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Why Not?〜さぁやってみよう!〜

ヘイトスピーチよりも厄介なもの

2016.02.12 18:57

Facebookの友達が、とても深い記事を書いたのでシェアします。


私も書こうと思っていた内容なのだけど

残念ながら、こんなに端的に客観的にまとめることができないので

もうコチラを是非読んでいただきたいです。


で、あえて蛇足をつけるなら

私は、こと障害における差別とは

「障害=劣っている」という価値観だと思うのです。


ずいぶん昔の話。

4年くらい前かな〜?

娘が発達障害と不安障害、その他もろもろの不調で

不登校だった時です。

やはり不登校だったお子さんを持つお母さんに

「子供が学校に行けないって辛いですよね?」と声をかけたら

「うちの子はオタクとは違うから!」と

憤然として言われちゃいました。


まぁ、なんていうか

「障害児とウチの子を一緒にすんじゃねぇよ」って事でした。

普段は娘にも優しく声をかけていてくれたのですが

それって障害児で可哀想で哀れだったから。

可哀想な子だから優しくしてたわけです(^_^;)


一緒にされて憤然としたのは

うちの子をそんな劣っている子と一緒されたと思ったからです。

(本当はそんな事言ってないのだけどね)


でも違うんですよ〜!

障害=劣っている

のじゃなくて

障害=違っている

ってことなんです。

「違っている」って「劣っている」って事じゃない。


そりゃ世界は多数派に便利なようにできてるから

違っている少数派にとっては

住みにくい生きにくいところではあるけど

障害を持つ娘にとって

この世界は時に、過酷な世界になるかもしれないけれど

でも引け目を感じる必要はないんです。


そもそも障害は誰にでも起こりうる事だしね。

今日の健常者は、明日の障害者かもしれないのよ〜。

でしょ?( ´ ▽ ` )ノ←おいっ!


だから障害者を見て「可哀想」(何が?)とか

「優しくしてあげないと」(障害者相手に限った事ではないでしょ)とか

「天使だ」「心が綺麗だ」(障害者にだってエゴがあるんだよ)とか

そういう美談的発言は嫌いです。


どちらも

汚染された潮汐干潟の匂いを香水でごまかしてる感じがします。

言葉も意識も差別なんて微塵もないのだろうけど

その裏側から微かに匂ってくるのよね。


ある意味堂々とするヘイトスピーチなんかよりも

善意に隠れた差別の方が

よっぽど人にも(自分にも)悪影響を与えるんだよ。


うん、でも、まあ。

人と同じでなければならないという価値観を持ってると

障害という違いは受け入れ難いものなのだと知ってます。

はい、身をもって体験しています(苦笑)


というわけで障害者とご家族のかた。


「普通」という枠組みを手放したあたしらは、

「自分も子供も人と違っていても良いのだ」

という許可を自分たちに与えたあたしらは、

ちょっと自分たちを誇ってもいいんじゃないのかな?

と思いますが如何でしょう(笑)