています。
ヴァルナは、キリスト教ではガブリエルと呼ばれ、女性的な性格の天使として神のメッセンジャーの役割をしています。
マリア様に受胎告知(神の子が宿ったことを知らせる)をしたのも、この天使です。
イスラム教を生んだマホメットは、このジブリール(ガブリエル)から、コーランを授かったと言われ、イスラム教では重要な天使とされています。
イスラム教の国が、月をシンボルマークにするのも頷けます。
砂漠の民にとっては水は命であり、月は灼熱の太陽から身を守ってくれる存在だったのかもしれません。
ミカエルにしても、ガブリエルにしても、天使は、綺麗な翼を持っています。
この天使たちに翼が生えているのは、ゾロアスター教の神様たちが、翼を持っていたからです。
ゾロアスター教では、天に近い「鳥」を神聖なものとして尊び、反対に地を這う「蛇」を邪悪なものとして嫌いました。
その為、この国では、人が死んだら、鳥の餌になる鳥葬が行われていました。
太陽神ミトラ(ミカエル)も帽子のような宝冠を被った姿で表され、「冠」と「鳥」の翼がシンボルとなり、カトリックに受け継がれて司教冠を「ミトラ」と呼びます。
反対に「蛇」を踏んだ聖母マリア像などがあるように、マグダラのマリアと同じく「蛇」は「靴」を象徴するようです。
ペルシアのミトラ教を受け継いだカトリックと、「蛇」を信仰する日本とは「冠」と「靴」が真逆になったわけです。
ギリシャ神話のヘルメスは、「靴」に「鳥」の翼が生えた「タラリア」と呼ばれる黄金のサンダルを履き、「蛇」に「鳥」の翼が生えた「ケーリュケイオン」と呼ばれる杖を持った姿で描かれ、太陽神ミトラの真逆の意味を持つようです。
その為、西洋では古くからエジプト神話の月神トートと結び付けて考えられ、日本の豊受大神に対応するものと考えられます。
ヘルメスはフェニキアの「金」(鉄)を生む錬金術の神様であり、ローマ帝国にポエニ戦争でカルタゴ(フェニキア)が敗れてからは、牝牛アウズンブラと岩塩から生まれたゲルマン人の最高神オーディンとして蘇ります。
西ローマ帝国は野蛮なゲルマン人によって消え、東ローマ帝国はオスマン帝国に敗れ、ローマ帝国は滅亡します。
ゲルマン人の北方の民族をノルマン人と呼び、ノルマン人の西方の一部がヴァイキングであり、象徴は共に「牛」になります。
ゾロアスター教では、光を神聖なもの、闇を邪悪なものとして、火を拝むことから、中国では、拝火教(はいかきょう)と、呼ばれていました。
また、この宗教の司祭は、マギと呼ばれ、大麻などの麻薬を使って、信者に幻覚を見せたりしていました。
西洋のマジックの語源が、このマギから来ているそうで、西洋が麻薬という不思議な植物の存在を知ったのは、ペルシアからかも知れません。
そして、ゾロアスター教ではお酒を飲む事も認められていて、特に葡萄酒の人気は高かったようです。
日本には、飛鳥時代にゾロアスター教と大麻が入って来て、不思議な能力を使ったとされる役行者(えんのぎょうじゃ)などの修験道や、煙に巻いて幻術をみせる忍者なんかが生まれた背景も、大麻の煙など麻薬を使ったトリックだと思われます。
修験道を取り入れた「真言宗」が、護摩を焚いたりするのもゾロアスター教の要素と似ています。
「飛ぶ鳥」と書いて、「あすか」と読むのは、「鳥」の神様である「アスラ」が訛ったもので、明るい日の香りで「明日香」とも書くように、「大麻」を使用した太陽信仰のゾロアスター教を表しているのかもしれません。
イスラム共同体によって、サーサーン朝が滅亡させられた時に、ゾロアスター教徒は、インドのグジャラート地方に逃げこみました。
こうして、ゾロアスター教徒に代わってペルシアを制圧した事が、イスラム教が世界宗教になる契機となりました。
イスラム教がお酒を飲む事が禁止されるのは、ゾロアスター教の影響を排除する意味合いが大きかったのかもしれません。
現在では、世界で一番、ゾロアスター教徒が多いのが、インドとなっています。
インドでは、ゾロアスター教徒をパールシー(ペルシアから来たもの)と呼んでいます。
富裕層が多く、インドの三大財閥のタタは、このパールシーの財閥です。
イギリスは、インドを分割統治する為に、アーリア人であるパールシーにサポートを始め、アヘンの貿易で中国から追放
されたイギリスは、その後、パールシーに、アヘン貿易をさせて、パールシーは財力を蓄えていきました。
話は、変わりますが、イギリスのロックバンドで、「QUEEN」(クィーン)のリードボーカルのフレディ・マーキュリーは、このパールシーの子供で、ゾロアスター教だったことは有名な話です。
水星の神様でギリシャ神話のヘルメスはローマ神話ではメルクリウスと呼ばれ、それを英語にしたものがマーキュリーになります。
フレディ・マーキュリーは、乙女座であったので、その守護星である水星からマーキュリーという名前を付けたようです。
「QUEEN」の成功のきっかけとなった曲、「ボヘミアン・ラプソディ」の歌詞の意味は、謎だとされています。
フレディ以外の「QUEEN」のメンバーでさえ、意味は知らないと言います。
曲名の、ボヘミアンという言葉は、「定住性に乏しく、異なった伝統や習慣を持ち、周囲からの蔑視をものともしない人々」という意味だとされ、北インドから来た放浪者をロマと呼び、フランスにおいてロマの多くがボヘミアからやって来た事から「ボヘミアン」と呼ばれるようになったので、インドのパールシーである自分の境遇を「ボヘミアン」に重ねて歌にしたのではないかとも言われています。
ロマについて
イスラム教によってゾロアスター教徒は、厳しい迫害に遭い、故郷を追い出されてしまいますが、イスラム教徒の女性が、頭に被るベールや、スカーフも、ゾロアスター教の習慣を真似したものだと言います。
日本にえべっさんという神様がいます。
「商売繁盛で、笹持って来い」の竹と係わりの深い、あの、えべっさんです。
戎、恵比寿、蛭子、夷、胡と、色々な漢字が、使われます。
「胡」(えびす)とつく漢字は、だいたい、ペルシアから来たものです。
胡瓜(きゅうり)、胡椒(こしょう)、胡麻(ゴマ)、胡桃(クルミ)など…
中国の唐朝の長安で、ゾロアスター教を信じる「胡人」と呼ばれる民族がいました。
古代ペルシア帝国のソグディアナを故郷とするイラン系民族で、ソグド人と呼ばれる民族です。
日本の歴史に登場する蘇我氏は、このソグド人だと思われます。
蘇我氏の神様である素戔嗚尊(すさのおのみこと)は、ゾロアスター教の最高神アフラ・マズターであり、ギリシャ神話のペルセウスでしたが、天智天皇と藤原氏によって「鳥」は少彦名命の「牛」と習合させられてしまいます。
あと、聖地エルサレムは「獅子」のダビデ王が征服する前は、ノアの孫のカナンから生じたエブス人という民族が住んでいたそうです。
そのエブス人も、エビスと読みが似ている事から、同じ民族である可能性があるかもしれません。
「夷」(えびす)という漢字も、「尊王攘夷」などの言葉で使われる外国人を表す字ですが、日本に古くからいた「蝦夷」(えぞ)を指す言葉になります。
「蝦夷」などのアイヌ人も、元々は渡来人であったのかもしれません。
七福神の一人の「えべっさん」は、ギリシャ神話の、へパイストスという鍛冶の神様と同一神だと思われます。
最高神ゼウスの妻のヘラが、一人で生んだ子で、生まれた時から足が不自由で、あまりに醜かったので海に流したと言われています。
それを英雄アキレウスの母で、海の精霊であると言われるテティスと、蛇神オピーオーンの妻エウリュノメーが拾って育て、火と鍛冶の能力を身につけて再び戻って来て、オリンポス12神の1神にまでなったとされます。
ペルセウスが、メデューサを討伐するときに使った最強の盾「アイギス(イージス)」や、月の女神アルテミス(ダイアナ)が持っている「銀の弓矢」や、最高神のゼウスの武器で雷を自在に落とせる雷霆(らいてい)は、全てへパイストスが造ったものだとされています。
へパイストスの前身は、インド神話のアグニという火の神様で、更にその前身が、イラン神話(ゾロアスター教)のアータル
という火の神様だと言われています。
アータルは、拝火教の火の神様で、アフラ・マズターの息子だと言われています。
へパイストスのルーツは製鉄技術を持つヒッタイト人と共に移動してきたものと思われ、おそらく、起源はペルシアよりも古い、ティアマトと呼ばれる「角のある蛇」の女神を信仰したアッカド人に行き着くようです。
古事記では、イザナギとイザナミの最初の子で、蛭子命(ひるこのみこと)と言われる神様が、えべっさんだと言われて
います。
五体満足じゃなかったために「葦(あし)の船」に乗せられて海に流されてしまいます。
「葦の船」に乗せられて海に流される神話のルーツは、古代メソポタミアの「蛇」の民族アッカド人のサルゴン王であり、物部氏のルーツだと私は思います。
湿地帯に生息する「葦」の根の周辺には鉄バクテリアが大繁殖する事があります。
自然の鉄鉱石が水に溶け込んで出来た水酸化鉄が、鉄バクテリアの作用で円筒形の「褐鉄鉱」(かってっこう)=リモナイトを形成します。
愛知県豊橋市高師原で、この円筒形の鉱物が多く見つかった事から「高師小僧」(たかしこぞう)と呼ばれています。
この褐鉄鉱から、たたら製鉄の技術が生まれる以前の古代製鉄の「鉄器」が生み出されていたようで、坂上田村麻呂によって征服された蝦夷(えぞ)の地である現在の神奈川県の都筑郡(つづきぐん)では古代製鉄の跡が見られるそうです。
つまり、「葦」は古代製鉄の「鉄」の原料を生む重要な植物だという事です。
神奈川県の「神奈」(かな)は十字架(剣)を表す10月の古名の「神無月」(かんなづき)の「神無」(かんな)で、物部氏と蘇我氏の両方が亡くなっていることから「無」(なし)の字が充てられ、大国主命のいる出雲大社だけは「神有月」(かみありづき)と呼ぶそうです。
「神無」(かんな)は「たたら製鉄」の「金」(かな)を表し、古くは「神奈川」(かながわ)は「金川」(かながわ)と書かれていました。
日本の刀剣史上もっとも著名な刀工の一人の相洲五郎正宗(そうしゅうごろうまさむね)や、新藤五 国光(しんとうご くにみつ)などの名刀工が相模(神奈川)に住んでいたのは、丹沢山(たんざわさん)から川を渡って海に流れ込む「砂鉄」が刀剣の材料に適していたからだそうです。
サザンオールスターズの「稲村ケ崎は今日も雨」で知られる稲村ケ崎は「砂鉄」が採取できることで有名で、磁石を近づけると大量の「砂鉄」がひっついてくるそうです。
古代製鉄の「葦」の話に戻りますが、愛知県豊橋市の素戔嗚尊を祀る吉田神社(よしだじんじゃ)は、古くは牛頭天王社と呼ばれ、六月の末日の禊祭に「葦」に疫病の厄を乗せて流す行事が行われたと言われます。
京都市左京区にある吉田神社では節分祭が有名で、その中の鬼を追い払う「追儺式」(ついなしき)、別名、「鬼やらい神事」では「桃の弓」と「葦の矢」が使用されます。
「桃」が伊弉冉命(いざなみのみこと)を表し、「葦」が伊弉諾命(いざなぎのみこと)を表し、「鬼」が牛頭天王と習合した素戔嗚尊を表しているものと思われます。
「鳳凰」(フェニックス)を意味した素戔嗚尊を「鬼」(牛)として追い払い、「青龍」(大物主命)を誕生させるという事のようです。
素戔嗚尊が大国主命の事を最初は「葦原色許男」(あしはらしこお)と呼びますが「色許」(しこ)は相撲で土を踏み固める「四股」(しこ)であり、崇神天皇(すじんてんのう)に仕える四道将軍として、蘇我氏や秦氏を物部氏の系図に踏み固める意味があるものと思われます。
「鳥」ではない「牛」や「龍」の「角の力」(つののちから)であり、「角力」(すもう)を意味します。
住吉明神(すみよしみょうじん)の祭神である「底筒男命」(そこつつのおのみこと)、「中筒男命」(なかつつのおのみこと)、「表筒男命」(うわつつのおのみこと)の「筒」(つつ)とは「高師小僧」を表していて、大国主命を象徴する敏達天皇(びだつてんのう)が春日老女子(かすがのおみなご)を娶り産んだ皇子が、「難波皇子」(なにわのみこ)、「春日皇子」(かすがのみこ)、「大派皇子」(おおまたのみこ)の三人で、住吉明神を意味しているのかもしれません。
春日老女子が産んだ女の子である「桑田皇女」(くわたのひめみこ)が神功皇后であり、この四神の住吉明神に応神天皇を加えた五神が八幡神となります。
「えべっさん」は、海の神様から拾われて特別な能力を身につけ、再び海から帰ってくるという話です。
それが、「たたら製鉄」の誕生であり、荒神、火之迦具土命(ひのかぐつちのみこと)の誕生です。
出雲地方は「たたら製鉄」の材料である「砂鉄」(さてつ)が多く、素戔嗚尊は「砂鉄」を表す「洲砂(スサ)の王」という意味ではないかという説もあります。
「たたら製鉄」は「えべっさん」の「古代製鉄」に比べて火力が強すぎて、秦氏を象徴する伊弉冉命(いざなみのみこと)は命を落とします。
出雲地方には素戔嗚尊の後継者となった大国主命が祀られ、出雲大社が建てられます。
極めて、日本の神話の「えべっさん」は、ギリシャ神話の「へパイストス」とよく似ています。
「へパイストス」は「ゼウス」の前身と考えられます。
「ゼウス」は日本でいう「大物主命」かもしれません。
「えべっさん」は、海の神様に育てられた為に「鯛」を抱えています。
「鯛」(たい)は「台」(たい)が象徴の「台与」(とよ)であり、豊受大神のシンボルになります。
海の神様と言えば、竜宮城などの「龍」を思い浮かべます。
「龍」は「辰」とも書き、雨カンムリを付けると「震」という漢字になります。
「震」はカミナリの事で、「神なり」「神が鳴り響く」という意味です。
「雷」(カミナリ)の多い年は雨がよく降るというので、豊作だといいます。
その為、雨を降らせたり、「雷」を起こしたり出来る「龍」は五穀豊穣の神様だとも言われます。
「蛇」と、「龍」の違う点は、「鳥」のように空を飛べるという点と、四本の「足」があり、「牛」のような角を持つ点です。
中国の「龍」は「翼」はありませんが空を飛べるという点で、「角」と「翼」の両方を兼ね備えている西洋のドラゴンと本質的には同じだと思います。
「龍」は、自分にとっての「如意宝珠(にょいほうじゅ)」を見つけ、がっちり掴んだら、昇龍となって世界に飛翔して行くそうです。
「如意宝珠」とは、ブッダが悟った「真理」をペルシアで採れた「天然真珠」に例えたものです。
「真理」は現代では「科学」(化学)と考えてもいいと思います。
ユダヤ教や、キリスト教では、「蛇」や、「龍」や、「牛」を悪魔とします。
これは、敵国の神様を悪魔と呼んだゾロアスター教の影響です。
ユダヤ人は、バビロン捕囚から救い出し、ユダヤ教に寛容であったペルシアのゾロアスター教には好意を持っていて、それが「天使」という神様に次ぐ地位を持つ「精霊」として与えたのだと思います。
しかし、「牛」を象徴するギリシャのアレキサンダー大王によって「鳥」であるペルシアは滅亡し、「牛」と「鳥」が結び付けられ、ペルシアのゾロアスター教の主神であったアフラ・マズターは、カトリックによりベルゼブブという羽のある「蝿」や、「イナゴ」の悪魔にされてしまいます。
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ルシファーと呼ばれる堕天使は、アッカド人の「蛇」、カナン人の「牛」、ペルシア人の「鳥」を習合させたもので、「ドラゴン」と呼ばれる怪物が生まれます。
元はヘパイストスという火の神様なので、ドラゴンの特徴は火を吐く事になります。
中国や、日本では、「龍」は皇帝のシンボルであったり、川や海の神様であったりします。
仏教でも、「龍」は八大竜王を含め、ナーガラージャと呼ばれ信仰されます。
中国の漢を作った劉邦(りゅうほう)は、顔が奇相で「龍」に似ていた為、「赤龍王」(せきりゅうおう)と呼ばれ、それ以来、「龍」は皇帝を表す紋となり、「赤」が中国のシンボルとなります。
青い「龍」を表す「青龍」(せいりゅう)の国である日本は、「龍」を表す大国主命の子孫が日本人であったり、日本列島自体が「龍」の形をしていて「龍」尽くめです。
西洋の「キリスト教」と、東洋の「仏教」は、ミカエルとルシファーのように表裏一体の関係にあるのかもしれません。
ヨハネの黙示録の5章5節には「イエスはユダ族から出た獅子」として「獅子」がイエス・キリストのシンボルだとされます。
映画ナルニア国物語のアスラン王と呼ばれる謎の「獅子」も、イエス・キリストをモデルとしています。
これは、エゼキエル書9章2、3、5、6節において「獅子」がユダヤ人の救世主(メシア)の象徴として書かれていて、創世記49章9節には「ユダ族は獅子の子」という言葉や、10節の「王笏(おうしゃく)はユダから離れず統治の杖は足の間から離れない」という言葉がある事から、ユダ族でダビデの子孫であるイエスに「獅子」を当てはめたものです。
キリスト教ではイエス・キリストを救世主と認めていますが、ユダヤ教では認めていません。
イスラム教も、イエス・キリストは預言者の一人としては認めているものの、救世主とは認めていません。
つまり、イエス・キリストを「獅子」とするのは、キリスト教の立場から見た場合だということです。
「獅子」はキュベレーという女神のシンボルで、ヘパイストスという製鉄の民エブス人の「蛇」と関係の深いヒッタイト人を動物で表したものとも言えます。
それは、ダビデの妃で、ソロモンの母親のバテシバという人物がヒッタイト人の「獅子」である可能性があるように私は思います。
「獅子」は西の方角の「白虎」であり、キリスト教への入口であるユダヤ教を象徴するのだと私は思います。
王道であり、聖職者である「冠」を表します。
そしてキリスト教の核心は東の方角の「牛」とその心臓部である「蛇」の方で、「青龍」に当たるのだと私は思います。
地に落ちた「蛇」であり「靴」を表します。
ヨハネの黙示録の22章16節には、「イエスは輝く明けの明星」だと書かれていて、ルシファーという悪魔の表現と同じです。
ヨハネによる福音書や、黙示録ではイエス・キリストはユダヤ教の生贄の動物である「子羊」に例えられ、象徴的に書かれています。
これは過越(すぎこし)の「子羊」の血がイスラエルの民の罪を購ったように、イエス・キリストが角の生えた犠牲の動物と同じ意味を持つという事おようです。
日本では少彦名命という「小さい者」にされてしまった素戔嗚尊がこれに当たり、蘇民将来(そみんしょうらい)など、人間の姿に化けて弱者に対する優しさを試すという性格は、略奪を繰り返していた海賊が、ある日、人間だと思って誘拐した青年が神様であり、突然「獅子」に変わって雄叫びをあげ、それを見て海賊達が海に飛び込んで逃げようとしますが、海賊達を全て「海豚」(いるか)に変えたというディオニューソスの神話と共通の性格があるように思えます。
「獅子」に変わるディオニューソスの話は、「獅子」の代わりに船のマストから「葡萄の木」が生えて、それにびっくりした海賊達が海に飛び込んだとするバージョンもあります。
ペルシアで生まれたグノーシス主義は、「仏教」の影響を受けて世界を「善」と「悪」に分ける二元論を展開させましたが、これはお釈迦様の悟りを開く前の世界と、悟りを開いた後の世界が別々の世界だとする間違った解釈で、お釈迦様の悟りとは、世界は何も変わらず、今まで自分が問題だと思っていた事が、実は問題ではなかったという事に気付く「知恵」が「如意宝珠」というものに例えられたようです。
つまり、「天国」(天使)も、「地獄」(悪魔)もなく、あるのは「この世」(自分)だけという事です。
「悪魔」だと思っているルシファーも、人間が作りだした妄想で、「悪魔」ではないのかもしれません。
ただ、牧神パーンを信仰したギリシャのオルペウス教でも、ディオニューソスを信仰したトラキア人の宗教も、肉体は魂の牢獄であり、あの世に素晴らしい世界があるとする善悪二元論のグノーシス主義的世界観を持っていた為、それが皮肉にも自分達を「悪魔」にする原因となりました。
日本では、5月5日の子供の日に、「鯉のぼり」をあげます。
中国の伝承に、「鯉」が川を登りきると「龍」に変わるという話があり、登竜門(とうりゅうもん)と呼ばれます。
子供を「龍」のように強く育てたいという親の願いから、「鯉のぼり」を揚げる風習が出来たようです。
翼の無い「鯉」が、空を飛べるようになるのです。
子供の頃、「鯉のぼり」を見て、「何で、鯉なんだろう?空に浮かべるなら、魚より、鳥か何かの方が、しっくりくるのに」と疑問に思っていた事を思い出します。
吉備地方に古代製鉄の技術を百済から日本に伝えた「温羅」(うら)とよばれる「鬼」がいて、「鯉」に化けた逸話が残されています。
桃太郎に退治される「鬼」であり、藤原氏のルーツになります。
「鯉」は手足の無い「蛇」である日本固有の神様「えべっさん」であり、「龍」は大物主命の事で天智天皇を表しているのかもしれません。
藤原不比等は天智天皇の落胤という説もあり、物部氏と藤原氏は深く結びついているようです。
アジアの国で唯一、日本が西洋諸国の植民地とならなかったのも、武士がいたからで、古代より、「龍」は「刀」の象徴であり、「戦の神」として、日本の男の子の憧れの存在だったのかもしれません。
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