鈴の鳴る道
星野富弘さん(78)死去のニュースが夕方テレビから流れてきて、料理をしている手が止まりました。
詩画集全書を買いあさり読破している“大ファン”というわけでもなく、彼の詩画集カレンダーを毎年買って飾るとか、そういう入れ込み方をしていたわけでもなく。
けれど、うちに一冊しかない詩画集を最初に手にしたときから、心身にすーっと沁み込んでくるような詩文と絵は二度と忘れることのない、時として一番辛い時にこそ思い出される「花の絵」と「言の葉たち」になっていたようです。
星野富弘さんの作品集を、私が初めて手に取ったのは昭和63年3月15日。
(1年間の闘病入院で留年)友人たちとは1年遅れて迎えた短大卒業式の日でした。
記念品として卒業生に配られたものの一つだったのですね。
訃報のニュースに、作りかけの夕飯を投げ出して有ちゃんの部屋の本棚に置かせてもらっていた星野さんの画集を取りに行きました。
ページをめくり絵と詩文を読み進めながら、冒頭に載せた画集80ページの『いのち』を読み、どっと涙がこみ上げてきたのです。
初めて手にして読んだときには感じなかった、この想いはなんでしょうか。
いのちが 一番大切だと
思っていたころ
生きるのが苦しかった
いのちより大切なものが
あると知った日
生きているのが 嬉しかった
中学校の教師をしていた星野さんが、クラブ活動の指導中不慮の事故で、首から下の身体機能を失ったのを知らされたときには、どれほどショックを受けたことでしょう。
何一つ自力で出来ない不自由さに、時には此の世での人生を中止したい(もう止めたい)と思ったこともあったのではと想像してしまいます。
(とはいえ、自ら命を絶つことも不可能に近い身体です。舌を噛み切る以外ない?)
私だったら………正気でいられるだろうか………
と、ここでふと、我が子に自死で先立たれた事後からの自分を少しだけ重ねて思いました。
そうだ私も、よくぞ正気で日常を送ってこれたものだと、そう思えるほどの恐ろしい出来事の中で。
――こんな人生もういやだ!
投げ出して世捨て人になるわけでもなく、こうして今日も息をして歩いてきている。
そういえば、ご近所を泣きながらでも、やっと外へ徘徊し出したときに頭に思い浮かんできた一つに、この詩画集にある『鈴の鳴る道』と題された手記がありました。
星野さんが車椅子生活になって12年が過ぎた頃、それまで苦手だったでこぼこ道を通ることが楽しみになる出来事があったそうです。
ある人から小さな鈴をもらい、車椅子にぶら下げた星野さん。
なるべく避けてきたでこぼこ道に差し掛かったとき、その鈴が「チリン」と鳴り、それはそれはこころに沁み入るような澄んだ音色だったらしいのです。
以来、道のでこぼこを通るのが楽しみになったと綴る手記からの引用です。
―――――――
人も皆、この鈴のようなものを、心の中に授かっているのではないだろうか。
その鈴は、整えられた平らな道を歩いていたのでは鳴ることがなく、人生のでこぼこ道にさしかかった時、揺れて鳴る鈴である。
美しく鳴らしつづける人もいるだろうし、閉ざした心の奥に、押さえこんでしまっている人もいるだろう。
私の心の中にも、小さな鈴があると思う。その鈴が、澄んだ音色で歌い、キラキラと輝くような毎日が送れたらと思う。
私の行き先にある道のでこぼこを、なるべく迂回せずに進もうと思う。
―――――――
「チリン… チリリン…」という鈴の音を聴けるのは、でこぼこ道を通る時。
だからといって、なるべく迂回せずにだなんて、そこまではさすがに思えない私だとしても、突如差し掛かった激しいでこぼこ道で鳴った鈴そのものが、星野さんの作品たちであるとも思えました。
有ちゃんは、この画集を本棚から手に取り、読んだことがあっただろうか。
今夜は寝しなに、詩画集の読み聞かせをしてみようか。
うんと幼い頃、毎晩そうしてあげたように。
♪『星が落ちる。』
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