読者賞だより:27通目――今月の「読み逃してませんか~??」/『隠れ家の女』(執筆者・大木雄一郎)
7月26日に開催された『あの本は読まれているか』トークイベントでは、ラーラ・プレスコット『あの本は読まれているか』(吉澤康子訳 東京創元社)を課題書として、6名のパネラーによる座談会の模様をオンラインで配信した。多くのみなさまにごらんいただいたとのことで、パネラーとして参加させていただいた一人として、心から感謝を申し上げます。
『あの本は読まれているか』は、冷戦下のソ連で禁書となった『ドクトル・ジバゴ』をめぐって、CIAで働く女性たちの活躍を描いた物語である。スパイ小説、女性小説、恋愛小説と、さまざまな面を持つこの作品の魅力については、座談会のほうで語り尽くされているので、まだごらんになっていない方は、YouTubeのアーカイブをぜひ。ネタばれ全開のトークなので、できれば作品を読み終わってからどうぞ。
今回の読者賞だよりは、このトークイベントからの流れで「CIAで働く女性が活躍する作品」をご紹介したい。
ダン・フェスパーマン『隠れ家の女』(東野さやか訳 集英社文庫)は、そのちょっと地味めなタイトルからは想像もつかない、一気読み必至の傑作ミステリだ。
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物語はまず1979年のベルリンで始まる。CIAベルリン支局で、スパイや情報提供者の安全を確保するために設けられた《隠れ家》の管理を担当するヘレンは、ある日隠れ家のメンテナンスをしているとき、二人の男が会合をしているのを偶然盗み聞きしてしまう。この会合は隠れ家の使用予定に入っていなかった。暗号名や符牒の羅列でまったく意味不明なまま進んでいくこの会合は、ヘレンがメンテナンスをしていたテープレコーダにすっかり録音されてしまっていた。そして好奇心旺盛なヘレンは、一時の逡巡ののち、会合が録音されたテープを消さず、新しいものに付け替え持ち帰ってしまう。
その晩、ヘレンは、恋人でありベテラン工作員でもあるボーコムにこの出来事を話すのだが、彼はすぐテープを消去するようヘレンに言う。渋々ながら指示に従い隠れ家に戻ったヘレンだったが、そこで今度はある現場担当官が、こともあろうか《隠れ家》で、現地の情報提供者の女性に性的暴行を加えようとしている現場に出くわしてしまう。とっさの判断でこの様子もまたテープに録音したヘレンは、謎の会合と暴行の様子、2つの状況を録音したテープを隠し持つことになる。
舞台は変わって2014年、アメリカ・メリーランド州にある小さな町で、ウィラードという青年が両親を猟銃で撃ち殺すという事件が起こる。知的障害を持つウィラードにこんなことができたということがとても信じられない姉のアンナは、弟の身に何が起きたのかを調べるべく、その町に来てまだ間もない、ヘンリーという男を探偵として雇い、二人でなぜこの事件が起こったのかを調べていく。
物語は1979年のベルリンと2014年のメリーランド州、それぞれの場所で起こる事件を交互に描くことで進んでいく。ベルリンのパートでは、手にしたテープをめぐり、ヘレンが職を失いかつ逃亡者さながらの状況に追い込まれる様子をスリリングに描く。特筆すべきは、ヘレンを支えるパリ支局職員クレアの存在で、彼女の働きによってこのパートに冒険譚としての魅力が追加され、読者をぐいぐいと引っ張っていく。一方メリーランド州のパートでは、二人がまず殺害現場を丹念に調べていくところから始まり、乏しい手がかりながらも細い糸を手繰るような調査によって、アンナが思っていた母親像とは違う別の母親像が徐々に明らかになっていく。前者がスパイ・冒険小説、後者が謎解きメインのミステリー小説と異なる趣を備えていて、2度おいしい構造になっている。そして読者には、この2つがどういう形で絡み合い、それぞれの時代でどのような解決を得るのかを知る楽しみも用意されている。
また、ヘレン自身、工作員としての訓練を受けているにもかかわらず、上司の嫌がらせによって《隠れ家》の管理という閑職に甘んじているという点、そして頻発する情報提供者への性的暴行を白日のもとに晒し、上司に対してしかるべき処分を求めるという目的でテープを持ち出したという点などから、CIA内における女性差別にも焦点を当てていることが伺え、これは先に挙げた『あの本は読まれているか』にも通底している。本書が刊行された2018年には、すでにアメリカでセクハラや性的暴行の告発が相次ぎ、大きなムーブメントとなっており、本作にもこの状況が反映されているのであろう。
ところでスパイ小説といえば、ル・カレやフォーサイスなど、国際的な謀略をテーマにした作品を想起するが、本作においては国際謀略などなく、局内における策略に終始する。これは『あの本は読まれているか』にも言えることだが、他にもミック・ヘロン『窓際のスパイ』や、本欄で以前紹介したカレン・クリーブランド『要秘匿』などにも共通している。冷戦後、スパイ小説には不遇の時期が訪れるわけだが、謀略のスケールが小さくなった分、他の要素を取り入れることによって、むしろスパイ小説というジャンルにとっては多様性を手に入れるという結果になったのかもしれない。他の要素とはすなわち謎解きミステリ(本作)、恋愛小説(『あの本は読まれているか』)、ドメスティックサスペンス(『要秘匿』)などの要素のことである。
「王道スパイ小説×謎解きミステリ」という帯の文句はけっして伊達ではなく、謎解きミステリファンにもスパイ小説ファンにも十分満足してもらえる作品に仕上がっている。600ページ超というボリュームではあるが、まずはページを開いていただきたい。厚さにビビって敬遠していたらきっと損しますよ。
大木雄一郎(おおき ゆういちろう)
福岡市在住。福岡読書会の世話人と読者賞運営を兼任する医療従事者。読者賞のサイトもぼちぼち更新していくのでよろしくお願いします。
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