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全国翻訳ミステリー読書会

第80回『破壊者』(執筆者:畠山志津佳・加藤篁)

2020.11.25 14:00

——どれがホント? 露わにされる裏の顔


 



全国20カ所以上で開催されている翻訳ミステリー読書会。その主だったメンバーのなかでも特にミステリーの知識が浅い2人が、杉江松恋著『読み出したら止まらない! 海外ミステリー マストリード100』をテキストに、イチからミステリーを学びます。


「ああ、フーダニットね。もちろん知ってるよ、ブッダの弟子でしょ。手塚治虫のマンガで読んだもん」(名古屋読書会・加藤篁)



「後期クイーン問題? やっぱフレディの死は大きいよね。マジ泣いちゃったなー。We will rock youuuu !!!」(札幌読書会・畠山志津佳)


今さら聞けないあんなこと、知ってたつもりのこんなこと。ミステリーの奥深さと魅力を探求する旅にいざ出発!



畠山:みなさまお変わりありませんでしょうか。コロナに振り回されっぱなしではありますが、われわれ翻訳ミステリー読書会はこの状況にもめげず、zoom読書会やオンライントークイベントと、あれこれ活動を増やしております。そしてこのたび、読書会の専用サイトも立ち上がりました! これまでの活動が記録されております。今後は読書会の募集案内も掲載されていく予定ですので、ぜひチェックしてみて下さいね。好きなように出歩けない、友人と話しもできない、そんなフラストレーションをオンライン読書会でパッと解消しましょう!


 さてさて、杉江松恋著『海外ミステリー マストリード100』を順に取り上げる「必読!ミステリー塾」、80回目の今月は、ミネット・ウォルターズの『破壊者』。1998年の作品です。


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 女はレイプされ、手の指を折られ、生きたまま海に投げ捨てられた。力尽きた彼女の遺体が入江で発見されたころ、20km以上離れた町で3歳になる彼女の娘が保護される。

 遺体の女性はケイト・サムナー。専業主婦で、発育が遅れ気味の娘を溺愛していた。そして妊娠していた。関係者の証言を集めるうちに露わになっていくケイトの日常や生き方。夫や交際相手の証言も少しずつ食い違い、事件はどんどん混迷していく。ケイトを殺し、娘を遠く離れた町に置き去ったのは一体誰か。



 ミネット・ウォルターズは1949年生まれのイギリス人。編集者として働くかたわら、ロマンス小説を書いて家計の足しにしていたそうです。1992年に処女長編『氷の家』が出版されて、ここから彼女のミステリー作家としての華々しい経歴が始まります。『氷の家』 でCWAの新人賞を受賞、次作『女彫刻家』はマカヴィティ賞とエドガー賞、『鉄の枷』『病める狐』でCWA賞を受賞と、どれを読んでも間違いないと、太鼓判を押していい作家ですね。


「このミス1位!」の帯に惹かれて『女彫刻家』を読んだのがもう20年以上前。あの時の感想は「うわ、すげぇ、エグい」(<語彙!)で、即座に、心に耐性がある時に読む作家リストに入れた記憶があります。で、なかなか心の準備ができぬまま今に至るという、ええ、ただの言い訳です。すんません。

 そして『破壊者』です。期待通り、独特のエグみは健在。とくに前半、被害者ケイトの人物評がもたらされるのですが、その内容たるや、頭はカラッポ、テレビドラマの話題しかなく、嘘つきで、結婚はお金のため、そしてどうやら身持ちも悪い。なんだか死者に鞭打つみたいで、いたたまれません。誰も彼女の死を悼んでいなくて、まるで「そんな女だから殺されても仕方がない」と言っているようです。そう、私たち読者は醜悪なセカンドレイプの渦の中に巻き込まれてしまうんですね。


 夫ウィリアムの勝手な言い分に腹を立て、情事のお相手で顔と下半身以外に取り柄のないスティーヴンのど阿呆丸出しな言動に頭を抱える。ふたりとも、プロローグで紹介される「レイピストの心」をそのまま立体化しような人物なのです。嫌だ嫌だ、気持ち悪い。そして誰もかれもがどうしようもないほど愚かで、読み進めるほどに虚しくなっていく。でも、間違いなく面白いのです。手ごわいのぅ、ミネット・ウォルターズ……。


 ところでタイトルの『破壊者』。原題は The Breaker なので、まんまと言えばまんまですが、ハテ? 誰が何を壊したのか。解釈の余地がいろいろありそうです。辞書をひいてみると、ほかに砕波とか、調教師という意味があるそうで、ケイトの溺死や登場人物の一人マギーが馬を預かる仕事をしていることとも、引っ掛けられるのかもしれません。

 加藤さんはこのタイトル、どう思う? 男性がミネット・ウォルターズを読んだらどう感じるんだろう?


 


加藤: どーでもいいけど、なんなのアメリカの大統領選挙。投票から3週間経ってもまだ決着しないとか。いやとっくに決着しているのかな?  もうよく分かんない。

 最初の数日はハラハラドキドキ、手に汗握るエンターテイメント。さすがアメリカというか、WWEのリングにあがったこともあるトランプ大統領はショーの盛り上げ方を知っているなあと感心しましたが、もう飽きました。いつまで経っても負けを認めないトランプ大統領の態度には、これまでの散々やってきた既存の慣習やルールに囚われない『破壊者』としての印象をさらに強くしましたね。


 さて、そんなわけで今回の課題本は、ミネット・ウォルターズ『破壊者』。そのお名前や作品名はよく見聞きするビッグネームですが、僕は今回初めてよみました。そしたら、想像していたものとだいぶ違って驚きましたよ。もっと暗くてジメジメしてる系かと思っていたけど、テンポよくてメッチャ読みやすいんだもん。おまけに物語の季節が夏だからか、なんだか爽やかですらある。畠山さんの言う「エグさ」はあまり感じなかったなあ。

 被害者の女性とふたりの容疑者をめぐる謎を追うべく、捜査官たちが人々の話を聞いてゆくと、浮き上がってくるのは誰もが持つそれぞれの多面性。語る人によって全く違う人格が浮かび上がってくるのですね。予断を持って人を見ることの怖さをつくづく思い知らされるし、複数の人間が同じ印象を語ると、それが真実に思えてくるのも恐ろしい。世の中には正しいことしかしない人も、間違ったことしかしない人もいないという、当たり前の事実をつい忘れてしまいそうになる。どの部分にフォーカスするかによって、人の評価はガラリと変わるものなのですね。そこを丁寧に淡々と、そして少しずつスピードを上げながら描くことで、それぞれの人物像と事件の謎を解き明かしてゆく展開が、気持ち良かったですね。


 畠山さんが投げかけた『破壊者』というタイトルの謎は、言われてみればなかなか難しいなあ。誰もが持っている意外な一面や知られたくない側面を暴き晒すことが、その人のイメージを破壊するということなのかも。

 そして、ひとつ確実に言えるのは、われわれの世代は『破壊者』という言葉から、高い確率でザ・デストロイヤーの顔(というかマスク)を思い浮かべるということ。そして蘇るプロレスごっこでの「4の字固め」の苦痛の思い出。今となっては地味な技だけど、キまると痛いしなかなか外せない。当時の子供にとってまさに「必殺技」でした。

 畠山さんの必殺技は何だったのかな?


 


畠山:必殺技とは違うけど、毎日母親の化粧品を失敬して「てくまくまやこん~」と唱えてたよ。変身するってある種のブレイクスルーなのかもしれない。あ、「ひみつのアッコちゃん」の説明は割愛させていただきますw


「女性のあるべき姿」から外れたケイトに向けられる蔑みや、捜査の過程で露呈する人々の隠された顔の厭らしさに辟易し、途中で読むスピードが少し落ちたほどなのですが、加藤さんはサクサク読んで、爽やかさすら感じてたのか。ホントに同じ本!? でもこの驚きって、読書会でよくありますね。ほかの人の感じ方、とらえ方を知ることで、その本の全然違う面が見えてくる。おや? これって『破壊者』のテーマと共通してるんじゃないか? 興味深い。本は読んで楽しみ、語って広がるものですな。


 とはいえ、やっぱりしんどいでしょ、この内容。殺人事件をめぐる人間模様もさることながら、ケイトの娘ハナちゃんが痛ましい。発育が遅れている彼女は意思表示がうまくできず、情緒も著しく不安定で、まわりの大人は手こずります。しかも性的な影響を受けたとみられる行動をするにいたっては、わずか3歳にしてなにをされたのかと、悪い想像が止まらず、怒りと吐き気がこみあげてきました。しかも、これから彼女は自己中心的で幼児性の強い父親の手に委ねられるわけで、もうオバチャンは心配で心配で。彼女を保護し、優しく抱きしめてくれる見ず知らずの老夫婦や、家に泊まり込んで面倒をみる女性警官の良心にすがるような気持ちでした。

 このハナちゃんに関しては、事件の真相の中でちょっとした謎が残されます。どう解釈するかは読者次第で、もしかするとゾっとするような恐ろしさを感じる人もいるかもしれません。でも私は、良いほうに解釈したいなぁ。黒い力ではない、愛に守られた力だと思いたい。


 散々、しんどいしんどいと申しましたが、救世主もいるのです。それが地元の巡査ニック・イングラム。見た目はパッとしない大男ですが、実に思慮深くて、論理的で、穏やかな性格。しかもお家もお庭もきれいにしていて、料理も上手ときた。ポイント高い! さらに、彼が密かに気にかけているマギー・ジェナーがうらぶれて汚らしい家に住んでいても、責めたりせずに、黙って洗い物や掃除をするのです。しかも全然押しつけがましさがないなんて、素晴らしすぎる! ポイント5倍! ケイトを取り巻く男たちのバカっぷりに疲れ果てていましたが、ニックのまともさで心が洗われるようでした。これからの男性はこうでなくちゃ、と言ったらハードル高すぎると怒られるかな?

 ねぇ、加藤さん、彼とマギー・ジェナーのサイドストーリーはすごくよかったと思わない?


 


加藤:ケイト・サムナーは被害者なのに、その人格や行動を一方的かつ一面的に暴かれ晒され、本人はそれに抗弁するすべがないというのは何とも痛ましい。

 人間誰しもありのままの自分を晒して生きているわけではないし、知らぬところで誤解を与えていたり、思ってもみないような理由で敵を作っていたりするに違いありません。僕が明日、警察に捕まったら、「まさかあの人が」と言われるのだろうか。それとも「やっぱり」と言われるのだろうか。「だってあの人、ひとが死ぬ小説をいつも楽しそうに読んでたもん」って。言っときますけど、皆さんも同じですからね。

 この話はそんな「人の持つ多面性」をテーマにした、ケイト・サムナー殺害事件をめぐる群像劇。ステレオタイプになりがちなフィクションにおけるキャラクター造形を逆手に取った、メタ・フィクションとも言えるのかもしれませんね。


 その意味で一線を画すのが、畠山さんが最後に触れたニックとマギーの再生を描くサイドストーリーです。詐欺師に身ぐるみはがされただけでなく、家族や親しい人たちを巻き添えにしてしまった罪悪感と屈辱を抱えながら生きていくマギーの造形は複雑で新鮮でした。そして、きっと世の中にはこんな思いをしながら生きている人たちが沢山いるんだろうと思うと、胸が締めつけられます。

 実は僕も昔、20代の頃にちょっとした詐欺にあったことがありまして。チョー簡単にいうと、上野のパチンコ屋で初めて会ったオッサンからハズレ馬券を1万円で買ってしまったという。「なぜ騙される? バカじゃねえの」って思うでしょ。でも詐欺師って凄いんですよ。僕も半分くらいは「嘘かも」と思ったけど、「それならそれでいいんじゃないか」という心理に陥っていました。口が上手いというか話の持っていき方が上手いというか、人の心理を操るのが上手いんでしょうね。今思い返してもプロは凄いと思います。

 この話は機会があったらまたゆっくりと。


 そんなわけでミネット・ウォルターズ『破壊者』を堪能しました。派手な仕掛けがあるわけではないけれど、ページをめくるたびに景色が変わってゆく驚きを味わい、また「人間とは」と考えさせられる深イイ読書でございました。

 そういえば、僕が畠山さんと違って妙にスラスラ読めた理由は、もしかしたらこの本の前にイーアン・ペアーズ『指さす標識の事例』を読んでいたからかも。「薔薇の名前×アガサ・クリスティー」のキャッチコピーは伊達じゃなかった……。


 


■勧進元・杉江松恋からひとこと


 アガサ・クリスティー以降、「ミステリーの新女王」の称号を奉られた作家は数多く存在します。ミネット・ウォルターズもその一人であり、デビュー作『氷の家』でCWAクリーシー・ダガー(新人賞)、第二作『女彫刻家』でMWA賞及びマカヴィティ賞の長編賞、第三作『鉄の枷』でCWA賞ゴールド・ダガー(長編賞)と華々しい受賞歴を打ち立てたのでした。日本では『氷の家』が1995年度の「このミステリーがすごい!」第7位、「文春ミステリーベスト10」第5位、翌年の『女彫刻家』で両ランキングともに第1位となり、一気に知名度が上がりました。ただし、その一方で高評価に具体的な作品分析が伴わず、「新女王」のレッテルのみが独り歩きした感が否めません。『破壊者』は1998年に発表された第6長篇なのですが、なぜか前後の『囁く谺』『蛇の形』のみが翻訳され、日本では2011年まで刊行されませんでした。作家の正当な評価が遅れた弊害だと私は考えています。


『破壊者』で特徴的なのは、登場人物に対して読者が抱く第一印象がまったくあてにならないことです。どのキャラクターも多面的に描かれており、それが次第に明らかにされていくことで事件の性格が変わってくる。ミステリーに備わった性格悲劇の側面を徹底的に突き詰めるというのが、ウォルターズが用いた技巧なのでした。もしウォルターズにクリスティーの衣鉢を継ぐ「新女王」の称号が当てはまるとしたら、この特質を抜きに語ることはできません。キャラクターを深く知ることが謎を解くためのヒントとなる。人間ドラマへの関心を知的パズルと見事に融合させた好例がアンソニー・ホロヴィッツ『カササギ殺人事件』であり、アン・クリーヴスの諸作だといえます。この技巧を意図的に継承している英国作家の一派があり、1990年代から2000年代にかけてはウォルターズがその代表格であったのです。2020年に第12作の『カメレオンの影』が翻訳され、ウォルターズの力がまったく衰えていないことが天下に知らしめられました。未訳作品はまだ残っており、これからの紹介が待たれる作家の一人です。


さて、次回はマイクル・コナリー『わが心臓の痛み』ですね。これまた期待しております。


 


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加藤 篁(かとう たかむら)


愛知県豊橋市在住、ハードボイルドと歴史小説を愛する会社員。手筒花火がライフワークで、近頃ランニングにハマり読書時間は減る一方。津軽海峡を越えたことはまだない。twitterアカウントは @tkmr_kato



畠山志津佳(はたけやま しづか)


札幌読書会の世話人。生まれも育ちも北海道。経験した最低気温は-27℃(くらい)。D・フランシス愛はもはや信仰に近く、漢字2文字で萌えられるのが特技(!?)twitterアカウントは @shizuka_lat43N


 


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