第83回『クリスマスに少女は還る』(執筆者:加藤篁・畠山志津佳)
—— 記憶を消してまた読みたい、何度でも
全国20カ所以上で開催されている翻訳ミステリー読書会。その主だったメンバーのなかでも特にミステリーの知識が浅い2人が、杉江松恋著『読み出したら止まらない! 海外ミステリー マストリード100』をテキストに、イチからミステリーを学びます。
「ああ、フーダニットね。もちろん知ってるよ、ブッダの弟子でしょ。手塚治虫のマンガで読んだもん」(名古屋読書会・加藤篁)
「後期クイーン問題? やっぱフレディの死は大きいよね。マジ泣いちゃったなー。We will rock youuuu !!!」(札幌読書会・畠山志津佳)
今さら聞けないあんなこと、知ってたつもりのこんなこと。ミステリーの奥深さと魅力を探求する旅にいざ出発!
加藤:2020東京五輪でもっとも期待されていたアスリートのひとりが競泳の池江璃花子選手。彼女が白血病と報じられたのがちょうど2年前でした。僕らの世代は白血病と聞くと『赤い疑惑』の百恵ちゃんが頭に浮かび、怖くなって思考停止してしまう。しかし、池江選手は闘病に打ち克ち競技に復帰。まるでタイムパラドックスですが、もしかしてもしかしたら2020東京五輪に間に合うかも! ってなってきました。彼女がうちの娘と同じ歳で背格好もよく似ているというのもあるけど、応援にも力が入ります。はてさてどうなる東京五輪。
そんなわけで、杉江松恋著『海外ミステリー マストリード100』を順に取り上げる「必読!ミステリー塾」も第83回。キャロル・オコンネル『クリスマスに少女は還る』の登場です。池江選手のように強く輝く女の子たちの姿がいつまでも心に残る一冊。この本を愛してヤまないという方も多いのではないでしょうか。クリスマスでなくとも寒い時期に読んで心を温かくしたい名作です。こんな話。
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クリスマスも近い12月、アメリカ北部の小さな町から二人の少女が失踪した。一人は副知事を母親に持つ優等生、もう一人はオカルトマニアの問題児。捜索にあたることになった地元警官ルージュは10歳のときに自分の人生を一変させた事件を連想する。その町では15年前の同じ時期に同じ歳の少女が誘拐され殺されおり、その被害者がルージュの双子の妹だったのだ。そして、FBIとともに捜索のために町に現れた法心理学者アリ・クレイは、二人のうち一人はすでに死んでいると言い放つ……。
キャロル・オコンネルは1947年、ニューヨーク生まれ。大学で美術を学んだものの芸術家としては芽が出ず、趣味で書いていた小説で46歳のときに世に出ることになりました。デビュー作は『氷の天使』(『マロリーの信託』)。NY市警のクール・ビューティー、キャシー・マロリー・シリーズ第一作で、エドガー賞処女長編賞などにノミネートされました。本作『クリスマスに少女は還る』は1998年に発表された、彼女の数少ないシリーズ外の単独作。日本で最初に紹介されたオコンネル作品でもありました。
本作に関して、おそらく誰もが最初に不思議に思うのが、この邦題ですよね。「還る」ってなんだ? 少女が誘拐される話なら「帰る」じゃないの? 「返る」もアリか。それがどーして「還る」なのよ? でも、読み終わったあと余韻に浸っていると「還る」の意味がじわじわ呑み込めてきて……。
ちなみに原題はとってもシンプルで『The Judas Child』。この本が好きな人なら、邦題だけで小一時間盛り上がれそう。
そして、この話のキモはなんてったって、二人の囚われた少女たちの生き生きとしたキャラクターと瑞々しい友情。この本を宝物みたいに大切に思う読者も沢山いるのではないでしょうか。思えば、前回のデニス・レへイン(ルヘイン)『愛しき者はすべて去りゆく』と連続して児童誘拐もの。でも全くテイストが違うのが面白いですね。
おっと、畠山さんがいろいろ語りたそうだ。そろそろバトンを渡してもいいけど、その前にアンタこの本に関しては何か僕に言うことがあるんじゃないの?
畠山:うう、遂にこの本の回がやってまいりました。大好きな作品だけど気が重かった。なぜならば、過去の悪行を謝罪せねばならないので。というのはですね、この本を新刊の時に「超絶面白いゼ!」と加藤さんに勧めたのですが、調子にノッて、結末が似ている某有名映画のタイトルを言ってしまいまして。はい、つまりネタバレです(合掌)。既読の方ならおわかりと思いますが、これは「猿の惑星」のDVDジャケットに匹敵する重罪です。言い訳のしようもありません。最近はきちんと謝らないみっともないオトナが多いので、私は潔く頭を下げたいと思います。加藤さん、誠に申し訳なかった。札幌に来たらウニ丼奢るよ。
というわけで、還る少女の物語。20年ぶりの再読です。加藤さんも言っているように、この本の最大の魅力は才気煥発な10歳の少女二人。
サディー・グリーンは強烈に活発で熱狂的なホラー映画ファン。いつも大人を卒倒させるような悪戯をしては大喜びしています。愛すべき悪童。一方、親友のグエンはニューヨーク州副知事を母に持つ内気な美少女です。
二人はほぼ同時に行方不明になり、過去の事件の経緯から、真のターゲットはグエンであり、サディーはグエンをおびき出すために「囮の子」として利用され、すでに殺されているのではないかという見解が広まります。
でも実は! 彼女たちはある家の地下室(樫の木が何本も生えてるってどんなスケールの地下室?)で再会し、励ましあって逃げる算段を始めるのです。10歳って小学4年生? よくもまぁあの状況であんなに知恵が回ることと感心するばかり。
もちろん泣きたくなったり、喧嘩しそうになったりもするけれど、ホラー映画のうんちく話で元気を取り戻す。こんな子たちに心動かされない人はいないでしょう。
一方、捜査にあたるのは、15年前に同様の事件で双子の妹スーザンを殺されたルージュ・ケンダル。赤毛のイケメン、頭脳明晰、野球の名手、はっきり言って欠点ナシ!でも妹の死は彼にとって魂を失うことと等しく、両親もその痛手から立ち直れなかったことから、虚ろな心を抱えています。その彼の前に突然現れるのが、顔に大きな傷痕を残す法心理学者アリ・クレイ。これほどの傷を負うような何があったのか、彼女の過去についても大いに気になるところです。
他にも、子供を誘拐された親たちの苦悩、スーザン殺しの罪で服役中の神父ポール・マリーのサイコパスぶり、緘黙症の少年デイヴィッドとルージュの心の交わりなど、謎と苦痛と魅力に溢れた人間模様が盛りだくさん。正直に言うと少女二人の結末以外を全部忘れていましたので(汗)、今回の再読で隅々まで堪能できた気がします。
私のせいで加藤さんはラストの驚きが半減しちゃっただろうけど(ほんとスマン)、それでもこの作品は別格の読みごたえだと思うのよ、どう?
加藤:この話は、監禁された少女二人のサバイバルが描かれる「中のパート」と、大人たちが彼女たちを必死に探す「外のパート」が交互に描かれます。僕も畠山さんと同じく「中のパート」が面白かったこと以外はすっかり忘れていたので、オチを知っていても楽しい再読でした。
でもぶっちゃけ、いろいろ突っ込みたいところがあるんですよね。とにかく序盤が読みづらい。思い入れたっぷりの書き出しや、説明もなくいろんなものをぶち込んでくるところとか、再読なのに戸惑いました。そういえば、昨年読んだ『「グレート・ギャツビー」を追え』(ジョン・グリシャム著)に、主人公の女性作家と書店主がふざけて「ダメな小説あるある」を語り合う場面があったけど、それがいちいち当てはまる気さえする。
それでも、それら全てをチャラにして余りある何か、正視できないくらい強く輝く何かをこの作品は待っていると思うのです。それはきっと、少女2人の勇気と友情の物語という核に、ルージュやアン・クレイら大人たちそれぞれの物語が絡み合って起きた不思議な化学反応。この話を名作たらしめているのは、そんなまったくロジカルでない部分、ミステリーとしての着地を拒否したようなところなのかも知れません。そんなわけで、本作は本格ミステリーを期待して読むと残念なことになるかもなので予めご注意を(死屍累々のAmazonレビューが興味深い)。
2020年は『ザリガニの鳴くところ』や『あの本は読まれているか』が年間ベストテンの上位にランクされ、いわゆる傑作「女子ミステリー」が広い読者層に読まれた年でしたね。また、読書会界隈でも話題になった『秘めた情事が終わるとき』で、あっちの世界に初めて触れた方も多かったのではないかと。
この機会に、本作『クリ少』を読み逃していた男性読者にも是非とお勧めしたいです。いつかアイツの足元にビッグマネー叩きつけてやる。
最後に言っときますけど、僕はタフでクールでちょっとヒューマンタッチなハードボイルド愛好家ですので、それほどオチにこだわる方ではありません。それでも、この本はマッサラな状態で読みたかった。「これからこの本を読める人がうらやましい」ってのは、この本のためにある惹句ではないかと思うくらい。
しかし俺も男だ。今回ですべてを水に流そうじゃないか吉川くん。ウニ丼はキッチリ奢ってもらうけどな。
畠山:(世の中、大抵のことはウニとイクラとカニのカード3枚で乗り切れるっぽい。えへ♪)
確かに「いろいろぶち込みすぎ」な感はありますが、シリーズ化できそうなキャラや設定がいくつもあって、単独作品で終わってしまったのを少し寂しく思っています。
ルージュ・ケンダルもアリ・クレイも、キャシー・マロリーと双璧になるようなシリーズを担えたかもしれません。なにより彼らの人生をもっと見守っていきたかったですしね。
アリの元カレでFBI捜査官アーニー・パイルの複雑かつ可愛げのある人物像、少女たちが監禁されていた家の主の物語、のどかな町の警察の日常(なぜか事務員マージが全権を掌握w)など、いやはや、読み終えてから想像の膨らむものがたくさん!
そしてなんといっても聖ウルスラ学園の妙な面白さが捨てがたい。サディーとグエンが通っているこの学校は、才能や感性の豊かな子を積極的に受け入れていて(というか集めてる?)、園長自身が、「ここには平凡な子供はひとりもいないんだ」と言い切っています。良くも悪くも普通の学校の規格には合わない子供だらけで、ルージュもアリもここの卒業生なんですね。どっしりかまえて子供たちをケアしている寮母さんもいいキャラです。彼女の淹れる万能ハーブティーを飲んでみたい。聖ウルスラ学園はSFダークファンタジーの舞台になれそうなワクワク要素に満ちています。
いかにも「作者の創造の泉から湧いたものを全部書きました!」という印象の本作品。加藤さんのツッコミもわかる気はするんです。盛りに盛ってめちゃくちゃ煩雑になってるわりには意外とわかりやすい犯人だし(私でさえ分かったw)、驚きのオチも人によっては受け入れられないかもしれない。
でもこの本は、重箱の隅を突くような読み方をしたらちょっともったいないように思います。キラッキラな子供の魂、苦難を乗り越えようとする若者、愛や倫理に苦しみ抜くオジサンオバサン、そのすべてを涙とともに柔らかく包み込むような気持になっていただけたら嬉しい。
子供が辛い目に遭うお話ですし、壊れた人間も多い。残酷なエピソードから目を背けることはできません。でも支えているのは「優しさ」と「強さ」です。娘の安否を案ずる母親に、過去の被害者の写真をみせないように必死に気を使う警察官たちの心の温かさ。娘を殺され酒に溺れた母親が新たな一歩を踏み出した時の雄々しさ。振り返ると素敵なシーンばかりが蘇ります。
怪我をしているグエンが、いざとなったら自分を置いて逃げるようにと言った時、サディーが頬をくっつけて囁くようにこう言います。
「あたしにあんたを置いていけるわけがないでしょう?」
この言葉が、この小説のすべてなのです。
■勧進元・杉江松恋からひとこと
竹書房文庫版『マロリーの信託』(『氷の天使』)翻訳刊行が1994年ですから、本邦初紹介のオコンネルはそちらですね。
それはさておき、キャシー・マロリー・シリーズではなくノンシリーズの本書をマストリードに選んだのは、これが不当な暴力に対抗する弱者の物語であったからです。#me too運動がネット上で行われたのは2010年代末でしたが、それより20年も前に発表された本書は、すでに現代社会の歪みに関して自覚的でありました。成長神話の美名によって看過されがちであった弱者の声が、社会が緊縮志向を見せる中では絶対に無視できないものになります。極論するとアメリカの探偵小説・スリラーは暴力によってすべてを解決する物語だったのですが、前世紀末からそうした方向性を疑問視する声が上がってきます。サラ・パレツキーのような作家は私立探偵小説を換骨奪胎した物語を書いて自身の懸念を表明しました。初期のシリーズものを書いているときのオコンネルはそこまで自覚的な作家ではありませんでしたが、本書を経て深度を増したと私は考えます。
オコンネルが創造したキャシー・マロリーは、男性優位社会のネガのような人物で、類まれな美貌や知性などを逆手にとり、すべての点で男性に優越してみせることで性差を無化する主人公です。彼女についてのサーガがシリーズの骨子になっているのは当然で、マロリーは自身の存在証明を成し遂げるために過去とのしがらみを清算しなければならない主人公なのです。こうしたキャラクターを中心に据えているため、シリーズは第一作から読むと発見もありますが、全作が単独で成立しているため、サーガについて何も知らなくても楽しむことは可能です。世界の中心に屹然とマロリーが存在し、彼女の行動を追うことで物語の構造は理解できる。そうした作品です。フーダニット、ホワイダニットの要素も非常に強く、どの作品でもいいのでとにかく手に取ってみることをお薦めします。影響関係は未確認ですが、〈ミレニアム〉シリーズのリズベット・サランデルにマロリーの面影を見出す読者も多いのではないでしょうか。そうした女性主人公類型を作り上げたという点でも重要なシリーズです。
さて、次回はロバート・ゴダート『一瞬の光のなかで』ですね。これまた期待しております。
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愛知県豊橋市在住、ハードボイルドと歴史小説を愛する会社員。手筒花火がライフワークで、近頃ランニングにハマり読書時間は減る一方。津軽海峡を越えたことはまだない。twitterアカウントは @tkmr_kato
札幌読書会の世話人。生まれも育ちも北海道。経験した最低気温は-27℃(くらい)。D・フランシス愛はもはや信仰に近く、漢字2文字で萌えられるのが特技(!?)twitterアカウントは @shizuka_lat43N
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