苦楽表裏一体・全ては選択
Facebook宇宙からの呼びかけ投稿記事
地獄も天国も心の状態にすぎません。悪魔はあなた方の否定的な集合意識の表現です。
地獄はすべての否定的な制限された意識が創り上げるものです。
あなた方は天使なのです。天国を創ってください。 バシャール
https://ranyokohama.amebaownd.com/posts/2966571/ 【表裏一体】
https://ranyokohama.amebaownd.com/posts/2969050/【煩悩即菩提・リフレーミング】
【苦楽表裏一体・全ては選択 】
「可愛い子には旅をさせろ、」「若い頃の苦しみは買って でもしろ」って お聞きになったことありませんか? 本当に「苦しみは買う価値がある」のでしょうか?
苦しみって何でしょう?自分が作り出していると言ったらどのように思われますか?
卑近な例で説明しますと のどが渇いて水を探すとします。
コップに半分の量入った水が見つかりました。
「半分しかない」は苦しみを選択することになり、「半分もあるは」楽しみを選択することになります。
でき事は受け取る自分の選択次第で 苦・楽が決まると言えます。苦楽表裏一体です。
であれば 人生・自由自在なはずです。 このことを人間関係の原型とも言える親子関係で
見てみたいと思います。
例えば幼い頃 母を無くするとします。こんなこと誰でも起こって欲しくないことです。
殆どの人にとって苦しみです。
幼い時に目の前で母を交通事故で亡くし 哀れな子として生き、40歳を過ぎても閉じこもったままの男性を知っています。
亡くなった母に執着し 父の愛も、新しい母の愛も受け取る意志を持たないで被害者として生き続けてきました。
また死産をした女性が 亡くなった子以外の 健康に生まれた子どもを愛することができず ネグレクト (育児放棄)せずにはおれないケースを幾例も知っています。
多くの場合 母としての自責の念が 亡くなった子への執着心に繋がります。
執着心は過去に生きる在り方と言えます。
二つとも 自分の期待を裏切る出来事に圧倒され つまり自分の願いに執着し 苦の裏にある楽を知ることができず 苦しみの情に溺れています。
母を亡くした幼子の苦しみはどのように楽に転じられるのでしょうか?
母を亡くした故に 身辺自立を早くできた。 それ故に愛の大切さを知るものとなった。
それ故に人の痛みを理解できるものとなった。
人が憂うと書いて優の字になります。優しい、優れていると読みます。
苦が楽に転じられると 慈悲が培われ始めることがよく分ります。
死産をした女性は 失ったものに執着しないで「足るを知る」知恵があれば育てる責任のある愛子を 愛し育む喜びを得ることができたはずです。
和多志も長男の出産は難産で 生れてはじめて救急車で病院に運ばれ 医師からは母子ともども命の保証はできないと宣言されました。
一晩中 押し寄せる陣痛に苦しみぬきました。ようやく生まれた愛子に「よく生まれてきたね」と心からの感謝と喜びを伝えずにはおれませんでした。
これも苦楽表裏一体です。
それはさておき「苦しみは買うほどに価値がある」とまで言えるのでしょうか?
みなさんは筋肉トレーニングを知っていらっしゃいますね?使うほどに筋肉は強くなります。
楽をして身体を動かさなければ 身体の機能は停滞し、遂には使わない機能は失われてしまいます。楽の裏の苦しみを示唆します。
転ばぬ先の杖を用意する子育てに警鐘 が鳴らされています。
過保護過干渉な大人が 子どもが失敗から学ぶチャンスを奪い取り ストレスに弱い軟弱な子ども 新型鬱の予備軍育てをしているからです。
子どものために心を砕いて 慈悲を注いでいるかのような錯覚を持ち ありのままの子どもを尊重しないで 自分の枠にはめようとするからです。
そのような関わりからは真楽は生まれません。
一方子どもは 親の関心を貪るために 相手の期待先取りで頑張ります。
いい子が危ないと言われてきた所以です。いい子とは普通周りの大人にとって都合のいい子を指します。
楽の裏の苦に警鐘が鳴らされているとも言えます。
ネグレクトも溺愛も 愛の誤用 誤った愛 誤った楽の追及 つまり アブ(否定の接頭語)・ユース=アビューズ、虐待です。
過去に執着せず、未来の先取り不安に翻弄されず 現在を生きて要約楽は訪れます。
Facebook相田 公弘さん投稿記事
人間にとっての善悪がわかってくると、ここにひとつ、絶対悪と言えるものが見えてくる。
それが貪る(むさぼる)ことである。
実は貪ることさえなければ、悪だと思っている行為もたいした悪ではない。
貪りの簡単な定義は「自己の存在が他者の存在を一方的に害している状態」と表すことができる。
自然を含む他者を、自己存在のために利用するだけ利用し尽くして、何も返さないことを言う。
これには、金銭、肉体などの物質面は言うに及ばず、精神面や他人の人生の時間まですべて含まれる。
自分の都合だけによって、他者の生命財産を害する者、物を与えられ続け、他からもらうことしか知らぬ者、などがある。
これには、精神的に他に頼る一方で、自分は他者の心の支えになる気がない者、他者の限られた時間を自分のためにのみ無限に使用させ、自分は他者のためには時間を割かぬ者なども含まれる。
これらを貪る者と呼ぶ。
つまり、自己中心と自己都合だけの人間をそう呼ぶのだ。
他から与えられることしか知らず、他に与えることを知らぬ者と言える。
これが人間にとって最大の悪である。
(中略)
人生とは、貪ることさえなければ、他人からいくら手助けをしてもらってもよいのだ。
どんなに人に助けてもらっても、どんなに人に迷惑をかけても、いかに人を泣かせても、いかに人の物をもらっても、この貪る心と行いさえなければ、それで良い。
人間は誰でも、他人に助けてもらって今日がある。
人から与えられた愛情や友情がわからなければ、その者は貪る人間となる。
要するに、それがわかるのか、わからないのかに尽きる。
わかれば貪ることはしない。
そして、必ず恩を知る。
恩の始まりとしての、親孝行が一番大切なのも、貪ることのない人間になるために他ならない。
我々は人の情を与えられて今日があり、人に物を与えられて今がある。
それがわかり、自分も他者に自己の持つあらゆるものを与える心がけがあれば、貪る状態から脱出できる。
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「生くる」
執行草舟 著
講談社より
http://dokusume.com/modules/store/
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自分のために時間をつかってもらったのなら、同じくらいの時間をその人のために使う。
何か物をもらったら、必ずお返しをする。
物でも労力でも時間でも精神面でも、自分に出来ることをお返しする。
こういうことを少しずつ、少しずつ続けていく。
日本では、結婚式の引き出物も、出産祝いも香典も、必ずお返しする風習がある。
たとえ自分が主役でお祝いされる側だとしても、お返しを考えるのです。
自立するというのは、与えるものと与えられるものが等しくなることと言えるのでしょう。
さらに人物と呼ばれる人たちは、与えるものの方が多くなるそうです。
もうそろそろ母の日。
ひとかどの人物になる心がけ、実践です♪
※魂が震える話より
執行草舟 ウィキペディア
https://ja.m.wikipedia.org/.../%E5%9F%B7%E8%A1%8C%E8%8D...