近所の公園でゲートボールに誘われたので参加したら黒ミサだった
ある日曜日、晴れ渡る空の下、私はいつもの公園へと足を運んだ。公園には老若男女が集まり、子どもたちの歓声と犬の吠え声が交錯する。そんな中、私は一群のお年寄りたちに声をかけられた。
「若いの、ゲートボールしないかね?」と彼らは言った。
私はゲートボールに興味はなかったが、彼らの温かい笑顔に誘われて参加することにした。スマホでルールを確認しながら老人たちが準備を行う様子を観察する。ボールは神聖な物であるかのように扱われ、素振りするスティックの一振り一振りは求道的で、彼らの表情は世界の命運を担っているかのように真剣だ。
おじいさんが慎重にボールを地面に置いた。
周囲の人々もボールに敬意を表して頭を下げた。
「手に取って触れなさい。このボールは我々の血肉である」
老人たちは列を作り一人ずつボールに触れ、その表面をなでた。
私も見様見真似で彼らに倣う。
「さあ、始めよう」
満足そうに頷き最年長のおじいさんが宣言した。
彼の声に合わせてプレイヤーたちは一斉にスティックを持ち上げ、空に向かって謎の呪文を唱え始めた。彼らの表情は一変していた。目は爛々と輝き、手は小刻みに震え、スティックを握る指は緊張で白くなっていた。
「ファーストショット」の合図と共に、おじいさんはボールを力強く打った。
ボールはゲートを通過し、そのたびに彼らは熱っぽくひそひそと囁き合った。次のプレイヤーが「セカンドショット」と叫びボールはゲートのセンターポイントに向かって転がった。彼らはその動きを見守りながら、祈りのような言葉を繰り返した。
「転がっているのは、我々の魂を象徴するボールである」
と知らないおじいさんが呟いた。
「これはただのゲームではない。生きることの喜びを分かち合う儀式なのだ」
と別のおばあさんが囁いた。
「スコアが入るたびに我々は浄化され、やがて彼らを呼びだすための贄となるのだ」
彼らの情熱はボールがゲートを通過するたびに高まり、喝采と拍手が響いた。
「ラストショット」と全員が手を繋いで唱和する。
ボールが最後のゲートを通過すると大きな歓声が上がった。
だがそれも一瞬のことで、すぐに彼らは静まり返る。公園の喧騒も遠ざかった気がした。
「皆さん、今日はまだその日ではなかったようだ。だが降誕の日は近い。こうして新たな若き同胞も加わった。これからも一緒に、門の解放と約束の地を目指し頑張っていきましょう」
挨拶が終わる頃には老人たちは穏やかな表情に戻っていた。
そうして私はその日、ゲートボールの楽しさとスマホの情報だけでは解らない、実際のゲートボールの奥深さを知ったのだった。