読者賞だより65通目――今月の「読み逃してませんか~??」/『となりのブラックガール』(執筆者・大木雄一郎)
当欄では「差別」をテーマにしている作品を取り上げることがよくあります。ここ一年を振り返ってみても、移民の生きづらさを描いたカミーラ・ジャムジー『帰りたい』(金原瑞人・安納令奈訳 白水社)、同性愛が弾圧される国で同性愛者が「普通に生きる」ことの困難さを描くモハメド・ムブガル=サール『純粋な人間たち』(平野暁人訳 英治出版)、そして元祖BLM小説とも称されるリチャード・ライト『ネイティヴ・サン アメリカの息子』(上岡伸雄訳 新潮文庫)といった作品を取り上げています。これらの作品は、けっしてミステリーど真ん中とは言えないこともあり、当欄で紹介するにあたっては毎回どうかなあと迷ってしまう作品なのですが、海外のミステリー小説においては、「差別」が物語の重要な要素と位置づけられていることはよくありますし、そういった作品を読むうえでは、ミステリー色のやや薄い、いわゆるジャンル外の作品に触れるのも、それなりに意義があることだと考えています。もちろん、私のなかにある問題意識を反映しているというのも否定はできないのですが。
というわけで今回ご紹介するのは、ザキヤ・ダリラ・ハリス『となりのブラックガール』(岩瀬徳子訳 早川書房)です。本作もまた、けっしてど真ん中のミステリーとは言えないとは思いますが、スリラーの要素もふんだんに取り入れられていて、ミステリー読者にもしっかり楽しめる作品となっています。[amazonjs asin="4152102691" locale="JP" tmpl="Small" title="となりのブラックガール"]
老舗の大手出版社ワーグナー・ブックスで編集アシスタントとして働いているネラは、編集者への昇格を目指して懸命に仕事をこなしてはいるものの、社内で唯一の黒人であることで、ストレスを抱える日々を送っています。そこに新たな編集アシスタントとして、同じく黒人女性のヘイゼルが入社してきます。ネラはヘイゼルが来たことを喜び、ヘイゼルもまたネラが感じてきたストレスを理解しているかのように振る舞います。
ある日ネラは、社にとってはドル箱作家の最新作で描かれている黒人描写が差別的であると批判をします。ネラとしてはなるべく穏便に、婉曲な言い回しでそのことを伝えたつもりだったのですが、結果的にはこれが作家の逆鱗に触れてしまい、それまでうまくいっていた編集者との関係にもひびが入ります。そんな惨憺たる状況にあったネラのもとに、差出人不明の手紙が届きます。そこにはこう書かれていました。
《ワーグナーから去れ、いますぐに》
この手紙の目的はなんなのか。ドル箱作家を怒らせてしまった自分への嫌がらせなのか、あるいは昇格のためにネラを追い落とそうとしている誰かによるものなのか。はっきりとしたことはなにもわからないまま混乱しているネラに追い打ちをかけるかのように、ヘイゼルに対する周りの評価はどんどん上がっていき、ネラとの差は広がっていくばかりでした。
本作は、大きくふたつのパートが交互に描かれる形で進んでいきます。ひとつは現在(二〇一八年)におけるネラのパートです。そしてもうひとつは、ワーグナー・ブックス初の黒人編集者、ケンドラ・レイ・フィリップスを描く、一九八三年のパートです。ケンドラは、親友のダイアナ・ゴードンが書いた『バーニング・ハート』を大ベストセラーに押し上げ、ダイアナとともに一時代を築きあげました。ネラは『バーニング・ハート』を読み、ケンドラに憧れ、自分も黒人の作家を支える編集者になりたいという夢を持ってワーグナー・ブックスに入ったのでした。しかし、ケンドラは『バーニング・ハート』がベストセラーになって以降三十五年の間、公の場所に姿を見せておらず、その所在を知る者は誰もいません。ケンドラのパートでは、一九八三年の『バーニング・ハート』がベストセラーになる前後の出来事が描かれます。
また本作では、アメリカ社会における黒人女性の身の処し方における多くの問題が、ネラとヘイゼルという二人の黒人女性の生き方を通して提起されています。ネラは、社での昇進を望みながらも、自らのアイデンティティを問われるような場面に遭遇すると立ち止まってどのように行動すべきかを考えます。売れっ子作家の新作についても批判せず、褒め称えさえすれば自身の立場を守ることはできる、しかしそうすることによって失うものがあることをネラ自身が自覚していて、その狭間で懊悩するのです。一方ヘイゼルは、これ以上ないほど快活なキャラクターとして描かれます。ネラの懊悩を理解しながらも、自分はそれをやすやすと乗り越えていき、いつの間にか白人社会における自身の立ち位置を確固たるものとしてゆく、処世術に長けていると言えばいいでしょうか。まるで正反対に見える二人ではありますが、根っこの部分では黒人であるという自覚に基づく共通の意識があります。それは、ヘイゼルの以下のような台詞に表れています。
「これって……本当に不公平すぎる。白人はわたしたちとちがって自分をひどく意識する必要がない。部屋に入っていったとき、どんな人種がいるかをすぐさま確かめたり分析したりしなくてもいい。採用担当者が怠け者で同じ人種の社員をほかに雇わなかったとしても、この国にいる何千万人もの黒人たちの気持ちを代表しなくちゃって気を張らなくてもいい。小さな店に入っても、店員にあとをついてまわられる心配をしなくていい。南部で夜に脇道を走っているときに車が故障したらどうしようと不安にならなくていい。というか、夜に限らず、昼間でも。わかるでしょ?」(二八五ページより引用)
このような問題意識があるからこそ、社において多様性についての集会を企画するなどの努力を重ねては疲弊していくネラと、このような問題意識があることを自覚しつつも、「たいていの場合、わたしはそういうことを気にしない(二八五ページ)」と顔を上げて前に進んでいくヘイゼル、この二人の処し方の違いが、話が進むにつれ、ネラの抱えているトラブルと、ひいては三十五年前にケンドラが行方知れずになってしまった要因とも重なってくることになります。
社における立場を失ったうえに謎の手紙まで受け取って困惑のなかにあるネラ、ネラにとって敵なのか味方なのかよくわからないヘイゼルという存在、そして長年行方をくらましているケンドラの行動。これらが絡み合い、やがて大きな陰謀が露わになっていく、というのがスリラーとしての読みどころです。黒人女性が差別に抗いながら白人社会で生き抜く姿を描いたお仕事小説だと思って読んでいると足元をすくわれるというか、ちょっと予想もしなかった展開が待ち受けています。いや、これはちょっとびっくりしますよマジで。
黒人女性の目を通してアメリカ社会の現実を描いた作品ではありますが、ネラが職場で受ける仕打ちを目の当たりにして、シンパシーを感じる読者も少なくないでしょう。しかしその感覚を、本作を読み終えたときまであなた自身が維持していられるかどうか、私はそのことにとても興味があります。
さて、二ヶ月続けての告知となりますが、どうしても見ていただきたいので改めて。十一月十九日(日)十四時より、「衝撃の展開! ホリー・ジャクソン「向かない」三部作、あなたはどう読む? 全国翻訳ミステリー読書会ライブ第16弾後編【ネタバレあり編】」を配信いたします。九月に配信した【ネタバレなし編】に続いての後編は、「向かない」三部作の最終作『卒業生には向かない真実』を中心にした、ネタバレありの大公開読書会となっています。URLは以下となっています。ぜひ前後編合わせてお楽しみいただけたらと思っています。どうぞよろしくお願いいたします!
■衝撃の展開! ホリー・ジャクソン「向かない」三部作、あなたはどう読む? 全国翻訳ミステリー読書会ライブ第16弾後編【ネタバレあり編】 - YouTube https://www.youtube.com/watch?v=VDwntAT1vxs
大木雄一郎(おおき ゆういちろう)
福岡読書会世話人兼翻訳ミステリー読者賞の実行委員。年内のうちに、第十二回読者賞についてお知らせをする予定です。次回もみなさまの熱い投票を心からお待ちしております。
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