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全国翻訳ミステリー読書会

第79回『ボーン・コレクター』(執筆者:加藤篁・畠山志津佳)

2020.10.28 15:12

——三半規管に気をつけろ!  どんでん返しの魔術師登場



全国20カ所以上で開催されている翻訳ミステリー読書会。その主だったメンバーのなかでも特にミステリーの知識が浅い2人が、杉江松恋著『読み出したら止まらない! 海外ミステリー マストリード100』をテキストに、イチからミステリーを学びます。


「ああ、フーダニットね。もちろん知ってるよ、ブッダの弟子でしょ。手塚治虫のマンガで読んだもん」(名古屋読書会・加藤篁)



「後期クイーン問題? やっぱフレディの死は大きいよね。マジ泣いちゃったなー。We will rock youuuu !!!」(札幌読書会・畠山志津佳)


今さら聞けないあんなこと、知ってたつもりのこんなこと。ミステリーの奥深さと魅力を探求する旅にいざ出発!



加藤:巷では映画『鬼滅の刃』が記録的な大ヒット中なんだとか。エンタメ興業の復活を印象付けるまさに会心事。ハリウッド大作が軒並み公開延期のなか、無人の荒野を行くが如しって感じなのも気持ちいいですね。

 僕は『鬼滅の刃』を読んだことも観たこともないけれど、ひとつ思い出したのが、遠い昔の抜歯の記憶です。歯茎に埋まった犬歯があるのは子供の頃から分かっていたのですが、大人になったら変なところから顔を出しちゃって。しかも横向きに。歯医者さんに相談したら「後々のために抜いたほうがいい」って言われたんです。これが何の話なのかというと、驚くなかれ「秘密の八重歯」というオチなんですねー。恐ろしいですねー。


 さて、杉江松恋著『海外ミステリー マストリード100』を順に取り上げる「必読!ミステリー塾」は泣く子も黙る第79回。ついに現役バリバリのベストセラー作家、ジェフリー・ディーヴァーの登場です。お題は彼の出世作『ボーン・コレクター』、1997年の作品です。


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国連の国際平和会議を間近に控え厳戒態勢のニューヨーク。空港からタクシーを拾った男女が姿を消し、男が死体で発見された。NY市警が捜査協力を要請したのは犯罪法学者リンカーン・ライム。かつて犯罪者を震えあがらせた天才科学捜査官は、4年前の事故で脊椎を損傷して四肢麻痺の状態にあった。たまたま死体発見現場に最初に到着した警邏課のアメリア・サックス巡査は、畑違いの仕事に反発しながらもライムの手足となり、市警の精鋭やFBIの捜査官たちとともに連続殺人鬼「ボーン・コレクター」を追うが——



 このミステリー塾も近頃は、現役の第一線で活躍する作家たちの時代に入ってきました。そして今回はいよいよ「どんでん返しの魔術師」ことジェフリー・ディーヴァーの登場です。元ジャーナリストでフォークシンガー、弁護士でもあるという多才かつ多彩な経歴をもつディーヴァーは、1950年にシカゴで生まれました。1988年にデビューし、1990年から専業作家に。以来、年1~2冊くらいのペースでコンスタントに作品を発表しつづけ、世界150の国で25の言語で読まれている当代きってのベストセラー作家です。


 そして『ボーン・コレクター』はご存知リンカーン・ライム・シリーズの第一作。僕は決してディーヴァーの良い読者ではないけれど、それでもボンコレ以前の作品も何作かは読んでいました。その時点での印象は「特殊な状況や設定を読者にムリヤリ受け入れさせる剛腕さ」「二転三転するジェットコースター的展開」「読者の予想を裏切ることに一生懸命すぎ」という感じ。リンカーン・ライムはそこにダメ押し的に加わった最強キャラでした。


 捜査中の事故で四肢麻痺となり、首から上と左手の薬指しか動かせない元天才鑑識官。病的ともいえる収集癖・分析癖でマンハッタン中の土や水の成分をデータベース化し、微細遺留物から直ちに採取場所を言い当てるなんてのはビフォア・ブレックファースト。さらにトンデモ博覧強記と超絶回転頭脳が加わった、鼻もちならない不遜キャラです。犯行の動機とか人間の心理なんかには興味なし。とにかく物証第一主義の科学捜査のエキスパートなのですね。


 この取って付けたような完璧な安楽椅子探偵設定とか、ライムでなければ永遠に解けないであろう難解なヒントをわざわざ残す連続殺人犯とか、さらにモデル並みの美貌と様々な問題を抱えるもう一人の主人公アメリア・サックスとか、ブッこみっぷりがもう凄い。高級な食材をなんでも入れれば美味くなると思ったら大間違いだぞ、読者をなめんなよ……どれどれ……ちくしょう、メッチャ美味いじゃねえか……みたいな悔しさはちょっとある。


 そういえば、畠山さんとディーヴァーってあんまりイメージないけど、読んでたのかな?


 


畠山:うっ、痛いところを突かれた。ディーヴァーは辛うじて『ボーン・コレクター』と、ノン・シリーズの『追撃の森』だけ読んでいましたの。うぴぴ。『追撃の森』は名古屋読書会の課題になったのがきっかけで手に取ったんだっけ。

 実は『ボーン・コレクター』も、長いこと映画だけで満足してしまっていました。白状すると、その映画も「いつになったらマット・デイモンが出てくるんだろう?」と〝ボーン〟な大勘違いをしていたという、ダメなダメなホントにダメな、いつまでたっても〈敏いとうとハッピー&ブルー〉的にダメな私。 で、ディーヴァー好きのかたから「けしからーん!」と一喝を浴び、頭を掻きながら小説を読みまして、ああ! 断然原作! 圧倒的に原作! とのたうちまわったのでした。だってねぇ、スーパー介護士のトムと凄腕潜入捜査官デルレイという強烈な二人が、映画には出てこないんですもん。映画でクイーン・ラティファが演じたセルマという介護士もいい味はでてましたけど、萌え死にしそうなトムの魅力にはおよばない。細身でハンサム、職業意識と技術は一級品、美しい毒舌……サイコー!


 トムについて語りだしたら二度と戻って来られないので、無理に忘れて『ボーン・コレクター』の本線へ。いやぁ、再読してもやっぱり面白い。忘れてるせいもあるけど。自信を持って違う人を犯人だと思ってたりしたけど。こんなに面白いのに、どうして当時の自分が『ボーン・コレクター』のみで止まってしまったのか、なぜ速攻で続きを読まなかったのか理解に苦しみ、ただいまどっぷりとシリーズに耽溺中です。ああ、幸せ。そして疲れる。というのも、このシリーズは展開が早い。『ボーン・コレクター』は、最初の被害者が拉致されてから、一件落着の手打ちまでわずか3日。この間になんと5件のやたら手の込んだ殺人計画が実行に移されます。ライムの脳みそはフル回転、アメリアを始めとした警察はマンハッタン中を駆けずり回ります。読んでるだけで息が上がりそうに忙しい。ラスト間際にもなると疲労困憊ですが、真相を知ると驚きのあまりシャキッとしますからご安心を(なんの安心か)。


 主人公リンカーン・ライムの特異性は加藤さんが語りつくしてくれましたが、その中でも私は、ライムがアメリアの鑑識の才能を見つけ出し、ガンガンと実地訓練をさせていく過程が好きですね。ライムは自室のベッドから無線でアメリアに細かな指示をだして、現場からどれほどの手掛かりが得られるかを教え込んでいきます。ところが巻き込まれただけのアメリアには迷惑千万な話だし、ライムの要求も時として倫理的に受け入れられないこともあって、二人は衝突を繰り返します。おたがい鼻っ柱の強い性格だし(笑)

 とはいえ、基本的には正義感が強くてセンシティブな二人。おずおずと過去の辛い出来事や自分自身の弱さを吐露することで、信頼関係を築いていきます。ライムはもとより、アメリアもプチ自傷行為が日常になっているのには、いろいろなことがあったらしい。押したり引いたりしながら、だんだん「師匠と弟子」らしくなっていくところは、正直、え? ディーヴァーってこういう読みどころもあるんだ、と思っちゃった。ジェットコースターとどんでん返しだけじゃないんだなぁ。


 ああ、それにしてもなんと愛しい存在か、トム。(←ずっとこの調子)


 


加藤:へえ、腐女子はトムに萌えるのか。

 考えてみれば、ライムとトムって、前にこのミステリー塾でも取り上げたレックス・スタウト『料理長が多すぎる』のネロ・ウルフとアーチ―の関係に似てるよね。元祖・安楽椅子探偵へのリスペクトというか、オマージュなのかな?


 畠山さんも書いているけど、ボンコレは映画で知ったという人も多いかも知れませんね。そしてデンゼル・ワシントンのイメージが強すぎて、原作を読んだ人でもリンカーン・ライムを黒人だと思っている人も多いんじゃないかな。改めて注意して読んでみると、ライムは完全に白人でガチムチな二枚目設定なんだね。あとアメリア・サックスは映画ではアンジェリーナ・ジョリ―でした。


 そうそう、本作はボーン・コレクターとライムの頭脳対決がすべてのように見せかけて、アクション担当のアメリアが車をぶっ飛ばし、火の中に飛び込み、拳銃をぶっぱなす気持ち良さも重要だと思うんです。警邏課から広報課に異動になるはずだった日にボーン・コレクター事件に巻き込まれた(<こんな設定、皆さんもう忘れてるでしょ)、捜査経験はほぼゼロのアメリアなのに、誰もがついつい「刑事」と呼んでしまう存在感。それをいちいち(そしてなぜか上から)「巡査です」と訂正するクールビューティー・アメリアには、すでに大物の片鱗がうかがわれます。


 序盤の、いちいちライムに反発するアメリアや、協力的でないデルレイの態度なんかは「これが続くのか」と、正直ちょっとうんざりしかけたけど、そこは流石ディーヴァーです。読者の感情や想像がある方向に十分流れた頃にひっくり返しにくるので、心配無用。でもまた安心した頃にひっくり返しに来るから、油断はできないんだけど。右へ左へ、天から地へと、とにかく読者を翻弄するモンスター級のツイスター。三半規管がこんなに鍛えられる読書って珍しいよ。シリーズ7作目『ウォッチ・メイカー』なんかは、途中で酔って吐きそうになったのを覚えてるもん。


 あと、四肢が麻痺しベッドから出られないライムを通して考えさせられる「安楽死」も、本作のテーマの一つですね。綺麗ごとで収めてしまいがちな問題を、どエンタメのくせに(<言い方)ストレートに突き付けてくるところは凄かった。


 


畠山:そうだね。「ベッドから離れられない探偵」を、頭脳戦の面白さを盛り上げるための設定という程度にしか考えていなかった自分が恥ずかしい。健常者ではなかなか想像がおよばない、四肢麻痺患者の生活の苦悩。ライムは安楽死を望み、実行してくれる医者の手配までしています。ところが興味深いことに、介護士のトムはそんなライムを諫めたりせず、黙って見守ってるんですね。普段はライムの不遜な態度もどこ吹く風で、さらに上から言いたいことを言っちゃうキューティなトムですが、彼の無言もまた雄弁。障がい者の苦悩をたくさん見てきたのであろう彼は、介護士ができることの限界を知っているのかもしれない。彼らを通して「生きる」という言葉の意味を自問自答していました。

 でも事件を追っている時(正確には証拠調べの愉悦に浸っている時、というべきか)は、死の誘惑もライムから少し離れるようです。彼の死生観はこれからどう変化するのか、そこもシリーズを読み進めながら注目していきたいところです。


 あんなに展開が早くて、バリバリにマニアックで、滑った転んだ大騒ぎなのに、きっちり重いテーマ、ヒューマンドラマをぶっ込んでくるんだもんなぁ、ディーヴァー先生すごい。さぞかし好奇心とサービス精神に富んだ方なんだろうと思ったら、やはりそのようでした。10年前に来日された時のエピソードがありますので、こちらをどうぞ。箸使いがかなりお上手なんですね。鑑識活動で「箸を上手に使え!」とライムにぎゃんぎゃん言われるアメリアを思い出して、ちょいと微笑ましかったです。

 ■ジェフリー・ディーヴァー日本滞在記(その1)

 ■ジェフリー・ディーヴァー日本滞在記(その2)


 しかもディーヴァー先生は読者を休ませる気は毛頭ないらしく、新たなシリーズが始まりました。先月発売の『ネヴァー・ゲーム』の主人公は、流浪の名探偵コルター・ショウですってよ! 頭脳とサヴァイヴァル術を駆使するらしい。さて、どれだけ振り回されて、どんでん返されるのか。酔い止め薬片手に挑みたいものです。









さてさて、ご好評いただいている全国翻訳ミステリー読書会YouTubeライブ、第3弾が11月15日(日)に配信されます。今回の課題書はアガサ・クリスティーの『ナイルに死す』。クリスティー! 新訳! 映画公開間近! ということでパネリスト陣もかなり気合が入っているのではないでしょうか。果たして予定時間内で収まるのか(笑)そんなこんなで見どころ聞きどころ満載のイベントです。どうぞお楽しみに!

 ■『ナイルに死す』トークイベントのご案内



 


■勧進元・杉江松恋からひとこと


 世界の最先端を行くスリラー・シリーズがついにこの連載にも顔を出しました。ジェフリー・ディーヴァーのデビューは1988年と意外に早いのですが、初期は燻っていた印象があります。邦訳第一作の『汚れた街のシンデレラ』もそれほど話題にはなりませんでした。日本で注目され始めたのは本書とノンシリーズ作品の『静寂の叫び』が訳された1997年で、そこからはもう20年以上、翻訳ミステリーのエースの座を守り続けています。これだけ息の長い作家は珍しい。年に必ず1冊、読書の秋に邦訳を出してくださっている池田真紀子さんのご尽力の賜物でもあります。


『ボーン・コレクター』はリンカーン・ライム&アメリア・サックスものの第一作です。このシリーズのおもしろさは、第一に天才探偵と悪辣な犯人との先を読み合う知恵比べにあります。ここまで犯人のキャラクターが確立されたシリーズものというのも過去にそれほど例がないでしょう。この図式が頂点に達するのは第5作『魔術師』(2004年)と第7作『ウォッチメイカー』(2007年)で、犯人が探偵の存在を前提にして計画を立て、探偵がそれに引っ掛かったかに見える展開がスリルを読むという基本形は完成をみました。そこでシリーズを停滞させず、ディーヴァーは情報ネットワークや都市のインフラなど、読者の身近にあるものを使って危機的状況を作り出すという新らな試みを始めます。作品ごとに「どうすれば読者をどきどきさせられるか」「過去作と被らない犯人像は何か」という課題を設定してそれを乗り越えていっているようで、その手腕には安心感すら覚えます。


もう一つ忘れてはいけないのが、本シリーズがパートナーシップの物語であることです。ライムとサックスの間にはやがて強い紐帯が芽生えますが、それ以外にも彼らとチームを組んだり、ゲストとして登場して力を貸してくれたりする人が現れます。スピンオフとして2007年には『スリーピング・ドール』でキャサリン・ダンス・シリーズが始まったほど、脇を固める登場人物像は際立っています。名探偵を支えるチームに魅力があるということは、ディーヴァーが人間関係を書くことを創作の要にしている証だろうと思います。


また、短い章の積み重ねでスリルをだんだんに増幅していくやり方も多くの作家に影響を与えました。ディーヴァーが来日した際の講演で印象的だったのが、第一稿を書いたあとに推敲を行い、余分な文章を削除して最も効果的な形にしていくやり方でした。謎解き小説として読んだとき、ディーヴァー作品はやや手がかりの質量に不足感があり、もう少しはっきりと書いてくれたほうがフェアなのにな、と思うことがあります。ですが作家は百も承知なのでしょう。そうした要素を犠牲にしても、スリラーであることに忠実であろうとしているのだと思います。言い換えるならば、手堅さよりもおもしろさ。キャラクターの魅力と物語運びの迅速さで読ませる小説のお手本として、ディーヴァーは現代を代表する作家なのです。


さて、次回はミネット・ウォルターズ『破壊者』ですね。こちらもお二人がどう読まれるのか、楽しみにしております。


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加藤 篁(かとう たかむら)


愛知県豊橋市在住、ハードボイルドと歴史小説を愛する会社員。手筒花火がライフワークで、近頃ランニングにハマり読書時間は減る一方。津軽海峡を越えたことはまだない。twitterアカウントは @tkmr_kato



畠山志津佳(はたけやま しづか)


札幌読書会の世話人。生まれも育ちも北海道。経験した最低気温は-27℃(くらい)。D・フランシス愛はもはや信仰に近く、漢字2文字で萌えられるのが特技(!?)twitterアカウントは @shizuka_lat43N


 


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