百年戦争12-時代外れのアレクサンドリア十字軍
2018.11.30 02:47
キプロス王ピエール1世は、かんじんのフランス王が崩御し、十字軍の諸国からの支援を得ることができなかった。ところが力を貸す(よけいな)一大集団があった、聖ヨハネ修道騎士団である。フィリップ4世のところで書いたように、聖ヨハネは、テンプル騎士団の資産を受け継いで裕福になっていた。1306年にはロードス島に侵攻してここを実質本部としていたのである。
聖ヨハネもテンプルと同様であり、平和な世ではいつ処分されるかわからない。この十字軍に乗ったのも自然というべきだろう。それやこれやの冒険を求める騎士達の相当な軍勢が集まって、1365年6月イタリアからロードス島を経て、アレクサンドリア攻撃に向かった。
とんだ迷惑はアレクサンドリアである。門の上から弓で攻撃し、かなりの損害を与えたが、もともと戦意も乏しく、門が開けられてからは、われ先にと逃亡していった。もともと十字軍とは名ばかりの、はみだし者の集まりは略奪に走り、2万人が殺害されたとのことだ。そして略奪が終わるとさっさと出て行ったのである。
市外では、マムルーク朝の正規軍が迫っており、結局この十字軍は、1週間でアレクサンドリアから撤退した。この十字軍についてペトラルカは、ボッカチオに対して、撤退は残念という手紙を送っている。まだまだ人文主義者といってもこのような認識だったのだろう。この十字軍狂いのキプロス王はその後もシリアを攻撃したが、69年に暗殺された。