第9章01
黒船は真っ白な霧の中に停止して立ち往生している。
上総が大きな溜息をつく。
「また探知できなくなった。多分この霧のせいだ。だってなんか変だもん。遺跡に行った時も濡れなかったし」
操縦席の左隣に立つ上総を見ながら総司が「厄介な霧だなぁ」と言い
「まぁこれが、穣さんのメールにあった死然雲海って奴なんだろうな」
上総はイライラして「アンバーが見つからないー!!」と上を向いて叫ぶ。
「落ち着け」
総司に続いて駿河も「今は管理の船さえロストしなきゃいい。落ち着け」
「んー!」上総は唸り、憤慨したように「アイツがアンバーの味方してるのもムカツク」
「まぁな。しかし……」総司はそこで言葉を止め、チラリと後ろの船長席を横目で見る。
「なぜ管理の船は、後方に留まったままなんですかね?」
駿河は少し間を置いて、事務的な口調で淡々と答える。
「……まぁ、もし上総に何かあっても管理が助けに来てくれるから大丈夫だ」
「それはそうですが。なんか、こき使われてますよねウチの船」
そこへコンコンとノックがあってブリッジのドアが開くと「失礼します」とジェッソが入って来る。
「状況が気になりまして。アンバーは?」
上総が不貞腐れ気味に答える。
「見失いました。あの人のせいで!」
「あの人?」
駿河がジェッソを見て「カルロスさんです。上総の探知を妨害している」
ジェッソは驚き「彼がアンバーに?」
「いや所在は不明」
そこへ上総が「あ、やっと霧が晴れて来た。アンバーは……」と探知をかけて「あれ?」と驚く。
「どうした」駿河が尋ねる。
怪訝な顔で「いきなり探知が……」と呟いた上総は駿河を見て「アンバーを見つけましたが、進路がヘンです。こっちに向かって来る」
「こっちへ?ってウチの船に?」駿河が問い返す。
総司は顔を顰めて「ウチの船に何かするつもりか?」
「あ!アンバーにカルロスさんがいる!」
上総の叫びに駿河も「なに」と険しい表情になる。
上総は不思議そうに「なのに探知妨害しないって……」
ジェッソが「ちなみに護は?」と聞く。
「はい、います。どうやらあの二人を乗せて戻って来たみたいです」
「二人とも無事だったか。しかし一体何があったんだ?」
駿河は「アンバーに直接聞いてみよう」と言い、緊急電話の受話器を取る。
アンバーのブリッジでは剣菱が
「天下の管理様も有翼種の存在には手も足も出ないだろ。有翼種を盾にすりゃいいんだ」と言い、操縦席の左側に居るカルロスを指差して「アンタは逃亡したんじゃなく偶然有翼種に出会ってしまい、その有翼種が上総君の探知を妨害した事にしよう!」
「いや私は上総に逃亡すると言って出て来たので」
剣菱はガクッとして「あぁわざわざ自己申告してきたのか。するとー……」
思案しながら、ふと船長席の左側に居る護を見る。
(……いい顔してんなぁ)
護は剣菱の視線に気づいて「何か?」
「以前は仏頂面だったのに、今はニコニコしてるから」
「だって嬉しいんです。皆に会えたことが」
操縦席の右側に立つマリアが「私も護さんに会えて嬉しい。安心した!」と胸を撫で下ろしてホッとした表情をする。
マリアから少し離れた所には穣が、入り口近辺には透が、そして開け放たれたドアから通路にかけて、悠斗やマゼンタ達が集っている。
穣はカルロスを指差して言う。
「とりあえずアンタは有翼種に会いたくて逃亡した、でいいんじゃねぇの。探知はしたけど実際に確かめるまで皆に言えなかったから無断で行ってみた。これでどうだ!」
「まぁそんな所だな」
そこへ緊急電話のコールが鳴る。
「お。黒船からだ」剣菱は受話器を取って「はい」と出る。
『駿河です。なぜ戻って来たのですか』
「ちょっとMKFに行く用事が出来てな」
剣菱の返答に、駿河は怪訝な顔で
「MKF?……というとマルクト霧島人工種研究所。なぜ人工種管理の本部へ?」
『カルロスさんが船を買うので』
「え。船を、買う?……何の為に」
『そりゃ勿論、有翼種と一緒に採掘する為だ。その許可を取りに行く』
駿河は呆れて「そんな許可が下りる訳が無い。大体、人工種は船長にはなれないし、……そもそも有翼種と一緒に採掘なんて……」溜息交じりに言ってから「無理ですよ」と断言する。
『まぁそんな訳だ。余計な邪魔はしないでくれ。では』
「ちょっと待って下さい!」
若干声を荒げると、剣菱は馬鹿にしたような口調で
『まー、邪魔しないとアンタが管理に叱られるもんな』
駿河は少しムッとしながら答える。
「どうせ傀儡ですから」
『何で黒船の船長にしがみついてんだ』
「……」
暫し黙り、それから「俺が居なくなれば、また……」と小さく呟く。
(でも、その方がいいのかもしれないが……)
苦渋の想いを押し殺し、話題を変える。
「今、そちらにカルロスさんが居る筈ですが」
『いるよ』
「話をさせて頂けませんか。逃亡した理由を本人の口から聞きたい」
剣菱は「あー、ちょいとお待ちを」と言うとカルロスの方に受話器を差し出す。
「駿河船長がアンタに逃亡した理由を直接聞きたいそうだ」
カルロスは身を引いて「別に話す事でもない」
「まぁそう言わんと」
カルロスはきっぱりと「今は話せない」と身体を硬直させる。
(こんな所で話せるか!駿河と一対一ならともかく)
剣菱は諦めて駿河に伝える。
「……だそうだ。話せないと」
駿河は肩を落として「そうですか……」と呟く。
そこへ上総が船長席に駆け寄り「あ、あの。俺、どうしてもカルロスさんに聞きたい事が。お願いします!」と駿河を見る。
駿河は「ウチの上総が、どうしても話したいというので代わります」と言い、受話器を上総に渡しながら「剣菱船長です」
受話器を受け取った上総は「突然申し訳ありません!上総と申します。どうしてもカルロスさんに聞きたい事があって、何とか話をさせて頂けませんか」と懇願する。
剣菱は再びカルロスに受話器を差し出す。
「上総君がどうしても話がしたいそうだ」
「……何の話を」
すると受話器から小さく『カルロスさん!ちょっとだけ電話に出て下さい!お願いします!』と声が聞こえる。
「……話せない」
頑なに拒むカルロス。
剣菱は困ったように「まぁちょいと弟子の話を聞いてやれや」と言い、受話器に「カルロスさんに聞こえるように、外部スピーカーに切り替えるんで、言いたい事を思いっきり話してくれ」と言ってボタンを押し、スピーカーに切り替える。
「どうぞ、話して」
『あ、あの、カルロスさん、聞こえてますか、上総です。一つだけ聞きたいんです、貴方がなぜ俺にだけ逃亡すると言って出て行ったのか……。ホントに逃亡するなら何も言わずに行ったらいいじゃないですか、だって俺、探知なんですよ!貴方の後継機なんですよ!なのに、……なんで、逃亡するから本気で死ぬ気で探知して欲しいとか、バカですか貴方は。俺が貴方を探知出来る訳ないじゃないですか!』
最後は絶叫に近い上総の声に、思わずカルロスが「そんな事は」と呟く。
そこへ剣菱が船長席を立ちカルロスに近寄り腕を掴んでガッと引き寄せ、受話器をカルロスに押し付ける。
『どれだけ必死に探しても、貴方を探知出来なかった……!』
悔し気な上総の叫びにカルロスは渋々受話器を受け取り、相手に呟く。
「……その歳でそれだけ探知できたら十分だろう……」
上総は「えっ」と驚いて目を見開く。
『だってお前……。私がその位の歳の頃は、お前より探知出来なかった』
上総は目を大きく見開いたまま「え。……う、嘘ですよね?」
『ここで嘘ついてどうする』
「だって、じゃあどうやって、そんなに凄くなったんですか」
『どうやって、って……まぁとにかく流石は私の後継機って事で、いいじゃないか。そのまま黒船の探知として頑張ってくれ。凄いよな、その歳で黒船のメイン探知って』
上総は怒って「貴方が居なくなったからです!何で逃亡したんですか!」
『それはまぁ……』
「外部スピーカーにしますから、皆に話して下さい!」と言って「船長!」と駿河を見る。
駿河が切り替えボタンを押すと、カルロスの声がブリッジのスピーカーから流れて来る。
『……上総お前、何でそんなに怒ってんだ』
「そりゃ、だって!貴方が突然いなくなったお蔭で……」
そこで言葉に詰まると、涙声で絞り出すように言う。
「貴方が背負ってたものの重さがよくわかりました!」
『……』
「聞かせて下さい、貴方が逃亡した理由!」
カルロスは暫し黙ってから、はぁと深い溜息をついて項垂れると
「こんな所で何を話せと……」と顔を顰めて小さく呟き、剣菱や護達に背を向けて、ポツポツと話し出す。
「……昔、俺は採掘が嫌だった。人工種の自分が嫌だった。何で人間の為に、製造師の望む事をしなきゃならんのかと思っていた。勝手に期待ばかりして、望んだ成果が出なければ勝手に失望する。俺は自分を作った周防を憎み、殺してやりたいと思っていた。そんな俺に……」そこで大きく息を吸うと「だったら他人が望む生き方ではなく自分の望む生き方をすればいいと言った、馬鹿がいる。採掘船の人間共だ。……それは、人間だから出来る事であり、人工種の俺には望むべくもない。それに、採掘の為に作られた人工種が、それを捨てて他にどうやって生きればいいのか、生き方がわからない。誰も教えてはくれない。それどころか」と言って言葉を切ると「周囲は疑問も抱かず素直に採掘する奴ばかり!なぜ素直に、なぜ人間の望むままに生きられるのか俺にはわからん。それで幸せそうに生きてて、採掘が嫌だと苦しむ俺を、軽蔑する奴らが、本当に、憎かった……」
大きな、長い溜息をつく。
「それでも俺には探知しか無く。人間に捨てられないように、役に立つ人工種で居ようと、ただその恐怖だけで働き続けて、でも黒船の採掘監督になった時、もっと言えば、上総が来た時に自分はもう終わったと思った。自分はもう捨てられるのかと……。あとは後継機を育てて自分は退くだけだと。どれだけ頑張っても、どれだけ成果や地位を得ても、避けられない世代交代。もはや自分には何の未来も希望も無く、そんな時に、コイツが、護が!」と叫んで暫し言葉を切る。
「あの時、俺が探知したのは、まるで子供のように無邪気で楽しそうな護のエネルギー。……人間からも人工種からも離れて、未知の存在と共にいる、自由な護が羨ましい!だから、……飛び出した」と言い「これでいいか!」
上総は涙を流しつつ「う、うん」と返事をする。
(信じられない。あのカルロスさんが、そんな事を思ってたなんて。俺が来た事で、そんなに苦しんでいたなんて……)
駿河も(まさか、そんな深い苦しみを抱えていたとは。全く気付けなかった……)と目を伏せる。
総司も、そしてジェッソも内心密かに溜息をつく。
(……あの人が、あれで絶望していたとは。じゃあどこに希望が……)
カルロスは『では、……あ、そうだ。一つ、駿河に、言いたい事が……』と言って、暫し黙る。
上総は駿河に受話器を渡す。
駿河は、何を責められるのだろうかと、カルロスの非難の言葉を覚悟して待つ。
少しして、カルロスが思い切ったように話し始める。
『……駿河、貴方が船長で、良かった』
「えっ」
『もし、ティム船長だったなら、私は逃げられなかった。貴方が船長だったから、私は自由になれた。だから、本当に、感謝している』
駿河は唖然として「え……」と呟く。
『だって、貴方は、逃がしたかったんだろ?……その為にずっと船長を続けている』
目を見開き絶句する駿河。
総司も驚いて船長席を見る。
(嘘、だろ?そんな……)
やがて駿河の見開かれた目から、ポロリと涙が零れ落ちる。
総司も上総もジェッソも驚く。
(えっ。泣い……てる?)
駿河は呆然と宙を見つめたまま、掠れた声で「なぜ……貴方が……それを……」と絞り出すように呟き
「でも、貴方が自由になるのか、それとも倒れるのか、それが恐くて……」
少し黙ってから涙を堪えて震える声で「……ずっと、辛かった」
『……すまん』
「……でも、死ぬ覚悟で逃亡したから大丈夫だと信じていました」
『お蔭で護の所に辿り着けた』
駿河は大きな声で「よかった」と言い大粒の涙を零して満面の笑みを浮かべる。
総司、上総、ジェッソは、唖然として駿河を見つめる。
(よかっ、た……?!)
『では、このへんで』
駿河は慌てて「ありがとうカルロスさん」と言い
「俺は、貴方が船を持つ事を全力で応援します。いつか、貴方の船と黒船とアンバーで、皆で有翼種の所へ行きましょう!」
驚いたカルロスは戸惑ったように『……う、うん。では、これで』と言い、そこでプツッと通信が切れる。
受話器を置いた駿河はポケットからハンカチを出して照れ臭そうに涙を拭う。
「ちょっと、取り乱してしまった」
そんな駿河を見ながら総司は信じられない面持ちで
(……もしかして、この人は、管理からの干渉を最小限に食い止める為に一人、黒船に残ったと?)
その思いを代弁するように上総が駿河に問う。
「管理の味方じゃなかったんですか」
「うんまぁ」駿河は若干投げやりに答えて「傀儡ではあるけどね……」と寂し気に微笑む。
瞬間、総司とジェッソに同じ理解が起こり、頭を殴られたようなショックを受ける。
(つまり、反抗したいけど反抗すれば降ろされるから我慢していた……!)
二人は目を見開き呆然と駿河を見つめながら
(確かに、この、何の実績も無い新米船長では、耐えるしかない……。むしろ我々が声を上げるべきだった……まさかこんなすぐ近くに希望があったとは!)
ジェッソは駿河に歩み寄りつつ「いや謎が解けましたよ駿河船長」
同時に総司も納得した顔で「……伊達に7年も黒船に乗って無かったんだなぁ……」
「うん」ジェッソは頷いて「あの言葉は嘘じゃなかったんだなぁ」
駿河は「あの言葉?」と怪訝そうにジェッソを見る。
「大好きな人工種の役に立ちたいと」
途端に真っ赤になった駿河は大慌てで「あれはな、あの頃は俺も駆け出しの操縦士で」
その先を遮るようにジェッソは上総を見て語る。
「上総、船長は子供の頃、テレビで採掘船の番組見て人工種ってカッコイイと思って採掘船の操縦士を目指したらしい。人工種が大好きで、皆の為なら」
「とにかく!」大声でジェッソの話を遮った駿河は「アンバーのサポートをしたいんだがベテラン船長の剣菱さんと違って俺は新米傀儡船長ですので管理の言う事を聞かないとブッ飛ばされる」と一気に言うと、溜息混じりに「もういい。例え管理にクビにされても自分のやりたい事をしよう……」と肩を落とす。
すると操縦席からハハハという総司の笑い声。
「クビになんてさせませんよ、人工種をこんなに愛してくれてる人を」
「愛って何だ!」
ジェッソが「まぁまぁ」と駿河をなだめて
「貴方は表向きは傀儡ですが、実の所、防波堤。一人で耐えるのはもう疲れたでしょう」と言い駿河の肩にポンと手を置き「大丈夫。ここからは、一人じゃありません」と微笑む。
「……」
駿河は照れ臭そうに下を向く。