目にはみえないもの
大正時代や昭和初期の古い指圧の本を読むと、“霊”という文字がたくさん出てきます。
“霊力”をもっておこなう、とか。
“霊感”を発揮して、とか。
“霊療術”とか。
そういえば、レイキヒーリングのレイキも、“霊氣”と書きますね。
“霊”というとなんだか怪しい感じがします。
でも、これらを読み進めていくと、“目には見えないけれど大切なもの”という意味でこの文字が使われていることがわかってきます。
陰は見えていない根っこの部分。
陽は見えている枝葉の部分。
これを踏まえると、“霊”は陰です。
対する陽とはなんだろう、と考えてみると、それはやっぱり目の前にある“身体”ということになるのではないでしょうか。
こころとからだ。
ああ、なるほど。
指圧は心が大切なんだな。
そんなふうにこれらを解釈できるようになって以来、私は“霊”という文字に優しさや親しみを感じるようになったのです。
さて、早いもので新生活の時期もすでに一カ月ほどが経過しようとしています。
これから治療家を目指す人達に、どんな治療家になりたいかを尋ねると、きっと色々な答えが返ってくると思います。
“なんでも治せるすごい治療家”
“知識や経験が豊富な治療家”
そんなふうに答える人は、それを叶えるために、たくさんの勉強会や書籍などに触れ、勉強や臨床を重ねていくでしょう。
とても素晴らしいことです。
一方、
“相手の心に寄り添うことができる治療家”そう答える人がいたとしたら、どうでしょう。
どうしたらそうなれるでしょうか。
ひたすら勉強や経験を積んでいけばそうなれるのかというと、どうやらそうではなさそうですよね。
前者は、前へ前へと突き進む“陽のタイプ”だとすれば、後者は“陰のタイプ”です。
陽の性質は、時に繊細になっている陰を傷つけてしまいます。
そう。見えない心を大切にできる治療家になるのはとても難しいのです。
きっとそんなことも含め、“霊”という言葉を使って現代にその大切さを必死に伝えようとしてくれていた先人達。
これらの古い指圧の本達に改めて敬意の気持ちを込めたいと思います。