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Things

オーディナリー 上

2024.05.04 17:11

※地獄の沙汰をも飲み込んで 現行未通過❌️








破裂音の残響が鳴り響いている。



それは悪戯に命を奪う為に発せられた凶弾か、はたまた忠義を守り抜く為の義勇の一撃であったのか。

どちらとも判別はつかない。何故なら凶弾の狙撃手は、それから一度の瞬きもせぬうちに唯の骸と成り果てたからだ。

唯の骸。そう評する他ないほどに、取り留めのない男だった。

少なくとも彼の命を奪った張本人たる、伊武にとってはという話であるので世間のそれとはかけ離れているかもしれない。


男はブリーチを掛けすぎて色味を失った粗雑な金髪を、更に煩雑に半端に伸ばしていた。

黒地に派手な鯉のプリントが入ったシャツを、恐らく鯉は滝を昇って龍になったという伝承から誰彼にも古くから愛された意匠であるからその様な意味合いで威勢よく着込み、あまり質が良いとは言えないぎらついた金のネックレスを首から下げたヤクザ者である。

見目はあからさまに堅気とは言えない男で平板な男と呼んでは本来差支えがあるのだろうが、正しくヤクザ界隈に身を置く伊武にとってはやはり、平素よく見かける変哲の無い男だったのだ。

見るからに下っ端、鉄砲玉と称して障りない様相からすると、もしや昇り龍の意味も知らずに意匠を選んだかもしれないと、そうした穿った目で見る程度には小物めいた凡夫である。

そんな代わり映えの無い男が黒光りする凶器、銃を腰元より抜き出したのが事の発端だった。


伊武はやはり彼と同じくヤクザ者である。

黒いスーツに赤いシャツと多少彼よりも身なりは整っているが、それも例えばヤクザ者としての地位が高いとか、そういったものを表す基準ではない。

冒涜的なかの神にそのように作られたからだ、としてしまうのが真実ではあるのだが、それでは味気ない。

そうして生み出された伊武が今もなお、同じ井出達を貫いている理由を語る方が雄弁であろう。

伊武を拾い上げた組織、トップに鎮座する所謂親分というものか、彼は伊武の容姿を大層気に入った。

無論妙な意味ではない、曰く箔が付くというのだ。

釣り気味の目には傷跡を擁して凄味があり、暗い紅玉の瞳を抱いている。

腰まで伸びた長い黒髪は癖もなく真っ直ぐで、ひとたび刀を握らせ戦場に放てば荒神鬼女

の如く艶やかな髪は乱れて空を舞った。

広い肩幅としっかりと筋肉の乗った身体をシンプルなスーツが包めば、下手に体をひけらかすよりも威圧を伴う。

そんな男が、殊勝に傅き、頭を垂れる。これを受けるのが心地よいと親分は言うわけだ。

ここだけ切り抜けば優越感を得る為だけのお飾りのようにも思えるが、そうではない。

伊武の威圧感というのは、敵にこそより一層に発揮された。

そしてこれだけの男を飼っているのだと、勝手に向こうが警戒をする。

ヤクザなどは日々暴力や争い事にせっせと邁進していると思うだろうが、それは事実とは異なる。それではどの組織も疲弊してしまうだろう。

何か起こしてからではもう遅いぞと、立ち上がらせたらただでは済まさないぞと、四方八方に威嚇をし、更に怯むでもなく同じ強さで威嚇を返して拮抗していると見せかける。

要はいかに見栄と矜持のバランスを保つかと言うことがヤクザという職業の、平素の業務なのである。

些末な諍いごとを起こさずに済むならはったりだって有効なのだ。

つまり、そうした意味で伊武の迫力ある井出達は好まれ、伊武自身もならばこのままで良いだろうと受け入れて今に至る。


そして、そのように使い勝手が良いと思われている伊武が時折使われる業務が護衛である。

要人を護り、衛るもの。字だけ読めば崇高な仕事にも思える。

だが其処は前述のように見栄とはったりで生きるヤクザ者の世界だ。護衛と言うよりは威圧、脅しの為に傍に侍らせたというのが精々本懐であろう。

それがどのような話し合いの場であったのか、伊武は仔細を知らない。

所詮使い勝手良く使われている下っ端に過ぎないのだ。伊武当人も。

親分のお気に入りという事で下卑た勘繰りを持ったり、口差がない者も居るには居るが、上層部が何をしているのかも、どんな話をしているのかもほとんど聞き及んではいなかったから、大抵は伊武本人の無知と桁外れの喧嘩強さに”成る程用心棒か”と勝手に納得する。

常日頃の様子と変わらず、今日も伊武は中で親分が誰と何の話をしているのかも知らず、周囲を警戒という名目でぼうっと小料理屋の前に突っ立っていた。

名目とはいえ護衛と警戒なのだからぼっとしていて良い訳はないのだが、四六時中ピリピリしていろという方が到底人間には無理なのだ。

何も怠けていたわけではない。視界の端に異物が映り込まないか、鋭感を走らせながら時折ぽつりと最近晴れた日が続くな等と日常的で曖昧な感想を浮かべていただけである。

しかし、張り巡らせていた鋭感に一瞬のざわめき。

風もなく静かに湛えていた桶の水に、一滴の雨雫が落ちるがごとく、小さな波紋が起きて大きく、大きく広がった。


小料理屋の斜向かいにあった路地から不意にぬうと件の薄汚れた金髪の男が現れたのだ。

明らかに堅気ではない雰囲気の男は足元を僅かによろめかせながら、それでも真っ直ぐに伊武と、もう一人の同胞が立つ小料理屋の門戸へと向かってきた。

走り出すでもない不安定な足元と、どう思索しようと警戒区域であろう其処に歩みを詰める様には理性は感じられなかった。もしかすると非合法な薬の常習者かもしれない。

同胞が「てめぇなにもんだ」と大声を張り上げた。

あまりにテンプレート、お仕着せの台詞だがそうして目立つ声を上げることで彼はまず第一の警戒態勢を展開したのだ。

入口に立っていた伊武と同胞の二人だけでなく、店の中まで随従した仲間たち、少し離れた所に待機させている別動の者に、望まぬことが起きたと報せるために。

鯉の泳ぐシャツの裾から抜き出した黒光りする拳銃、その銃口を向け何事かもごもごと喋りながら突進してくる奴の瞳孔は開ききっていた。

きっとほんの数秒前に持った印象、薬中患者であろうという差別的極まりない感想はきっと合っていたのだろう。

これ程無計画で馬鹿正直に正面から突っ込んでくる敵が、何を成せるというのか。

成せる筈がない。無いからこそ奴は捨て駒、万に一つでも奇跡が起きてみれば面白いという程度の鉄砲玉であることが分かる。

想像に難くなく、店内と付近で待機していた仲間達がぞろぞろと小料理屋の前に集結し、勿論万一の奇跡など起こりもせず事態も収束する。

店の中に同行しながらも一番入口 -この場合は出口だが -に近い場所に待機していた兄貴分の言によると、扉を開いた瞬間嗚呼もう終わったのかと安堵したらしい。


非常事態発生と察して木戸を乱暴に開け放った瞬間、目の前に広がっていた光景は悪漢が敬愛すべき親分を狙って拳銃を振り翳す姿ではなく、くすんで黒と混じった血飛沫の舞、輝かんばかりに研がれた銀閃、それから躍る鬼女の髪だと認識できたからだった。

銃声はした。高々と非日常を携えて暴虐的に鼓膜を揺らした破裂音。

銃口から放たれた恐るべき殺戮の凶弾は、しかし到底標的であっただろう親分に届くものではなかった。

男が銃を構えた、そのほんの一秒にも満たない刹那的な過去に、既に伊武は刀を抜き放って振るっていた。

達人の居合ともなれば刀の切っ先を見ることも叶わず、気が付いた時には真っ二つの的が出来上がっていると言うが、組の同胞達は伊武の刀もそれだと思っている。

当人に言わせると居合ではなく抜刀術だと言うし、達人とは殺人剣ではなく活人剣でどうとか無駄に講釈が始まるので誰ももう口に出しはしないのだが。

但し威力としては引けを取らない伊武の抜刀、温い空気を切り裂いた銀閃は文字通り目にも止まらぬ速さで怪しい男の胸元を切り裂き、汚い悲鳴と血飛沫を上げさせた。

どこの組のものなのか吐かせなければならないから殺すな、との言いつけ通りほんの半歩だけ踏み込むのを浅くして。


「仕事が早ぇなあ」


組の者たちがならず者を取り囲み、なんだかんだと今更ながら強面を突き合わせていたところ、店の中から現れた男がのんびりと口を開く。

一目で上等だと分かる光沢のあるガンメタルグレーのスーツ、併せのベストはダブルボタン。

シャツは皺一つない黒で、ネクタイにはちらりと海外の高級老舗テーラーの印字が見える。

白髪の混じった髪をオールバックに撫でつけた初老の男性で、穏やかな口調に見合わず瞳は蛇のように淫猥にギラついている。

伊武が所属する指定暴力団、それを束ねる組長その人だった。

一応騒動は片付いた後とはいえ、ひょっこりと顔を覗かせた緊張感のない彼に、伊武は一瞥だけ返すと、懐から取り出したハンカチで刀の返り血を拭った。


「話は終わったんですか。」

「ああ、もう終わったよ。お前さんたちがいい子にしていてくれたお陰でな」


まるでたった今起きた狂騒劇を日常茶飯事だと意にも返さずゆるりとした口調、そして穏やかな所作で片手を上げて部下たちの気を引くと、「死なせるな。先生の所に連れて行け」と、指示を下してゆっくりと店の門戸を潜っていった。

先生と呼ばれる男には、伊武も何度か会ったことがある。

医師免許を持たずに医療行為を働く者…所謂闇医者で、組と懇意にしている男のことだ。

恐らく今しがた切り捨てたこの鉄砲玉の男を死なせない程度に治療させ、どこの組に雇われたのか、本気で組長を狙ったのか、他に企みはないのか吐かせるのだろう。

拷問といえばヤクザ者たちの出る幕ではあるが、もしかしたらこの闇医者の暗く淀んだ月色の瞳で射抜かれながらメスに傷口を抉られるだけで、並の男は泣いて許しを請うかも知れない。

そういう、どうも得体のしれない雰囲気のある男なのだ。

伊武は組に所属してから自身が大怪我をしたことはないが、怪我を負った同僚だの、情報を吐かせたい薬漬けの女だのを預けた時など、自分はなるべく世話になりたくないと本能的に思ったものである。


少し離れた表通りにて、外車特有の低いエンジン音が走り去っていく音が耳に届く。

今日の仕事は終わりだとも着いて来いとも言われていないが、元より今日も其処に立っていろとしか指示を受けていない。ヤクザ業は就業で構わないだろう。

見上げればまだ日も高く、少々乾燥気味の空気が流れて青い空が広がっている。

少し前にぼんやりと思い浮かべた晴れた日が続くという感想は、きっと明日まで引き継がれていく。


伊武は付着した汚れを拭ったハンカチと、鞘に収めた刀を店の中で会計諸々の片付けに従事する同胞に渡すと、己を見下ろして、返り血を浴びていないか確認した。

常日頃から変わらず黒いスーツと赤いシャツなのだから、掛かったところで目立つでもないがそれを見つけられては要らぬ心配をかけてしまう相手がいるのだ。

スーツに、シャツに、手に、髪に、返り血は浴びていないか。

妙に埃っぽくなっていないか、裾が寄れていないか、髪は乱雑に絡まっていないか。

思春期の女子よろしく一通り己のチェックを終えてから、さてと踵を返して表通りへと足を進め始める。

広がる快晴。

まだ仕事中であろう彼は、こんな日は外に出てせっせと芽を出し始めた野菜の世話をしているに違いない。

堂々と敷地に入るのは憚られるが、遠目から眺めるくらい良いだろう。

なんなら今日は時間もまだ早い、先日彼と歩いていた時に見つけた新しい和菓子店で、季節らしい菓子を買うのもいい。

取り留めのない出来事、取り留めのない思考。

こうして全くもって平凡で、何くれと変哲のない、伊武の日常は暮れていく。





2024.5.5 初稿

(4732字)