【四谷 横町(横丁)】貧乏横丁
2018.12.01 07:52
横町(横丁)名:貧乏横丁
読み方:びんぼうよこちょう Bimbō-yokochō
区分:横町(横丁)
成立:江戸期
廃止:不明
現町名:新宿区南元町
概要:『町方書上』には元鮫河橋仲町の二ノ橋より元鮫河橋表町へ出る道は「貧乏横丁」と称されたとあり、また『御府内備考』には二ノ橋から元鮫河橋表町へ出る往来の右側を「貧乏横丁」といったとある。鮫河橋界隈がスラム街だった頃の称だが、直接表現過ぎて身も蓋もない。この辺りはその後、宮内庁用地となり、道等は大分変わってしまっている。なお、桜川支流鮫川は埋め立てられ、二ノ橋も存在しない。貧乏横丁のあった位置は全て新宿区立みなみもと町公園の敷地の中であり、サッカー・コートとして使用されている多目的広場中央部辺りが二ノ橋の架橋位置となる。そこから公園南端に向かい、投擲壁のある辺りから道路を越え、ガーデンヒルズ四ツ谷迎賓の森のほぼ中央を貫く辺りが貧乏横丁であった。
現在は東宮御所、赤坂離宮迎賓館、明治記念館に隣接した静かな町で、瀟洒なマンションも建ち並ぶ。切店があって夜鷹も出、水捌けが悪くて土埃が舞い、残飯屋に群がる貧乏人が肩寄せ合って生きていたという貧民窟の面影などこの辺りには微塵も残っていない。それもそのはず、明治期には行政によるスラムクリアランスのために土地の買い上げがあったり、関東大震災での壊滅があったりして鮫河橋の貧民窟はその頃に解消されたのだから。
撮影場所:貧乏横丁