Ameba Ownd

アプリで簡単、無料ホームページ作成

Personal history『思い出のマラソン』vol.3-1~日本平桜マラソン~

2018.12.03 23:38

日本平桜マラソンは、僕にとってゼッケンをつけたまま家を出て、スタートラインに立てる超ご近所の大会。調べたら、2009年から出場して10回連続出場。へへへどんなもんだと一人悦に入る僕をよそ目に、A木さんときたら第2回大会から第19大会まで連続出場!まいりましたm(_ _)m

ということで、日本平桜マラソンについて知りたければ、この人に聞け!日本平桜マラソンについて、A木さんの自分史から2回に分けてお届けしたいと思います。




日本平桜マラソンのコースは日本一過酷といっても過言ではありません。コースは、草薙運動場をスタートし、日本平パークウェイ、清水日本平パークウェイ、旧東海道を通り、草薙運動場に戻ってくる23.5K。パークウェイの桜のトンネルを抜け、頂上の日本平ホテルの中庭からの清水港の眺めと、パークウェイを下りながら見る富士山は絶景です。第2回大会に初めて出場しましたが、走り始めてまだ2年目、夢中に走っていた30代半ばということもあり、あまり大変だと思いませんでした。年を重ねるごとに、かなり勾配のあるコースに、下りでスピードを出し過ぎて、平坦な道路に出ると、足が動かなくなってしまった経験が何度かありました。

ゴール手前に狐ヶ崎の坂があります。登って、下ってきた足に更にダメージを与えるかなりきつい坂です。大半のランナーのスピードが落ちて、中には歩いているランナーもいる場所ですが、私も何度走ってもこの坂でペースダウンして最後の力を振り絞って走りました。テレビ中継のアナウンサーから過去2回もインタビューされたことを思うと、想像以上にスピードダウンして走っていたのではないかと思います(アナウンサーが走ってインタビューできる遅いスピードだったのです)。


また第12回マラソンでは、選手宣誓をさせていただきました。この年にボストンマラソンにエントリーしていた私は、日本平の坂とボストンマラソンの心臓破りの丘のコースをオーバーラップさせて、宣誓したことを覚えています。

この日本平桜マラソン、過酷なコースの割には制限タイムが2時間20分と、市民ランナーにとっては厳しいタイム。それでも初めの頃は2時間数分でゴールしていましたが、第15回大会の時に制限タイムまで残り12秒でゴールして以来、ハーフのエントリーはやめました。ちょうど50歳のときです。ハーフの参加を諦めてから、10Kに変更して、何回か走りましたが、第19回大会を最後に第一給水所のボランティアとして、走る仲間と共に参加しています。


(つづく)




え~と、なんかいろいろ謙遜されていらっしゃいますけど、あのコースを「あまり大変だと思いませんでした」とか「2時間数分でゴールしていました」っておっしゃられてもねぇ^^;選手宣誓も、TVのインタビューも、A木さんの放つオーラのなせる技。目立っちゃう人は、自然と目立っちゃうんですよね(^^)あと、宣誓風景の後ろに写っている体育館が懐かし~。つづきは明日お伝えします。


ということで、日本平桜マラソンのエントリーは来年1月31日まで。給水ボランティアもまだ受け付けていますので、ボランティアにご協力いただけるという方はshizuokahashirokai@gmai.comまでご連絡ください。