Ameba Ownd

アプリで簡単、無料ホームページ作成

A.Hashimoto's blog

『洟をたらした神』

2024.05.05 00:45

 吉野せいが作品を残そうとして書き始めたとき、彼女は70歳を過ぎていた。私が持っている吉野の作品『洟をたらした神』(中公文庫)には16篇の随筆が収められている。70歳を過ぎて書き始めたのは事実だが、家族が食べて(生きて)いくための農業の傍ら、詩人の草野心平らとの交流があり、夫の混沌も農民詩人だった。第二次世界大戦をはさんで、大自然と時代の治世の過酷さに翻弄されながらも農民(貧農)として真剣にそして凄絶に生きて、それでも母としてひととして愛も情けも失わずに生きた日々、体内に収めきれない心情吐露を包紙の裏などに日記のように書き溜めていた。その筆力、あるいは洞察力を知っていた草野心平は、「あなたは書かなきゃならん」と半ば哀願のように吉野に迫る。

 たった1冊。田んぼの中の雲雀(ひばり)の母性、小さな梨花が母の腕の中で冷たくなっていく無念さ、農作物を獲られる側と獲らねば今すぐにも我が子が餓えてしまう「いもどろぼう」の悲哀を、この作品が無ければ私は知り得なかった。

 少し先輩の友人から素敵な自著が送られてきた。深い美しいあずき色の表紙に渋い金色のタイトル。いかにもその方らしい淡々と越し方と現在が綴られている。でも淡々に、ではあるが、そこにはその方が出会った多くの知識人や知人・友人の想いが巻き込まれている。意図しようとしまいと、一冊として形をとる重みとはそういうことだ。それは吉野の一冊と同じ。絵でも工芸でも曲でもそうなのだと思う。あるいは映画のように総合芸術で誰かの作品の応援で、でも。誰もが時代の子だから、1人ひとりの愛別離苦をそっとでもきっちりとでも残すことは、とてもとても貴重なことだと思う。