痛みの治療
色んな患者さんを診て思うことがあります。
早く治したい。
それは、患者さんも術者も共通の思いです。
しかし、早く良くなってはいけないものがあります。
痛みがなぜあるのか?
それを深く感じながら考えて欲しいと思う人がいます。
例えばトレーナーは、一般の人には、生活の質を落とさないように筋力を落とさないようにトレーニングすることをすすめます。
それはとても正しいことです。
しかし、本当にそれで筋力が落ちないのか?
運動させれば筋肉は落ちないのか?
ということを考えて欲しいなと思うことがあります。
変な負荷をかけることで、一時的に筋力はあがりますが、後から痛みが出て、トレーニングを続けられないということが起ったりします。
糖尿病だから歩けと言われて歩いたら足が痛くなってきた。
休んだら筋力が落ちて歩けなくなった。
というような筋力の落ち方をしてしまう人がいます。もちろん、歩けなくなると歩いて気持ち良かったのに、できなくなったというストレスも相乗効果で働きます。
頑張り過ぎたらあかんってことですね。
しかし、必ず頑張ってしまうんです。それが人間です。頑張り過ぎるのが人間というのを計算に入れないと駄目だということですね。
どのような負荷が適当なのか?
長期的に見て考えないと駄目になる場合があるということですね。
プラス、マイナス、ゼロか、ゼロ以下の状態になっては意味ないですからね。
過度なトレーニングをした訳でもないんです。
その人にとっては、簡単な動きでも異常なトレーニングになってしまうことがあります。
トレーナーは、ある一定のレベルの人を対象に筋力を落とさない科学的と言われるトレーニングを指導する。
とても根拠があって立派なトレーニングだと思います。
平均的な人に対しては効果的なことが多いです。
それは間違いなんだろうなと思います。
身体を動かして楽しければ、それはとても正しいことであり、ある一定のレベルに達している人にとっては、とても有益なことです。
それじゃ~。
一定のレベルってどこか?
注意を向けさせないことは、知らず知らずのうちに異常なトレーニングをさせてしまうきっかけとなります。
それは一般的レベルの人もそうでない人も同じです。
専門的というのは聞こえは良いのですが、専門だから見えないものが一杯あるということに気づかないと無駄に症状を引き起こす人を増やすだけです。
形じゃない。
そういうことがあります。
そんな事例がありました。膝の痛みで来院した方ですが、どこかのトレーナーに立ち方や歩き方を教わり、楽になったみたいなのです。
私の治療より立ち方を教わった方が楽になったと思ったみたいです。
ちょっと悔しかったんですよね~。なにそれ~って思いました。
でも静観しました。
その半年後ぐらいに、以前よりビッコをひいて来院されました。
かなり腫れもあり、変形もしてました。
無理なことをした訳じゃないんですが、大事なことを忘れていたようです。
楽な動き方というのは、逆に負担をかけている時もあります。
このような動きで楽になることが良いこととは限りません。
これはホントに大事なことだなぁ~と思いました。
例えば、椅子から立ち上がる時、お辞儀しながら立ち上がると楽に立てます。
しかし、この立ち方は意識していないと、弊害を起こします。
つまり楽だから良いという訳ではないということです。
そこに意識が入らないと逆効果になってしまうことがあります。
以前も話ししたと思いますが、炎症性の強い肩関節周囲炎(いわゆる五十肩)は下手に痛みをとると後から余計に痛むことがあります。
早く治そうとすればするほど、治りが遅くなることがある。
痛みが楽になったと思って逆に負担がかかりやすくなって、長引いた。
ということがよくある症例なんですよね。
基本的に治療というのはお節介なことなんです。
折角痛みがでてくれているのに、それに気づくチャンスを奪っていることにもなることがあります。
もちろん、色んなパターンがあるので、それも絶対ではありませんがね。
最終的には、その症状を、どう理解してもらうかなんだと思います。
痛い→治療→楽
ではなく、痛い→何故→理解→治療→楽→意識
というような手順を踏まないと結果は良くなるとは思えません。
ある程度のところで留めておくことが、その人の力を育てることになる場合もあるということを治療家も忘れてはなりません。
そのあたりを深く考えない治療は、治しているのではなく、悪くしている。
そんなふうに考えられます。
これは、私自身への戒めとしても、それをしっかり意識していかなければと思っています。
結構難しいことだと思うのですが・・・。