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懸魚

【GWT】【K暁】愛情流転

2024.04.28 03:50


 天狗がふわふわの新入りを見せに来た。

「えっかわいい」

「なにこれ、かわいい」

 さっそく絵梨佳と麻里に構われているそれは、見た目はほとんどカラスの雛だ。

 しかし頭には一丁前に頭巾をつけ、橙色の括袴に短い腕を通し、真っ白な梵天房がついた新品の結袈裟をつけている。そうして黄色い目をぱちくりとさせて、女子高生二人を交互に見つめていた。

 ぎゃあぎゃあと鳴く天狗曰く、この春に群れに加わった幼天狗だという。いつか世話になるかもしれないので、どうぞよしなに、と。

 ひとしきり挨拶を交わすと、大小の天狗はばさりと飛び立ち春風に消えた。

「やっぱ天狗ってのは、義理堅い連中みたいだな」

 KKが煙草を吹かしながら言った。

 アジトのリビングでは、エドが妖怪のこどもだと興奮してレコーダーをめちゃくちゃに再生し、凛子に窘められている。絵梨佳と麻里は、はしゃぎながらカメラロールを確認し、レンズが妖怪を捉えられなかったことに落胆していた。

「すごい、天狗の子供ってレアじゃない?」

「あれで実際子供なのかはわからんが、まぁかなり珍しいだろうな」

 ベランダで、天狗が飛び去った空を眺める。KKも隣に来て、ぷかぷかと煙を吐いた。


 ○


「もう大丈夫だよ」

 呪、祟、怨、そんな呪詛の粒子と共にマレビトが霧散し、あとにはきらきらと輝くエーテルが残る。

 暁人は背後に庇った御神木を振り返る。そしてそのウロの中で震えていた木霊に声をかけた。

(助けてくれてありがとう)

「気にしないで……あれ?」

 ちら、と、木霊の後ろに何かが見えた。ちら、ちら、と何度も何かが見え隠れしている。暁人が怪訝そうにすると、木霊は言った。

(出てきていいよ)

 すると、ぴょこりと丸いものが顔…顔だろうか、顔にあたる部分を覗かせた。

「…えっ、かわいい」

 思わず口をついて出る。

 小さな、小さな木霊だった。姿は確かに木霊だが、テニスボールくらいの大きさしかない。明るい新緑の色をしていて、恐る恐る暁人の方を窺っていた。

「えっと、その子……」

(今年に葉を出したばっかり)

「あ、そうなんだね。まだ小さい子なんだね」

(もうすぐここも代替わり)

「そうなの?」

(そう)

 このビルとコンクリートで覆われた街にも、精霊の宿る古木は細々と残っている。

 樹木は長く生きるので、木霊も長く根を張るものだと思いこんでいたが、やはり生命であるからには世代交代があるらしい。この木霊も暁人からすれば小さいが、もしかしたらもう何百年もこの木に宿り、街の変化を見守ってきた老木霊なのかもしれない。そして今年生まれた若葉に場を譲ることにしたのだろう。

(よろしくね)

 木霊が促すと、幼齢の木霊はぴょんぴょんと跳ねてからお辞儀をした。まだ発話はできないようだ。

 暁人は微笑ましい気持ちをなんとか胸に押し留めて、少なくとも人間の大人として理性的に「よろしくね」と挨拶した。


 ○


 春はとにかく気忙しい。

 変化の時期である。人間を含めた遍く動物の群れに新顔が加わり、古株は去る。去年までの活動を整理し棚に収め、新たな活動を始める季節。

 そういった過渡期には、マレビトよりもむしろ妖怪の方が盛んに活動する。彼らは一言に動物だとか植物だとかの区別はできないが、生命ではある。季節と共に生命は流転する。停滞や蓄積が温床となり発生する穢れとは正反対だ。

「洋傘も唐傘になる時代とはなぁ」

「そこは洋傘小僧でいいんじゃない?」

 大気はずいぶんと温かくなったが、雨はまだ冷たい。暁人とKKは揃いのフードを被り、しとしとと雨に煙る夜の渋谷を往く。年度末だからか、街は普段よりも賑々しい。雨音と人々のざわめき。車の音、街頭広告の明るい音楽。その場を歩くだけで、なんだかそわついてしまう。

 本日の依頼は中堅世代のサラリーマンからで、長年愛用しているコウモリ傘が逃げ出したのだと語った。暁人たちにとっては日常茶飯事の案件だが、当人は岩戸のように重々しい口を開いて、恥じ入るような声音をしていた。幽霊や妖怪も無縁の人間なら、無理もない。

「コンビニのビニール傘も、大事にすれば妖怪になるのかな」

「付喪神は物が何かで決まるんじゃねぇよ。大事にしてくれるやつがいるかどうかだ」

「それもそうだね」

 ネオンサインが瞬くホテル街を抜け、アジトに帰り着く。

「あら、お帰りなさい。寒くなかった?」

「少しだけ。でも大丈夫です」

「今日のはやっぱり唐傘小僧だったぜ。…いや、洋傘小僧だったな」

『やっぱりそうか。妖怪も時代によって変わっていくんだね。唐傘小僧という名前は既にキャラクターとして確立されているから廃れることは当分ないだろうが、その姿形は人間の使う道具や生活様式の変化と共に…』

「あーうるせぇうるせぇ。オレはシャワー浴びるぜ」

「ごゆっくり。暁人くんは?」

「僕、さっきから小腹が空いて塩神が食べたくて。ちょっとお湯沸かしますね」

「健康的ね」

 妹と絵梨佳は既に帰宅している。新学期が始まるのでそれなりに忙しいようだ。

 世間の雰囲気に包まれてどことなく浮ついた心地がするが、アジトには穏やかな時間が流れている。幽霊や怪異を相手にした商売だと、どうしても暗い情報ばかりが集まりがちだ。しかし春はそれすらも喧噪に混ぜて流してしまう。

 塩神を啜りながら一通りの報告を済ませると、KKが浴室を出た音がした。烏の行水だ。

 食べ終えたカップを洗ってから、玄関横の部屋を覗く。中ではパンツ一丁のKKが扇風機で涼んでいた。

「うわ」

「なんだうわってお前」

「麻里と絵梨佳ちゃんの前でその格好しない方がいいよ」

「わかってるよ。いないからしてるんだろ」

 灯りをつけるのも面倒だったのか、暗くしたまま窓だけは開け放って、そよ風が吹き込むままにしている。暁人はKKの隣に座った。

「オマエは浴びないのか?」

「帰ってからにするよ。ここでさっぱりしたら帰るのが面倒になっちゃうしね」

「じゃあ帰るなよ」

「無理言うなよ、いい歳して」

 スマホでSNSを確認する。これは凛子の手伝いだ。超常現象や怪異の情報はSNSにも日々投稿されている。KKも暁人の手元を覗き込んだが、やれやれと首を振りながらすぐに欠伸をした。

 しばらくそうして、特に会話もないまま、風通しの良い部屋で時間が流れた。めぼしい情報をメモし終えて、暁人は画面を閉じた。深く息を吐くと、体がゆったりと部屋の空気に馴染んだ。このままでいると眠気が兆してきそうだった。

「暁人」

「なに」

「ちょっと左手貸せ」

「右手じゃなくて?」

 隣で小さく笑声が零れた。左腕を取られる。何をするんだろうと考えていれば、微かにちゃり、というような音がして手首に何かを通された。見下ろすと、廊下の光を反射して、連なった小さな珠がつるりと光っていた。

「…数珠?これ滋養珠?」

「いや」

 返事は短い。手首を掲げてよく見てみる。やはり、黒い珠の数珠だ。それも新品で、傷も無くぴかぴかしていてる。

「…なに?」

「やるよ。着けておけ」

「どうしたんだよ、これ」

「なんでもねえよ」

 KKは伸びをしてベッドにもたれ、足で扇風機の停止スイッチを押した。行儀が悪い。だがそれを咎めるよりも、暁人は数珠を優先する。人に何かをあげるなら、せめて言葉を添えるべきではないか。この中年はそれさえ不精しようとする。

「説明してくれないと、困ってる妖怪がいたらあげちゃうかもしれないよ」

 元気の無い狸のような呻きが聞こえた。KKは脱力したまま逡巡しているらしい。裸の上半身が、呼吸に合わせて僅かに上下している。眺めているとうっすらと、変な気持ちが湧いてきそうだ。

 一年前もそうだった。ろくな説明もなくお守りを渡してきた。今回は聞き出してやってもいいだろう。それくらい追わないと、はっきり言ってくれないのだ、このおじさんは。

「……まぁ、願掛けみたいなもんだ」

「願掛け?」

「ああ」

「どういう?」

 また少しの沈黙を挟んだ。手間のかかる中年だ。

「オマエ、卒業しただろ」

「そうだね」

 暁人はこの春、大学を卒業した。

 そして名実ともに、この『ゴーストワイヤー』のエースとして活動を始めるのだ。

「区切りになるだろ、いろいろと。だから…その祝いの品だ」

 暁人は一旦その言葉を受け入れたが、なんだか釈然としない。初めに願掛けといって、次に祝いの品という。微妙に噛み合わない。誰の、何に対する願掛けだ。人の言葉には本音と建前とがある。KKの返答は、本音に建前をかぶせているような気がしてならないのだ。

「願掛けってどういう?」

 聞き返すと、さらに沈黙。なるほどこちらが本音だったか。

 卒業祝いと称して、どういう願いを込めたのか。

 KKが答えを渋っている間に、暁人はまた数珠を眺める。黒い珠。暁人とKKはいつもお揃いの黒いジャケットだ。このジャケットもある意味ではKKからもらったものだ。

 思えば一番初めにはエーテルの力を与えられた。それから幽霊やマレビト、妖怪に関する様々な知識と、戦い方を教えられた。だから二人は師弟でもあるのだが、考えるほどに暁人はKKからもらってばかりだ。なんとなく歯がゆい気持ちになる。

 KKはずっと言葉を探しあぐねている。強くて呆れるほど頑固で聞き分けがなくて、不器用な人なのだ。

 やがてKKは深く息を吐いた。隣で大人しく待っていると、そっと左手を握られる。囁くような声がした。

「暁人」

「なに?」

「若いんだから、オレらのことは気にせずいろんな経験しろよ。凛子もエドも止めやしねぇよ」

「うん」

「別の仕事に興味出たら迷わず行って勉強してこい」

「説教臭いな」

「うるせぇ。外国とかも、いいんじゃねぇか。エドもいるし、いくらでもルートはある」

「…そうだね、それも面白いと思う」

「まあなんだ。違う所行きたくなったら、好き勝手行けよ」

「…」

「そんで」

 言葉が切れた。ひとつそよ風が吹く。瑞々しい雨の匂いがした。

「…できたら、最終的には、オレが死ぬまでには、帰ってこい」

 訥々した言葉は、静かに部屋に落ちた。

 KKは体を投げだしたまま微動だにしない。ただ、暁人の左手を握る指だけが、たどたどしく数珠をなぞっている。

 彼の願いは、確かに門出の祝いでもある。「旅立ってほしい」と、「行ってほしくない」。その気持ちは相反するが共存し得る。KKが言い渋ったのも頷ける。まるで親のような願いで。受け取る方としてはちょっと気恥ずかしいが、二回りも歳の差があるのでこればかりは仕方ない。

 暁人はそっと身を乗り出して、上からKKを覗き込んだ。ぱちりと目を合わせてから、ごま塩の髭面にキスをする。

「わかった」

 首に腕を回して抱き着く。風で冷えたか、KKの素肌はひんやりしていた。

「絶対外さない」

 その耳に答えを届ける。すると背中に腕が回って抱き返された。

「助かるよ。オレはもう歳だからな」

「急に年寄りぶるなよ」

 KKはひとつため息をついて笑った。そして強く強く暁人を抱き締めてカエルのような声を出させた。ひとしきり暁人を締め上げると、今度はライオンのように口に噛みついてくる。

 しおらしかったと思えば、この負けず嫌いの中年は!

 負けじと応戦しながら、暁人は軽やかに笑った。


 ○


「お兄ちゃん、あれ」

 春の彼岸、両親の墓参りを終えて墓地を出ようとしたところで、麻里がとある家族を示した。

 子ども連れの若い夫婦だ。墓に手を合わせている。まだ幼い子供は両親の動作の意味を知らず、ただ不思議そうに墓石の方を見ていた。いや墓石ではなく、その上に浮かんでいる老婆を見ているのだ。にこにことして愛おしそうに子供を見下ろす老婆は、きっと祖母かそれに近い親戚だろうと思われた。

 老婆の隣には、もう一人いた。こちらは故人の霊ではない。暁人がその道の本職であるからわかる、座敷童だ。

 やがて夫婦が帰り支度を始めると、老婆と座敷童は二言三言言葉を交わした。そしてひとつ頷き合い、座敷童は老婆の側を離れ、幼い孫に寄り添った。あどけない孫はよくわからないながらも、嬉しそうに座敷童と手を繋いだ。そして跳ねるような足取りで両親の後をついていく。

 優しくその背を見守る老婆の姿は、青い粒子となって解け、春の空に消えていった。

「…今度は、お子さんとお孫さんの側に、ってことかな」

「きっとそうだね」

 ひとつの命、ひとつの人生、あの老婆と座敷童の時間は終わり、また新しい家族との時間が始まる。

 麻里がくすんと鼻を啜った。その背を撫でてやり、暁人たち兄妹も歩き出す。


 ○


「信じられるか」

「うん、すごいね」

 明らかにKKは興奮している。ぐっと暁人の二の腕を掴むので痛い。

 開発され尽くした渋谷の街にも、河童の棲み処はあちこちに存在する。妖怪は此岸と彼岸のどちらにも属せる存在なので、なんなら棲み処を作ってしまうこともある。

 咲き始めの桜が映る水面。いつかの時代に存在したかもしれない、古い古い池。岸に咲き誇る春の花々に囲まれた、水の小楽園。

 ぐっと張り出した桜の枝の陰で、河童が子育てをしていた。

 ミドリガメの子供に似た、小さな小さなこどもの河童たちだ。アメンボのように浅瀬を泳ぎ回っては親にじゃれついている。きぃきぃと愛らしい鳴き声が、二人の隠れる茂みにまで聞こえてくる。

「やっぱり河童にも子供がいるんだね」

「さすがに、あいつから勾玉取るのはやめとこうぜ」

「そうだね。きっと大変な時期だしね」

 代わりに、二人はそっと岩陰にキュウリを置いた。

 来た道を戻り、梯子を登ってマンホールから這い出る。するとそこは、紛れもなく夜の渋谷の街だ。

「エドに報告するか。絶対うるせぇからデータでな」

「…僕にやれって言いたい?」

「若者の方が得意だろ、そういうの」

「最悪」

 二人の仕事内容は代わり映えしない。だが季節も時勢も少しずつ変わっていく。

 春は始まりの季節だ。風は今この時から吹いている。暁人の背中にもその風は吹いている。暁人は若く力がある。どこへでも駆けていける。

 なんとはなしに春の曇天を眺めていると、どんと背中を叩かれた。

「なにしてんだよ。飲みに行きたいんだろ」

「あ、うん。そうだ、報告書作ってあげるから奢ってよ」

「はぁ⁉」

 KKは顔をしかめたが、すぐに何かを考えて、にやりと笑った。

「いーぜ。せっかくだしな。暁人くんの入社祝いも兼ねて」

「ええ…入社祝いにはしょぼくない?」

「文句言うな奢ってやんねぇぞ」

「焼き鳥が食べたいな」

「ハイハイ」

 しかし、少なくとも今は、この相棒で師匠でついでに良い仲でもある男の隣が一番に楽しいのだ。

 きっといつか旅立ったって、廻り巡って還ってくる。