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心の豊かさ

2024.04.29 09:55

Facebook尾崎 ヒロノリさん投稿記事

ツツジが美しい綺麗に咲き始めました。季節は巡り巡ります。

ツツジは筒状の花を意味する筒しべが語源のようです。

色んな色のつつじに足を止めてしまう…まさに躑躅ですね。


Facebook上田 一美さん投稿記事

徒然日記

躑躅の美しい季節ですね❗️

その花を咥えて甘い蜜を吸いながら、ピンクや白や赤い唇で友達たちと駆け回った子供の頃を思い出す。

心に残る宝物は、お金にまつわることはほとんどなく、こうした自然との出会いの中で、遊び回ったこと~母や祖母に手を引かれて、躑躅の咲き乱れる川沿いの路を歩いたこと~等等

そして今日目覚めて初めて降ってきた言葉~

~時は金なりの時代から時は命なりの時代へ~

お金とサバイバルに金縛りになり洗脳されていた時代から解放され、お金のいらない真に豊かな、命の時代への移行期~

躑躅の花は無限の蜜を大盤振る舞いして、蜜蜂たちを引き寄せ、さらに豊かに花開く、命の循環を惜しみ無く続けている~私が生まれる前も死んだ後も~

甘美なる 躑躅の蜜に 酔いしれる 蜂の羽音や 幼な児の歌


近くの小高い丘の中腹の広大な邸宅の垣根にも、操山の山道にも、公園や学校図書館、寺の庭、散歩道、どこかの路地裏にも一斉に躑躅の花が咲き乱れ、ちょっと冷たい雨上がりの空気のなかで、色とりどりに春を謳歌しています。

あちらこちらに目を奪われながら、感嘆のため息のなかで、出て来た言葉がThanks,God!、昔ニュージーランドで、現地の方と鼻の先ほどの間近に、零れるような星ぼしを眺めていた時、耳元で聴こえて来た言葉でした。

キリスト教の平和主義者のコミュニティーで、お世話になり、この言葉は、日常的に聴いていましたが、その時のアルトの響きは、とても神秘的に震えるようで、今も深いハートの奥にしまわれています。

人は、美しいものに出会い感動した時、宗教には関係なく、思わず神さま有り難うと言います。それはSomething Greatと呼ばれたりもします。

今、圧倒的なほど美しく輝く躑躅の花ばなを目前に、Thanks,God!が、ハートの奥から浮かび上がって来ました。

Thanks,God! 躑躅盛んに 地に満つる


Facebook西田 拓司さん投稿記事 <円安、物価高というけれど・・>

最近どこもかしこも物価高。円安も絡んで生活が苦しくなったという報道ばかりされています。なんとなく暗い印象のニュースですよね。

確かにそれも一部事実でしょうが僕は少し違った見方をしています。

この世の中は資本主義経済。資本主義経済では大量生産、大量消費がベースになっています。

少し古くなったらすぐに買い替え。使い捨ては当たり前。僕ら人類にとっては便利だけれど、

これって地球にとったら大迷惑です。

お金が何よりも大切。僕たちは生活する中でずっとずっとそのように教え込まれてきました。

でも本当に大切なのは食料や水や生きるために必要な”もの”ではないでしょうか?

お金がいくらあっても、それが食料や水に交換できなければ僕たちは死んでしまいます。

いやー、交換できない?そんなことないでしょ。そう思う方もいらっしゃるかもしれません。

確かに今はその通りかもしれませんが、それは”平時”という前提でのみ通じる話です。

では戦争や災害時のような緊急・混乱時はどうでしょうか?

戦争時はいくら金(gold )やお金を持っていても食料に交換してもらえなかったという話はよく聞きます。

最初はお金は交換の手段だったはずが、いつからかお金がそれらものより大切って意識で過ごしてないでしょうか?

物価高ということはお金の価値が落ちてきたということ。ほいほいものの買い替えしなくなります。

それも理由で、医療界でも意識の高い欧州をはじめとして医療用の物品がディスポーザル(使い捨て)から再利用への促進が図られてきています。

お金って幻で、本当に大切なのは地球がはぐくんだ豊かな”もの”だったと気づくチャンスです。

物価高→ものが買えない→だからしんどい、つらいは”自分意識”

物価高→ものが買えない→だからものを大切に、地球にやさしくは”公意識” ”地球意識”

物価高は、本当の豊かさとは何かに気づくきっかけや地球にやさしくなるチャンスだと

僕は思います。


Facebook相田 公弘さん投稿記事

あの中村天風さんは、終戦前と終戦後で、日本人が大きく変わったと言いました。

一体、何が変わったのか?以下、中村天風さんの著書よりどうぞ。

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世界でも大義名分を重んずる国民、これより以上の国民はなかろうとまで言われた日本国民が、あろうことかあるまいことか、世界で一番みっともねえ国民になっちまったというような状態になっちゃったんであります。

言いたかないよ、日本人が日本人同士のことをね。

二人でいるとき、一つしかないもんだったら二つに分ける。

一つのものを四人の人間に行き渡らせるように四つに分けるぐらいの心持ちを持ってた日本人が、どうです今は。

親子の間で責め合い、兄弟の間でもって争い合い、師弟の間も主従の間もありゃしない。

己(おのれ)一人あるだけの人生というような考え方でもって、道義も廃れていれば、人類愛もほとんど枯れきってるような状態になってる。

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「真人生の創造」中村天風 著PHP研究所より

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天国と地獄の「長い箸」のお話を思い出します。天国と地獄は、実は同じ条件のようです。

ただし、ひとつだけルールがありまして、長い長い箸を使って食べものを食べなくてはいけません。

長い箸ですので、自分の口元に持っていって食べようとしても食べることができません。

地獄の住人たちは、自分が得をするように、奪い合って自分で自分の口に御馳走を運ぼうとするのですが、届かないので食にありつけずガリガリの体になっていくのです。

一方天国の住人は、その長い箸を使って、隣の人に食べさせてあげていたのです。

みんなが皆、与えあって過ごしているので、いつもニコニコしているんですね♪

そういう世界で生きるには、自分もそうなる必要があるということです(*^_^*)

モノがある時代だからこそ、心の豊かさを大切にし、磨いていきたいですね♪

※魂が震える話より


Facebook藤井 清史さん投稿記事【和歌、俳句から考える健康学2】

『身を思う心のただちなべて世をめぐみすつうやあがる代の道』という歌があります。

訳としては、「自分自身の健康に気を配り、規則正しい生活を心がけるという心もちが、ひいては世も明るくする。」ということになります。

最近、天候不順や、世界紛争が後を絶ちません。

「昔はどんなんだったかなぁ〜」と、思い出すのも憚らない日々ですね。

私たちの暮らしているこの国や、地球という星も、ある意味では大きな生命体です。

そう考えると先の歌のように「心もち」が今の現実を創り上げているのかもしれません。

健康は、様々な身体に良い食品や運動、治療などが出てこようとも、自分自身が「健康でいよう、健康は本当に大切だ」と思わない限り、焼石に水、と言っても過言ではありません。

また、歌にあるように一人一人が、健康を自覚し、健康に取り組もうと考えていけば、自ずと生活、環境が整ってくるものです。

昭和の名鍼灸師、故澤田健先生は、「医乱れれば、国乱れる」とおっしゃっていました。

まさにこの通りで、「医」を医療、医療に携わる人、という考えだけでなく、個人個人として捉えるなら、この歌の通りでしょう。

健康を願い、規則正しい生活を心がける心もちか、健康をおろそかにして乱れた生活、怠惰な生活を送るという心もちか、のどちらかで国や世界、地球環境にも大きく関わってくるのではないか!?と言えるのではないでしょうか?

さすれば、私たちは如何なる“心もち”で日々、過ごせば良いのかが見えてくるのではないでしょうか?

健康は、実は自分1人の問題ではない、ということなのですね。

「自分の身体は自分のものだから、好き勝手にすれば良い」という考えは、ただのエゴであって自己中心的な考えでしかないのです。

実は、自分が、地球体という生命体の身体の一つの細胞であり、周りとのネットワークで連綿と繋がっているのだ、ということを知らなくてはなりません。

そして、それを自覚しなければならないのです。

さぁ、人類の、地球の正常化に向けて健康であり続ける“心もち”を磨いていこうではないですか!?皆様はいかがお考えでしょうか?


https://www.kampo-sodan.com/column/entry-1838 【『養生俳諧』~おばあちゃんの知恵を歌にしてみたら?】より

 私の出身地は宮城県で、中心部からはずれた“ど”が付くほどの田舎で育ちました。小さい時の家はトイレやお風呂が「離れ」にあり、すごく怖かった記憶があります。

玄関先には“ホウズキ”が置いてあり、トイレの周りには“ドクダミ”が生い茂っていました。“ホウズキ”は中の実をつぶしておでこにつけると熱さましに、“ドクダミ”は虫除けになるから植えていたのだと最近になって知ることに・・。

つまりそれらは、天然の「冷えピタ」と「虫コナーズ」ではないですか!?昔の人はちゃんと知っていたのですね。まさに、おばあちゃんの知恵!

 健康術を後世に伝える手段として、歌や俳句、物語といった形が取られ、次第に庶民に根づいていきます。それをいち早く取り入れたのは、室町時代後期から安土桃山時代を生き抜き、88歳の長寿を全うした名医、曲直瀬道三(まなせどうざん)です。その著書である『養生俳諧』(ようじょうはいかい)は、戦国時代に書かれたものでありながら、おばあちゃんの知恵としてこれからも伝えていきたい内容ばかりです。

「百人一首」を詠みあげて覚えるように、声に出してみることも健康法になると思います。

『養生俳諧』全120首の中から選りすぐりをご紹介しましょう。

食はただよくやわらぎてあたたかに    たらわぬ程はくすりにもます

訳)食物はやわらかくして、温かいうちに足らない程度にほどほどに食べれば薬を飲む以上に効果的だ。

  胃を良好なまま保つことが健康長寿の秘訣!これを保胃といいます。

酒とても酔わぬ程にて愁いさり   心をのべたし気にかようなり

訳)酒はほろ酔い加減の程度でたしなめば、不安や悩みを消し去って、気分転換になり身体によい。

  酒は百薬の長!気を巡らせる酒はストレスにいいです。飲みすぎず適量を守ることがポイントですね。

水上(みなかみ)のつばきをはかぬ玉の緒は    つづきて老のうるおいとなる

訳)唾液を吐かずに飲み込んでいると、長生きでき年をとっても老化しない。(玉の緒=命)

  唾液は不老の液!「痰は吐け、唾液は飲み込め」という養生の原則です。

蛙(かわず)ふみ盃(さかずき)の蛇をあやしみて    心せむるはおのがうたがい

訳)蛙を踏んだのを、蛇を踏んだのでないかと思い込む。見当違いで、いつまでも自分を責めて 自己嫌悪に陥るのはおろかなことだ。

「盃の蛇」は、中国の故事「杯中の蛇影」によるもの。壁にかけた弓が盃の酒に蛇のように映って見えて、蛇を飲み込んだと思い込み病気になった。蛇影の理由を聞いて、たちまち治ったという話です。いつの時代も、疑心暗鬼、とりこし苦労はあるようですね。

身を思う心のただちなべて世を   めぐみすつうやあがる代の道

訳)自分自身の健康に気を配り、規則正しい生活を心がけるという心もちが、ひいては世も明るくする。

  皆が心豊かな世界であれば争いも起こらないと私も思います。

他にも、日常生活の教えから生き方まで、俳諧の中にいろいろと表現されています。健康・養生は決して一過性のブームではありません。心身の健康に役立つこの素晴らしい知恵を、私達自身がしっかりと後世に語り伝えていきたいものです。