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ZIPANG-8 TOKIO 2020 人が微笑む 「心の文明」  2−6 〜本物の未来は日本の田舎にある〜     【寄稿文】一舟・光秀

2024.05.05 16:05


令和6年1月1日午後4時10分頃発生した、能登半島地震で被害を受けた皆さまに、
心よりお見舞い申し上げます。(編集局)


消滅可能性自治体744市町村一挙公開の無責任への提案
消滅が始まった日本の心を、伝統のデザイン・色彩が救う


世界平和と人類の幸せな近未来の手本は日本にあると言う

日本の「新たな心の文明」は、限界集落、消滅可能性自治体にこそ希望の光がある。小さな村から、全国の故郷を展開している地域、自治体の活躍実績展開を、身近なところから再見したい。


年一に行く、限界集落と自負し努力する小川村お焼きの里は、限界集落を卒業したようだ。全国の無数の消滅可能性自治体が取り組みたいことは、存在するそれぞれの特徴を活かすこと、少子高齢化のことも近隣地域との機能的その他の連携で、一つの圏域として考える対策を。自治体と住民が融ずうむげに向こう三軒両隣の共有意識で、機能的に分担する他との共同が、互いに生きる方法である。


日本の消滅可能性自治体の本質を知ろう

先日消滅可能性自治体が一挙公開されたが、責任は政府だけではなく国民の政治へ無関心と無知を解消することにある。
今政府の叫ぶ憲法改正さえ、最も根本的な米国の間接支配の縛りから議論せず、経済の発展の表層での再軍備の増強を目的にするのでは、憲法改悪を次世代に残すことになる。
この平和ボケの日本の未来が、人類の在り方として評価されるのには忸怩たるものがある。


日本は捨てたものでもない、と思う嬉しくなる活動に出会う

少子化は事実大都市にあっても日々空き家空き地化が、かなりのスピードで進んでいる。
戦後のゼロから発展の復興とは異なり、ゼロへ向かう重大な転換期であることは間違いない。


近未来がどう変貌するかに具体的な政策もない政府も、都市計画、建築、その他インフラのあり方も議論されないまま、大プロジェクトも個々のものごとも、ビジネスも仕事も、従来の延長の惰性で進められている。


だが未来像を描けず国や知識人の他人事のような鈍い反応を尻目に、変貌する現状に危機感を察知し、冷静に穏やかに独自の判断で未来予測に対応している意識ある人達、自治体の良い事例はすでに全国に数多くある。これこそが廃れゆく物質文明の経済・産業技術の日本の現状を救う「心の文明」なのである。


現在日本人は大きな伝統的屋敷などが取り壊され、マンションや、小割にされ住宅が建つ、あるいはコンビニなどに、人の暮らす環境や風景の変貌に無意識に慣れつつ生きている。

これも自然な変化として見過ごしていくしかないと、目先の経済活動に流され、他の意識の高い自治体やグループのようすを見て、なんとかなると楽観的に日々を送っている。


こんな状況の中で全国どこにでもそれぞれの問題に取り組んでいる少数の人たちが存在することはとても心強く思う。


日本の恩人二人の西欧人から学ぶ

このような日本の現実に、泰然自若として物事を考える参考となる人物、二人の西欧人から学ぶ。


一人は 日本人向けの最高の賛辞と勇気を説いた、レビ =ストロースである。この20世紀最大の人類学者は、西欧一辺倒の平和ボケ日本人に優しく喝を入れてくれた恩人である。


今一人は日本の安全な 国土作りに実直に貢献した「ヨハネス・デ・レーケ」である。


デレーケの実績はご存じ安全な治水の国土造りですが、この地方の田舎の文化、芝居小屋にまで影響していたのである。


レビ =ストロースは「ブリコラージュ」(日曜大工)文明、つまり日本の縄文の石器時代と現代技術の一環を評価した日本文化の礼賛者の言を、偶然TVで以下の考えを知り、深く尊敬の念を頂いた。以下はその言葉の記憶である。


「日本の人々が 過去の伝統と現在の革新の間の得難い均衡を
いつまでも保ち続けられるよう願わずにはいられません。」


それは日本人の為だけにではありません


人類の全てが学ぶに値する一例をそこに見出すからです
都市部では科学技術によって 自然や文化を変革
山間部では 昔ながらの文化を守る 
伝統と革新を両立させる知恵 伝統的な食文化も守られてきた・・・。


と言う世界的人類学者の、なぜこの当たり前の、当然のことを日本人は、自らもっと自覚し明言実行出来ないのだろうか。そして混濁した無惨な国土の風景に改善の方策をさえ叫ばないのだろうか。


まさに筆者も叫び続けてきた「風土と伝統を活かして未来を創る」と同じ、日本人が忘れ欠落した文化意識にこそ、未来の人類の基本思想を開くとレビ =ストロースは生前に説いたのだと思う。


日本の文化の基本は地方にあり、木の文化である


今回は最近訪れた二.三の例からその片鱗を見ていただきたい。

愛知県は寺が日本一多く、南アルプスにかけて、子供歌舞伎から伝統芸能も多く残り、住民が心から伝統芸能を愛する例は、東三河、東濃の信州に至る中津川に続く街道筋にはいくつもの「地歌舞伎」保存会があり岐阜県内では5市町7団体の文楽・能団体が活動し、
山間部集落にも住民の大変な熱意と努力で生き残っている。


江戸の昔から歌舞伎など地域住民の子供から大人までが自ら演じる文化的教養があった。今も住民の力で厳然と存在する日本人の心の文明の故郷である。国土のバランスが保たれてきたその原点は、平和で豊かな風土に育まれた江戸文化のエネルギーがあっての日本であった。


現代日本の表層の刹那の受動的で騒がしき娯楽文化の毎日では、日本人の築いた木の心の文明は痩せてしまう。


限界集落とは国の経営、政治の貧弱に原因がある。ドイツやフランスなどいずれでも、国土のバランスを国全体を視野に経営している。


やがて日本の人口は8千万人の江戸期同様になる時、世界もその後に続く百億人到達の後の人口減少子高齢化も、世界の国々が心の時代の手本として、日本を今のような雑なオーバー観光ではなく、未来に向け均衡のとれた施策を考えるヴィジョンと指導者をも育てる国になることを願う。


日本が7割以上を占める森林の、実に平和な環境にある奥三河の田峰観音の参道の春


その境内にある子ども歌舞伎座の公演後の整然とした佇まいも木の文化である


手づくりの奥三河七観音案内図


いかにも自然に穏やかな風景に現れる常盤座


神社と地域の暮らし環境が一体の常盤座の美しい周辺風景


住まいも仕事場とも自然環境と一体で実に美しい


中津川市の山間にある加子母の明治座周辺


住民が地域産の木材で再建した本格的歌舞伎座正面


250人収客の館内と案内説明は丁寧で見学者が遠方からも多数


板一枚に来訪者のサインと寄付が活動の持続になる


地域の男は力仕事で、女性の皆さんは各自の想いを緞帳幕に表現した


奈落の地下まで見学コースとして誘導する手際の良さ


道の駅きりら坂下にはこんなコーナーも


江戸期から続く木材の産地は著名な木製の釣り橋「村瀬橋」もある


中津川市内は伝統的な環境がとても豊かにある


自然素材色と究極の建築空間システムは日本文化の揺籠である


日本人が美しく見える、今後進めるべきバラック環境改善の素敵な一例、
白黒グレー自然色の街並みも美しい


続く・・・



寄稿文 一舟・光秀(林 英光)



環境ディレクター
愛知県立芸術大学名誉教授
東京藝術大学卒業


※画像並びに図表等は著作権の問題から、ダウンロード等は必ず許可を必要と致します。

発行元責任者 鎹八咫烏(ZIPANG TOKIO 2020 編集局)



アーカイブ リンク記事をご覧ください。


明治座とは

明治 6 年「喜昇座」として開場し、その後、「久松座」「千歳座」を経て、 明治 26 年に「明治座」に改称されました。以来、大正・昭和の激動の時代に焼失・再建を経て、創業 120 周年の節目である平成 5 年に新装開場し、 現在に至ります。 創業以来、歌舞伎、新派、スター歌手公演、テレビドラマ作品などから、近年では有名アイドルグループの座長公演などジャンルの垣根を越えたエンターテ インメントを提供しています。


本企画にあたり明治座では、高輝度プロジェクター及び常設設備としては国内最大級となる緞帳サイズのスクリー ンを導入。今後ますます需要の高まるプロジェクションマッピングを用いた舞台演出やライブビューイングを始めとした映像コンテンツの上映など、新しい時代のニーズに対応していきます。 創業 145 周年を迎え、東京で最も歴史のある劇場として、時代の変化に合わせて常に新しい事に挑み続け「お客様の感動こそが商品」をモットーに、日々日本の演劇・芸能文化に貢献し続けています。

明治 6 年(1873年)4月「喜昇座」

明治 12 年(1879)年 「久松座」新築開場時。


明治 26 年(1893)年 「明治座」新築開場時。文明開化の薫りのする立派な建物ですね~


平成30年(2018年)は、明治元年(1868年)から満150年の年に当たります

明治以降、近代国民国家への第一歩を踏み出した日本は、明治期において多岐にわたる近代化への取組を行い、国の基本的な形を築き上げていきました。


内閣制度の導入、大日本帝国憲法の制定、立憲政治・議会政治の導入、鉄道の開業や郵便制度の施行など技術革新と産業化の推進、義務教育の導入や女子師範学校の設立といった教育の充実を始めとして、多くの取組が進められました。


また、若者や女性等が海外に留学して知識を吸収し、外国人から学んだ知識を活かしつつ、単なる西洋の真似ではない、日本の良さや伝統を活かした技術や文化も生み出されました。


政府では、「明治150 年」を迎える平成30 年(2018 年)を節目として、改めて明治期を振り返り、将来につなげていくために、地方公共団体や民間企業とも一緒になって様々な取組をしています。

               内閣官房「明治150年」関連施策推進室


(詳細は下記のURLよりご覧ください。)


ZIPANG-2 TOKIO 2020 ~明治座 創業 145 周年記念~ 「明治座 × チームラボ」 伝統と革新 明治時代の日本橋の町の賑わいをデジタルで緞帳に描き出す~ 4月11日公開~
https://tokyo2020-2.themedia.jp/posts/5647639



日本最古の歴史をもつ劇場 京都「南座」について


懐かしい京都「南座」思わず大向こうから声がかかりそうですね「よっ〜南座!」・・・


洛中洛外図に描かれる発祥期の南座 東京国立博物館 所蔵


歌舞伎の祖・出雲の阿国が「かぶきをどり」を演じたとされる京・四条河原に建つ南座は、 元和年間(1615~1621)に官許された七つの櫓(芝居小屋)の歴史と伝統を受け継ぐ劇場として、江戸時代から平成の今日まで歌舞伎発祥の地で悠久四百年にわたり歌舞伎を上演し続けてきた、日本最古の歴史を有する劇場です。


明治39年より松竹の経営となり、京の年中行事である顔見世興行の連綿たる伝統を守るとと もに、大正2年、昭和4年の二度の改築を経て、元和以来の歴史を受け継いでいるのです。


昭和4年(1929)に当時の技術の粋を尽くして竣工した現在の南座は、官許の証である櫓を備 えた桃山風、破風造の外観を特徴とする建築であり、日本を代表する劇場のひとつとして、 戦前、戦中、戦後の混乱期にも演劇の灯を絶やすことなく、建築以来八十余年の風雪に耐え て皆様に愛されて参りました。


さらには耐震補強大規模改修工事を終え、平成 30 年(2018 年) 秋竣工した現在の京都・南座は、京都の歴史的景観に溶け込んだ桃山風破風造りの 近代名建築の外観を維持保存し耐震強化を図ってあるのです。


京都の歴史的景観に溶け込んだ名建築は、国の登録有形文化 財に登録され、京都市の歴史的意匠建造物にも指定されております。

日本を代表する国際文化都市・京都に立地し、日本最古の歴史を持つ劇場・南座の価値を最大に活かして次代に継承発展することをコンセプトに「伝統的な古典芸能」から「新たなライブ・エンタテインメント」まで、年間を通して幅広い文化を国内外へ発信する劇場へと新たに生まれ変わった京都「南座」。


(詳細は下記のURLよりご覧ください。)


ZIPANG-3 TOKIO 2020「日本最古の歴史をもつ劇場南座『京都ミライマツリ 2019』に最新テクノロジー+現代カルチャーのネイキッド参加!」
https://tokyo2020-3.themedia.jp/posts/5920503/



明治34年開館 近畿最古の芝居小屋

✜ 出石永楽館 ✜ 


兵庫 出石(いずいし)「永楽館」外観


1階、2階あわせ350席あります。2階席上の壁には、当時そのままの看板が掛けられており、懐古感の演出が行き届いている。高齢者のための椅子も用意されている。


一度は閉館するも、44年の時を経て奇跡の復活を遂げた出石永楽館。
全盛期の大正時代の姿が忠実に復元された、貴重な劇場機構は必見です。


出石永楽館は、明治34年に開館した近畿最古の芝居小屋です。歌舞伎をはじめ新派劇や寄席などが上演され、 但馬の大衆文化の中心として栄えましたが、テレビの普及や娯楽の多様化などにより昭和39年に閉館しました。


その後、地元から復活を望む声が高まり、約20年にわたる復原に向けた活動を経て、平成20年に44年の時を経て蘇りました。


歌舞伎俳優の片岡愛之助さんが出演する永楽館歌舞伎は、今や出石の一大イベント。 初日を前に行われるお練りには、出石の人口を遥かに超える4万人もの人々が詰めかけます。


片岡愛之助と言えば、半沢直樹シリーズで演じるオネエキャラ…金融庁の黒崎監査官が台湾でも大変な人気だそうで・・・


(詳細は下記のURLよりご覧ください。)


ZIPANG-4 TOKIO 2020「古事記」「日本書紀」にも登場する日本の小さな城下町〜古代の面影を保ち続ける出石町の佇まい〜(その1)
https://tokyo2020-4.themedia.jp/posts/10385300



石見神楽 「儀式舞」と「能舞」


石見神楽 能舞 見事鯛を吊り上げ大喝采


石見神楽

日本神話を題材に、独特の哀愁あふれる笛の音、活気溢れる太鼓囃子に合わせて、金糸銀糸を織り込んだ豪華絢爛な衣裳と表情豊かな面を身につけて舞う石見神楽は、島根県西部の石見地方に古くから伝わる伝統芸能です。


石見神楽 演目紹介

石見神楽の演目には「儀式舞」と呼ばれる神様へ祈りを捧げる舞いと、「能舞」と呼ばれる豪華な衣裳や面を付けた神や鬼が神話に沿ったストーリーを舞うものと2種類あります。

まず、「能舞」の中から人気演目をピップアップしてご紹介いたします。


能舞とは・・・


(詳細は下記のURLよりご覧ください。)


ZIPANG-4 TOKIO 2020  ~ なつかしの国 石見 ~(3)石見神楽 「儀式舞」と「能舞」人気16演目とは!
https://tokyo2020-4.themedia.jp/posts/7802000




景観とは

景観とは、山があり、川があり、まちがあるという目で見える「景」と、人が目にし、感じること「観」で捉えられる、まちの表情や印象です。


景観を形成する要素は、山、川などの自然、建物、道路、公園などの町並み、地域の活動や祭り、行事などの人々の活動が一体となって構成されるものです。


良好な景観として認識される多くのものは、そうした目に映るまちの景色だけでなく、地域における人々の生活や生業及び風土などの文化的・歴史的な心に息づくものまで幅広いものを捉えます。


良好な景観は、自然等の地域資源の上に長い歴史を経た人々の営みが徐々に積み重ねられ、住民によって形成された一つの作品であり、住民共有の「宝」であると言えます。


奥出雲町紹介

平成17年3月に旧仁多町と旧横田町の合併により誕生した奥出雲町は、島根県の東南端に位置し、中国山地の嶺を隔て広島県と鳥取県に接する、神話に名高い斐伊川※の源流域にあります。


※斐伊川・神戸川の概要

斐伊川は、その源を島根県仁多郡奥出雲町の船通山(標高1,143m)に発し、起伏が穏やかな中国山地を下り、横田盆地をゆるやかに流れた後、山間峡谷部を急流になって下り、途中三刀屋川等の多くの支川を合わせながら北に流れ、出雲市大津町上来原地先で斐伊川放水路を通して神戸川へ洪水を分派した後、下流に広がる出雲平野を東に貫流し、宍道湖、大橋川、中海、境水道を経て日本海に注ぐ一級河川です。


神戸川は、その源を島根県飯石郡飯南町の女亀山(標高830m)に発し、途中頓原川、伊佐川、波多川等の支川を合せながら北に流下し、出雲市上塩冶町半分地先で斐伊川放水路を合流して、出雲市を貫流した後、新内藤川を合わせて日本海に注ぐ一級河川です。


全国の皆様へ

奧出雲町からのメッセージをお届けいたします・・・

奥出雲 神々の国へ…絵にも描けない中国山地の眺め・・・


私たちのまち奥出雲町は、島根県の東南端に位置し、船通山、吾妻山を代表とする中国山地の嶺を隔て鳥取県と広島県に接し、神話に名高い斐伊川の源流域にあります。


八百万(やおよろず)の神々が集うといわれる出雲地方の中でも、この奥出雲の地は、古事記、日本書紀に登場するヤマタノオロチ退治の舞台で、ス サノオノミコトが降臨したと伝える出雲神話発祥の地として知られています。


また、古くからたたら製鉄で栄え、今でも世界で唯一、たたら操業を行 い日本刀の原料となる「玉鋼(たまはがね)」を生産することで、全国的に周知されています。


一方、地理的に山間の地域であるため、若者世代の流出や少子高齢化とい った大きな課題も抱えています。これまでのインフラ整備を中心とした施策 から、特産の仁多米、奥出雲椎茸、和牛、地酒をはじめ、自然に育まれた地であるが故に形作られた地域資源を活用し、新たな産物の開発など、地域ブ ランド化による産業の振興を進めています。


また、神話時代からの歴史文化や四季折々に彩られる恵まれた自然環境など豊富な地域資源を活かした観光の振興にも力を入れています。


さて、永い年月を経て時代や人々の生活との融和により形づくられてきた 今日の景観は、町民の心にやすらぎを与え、来訪者にも喜びと感動を与える かけがえのない共有の財産です。


いま、私たちは、この自然、歴史、文化、伝統に裏打ちされた美しく豊か なこのまちの景観を見つめ直す時がきています。皆がその大切さを改めて認 識し、また共有し、悠久の時をつないだ先人に敬意と感謝の念を抱きつつ、 私たちの子どもたち、またその次世代を担う人々が、この地に生まれ、育っ たことに喜びと誇りを感じられるよう継承することが求められています。


このまちの豊かな景観を保全、整備、活用していくため、景観法及びふる さと島根の景観づくり条例の理念並びに奥出雲町総合計画との整合を図りながら、景観形成基準の策定等を行い、奥出雲らしい良好な景観づくりを進めていきます。


(詳細は下記のURLよりご覧ください。)


ZIPANG-7 TOKIO 2020 《⽇本の景観》~アーカイブ~出石市、伊豆松崎町、輪島市、島根県奥出雲町、etc・・・(四季)

~景観とは~
https://tokyo2020-7.themedia.jp/posts/49048828



雲南の出雲神楽とは


雲南市 茅葺屋根の一軒家「神楽の宿」 大勢の観客は庭から見学


出雲神楽とは、岩屋戸から天照大神を引っ張り出したひとり 「アメノウズメノミコト」の舞をそのままに受け継ぐ、 出雲地方(島根県東部)に伝わる伝統芸能です。


古事記、日本書紀の「神代」には、 神楽の元となった出雲神話が多数挿入されており、 そこに登場するスサノヲ、オロチ、オオクニヌシ、イナタヒメ。
すべて雲南市を流れる斐伊川にまつわる神話です。


雲南市内には現在、15もの神楽社中があり、 出雲神楽は地域の郷土芸能として脈々と受け継がれています。


出雲神楽に共通する基本的な特徴

前段は、素面のまま手に採物を持って舞う舞が行われ「七座」と総称されています。

七座に続いて「式三番」が行われます。

後段に、神話や縁起などを素材にした着面による演劇舞が続き、神能と称されています。

以上の点が出雲神楽に共通する基本的な特徴になります。


(詳細は下記のURLよりご覧ください。)


ZIPANG-3 TOKIO 2020 人と神を繋ぐ伝統芸能(雲南市)「 うんなんの出雲神楽 ~前編~ 」
https://tokyo2020-3.themedia.jp/posts/6769204



島根県雲南市「八重山神社」


八重山神社

きりたった岩壁のくぼみに拝殿や本殿が建立されています。
松江藩ゆかりの牛馬の守護神であり、家内繁盛や病気平癒の神様としても有名です。

いったん火事で焼失しましたが、1734年に松江藩主によって再建され、
「一社一例国主守護之社」として崇拝されています。


(詳細は下記のURLよりご覧ください。)


ZIPANG-3 TOKIO 2020 人と神を繋ぐ伝統芸能(雲南市)八重山神社 の スサノオ伝説 とは 「 うんなんの出雲神楽 ~後編~」
https://tokyo2020-3.themedia.jp/posts/6781551



紅葉の長野県 南信州「遠山郷」


霧が消えると突如急斜面に「下栗の里」が現れる、秋山郷栄村を想いだす・・・
きっと祖先は平家の人たちに違いない…

赤石山地西麓を走る中央構造線に沿って連なる細長いV 字状の峡谷、ここが霜月まつりを伝えている遠山郷です。


遠山郷は西に伊那山脈、東に赤石山脈、それぞれの崩壊土壌によって農耕地が形成され、集落はそれらの斜面や河川の流域に点在しています。


こうした環境と生活の厳しさが、厚い信仰を育み素朴で優雅な霜月まつりを現在に伝える風土をつくりました。 


遠山郷は古来、信濃国伊那郡江儀遠山の庄と言われ、歴史のなかで最初に顔を出すのは、文治二年(1186)に編まれた「吾妻鏡」においてです。


南アルプスの山々に雪が白くかかる頃、祭り笛が谷を流れます。里人が待ちわびた年一回の神と人間の出会いの夜です。


煮えたぎる神々の湯を浴びて、里人たちは身を清め、春まく種も稔り豊かに、平和で豊かな里であることを祈願するのです。


この祭りが文献に現れたのは、江戸後期の国学者、本居宣長の「玉勝間」(文化九年刊)です。祭事の移入についても諸説があり、必ずしも明確ではありません。


霜月まつりは、伊勢神宮の内宮の湯立の系統をひくもので、おそらく伊勢方面から伝来した神楽に、元和年間にこの地で滅びた遠山土佐守一族の霊を鎮める鎮魂の儀式が後から加えられた、という見方を研究者たちはしています。


遠山の霜月祭り 伝統の天狗面


いずれにしても遠山の霜月まつりは、古い伝統と古式豊かな祭事であり、昭和54年2 月3日、文化庁の重要無形民俗文化財に指定されました。


【木沢の正八幡神社】※木沢系霜月祭り

面(おもて) 木沢八幡神社の霜月祭りには32面の面(おもて)が登場します。 その内訳は、江戸時代初期の面が15面、同中期の寛延(かんえん)元年(1748)頃の面が2面、同後期の天保(てんぽう)9年(1838)が2面、明 治時代が11面、昭和28年(1953)が1面です。 そのほか霜月祭りに使用しない「古代面」 とよばれる古面があり、鎌倉~南北朝時代の作と推定されています(現在は遠山郷土館に展示 中)。面の登場する順序はつぎのとおりです。


(詳細は下記のURLよりご覧ください。)


ZIPANG TOKIO 2020「一千年の悠久の時を超えて!湯立神楽の古い形態を今も伝承 " 遠山の霜月祭り " 国指定重要無形民族文化財」~伝統のお面~
https://tokyo2020-summer.themedia.jp/posts/1531168/



国指定重要無形民族文化財・遠山の霜月祭り


遠山の霜月祭り


遠山の霜月祭りは湯立神楽の古い形態を今も伝承しています。
年も押し迫った十二月、谷の各所からは神楽歌が聞こえてきます。


中郷正八幡宮様式 四面(土王・水王)



遠山の霜月祭りのおこり

この祭りがいつ起こったのか、地元の伝承では平安時代の終わりとも鎌倉時代ともいわれますが、定かではありません。


しかし、霜月祭りをおこなう神社の多くが八幡神社であることからすれば、この遠山郷(江儀遠山庄)が 鎌倉時代に鶴岡八幡宮寺(つるがおかはちまんぐうじ)の信州唯一の神料地(しんりょうち)であった歴史と無関係ではなさそうです。


国の重要無形民俗文化財に指定されている遠山の霜月祭りは、上村・南信濃の各神社で湯立神楽が奉納されます。


社殿の中央に設えた釜の上には神座が飾られ、湯を煮えたぎらせて神々に捧げます。

祭りのクライマックスを迎えると天狗などの面が登場し、煮えたぎる湯を素手ではねかけます。 ふりかけられた禊ぎの湯によって、一年の邪悪を払い新しい魂をもらい新たな年を迎えます。


(詳細は下記のURLよりご覧ください。)


ZIPANG TOKIO 2020「中郷の正八幡宮における国指定重要無形民族文化財『千と千尋の神隠し』の原点 遠山の霜月祭り(第二話)」
https://tokyo2020-summer.themedia.jp/posts/3262996



※現在、2300件余の記事掲載、下記のサイトからご覧ください。


ZIPANG-8 TOKIO 2020 (VOL-8)
https://tokyo2020-8.themedia.jp/


ZIPANG-7 TOKIO 2020 (VOL-7)
https://tokyo2020-7.themedia.jp/


ZIPANG-6 TOKIO 2020 (VOL-6)
https://tokyo2020-6.themedia.jp/


ZIPANG-5 TOKIO 2020 (VOL-5)
https://tokyo2020-5.themedia.jp/


ZIPANG-4 TOKIO 2020 (VOL-4)
https://tokyo2020-4.themedia.jp/


ZIPANG-3 TOKIO 2020 (VOL-3)
https://tokyo2020-3.themedia.jp/


ZIPANG-2 TOKIO 2020(VOL-2)
https://tokyo2020-2.themedia.jp/


ZIPANG TOKIO 2020 (VOL-1)
https://tokyo2020-summer.themedia.jp/