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アンティーク フェルメール

店先に咲いた花

2024.04.30 23:42

店先に花が咲きました。右の鉢は枝垂れ桜、これも今年は綺麗に咲きました。花が咲くといいですね、気分を静かに盛り上げてくれます。左の木の看板は二十六年前の開店に際して作ったもの、木は今は亡き父親が探して来てくれました。その想い出があり、こうやって今も使っています。深い想い出のある物は中々別れられませんね。

連休中は地震関連の「北陸割り」とか何とかいうやつで沢山の観光客が金沢に押し寄せています。街中に行くとマナーの悪い若者のグループや同じくマナー悪い家族連れが沢山います、タクシーの運転手さんもマナー悪い観光客にうんざりだそうです。北陸を応援する気持ちで金沢に来た、というより、単に安いから来た、という印象。数日前に香林坊に行ったら、「日本一周旅行中  ヒッチハイク」と書いた黒シャツを来た若い男が大汗かきながら片手に自撮り棒持ちその先にあるスマホに大声で話し掛けてました、その手前には歩道を道一杯に並んで手を繋ぎ歩く家族連れ四人、横の道路を見ると、レンタサイクルで信号無視して交通量多い道を横切る若いカップル。落ち着きません。こんな旅行の何処が楽しいのでしょうか、公金補助でこんな旅行して得するのは誰でしょう。

最近道を横並びで歩く若者や家族連れが多いです、横一列に並んで何が楽しいのか、僕はあれを見ては知性の劣化だなと思っています。こういう横並びの人達は向こうから人が来てても決して避けない、まるで自分以外の人間はいないかのような振る舞い。「スマホ漬け」は完全に脳を劣化させます、目先の欲求を満たすことだけに脳が使役され続けたら一体どんな人間が出来るのか。

皆さん、金沢に来られたら自分の好きな店や場所を見つけて其処を中心に巡り、俗な観光施設は避けて、そうやって自分だけのスポット観光されて下さい。それがベストです。僕の店の常連さんもそうやって自分の好きな場所だけを訪れて楽しく過ごされています。金沢にはいい店や場所が未だ沢山あります、でもどちらかといえばそれらは目立たない場所にひっそりあるのです。

金沢の街の魅力はそのサイズ感にあると思います。何処にいても徒歩三十分以内で好きな処にさっと行けるサイズ、その中に色んなものがキュッと詰まってる感じ、食べる場所も上から下まで沢山あり、二泊三日じゃ到底廻りきれない、美術館、博物館とか庭園だけでも結構な数、だから「また来たい!」となる。上手く出来てると思います。夜のライトアップも綺麗ですしね。和菓子も美味しいし、温泉もある。

でも、この最近の傾向を見ると、本来の金沢の姿から外れて来てる気がします。簡単に言うと、金沢の静かな佇まいが壊れて来ている、町家を利用したカフェや民泊ふうの宿も増えています。それらを見てると何か皆んな似てて個性あるようで没個性。だし、中には酷い悪趣味な物もある。古いもので町興しとか言いながら矢張り動くのはそれなりの金、お金なんですよ。お金が動けばそれに群れる人がいる、色んな事情、義理も生じる。そうやってるうちに本来の目的から逸れてくる、アートとか Kogei(工芸) と言われる世界もそう、矢張りどうしても上手く立ち回ってる奴が目立つし、本当に良い物はその影でひっそり目立たない。

まぁ、旅をするにもしっかりものを見極めないといけない、と言うことか。ネットの情報とリアルな口コミ情報を上手に使い分け自分の欲しいものを探す。お店だったら、店の前まで行ってその佇まい、雰囲気で入るかどうか決めるのもいい、店の「顔」は重要。

僕は大体人や店や物を探すときは、この人なら、という人に直接電話して訊きます。検索はそれからですね、先ずは自分が信頼している人の情報。職人さんを探すときなんかこれしかない、ネットは全く役に立たない。職人さんの有効な情報なんか誰もネットやSNSで拡散しませんから。

今の人は皆んなものに対する「嗅覚」が酷く落ちてる気がします、情報に振り回され過ぎ。嗅ぎ分ける能力、勘、予感はとても大事。古い庭を観ていると、昔の庭師には今の僕らが観えなくなってしまったものが確実に観えていたんだろうな、と思います。庭に感動するというより、その昔の庭師の「眼力」に感動させられる。感応力、と言ってもいい。

何の世界でも今は「通」がいない、いなくなった。「半可通」という言葉があるがそんな半端な人が「通人」ぶっていられる程度の時代が今。「本物」がいない、でもそういう人がいなくなるとその世界の深いところを伝える人がいなくなる、伝承が途絶える。

さて次回は何か面白いアンティークを紹介したいと思います。

See you soon.