ZIPANG-8 TOKIO 2020芝四季亭の庭には、「子孫繁栄を謳う日光東照宮“八房の梅”と増上寺大殿の建立時に用いられていた土瓦」を・・・
令和6年1月1日午後4時10分頃発生した、能登半島地震で被害を受けた皆さまに、
心よりお見舞い申し上げます。(編集局)
東京・浜松町に
瀬戸内会席料亭「芝四季亭」が 新規オープン
芝の歴史・文化を引継ぎ、~日本の四季を食で楽しむ場~をコンセプトに、数寄屋造りの建物内で瀬戸内会席と伝統文化 芸能をお楽しみいただけます
東京・浜松町と香川・小豆島に不動産事業、飲食業、ホテル業等を展開する、
カサイホールディングス株式会社 (本社:東京都港区、代表取締役:笠井 寛)は、2024年4月浜松町2丁目に瀬戸内会席料亭「芝四季亭」を新規オープン。
芝四季亭 外観
瀬戸内の穏やかな空気が流れる
数寄屋造りの建物内で、ごゆっくりとお寛ぎください。
【数寄屋造りの寛ぎの空間】
芝四季亭 2階広間
お祝いの席にも適した寛ぎの広間
2階にはゆったりとした大広間をご用意いたしました。10名程度のお食事会や、お祝いの席にもご利用いただけます。
芝四季亭 1階カウンター席
琳派の世界に入り込むカウンター
1階は日本美術の流派・琳派の世界観を表現した10席のカウンターのお席となっております。お料理に舌鼓をうちながら、料理人の調理姿も楽しめる贅沢な空間です。
【瀬戸内会席】
本居宣長
『 朝よひに 物くふごとに 豊受の 神のめぐみを 思へ世の人 』
芝四季亭 瀬戸内会席
芝四季亭 カウンター厨房
四季折々の瀬戸内会席
瀬戸内で生まれ育ち、瀬戸内圏で経験を積んできた料理長が、日本中から選りすぐった旬の食材を使って、“瀬戸内会席”をご提供いたします。素材の旨味を存分に引き出し、一皿一皿
丁寧に、日本の四季を表現します。
魚介の恵み
複雑な海流が生まれる瀬戸内海は、一年を通して多くの魚介が獲れる恵まれた漁場です。
芝四季亭では、瀬戸内海産の旨味成分豊富な魚介も季節に合わせて用いています。
四季折々の旬の野菜
旬のお野菜をふんだんに使用しております。瀬戸内・小豆島の自社農園から届く新鮮な
お野菜も使用しております。
瀬戸内を感じるおもてなし
瀬戸内らしい温もりを感じる”おもてなし”で皆様をお迎えいたします。心あたたまる時間を
お過ごしください。
芝四季亭 前菜
芝四季亭 食事
瀬戸内の魚介を主とした四季折々の旬の味覚をお楽しみください。
瀬戸内・小豆島の材
店内外には、かつて小豆島の名産であった“杏”の花や、今や小豆島の代名詞ともなっている“オリーブ”をモチーフにした装飾を施しております。そしてお客様をお迎えする足元には、島の繁栄を支えた小豆島石を採用しました。敷地内のいたるところで瀬戸内の要素を感じていただけます。
八房の梅と増上寺の瓦
芝四季亭の庭には、徳川家に代々伝わり、子孫繁栄を謳う紅白の“八房の梅”を日光東照宮から拝受しました。増上寺大殿の建立時に用いられていた土瓦も置いています。
【歴史・文化】
芝四季亭 玄関
芝四季亭 路地
芝地区は古来より江戸・元禄文化の舞台となり、近代日本の礎を築いてきました。
江戸・元禄文化の舞台となった芝地区
江戸時代の芝地区は東海道の入り口として大きく栄えました。芸者が行き交う料亭が立ち並ぶ場所だったそうです。芝四季亭は、この芝の歴史を引継ぐ場所でありたいと考えています。
芝東照宮の参道
芝四季亭は芝東照宮の参道沿いに位置しています。旧芝離宮恩賜庭園、浜離宮恩賜庭園や讃岐小白稲荷神社も近隣にございます。
美食と歴史を楽しむ
芝四季亭では、周辺の歴史を学びながらお食事を楽しむイベントを季節ごとに企画しております。
文化・芸能を楽しむ
邦楽演奏や日本舞踊をはじめとする伝統芸能をお食事と一緒に楽しむことも可能です。
詳細はお問い合わせください。
【店舗概要】
店舗名 :芝四季亭
所在地 :〒105-0013 東京都港区浜松町2-10-6
アクセス :JR浜松町駅南口改札より徒歩3分
都営大江戸線/都営浅草線「大門駅」A1出口より徒歩5分
お食事 :ランチ10,000円~、ディナー20,000円~
会席料理のみのご提供(お飲み物別)
※6月末ご利用までの価格です。
それ以降は変更の可能性がございます
営業時間 :ランチ
11:30~14:00(L.O. 13:30)
ディナー
17:00~21:00(L.O. 20:00)
昼夜完全予約制
芝四季亭
ご予約・問合せ:03-5860-1638
運営会社へ転送される場合があります
鎹八咫烏 記
石川県 いしかわ観光特使
伊勢「斎宮」明和町観光大使
協力(敬称略)
紅山子(こうざんし)
※画像並びに図表等は著作権の問題から、ダウンロード等は必ず許可を必要と致します。
アーカイブ リンク記事をご覧ください。
瀬戸内海国立公園の中心地
「小豆島 寒霞渓(かんかけい)」の桜
小豆島 寒霞渓 山桜
わぁ~まるで印象派の画家たちのパレットを見ているような・・・
「寒霞渓」山桜 ロープウエイからの撮影です。
四季それぞれに織りなす豊かな大自然に恵まれた瀬戸内海国立公園の中心地、小豆島(しょうどしま)。そのほぼ中央に位置する寒霞渓(かんかけい)は島の最高峰星ヶ城(ほしがじょう)山と四方指(しほうざし)の間にある渓谷です。
それなら、秋も観たいんですけど~
絶景かな~これが天然の色なんですね~日本で唯一、糸作りから染め、織りまで行う
山形緞通を敷き詰めたようです。
寒霞渓は、約1300万年前の火山活動によってできた安山岩(あんざんがん)層や火山角礫岩(かざんかくれきがん)層などの岩塊が長い年月の地殻変動や風化と侵食によって多種多様の奇岩と崖地が絶景を創りあげました。
この特異な地形からなる渓谷は日本三大渓谷美のひとつとして賞され小豆島が世界に誇る景勝地となっています。
奇岩の渓谷美として知られる寒霞渓は日本書紀にも記述がある景勝地で、元々は鉤懸山(かぎかけやま)、神懸山(かみかけやま)などと呼ばれていましたが明治11年(1878年)に儒学者の藤澤南岳(ふじさわなんがく)により寒霞渓と命名されました。
その後、多くの地元の方々の尽力により景勝が守り継がれていくなかで、その高い観賞上の価値が認められ大正12年(1923年)に国の名勝に指定、昭和9年(1934年)に日本で最初の国立公園(瀬戸内海国立公園)の代表的な景勝地として指定されたのでした。
寒霞渓には表12景、裏8景、小豆島最高峰の星ヶ城への登山道があります。 片道約1時間かけて歩く登山道からは、長い年月によって創りだした奇岩怪石の表情や自生した植物を間近で観察することができます。 体力に合わせて上りはロープウェイ、下りはハイキングというコースもおススメ。(逆コースでもO.K) 地上からと空中からと寒霞渓を完全制覇!
これぞ、自然を満喫しながらのんびり過ごすスローな島旅プランです。
小豆島見どころはいっぱいありますが、日が暮れないうちに本号の最後の目的地「淡路島」にわたりたいので、機会があればまた、ご案内いたします。
(詳細は下記のURLよりご覧ください。)
ZIPANG-4 TOKIO 2020 春爛漫!桜巡礼 香川~小豆島~淡路島へ
https://tokyo2020-4.themedia.jp/posts/8068684
日本の建築文化を支え続ける石
日本遺産
「知ってる!? 悠久の時が流れる石の島〜海を越え、日本の礎を築いた せとうち備讃諸島〜」
原産地となった瀬戸内の備讃諸島は、小豆島、塩飽諸島、笠岡諸島などを含んでおり、その名のとおり大小無数の島々が本州と四国の間に展開して、典型的な多島海景観を見せています。
小豆島「重岩(かさねいわ)」(土庄町小瀬)
小瀬原丁場跡を見下ろす山頂に鎮座する巨石。小瀬石鑓神社のご神体であり、巨石への信仰をうかがわせます。
島には平地が少なく、山肌から海岸まで、至るところに花崗岩などの巨石がむき出しとなっていて、このような特性を活かして、江戸時代以降、良質の石が切り出され、建造物に使われるようになっていきました。
その400年の歴史が凝縮されているのが、丁場(ちょうば)と呼ばれる石切場であります。石に鉄製の矢(クサビ)を打ち込み、割りとることを「切る」といい、大きな石を切るためには、石の目を読む高度な技術と、そのための道具が必要となります。
(詳細は下記のURLよりご覧ください。)
ZIPANG-4 TOKIO 2020 日本遺産「知ってる!? 悠久の時が流れる石の島 〜海を越え、日本の礎を築いた せとうち備讃諸島〜とは」
https://tokyo2020-4.themedia.jp/posts/7762830
御食国
鳴門うず潮 鳴門海峡の急流にもまれて育った淡路島の鯛は、身が分厚くよく締まっている。
御食国
「御食国」? 一般には余り聞きなれない言葉、おそらく初めて耳にされる方も多いかもしれません。
御食国(みけつくに)とは、日本古代から平安時代まで、贄(にえ)の貢進国、すなわち皇室・朝廷に海水産物を中心とした御食料を貢いだと推定される国のことである。若狭(御食国として若狭・三方五湖の鯖街道日本遺産登録は紹介すみ)、志摩と並び、多くの食材に恵まれた淡路島もまた、古くから朝廷に数々の食材を納めてきました。
古事記の仁徳天皇の項には「旦夕淡路島の寒水を酌みて、大御水献りき」とあり、毎日飲む水までもが、ここ淡路島から朝廷に運ばれていた事は注目に値する。
いわば朝廷からのお墨付きを頂いていた淡路島の食材。
淡路島ブランドとして全国にその名を轟かしている食材の数々をご紹介いたしましょう。
(詳細は下記のURLよりご覧ください。)
ZIPANG TOKIO 2020「御食国 淡路島の食文化 古代から継承する日本伝統のおもてなしの極意とは(特別編)」
https://tokyo2020-summer.themedia.jp/posts/3123000
長崎検番
「お百度参り」
切り石の石段を日本伝統色の鼻緒に桐(ネズコ?)の下駄で… あゝ紅に眼が眩みそうです…ところで、天満宮になんて「願掛け」を…きっと学生さんのためなんですね❓
長崎の街に芸妓衆(げいこし)が現れるようになったのは、江戸時代中期ころとされています。当時、丸山の遊女がそのような役割を担っていたところ、大阪から訪ねてきた旅芸妓に刺激を受け、座敷に出て琴を奏でたり、三味線を弾いたりしながら座を助ける女性が現れるようになり、長崎花柳界の基礎が築かれました。
明治時代になり、芸妓衆は検番組織を確立するようになりました。芸妓を抱える置屋と料理屋の中間に立って、双方の調整を図る役割を務めてきました。
昭和初期には、検番組織も最盛期を迎え、長崎丸山には丸山東検番、丸山南検番が、市街地には長崎町検番、稲佐、出雲町、戸町が存在し、数百名もの芸妓が在籍するようになりました。
特に代表的であったのは、丸山東検番と長崎町検番で、それぞれ切磋琢磨して技を磨き、芸を競い合い、数々の名妓が生まれてきました。
(詳細は下記のURLよりご覧ください。)
あなたも坂本龍馬のように・・・