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富士の高嶺から見渡せば

ウイグル強制収容所の暴かれた真実②

2018.11.29 15:33

報告会でコーディネーターを務めた現代中国研究者・水谷尚子さんによると、「ウイグルに強制収容所ができているという話は2016年末ごろに、初めて漏れ伝わってきた」という。チベットで抗議の焼身自殺が相次いだころ、チベットのトップを務めていたのが陳全国で、2016年8月に彼が新疆ウイグルの党書記に転任すると、あっという間にあちこちに強制キャンプが作られた。警察の派出所「便民警務站」があちこちの街角に造られ、街全体が刑務所のなかのような雰囲気になったのもこのころだ。

2017年夏ごろには、それまではウイグル人でも賄賂を渡せば何とか発給してもらえたパスポートが、すべて没収され、国外にいたウイグル人にも帰国命令が出されるようになった。エジプトにいたウイグル人留学生は何百人も強制的に帰国させられたのも、そのころで、彼らはその後、収容所に拘束されていると思われるが、帰国後の消息は家族にもいっさい知らされていない。このころからウイグルでの強制収容所の存在が海外のウイグル人組織のあいだで問題となり、国際的にも関心を集めるようになった。

当初は「イスラム過激主義」の人々を拘束しているということだったが、すぐにそうではないことが分かった。中国当局は、最近になってようやくウイグルでの収容所の存在を認めるようになったが、あくまでも職業訓練や中国語学習のための施設だと言い張っている。しかし実際に収容されているのは、中国語がペラペラで、すでに立派な職業に従事し、あるいは引退して年金生活を送るお年寄りなどだった。職業訓練も中国語学習も必要ない人々ばかりで、ましてや「イスラム過激主義」でも何でもなく、長年、共産党員として活動してきた人も大勢含まれていた。

<新疆大学学長の拘束と死刑判決>

報告会でオムル・べカリさんの次に証言に立ったのはヌーリ・ティップさんで、去年4月、新疆大学の学長を解任され、強制収容所に拘束されているタシポラット・ティップ氏の弟さんだ。タシポラット・ティップ氏については、別コラムで次のように紹介している。

<新疆ウイグルでは、イスラム教を広め、イスラムについて深い知識をもつ宗教的指導者が、宗教を違法に宣伝したとか、地下宗教学校を開いたなど、さまざまな理由で、次々と刑務所に送られているという。また、雑誌編集者や作家など、ウイグル人の中で影響力を持つ知識人・文化人で、少しでも名前が知られるようなると、皆、刑務所に入るともいわれる。

新疆大学のタシポラット・ティップ(塔西甫拉提・特依拝)学長が2017年4月、突然解任され、その後、拘束された。彼は日本に留学して東京理科大学で工学博士号をとり、地下資源を衛星経由で遠隔探査できるシステムを作り、国家に貢献した人物だった。大学で思想教育を徹底しなかったと内部告発されたのが拘束の原因だといわれる。ウイグルでは彼のことを知らない人はいないというぐらいに有名な人物だが、有名になったというだけで罪になるのがウイグルの社会らしい。>

ブログ『周縁から中国を覗く』「新疆ウイグルでいま何が起きているか~街の息苦しさは刑務所の中と同じ~」2017.11.15

タシポラット・ティップ氏は、ことし9月、国家分裂罪で死刑判決(執行猶予2年)を受けたことが分かった。新疆大学学長といえば、日本でいえば東京大学や京都大学など名門国立大学の学長に匹敵するポストである。そんな教育界の指導的人物、知識人を代表する人物が、訳も分からない理由で解任され、自由を奪われ、さらには命の危機にさえ晒されている(執行猶予付きの死刑は中国では減刑されるのが一般的だが・・・)。

そのタシポラットさんとヌーリさんの兄弟は、新疆ウイグルのグルジャ(伊梨)市出身で、幼い時から一緒にスポーツをするなどいつも一緒だった。日本に留学した兄を追って自分も日本に留学するなど、ヌーリさんはつねに兄のあとを追いかけてきたという。兄は、1988年から93年まで東京理科大学に学び、博士号を取ったあと、新疆大学に戻って教授、学部長を経て、2010年からは学長を務めていた。弟は、1990年から99年まで日本に滞在し、その間の1997年9月にグルジャ市で反政府デモに対する弾圧事件、いわゆるグルジャ事件が発生した。一度、帰国した際、尾行がつくなど監視されていることが分かり、それを契機に中国に帰ることを断念。日本では政治亡命が認められる見込みもないため、99年にアメリカに出国し、ワシントンで日本料理店の経営や建設業などで生計を立てながら、亡命生活を送っている。

ヌーリさんは、ことし10月5日、FRAフリーラジオアジアの取材を受け、兄が強制収容所に拘束され、国家分裂罪で死刑判決を受けたという話を初めて知った。今回は、兄と過ごした東京のゆかりの地を訪ね、日本の知人友人らに兄の窮状を訴え、強制収容所にいるウイグルの同胞を救い出すため、日本の人々にも手を貸してほしいと訴えたいと、19年ぶりの緊急来日だった。

中国当局は、タシポラット・ティップさんについて、アメリカに亡命した弟との関係を当然、疑っているはずだから、その後、ヌーリさんは兄との連絡を絶ち、もう永遠に会うことはないと決意したという。2011年、兄が会議に出席するためアメリカ・テネシーに来たときも会うことはなく、この時、兄と一緒にいた友人が、かたわらに兄がいるといって電話をかけてきたが、その電話にも出なかったという。兄がどこで拘束されているのか、収容先もわからず、また兄の妻と娘一人の消息も分からなくなっている。中国のウイグル支配は、こうして家族を引き裂き、人間らしい家族の愛情さえ、無残に奪い取っている。

兄のタシポラットさんが、強制収容所に拘束され、なぜ死刑判決を受けたのかについて、ヌーリさんは「兄が国家分裂主義者のはずがない。兄は教育者として教育の仕事をしていた。2009年7月にウルムチで起きたウイグル人と漢人との衝突事件、いわゆる「ウルムチ暴動」の際には、ウイグル人と漢人の双方の学生に冷静になって暴力を自制しろと説得したほどだ。国家分裂の活動などできるはずがない」という。そして「中国はウイグルの土地だけを狙っている。一帯一路の政策をスムーズに実行するために、ウイグルの土地に暮らす人々は邪魔なのだ。そのため頭のいい人、偉い人から真っ先に抹殺する。中国による知識人の迫害は、反右派闘争、文化大革命と続き、これで3回目、今回も用意周到に計画してきたことだ」とみる。

<公表された知識人迫害の実態>

水谷尚子さんがまとめた集計によると、中国の国内外のメディアで拘束されたと名前が公表されている知識人や著名なウイグル人のうち、大学の教授・教員は新疆大学の関係者が17人、新疆師範大学の関係者が8人、新疆医科大学関係者が5人、カシュガル大学関係者が10人。またウイグル自治区教育庁や社会科学院、その他の研究機関の関係者が8人、スポーツや芸能界が6人、資産家・会社経営者など経済人が7人の、合わせて105人に上るという。

水谷さんは<社会的影響力や発信力、経済力を持ち、ウイグル人が生きていく上での手本となった人物が、ことごとく収監されている。彼らは当局が目の敵とする「過激なイスラム思想」とも反政府運動とも無縁で、当局とはなんとか折り合いをつけ、それぞれの分野で生きてきた中国共産党員ばかりだ>といい、さらに<収容所には健康な身体を持った男たちも収容されており、いま外にいるのは老人と子供など社会的に無力な者だけといっても過言ではない。人々の生きていく希望を根底から剥奪しているに等しく、このような政策が5年も続けば、ウイグル人社会は経済的にも文化的にも破綻する。これはもはやジェノサイドと言っても過言ではない>と主張する。