自ら反(かえり)みて縮(なお)くんば、千万人と雖(いえど)も吾往かん パート2
孟子の言葉「自ら反(かえり)みて縮(なお)くんば、千万人と雖(いえど)も吾往かん」
【意味】自ら反(かえり)みて(自分の思いや行いが)道義に合うなら、相手が何人いようが私は敢然とこの道を進もう。
パート1を昨年の10月に書きました。
続きを書くつもりが、あれから、半年以上も経ちました。
孟子わけございません……
今回は、「縮(なお)くんば」という謎の言葉を考えてみましょう。
辞書を調べても、「なおくむ」という言葉は出てきません。
先日、ある人が、中国のサイトをわざわざ調べてくれて、教えてくれました。
「縮」は「道義に合う」という意味だそうです。
自らかえりみて(自分の思いや行いが)道義に合うなら……という意味であると。
日本の「縮む」という意味と、中国の「道義に合う」を無理やり結びつけてみたいと思います。
パート1では、「自ら反(かえり)みて」を取り上げました。
自分の外側に向きがちな意識を反転して内側に向けること。
そして、「縮(なお)くんば」をその文字通り、「縮(ちじ)こまる」と捉えれば、
最終的に、点に至るまで「縮こまる」のであれば、
それは、自分自身に戻る。超越する。と解釈することができます。
この状態は、ヨーガ(統一)の状態と呼ばれています。
活動を超えた状態です。
思い、行動などの活動を一切超えた源です。
「水」という流動的な要素が、「氷」に変化するように、そこでは完全な秩序を保っています。
そして、完全な秩序を保っているがゆえに、当然、「道義に合っている」のです。
さまざまな法則性も同様に、そこで一点に凝縮、結晶化されています。
そこは、透明な水晶やダイヤモンドのようなもので、個々の特性や特徴、方向性が現れる、つまり色付く前の状態です。
それを直接体験することは、とても大きな意味があり、
そして、そこから考え、行動できることは、
間違えようのない考え、行動、人生を送れるということになります。
超越瞑想を実践することは、完全な秩序を取り戻し、そして、そこから行動する訓練を毎日しているようなものです。
当然、すべての行動、考えが道義に合うようになっていきます。
目の前に千万人といえども……怖いものは無くなっていきます。
むしろ、敵の存在も許さなくなっていきます。
これが、ガンジーが実践した非暴力(アヒンサー)の本質的な意味だと思っています。
超越瞑想ほど、人生を豊かにするテクニックはないと思っています。