第1話 虚栄の大王
「虚栄の……大王?」
氷の月十三日。私の十二歳となる誕生日の日に私は教会に来ていた。
冬の寒さも厳しさを増してきて、あと少しでこれから暖かくなる時期になってくれると嬉しいなという時期。
そんな日に私は教会から神様によって特別な権能を授けられる「神授の儀」に参加していた。
同年代に生まれた子供たちは既に何らかの権能を授かっており、そして各々何らかの職業に就いている。兵士や農家、はたまたパン屋や織物屋など各々の才能を生かす事の出来る場所を教会の司祭様より教えていただきそこに就職するのである。しかし私の場合……。
「うーむ、これはどういうことだ」
司祭様も経典を何度も読みなおして困惑した様子をしている。
「とりあえず、今日は家に帰っていなさい。また明日から話をしよう」
「はい」
私は困惑しつつも教会を後にしようとした。
「あ、そうだ。テレサ、くれぐれも君の権能は誰にも言っては駄目だよ」
「? はい」
その変な一言に引っかかりつつも、私は司祭様の言う事に従って親にも何も言わないで昼からの仕事を手伝うのだった。
その夜。
『起きろ』
「うーなに」
『起きろと言っている。死にたいのかテレサ』
何者かに起こされた時、私は無意識にベッドから体を起こしてその光景に目を奪われる。
誰? というか何者……。部屋の中には部屋を埋め尽くさんほどの巨大な狼がいた。いや、狼に見える発光した何かと言う方が正しいか。私は腰を抜かしそうになる。
「やっと起きたか。こんな有象無象と言えどお前に死なれては私も死ぬかもしれない。ならば助力位はしてやろう」
「え、あの、これは」
「契約しろ。仮契約だから捧げる物は飯を提供するだけで良い」
「え、あの」
「早くしろ! 死にたいのか!」
「は、はい!」
そう怒鳴られて私は慌てて契約をする。いや、何故契約をした? 目の前に出されたそれ……何故か文字の書いてある紙と、浮遊する羽ペンを慣れた手つきで動かす私はよく分からないのだが、それをしないといけないと思いやっていた。
「さて、仮契約とはいえこれで私はお前を守る必要が……お前は私を従える理由が出来た」
そう言うと、その狼は雪の様に白く美しい体がはっきり見えるようになると、私をひょいと咥えて背中に放り投げる。
「え、ちょっと」
「逃げるぞ。この村にも用は無いからな」
狼はそのまま屋根をすり抜けるように飛び上がると、そのままの勢いで村の外に降り立つ。そして、そのまま何処かに向かって走っていく。
「ま、待って! ちょっと!」
「何だ、待っている余裕はないぞ」
そう言いながらも、止まってくれる狼に私は質問をする。
「逃げるって何から! どうしてそんなことになるの⁉」
「まさかと思うが、虚栄の大王の意味を知らないのか?」
「え⁉ なんでそれが出てくるのよ!」
そう聞くと、その狼は心底驚いた顔をした後……本当に呆れ返った様子でこう説明する。
「お前達のいう経典……中央聖教の経典にある英雄譚は知っているか?」
「う、うん」
「じゃあ、大罪の悪魔は知っているか」
「勿論」
憤怒の剣聖、怠惰の美姫、傲慢の将軍、強欲の虹竜、色欲の聖女、嫉妬の賢者、暴食の神獣。
その昔勇者と戦ったり、関係を持ったりした者たちでありながら魔王を封じる勇者を殺そうとした反逆者。
子供たちでも知っているような悪の象徴である。
「それがどうしたのよ」
「私はその暴食の神獣だ」
「……は⁉」
その発言に目を丸くする。
「暴食の神獣『エガリエイティ・ハナシュ』こそこの私だ。おい! どこに行く!」
その瞬間に、私は一緒にいられないと思い背中を降りると村に向かって走って行った。
暴食の神獣と契約⁉ どうしたらいいのか⁉ 司祭様なら何とかしてくれるかな。
そう思って私は走ると、遠くに人影が見える。
「あ、あの!」
その時だ。私が声を上げた……その瞬間に。
「撃て!」
一斉に魔法の砲撃が私を襲ったのは。
「え?」
私の視界を覆う魔法。そしてそれを防ぐ魔法の障壁と……。
「ほら、逃げるぞ」
ハナシュの静かな声。ハナシュはまた私を咥えて放り投げると何処かに向かって走っていく。私は追いつかない意識を手放さないようにハナシュの背中にしがみつくと、必死に話しかけた。
「どういう事⁉ どうして私は魔法を撃たれなきゃいけないの! 私何も悪い事なんかしていないよ!」
「虚栄の大王だからだ」
「だから! 何なのそれ!」
「第八番目の大罪だな」
「は⁉」
「虚栄の大王は、私達大罪の悪魔を開放もしくは終結させて勇者を再び殺そうと企てる存在として予言されていた第八番目の大罪だ。私もいるとは露ほども思っていなかったが……まさかこのような小娘とはな」
勇者を殺そうと企てる? そんな存在に私がなった?
「私が大王、何の間違いよ」
「間違いではない。齢十二の小娘に求めるにしては酷な運命かもしれないが……それでも神がそれを望むのであれば、私は従おうではないか」
何よ……何なのよそれ……。
「嘘よ……嘘よ……そんなの……」
ヒュン!
「!」
「きゃ! 何⁉」
「驚いた。光の刃をここまで速く撃ちだせるとは。正確には……人間に見える速度でここまで速くできるとはな」
そうハナシュが言うと、目の前には知り合いの顔が見えた。
「オロアお兄ちゃん!」
「知り合いか」
「うん! 王都で近衛騎士に抜擢された『未熟な剣聖』って才能を貰った」
「兄自慢は良いが、相手は覚悟を決めたようだぞ」
そう言うと……目の前の知り合いの兄の顔が苦しそうな顔をした後に……知らない敵の顔になった。
「虚栄の大王よ! 経典に記された大罪『共』よ! 今ここで私の剣の錆にしてくれよう!」
「お兄ちゃん」
違う。違う、違う。違う! オロアお兄ちゃんは優しいお兄ちゃんで。村の中で剣聖になれるかもしれない事を誰よりも喜んでいて! それで……。
「はああああああああああ!」
未熟な剣聖は剣を構えると、私たちに向かって走って来る。そして、そのまま鋭い刃を振りかぶって……。
「温い」
ハナシュの爪の一振りであっさりと瞬殺された。
「未熟だか何だか知らないが……私を倒した勇者に遠く及ばないどころか、憤怒の剣聖と呼ばれる前の剣聖にさえ遠く及んでいないぞ。それで王都でどのような待遇を受けていたのか知らないが、私を倒すには全く力が足りないな」
知り合いが……強いはずだった兄のような存在が死んだ。たった一振りの攻撃で死んだ。
「あ、あ……あああああああああああああああ!」
「行くぞ」
私の悲鳴も聞かぬまま、ハナシュはどこかに行ってしまう。
少なくとも、剣聖を倒すという事は、その場に来ていた他の討伐隊では攻撃をあてるどころか躱させることさえも出来ないために戦略的撤退をせざるを得ない状況に相手をしたこと。
それにより、結果論だがテレサにとっては心理的に大量虐殺をするよりは軽い状況であると割り切れるようになったことを知るのはもっと後の事だが。