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全国翻訳ミステリー読書会

第86回『ボトムズ』(執筆者:畠山志津佳・加藤篁)

2021.05.26 13:45

—— 奇妙な果実と少年時代



全国20カ所以上で開催されている翻訳ミステリー読書会。その主だったメンバーのなかでも特にミステリーの知識が浅い2人が、杉江松恋著『読み出したら止まらない! 海外ミステリー マストリード100』をテキストに、イチからミステリーを学びます。


「ああ、フーダニットね。もちろん知ってるよ、ブッダの弟子でしょ。手塚治虫のマンガで読んだもん」(名古屋読書会・加藤篁)



「後期クイーン問題? やっぱフレディの死は大きいよね。マジ泣いちゃったなー。We will rock youuuu !!!」(札幌読書会・畠山志津佳)


今さら聞けないあんなこと、知ってたつもりのこんなこと。ミステリーの奥深さと魅力を探求する旅にいざ出発!



畠山:病床逼迫、ワクチン予約大混乱、どーする五輪!? どっちを向いても不安ばかりの日々に、めっちゃ爽やかな話題きた!  源さん&ガッキー、逃げ恥婚おめでとーー!  国民的大人気ドラマのカップルがそのまま結婚するなんて、友和&百恵ちゃんみたいだ!!  「赤いシリーズ」、小学生の頃、毎週夢中で見てたっけ。百恵ちゃんのキスシーンだけで一週間はごはんが食べられたあの頃。懐かしいなぁ。


 さて、杉江松恋著『海外ミステリー マストリード100』を順に取り上げる「必読!ミステリー塾」、ノスタルジックな気分になったのは、この本に呼び寄せられたからかもしれません。今月のお題、ジョー・R・ランズデール『ボトムズ』。2000年の作品です。こんなお話。


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 1933年の夏。テキサス東部に住む11歳のハリーは、妹トムとともに夜の森で迷子になってしまった。茂みのなかから近づいてくる何物かの気配は、ひょっとして伝説の怪物ゴート・マン? 必死に逃げて川辺にたどり着いたふたりは、安堵したのも束の間、オークの木にぶらさがった黒人女性の無残な死体を発見してしまう。

 ハリーは町の治安を預かる父とともに殺人犯を見つけようとするが、苛烈な人種差別が横行する町では黒人の死を悼む者など皆無に等しい。遅々として調査が進まないなか、新たな遺体が見つかり、事件は猟奇連続殺人の様相を呈してくる。アメリカ探偵作家クラブ賞最優秀長篇賞受賞作。



 ジョー・R・ランズデールは1951年、テキサス州生まれ。一貫してアメリカ南部の「土地柄」について書きつづけていて、テキサス文学協会から名誉賞を贈られています。またブラム・ストーカー賞の常連で、受賞は数知れず。殿堂入りレベルですね。

 よく知られているのは、白人と黒人、ノンケとゲイという変わった、いや魅力的な取り合わせの二人が事件を解決していく〈ハップ&レナード〉のシリーズでしょう。

 作家紹介については、当サイトにある三角和代さんの原書レビュー(☞ こちら)や、ALL REVIEWS に掲載されている霜月蒼さんのノワール作家ガイド(☞ こちら)がお薦めです。ぜひご一読ください。

 全然知らなかったのですが、映画の「プレスリーVSミイラ男」ってランズデールの長編『ババ・ホ・テップ』が原作なのですね。お笑いB級映画だと思い込んでスルーしていました。だってこのジャケットですもの……。


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 マーシャル・アーツの達人という別の顔があるのも、また興味深いです。ご自身でスクールの経営もされていて、そっちの世界では名誉殿堂入りしてるんですって。


 ランズデールはアンソロジーに収録された短編を少し読んだだけで、長編に挑んだのは今回が初めてです。ちなみに「ボトムズ」とは「低湿地」の意味なのですね。装甲騎兵しか思い出せないんですよ私、アッハッハ! などとバカ丸出しなことを言っていたら、ガツンと一撃食らいました。凄いです、この作品。


 一番のテーマは人種差別。1930年代のアメリカ南部ですから、映画《アラバマ物語》の世界です。ハリーの父ジェイコブは、治安官として黒人女性の死を公正にあつかおうとしますが、町の白人たちからすれば「ニガーの女が一人死んだところで痛くも痒くもない」のです。でも、殺されたのがもし白人なら、証拠がなくても黒人を“吊るす”のは日常茶飯事。あとで冤罪だとわかっても、ちょっと首をすくめるだけです。この不条理さ、ううう胸糞悪い! どこからどう見たって間違ってることなのに、今でも世界中に差別がはびこっている現実を思うとやるせなさ倍増でした。


 そういえばジョディ・ピコーの『小さくても偉大なこと』がよかったなぁ。現代アメリカ社会で黒人として生きることがどれほど過酷か、あらためて思い知りました。

 さて、加藤さんはランズデールを他にも読んでるのかな?


 


加藤:みなさん、こんにちは。やっとワクチン接種が始まったと思ったら、予想通りのゴタゴタぶり。あそこの町長が先に打ったとか、あの会社の創業者もそうらしいとか、それいちいち報道する必要ある? って思っちゃう。「ルールを守ること」が得意な日本人は「柔軟な対応」が苦手というか嫌悪感があるのでしょうね。高額納税者は優先されてもいいと思う人と、そうは思わない人との溝も深い。公平とは何かと考えさせらる今日この頃です。


 さて、公平とは何か以前の世界をガッツリ描いた『ボトムズ』が今回の課題本。ぼくがランズデールを読むのはたぶん2作目です。ずいぶん昔に『罪深き誘惑のマンボ』を読んでいるハズですが、軽快で下品でユーモラスながら容赦ないみたいな作風だったことを覚えているくらい。そんな感じ読み始めた『ボトムズ』は、軽快で下品でユーモラスながら容赦なかったものの、とても爽やかで気持ちいい話でした。


 本作の舞台は1933年のテキサス東部。1930年代の初めといえば、世界恐慌の真っ只中です。アメリカの大都市では失業者があふれる一方、禁酒法を背景にギャングが密造酒で荒稼ぎした、なかなかノワールな時代。ハードボイルド的にはサム・スペードの時代と言いたいところです。

 でも本作の舞台であるテキサスはそんなムードを感じさせません。ヤンキーたちの営む物質社会とは何もかも違うもう一つのアメリカという感じ。たびたび襲う自然災害と農作物の出来が主な関心事。そして、南北戦争から70年経っても、人種差別は不変の社会ルールとして存在し、それはそれで均衡を保っている。


 畠山さんも書いているとおり、この話は連続猟奇殺人の顛末を描いていて、その根底には常に人種差別問題が横たわっています。なので、全方位的に胸糞悪い話がいっぱい出てきます。それでも、本書を読み終えて少し時間が経った今、思い出すのは不思議なほど爽やかな読後感だったりするのですね。11歳の主人公のハリーと2つ下の妹のトム、そして愛犬トビーによる夜の森の探検のいきいきとした描写といったら! 橋の向こうは人知のおよばない何かが棲むに違いない低湿地=ボトムズ。未知への恐怖と怖いもの見たさのドキドキ感が入り混じる、泣きたいようなあの懐かしい感覚。


 ところで、この物語が呼び起こす郷愁というのは誰もに共通するものなのでしょうかね。それとも、ザリガニが鳴きそうなところで育った僕の特殊な生い立ちと環境のせいなのか。そういえば、畠山さんもとんでもない僻地で育ったって言ってなかったっけ?


 


畠山:アンタ、なまら失礼でないかい? テレビもある、ラジオもある、車もそこそこ走ってる(<あの曲に合わせてどうぞ)立派な町で育ったんだよ~私は。イトー〇ーカドーをデパートだと思ってたけどな。


 この物語は80歳を過ぎた老人が少年時代を回顧するという形で書かれているので、全編にわたってノスタルジックな雰囲気があるんですね。たとえそれが惨殺死体を発見したり、私刑殺人の現場で袋叩きにされたりと、トラウマ確実な凄まじい暴力の記憶であっても。あんなひどい経験をしてもグレなかったハリー少年、大したもんだ。


 ハリーが大らかさを失わなかったのは、彼のおばあちゃんのおかげかも。でっかい声で陽気に喋り、料理が上手で、ヌママムシの頭を銃で吹き飛ばすスーパーおばあちゃん。推理小説好きの彼女は、のりのりでハリーの調査活動を手伝ってくれます。持ち前の図々……もとい、人当たりの良さで情報を引き出すあの手腕たるや。しかもちゃっかり彼氏まで作っちゃう。陰惨極まりない事件の中にあってもワクワク感を持ち続けることができた、実に大きな存在です。


 お父さんのジェイコブも好きでした。キレるとヤバいとか、理髪師だけど腕がイマイチとか、決して完璧な人間ではないんですね。無実の黒人の死に責任を感じて酒浸りになり、家計が傾きかけることもある。いわゆる「アメリカの強い父」になりきれないところがいい。家族が崩壊しなかったのはひとえに母と祖母のおかげなのだとハリー少年が気づくシーンは、わずか数行のものだけれど強く美しい煌めきがありました。家族のその後を淡々とした口調で語るエピローグはしみじみしたなぁ。まさに「ザッツライフ」。


 連続殺人の犯人自体はさほど意外ではなく、ミステリーを読み慣れた人ならすぐに勘が働くでしょう。なにせ私ですら登場した途端に「オマエだな」と思ったくらいだから。でも大事なのはそこではなくて、犯人に行きつくまでの過程。アメリカ南部のあの時代だからこその目くらましがあって、犯人は深い藪の向こうに隠されてしまうのです。

 時代ならではといえば、半身がヤギで半身が人間の、動物や子供をさらう〈ゴート・マン〉や、悪魔と取引をした〈トラベリング・マン〉という伝説が息づいていること。この怪物たちがハリー少年を脅かし、サスペンスフルな雰囲気を盛りあげます。しかもこれが単なるこけおどしではなく、事件の真相にきっちり組み込まれていくのが秀逸。ミステリ、サスペンス、ダークファンタジー、時代小説、社会問題、家族小説……いろんな要素で構成されたグロテスクで切ない世界でした。


 そういえばランズデールは6/1に短編集『死人街道』が出るんですね。なになに? 魔界西部劇? これまた面白そう!


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加藤:魔界西部劇? 何それ、チョー面白そうじゃん。ジュリーがジョン・ウェインやブロンコ・ビリーやびっくりドンキーを召喚して大暴れしたりするのかな。どうでもいいけど、1980年前後の角川映画の面白さは異常だよね(本当にどうでもいい話だった)。


 そうそう、主人公一家が窮地に陥ったタイミングで現れるスーパーおばあちゃん「竜巻」ジューンは素晴らしいね。彼女の登場で二弾目のロケットに点火したという感じ。物語が一気に加速してゆくのが気持ちよかったなあ。

 あと、なにげに物語を引っ張る愛犬トビーの存在感も光ります。何度も死にかけながら、なかなか死なずに重要な役割を果たしたりする。瀕死のトビーと散弾銃をそれぞれ抱えた幼い兄弟が、今にも落ちそうな夜の吊り橋を泣きながら渡る場面なんか、それだけで一つの短編として成立しそうだったもん。


 本作を読み進めるにあたって「連続猟奇殺人犯は誰か」はもちろん気になるんだけど、読後の記憶に残るのは必ずしもそこではありませんでした。二つの世界大戦に挟まれた困難な時代に、大人になろうとする少年の目を通して描かれるアメリカ南部。また、子どもの頃に感じたあの怖さとワクワク感に溢れた毎日だったり、人間の美しさと醜さだったり、また、正しいはずのないものが当たり前のように存在する世界の恐怖です。現代の日本とはあまりに違うものが次々と押し寄せてくる圧倒的な読書体験。差別が当たり前のように存在する世界がかつてあり、それが今に続いているという事実と向き合うとき、誰もが今の世界を見つめ直さずにはいられなくなる。よくよく考えたら、KKKは頭巾を被って一応は正体を隠しているけど、今では堂々と名前と顔を出してヘイトスピーチをする人間が沢山いたりするのはどういうことなのか。それが人間の本性なのか性なのか。その情熱は一体どこから来るのか。なぜ我々は変わることができないのか……。


 そんなわけで、ド田舎で生まれ育った方はもちろん、そうでなくても誰ものノスタルジーも呼び起こすに違いない傑作、ジョー・R・ランズデール『ボトムズ』を堪能しました。

〈ゴート・マン〉や〈トラベリング・マン〉の存在を信じる主人公の少年目線ではホラーといえなくもないけど、それよりも怖いもの、人間の醜い所業をさんざん見せられるという意味では、ノワールといえなくもないエンターテイメント。梅雨が明けたら、僕も山の中に〈ゴート・マン〉を探しに行こうと思います。


■勧進元・杉江松恋からひとこと


 ランズデールもまた、狭い窓からしか覗けなかった世界を広くしてくれた作家でした。大雑把に言えば日本の読者にとっては、アメリカ産のミステリーとは、ニューヨークなどの東部都市部出身者や、ロスアンジェルスなどの西部海岸の作家たちによって印象が形作られたものでした。それらは時に混沌とした状況を描きはするものの、基本的には民主主義的精神が貫かれた、すなわち北部人(ヤンキー)的ミステリーだったのです。しかし、広大なアメリカは一つの国ではありません。地域の多様性が存在することは、少なくとも1980年代まではあまり意識されていなかったように思います。アフリカ系や先住民族の出自を持つ作家の作品をマイノリティのミステリーと考えるところまでで、アメリカという国家全体に備わった構造的な社会問題に思いが馳せられるようになったのは、ごく最近のことでした。


 ランズデールは南部を描く作家です。アメリカ文学にはサザン・ゴシックの伝統があり、ウィリアム・フォークナー『サンクチュアリ』やフラナリー・オコーナー『賢い血』など、多くの読者を獲得していた作品も邦訳されています。ランズデールの邦訳第二作である『罪深き誘惑のマンボ』は初め、白人と非白人のコンビによるバディものとして受容されたのですが、あそこに描かれているアフリカ系住民に対する暴力のありようは、民主主義的理性の通用しない南部の理不尽さに他なりません。終盤のサタイア的展開も含めて、実にサザン・ゴシックらしい作品でした。そのランズデールがバディものという様式を捨てて南部の精神性そのものを描いたのが『ボトムズ』なのです。本が刊行された当時の私は、アメリカ犯罪小説に備わった暴力性という観点からこの作品を理解しようとしていましたが、南部という視点を入れない限り見えない要素があります。皮肉なことに、ドナルド・トランプという独裁者の出現により、アメリカ国内に存在していた見えない分断のありようは可視化されることになり、かつて内乱の原因となった南部連合の精神が今でも生きている現実を多くの人が意識するようになりました。ですので、この本の邦訳当時にはそれほど理解できていなかったことも常識として共有されるようになっています。『ボトムズ』は2020年代の今こそ読まれるべき作品なのです。


 さて、次回はカルロス・サフォン『風の影』ですね。これまた楽しみにしております。


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加藤 篁(かとう たかむら)


愛知県豊橋市在住、ハードボイルドと歴史小説を愛する会社員。手筒花火がライフワークで、近頃ランニングにハマり読書時間は減る一方。津軽海峡を越えたことはまだない。twitterアカウントは @tkmr_kato



畠山志津佳(はたけやま しづか)


札幌読書会の世話人。生まれも育ちも北海道。経験した最低気温は-27℃(くらい)。D・フランシス愛はもはや信仰に近く、漢字2文字で萌えられるのが特技(!?)twitterアカウントは @shizuka_lat43N


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