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いろはうたう

枯れ木に水を

2024.05.06 09:00

 彼は庭の枯れ木に毎日水をあげていた。彼の行為は隣人にとっては迷惑この上ないものだ。枯れ木は日照を遮り、隣人の庭を薄昏くしていた。彼が水をやることで枯れ木が生き返るわけでもない。木の根元には小さな草花が生えていたが、枯れ木の存在により光も栄養も得られずにいた。


 彼は自分の行動がどのような影響を及ぼしているのか理解していたが、それでも水をやり続けていた。彼にとって枯れ木に水をあげることは、日々の生活の中で唯一変わらない日常の一部であり、自分自身を見失わないための儀式だった。彼は自分の生活費を削り、借金をしてまで枯れ木に水と栄養を注ぎ、その延命に努めた。


 隣人は何度も、彼に枯れ木をどうにかするように頼んだが、彼は耳を貸さなかった。彼の行動は自己満足に過ぎず、他人への配慮はなかった。彼は自分の行為によって隣人に迷惑をかけていることを知りながらも、それを止めることはなかった。隣人の不満を知りつつも、枯れ木に水をやり続けることを選んだ。彼はその行為によって自らの心の平穏を保ち、日常の喧騒から逃れることができると信じていた。


 しかし、隣人の不満は日増しに高まり、ついには村の集会で議題に上がることになった。集会の日、村人たちは彼の家の前に集まり、隣人は彼の行為がどれほど迷惑であるかを訴えた。彼は静かに耳を傾けていましたが内心では葛藤してた。彼は自分の行動が他人に迷惑をかけていることを理解していたが、枯れ木への愛着を捨てきれなかった。


 彼は立ち上がり、村人たちに向かって宣言した。

「私はこの枯れ木に水をやることで、自分を見つめ直す時間を持っています。しかし、皆さんに迷惑をかけていることもわかっています。ですがどうしても、私はこの枯れ木に水をあげることをやめられません。皆さんのご迷惑をおかけして申し訳ありませんが、どうか私の行動を許してください」


 彼は深々と頭を下げ、涙を流して土下座した。村人たちは困惑しながらも彼の意思が固いことを理解した。

「わかった、君の気持ちは理解したよ」と一人の村人が言葉をかけた。

「でもな、君の行為によって我々は困っているんだ。だから、もう少し配慮してくれないか?」

 彼は静かに頷きながら答えた。「わかりました。具体案はありませんが、これからは隣人への配慮も忘れません」


 村人たちは彼に同情しながらも、彼の行動を黙認することを選んだ。彼は自分の行動が周囲に迷惑をかけていることを理解しながらも、枯れ木への愛情を捨てられなかった。そして、村人たちからの理解を得ることで、彼の中にある罪悪感が少しだけ和らいだ気がしたのだった。


 時が流れ、木は朽ちたままだ。年老いた彼は庭の手入れもままならなくなり、庭には枯れ落ちた枝が散乱している。相変わらず隣人から苦情を受けているが、彼にとっては別にどうということもない。


 ある日、彼は庭で倒れているところを発見され、病院に運ばれることになった。彼の入院生活は長く続き、やがて彼は自分がなぜ入院しているか理解できなくなった。それでも庭の枯れ木のことが彼の頭から離れることはなかった。彼が病院の中庭で一人佇んでいると看護師が声をかけてきた。

「ここにいらっしゃったんですね」と看護師が微笑みながら言う。

「なぜ、私はここにいるのでしょうか?」彼は看護師に尋ねた。

「あなたはずっと前からここにいましたよ」と看護師が答えた。

「でも、私は木に水をあげることをやめてしまいました」彼は途方に暮れていた。

「もう枯れ木に水をあげることはできないのです」


 看護師は微笑みながら言った。

「大丈夫ですよ。枯れ木に水をあげなくても、あなたの愛は伝わっています」

 彼は看護師の言葉の意味が理解できなかった。それでも彼女の笑顔を見て少しだけ心が軽くなった気がした。