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ダイナマイト・キッド

2018.12.05 12:15

 爆弾小僧の異名を取り、初代タイガーマスクの最大のライバルだったダイナマイト・キッド(本名トーマス・ビリントン)が死去した、享年60歳、死去したとされる12月5日はキッド本人の誕生日だった。

キッドは1979年7月の国際プロレスと提携していたカルガリーから派遣されて初来日したが、キッドの実力を見た新日本プロレスがカルガリー地区ごとキッドを国際プロレスから引き抜き、8月には藤波辰己の保持するWWFジュニアヘビー級王座に挑戦、2度目の来日である1980年1月にWWFジュニアヘビー級王座をかけた挑戦者決定戦ではスキップ・ヤング戦では頭部めがけてダイビング・ヘッドバットを投下、自ら流血するなど大きなインパクトを与えた。 

 そのキッドの運命を変えたのは初代タイガーマスクだった。1981年4月23日に初代タイガーのデビュー戦の相手を務め、ジャーマンスープレックスホールドで敗れて以降、初代タイガーとキッドはWWFジュニア王座を巡って何度も死闘を繰り広げ、また初代タイガーがフェンスアウトによる反則負けながらも唯一黒星を喫した相手もキッドだった。自分がプロレスファンを始めたのもこの頃からで初代タイガーだけでなくキッドの迫力ある試合に魅了されていた。


 初代タイガーこと佐山聡は後年、「選手同士で喋りませんから、ガンガン行くことが大事で、これは勝負なんだと。つまり、ストロングスタイルですね。ナチュラルな迫力、そこが僕とキッドの共通点なんですよね、試合をする上で、そこが勝負なんだよというものがなかれば凡戦になってくるんです。殺すつもりで殴ってくる。打ってくる。それが必要なんですよ、その中でもキッドは特別ですけど」と答えていたが、二人の攻防はまさに互いに感情をぶつけ合って、殺気さえ漂わせる。まさに新日本プロレスジュニアの原点は初代タイガーとキッドの戦いだった。

 初代タイガーが引退として新日本を去った後は、タイガーの後を引き継ぐようにWWFジュニアヘビー級王座を奪取、新日本は初代タイガーの後釜としてザ・コブラを売り出そうとしたが、実際人気があったのはキッドでファンも初代タイガーの最大のライバルはキッドだと認めていた。

しかし本拠地だったカルガリーが全米侵攻を始めていたWWFに買収されると、キッドはそのままWWFに参戦するが、WWFでの扱いに不満を持ち、またミスター・ヒト氏の誘いもあって、パートナーだったデイビー・ボーイ・スミスと共に全日本プロレスに引き抜かれた。キッドは全日本を経由してNWAへ移ろうとしたが、NWAの各テリトリーはWWFの全米侵攻の影響でどこも受け入れてくれず、キッドは全日本との契約が終わるとWWFへ戻るしかなかった。 


しかし1986年12月に試合中に椎間板に重傷を負ってしまう。キッドの肉体はステロイド(筋肉増強剤)で作り上げたもので、キッドは体が小さく負けず嫌いな性格もあって、馬用のステロイドを打ち強靭な肉体を作り上げ、影響で剃刀のような動きを見せて対抗していたが、その限界が椎間板の負傷となって出てしまったのだ。

 キッドはWWFを離脱し1989年に全日本プロレスに参戦したが、ステロイドの副作用で衰えが目立ち始め、相棒だったスミスもキッドを見捨てるかのように去っていくなど、キッドは転落の一途を辿っていった。そして1991年の世界最強タッグ決定リーグ戦最終日である12月6日の武道館大会に突然引退を発表、ジョニー・スミスと組み、ジョニー・エース&サニー・ビーチ組に勝利を収め、颯爽と引退した。

 そのキッドが93年故郷のイギリスで復帰、全日本の「93サマーアクションシリーズ」に終盤の2日間だけ参戦したが、体はすっかりやせ衰えており、かつての動きを見せることは出来なかった。1996年にみちのくプロレス10月10日の両国大会に参戦したが、ステロイドの後遺症で常に体に不安を抱えていた状態だった。キッドはドスカラス、同じく初代タイガーのライバルだった小林邦昭と組み、ザ・グレート・サスケ、初代タイガーマスク、ミル・マスカラスという豪華トリオと対戦したが、久しぶりに対戦する初代タイガーのフロントネックチャンスリー(タイガードライバー)を受けた際に脳天から受けてしまい。帰国の際には成田空港で倒れて緊急入院してしまった。入院は1日だけで翌日イギリスへ帰ったものの、これがキッドの最後の来日となった。 

 その後キッドは消息を絶っていたが、2013年8月に出版された「Gスピリッツ」誌上で公の場に現れた。キッドはイギリスで自身のドキュメンタリー映画のイベントに登場、フリーライターでキッドとも親交のあった新井宏さんと再会したが、キッドは15年前に歩けなくなっており、車椅子での生活を余儀なくされ、ボロボロになった状態を見られたくないために人前に出ることを避けていたという。キッドはあまり喋らなかったものの、ステロイドで体を壊してしまったことに関して「別に後悔はしていない・・・全ては自己責任だよ」と答えていた。自分は"初代タイガーマスクが何度も特集されているのに、なぜキッドが出てこない、どこにいるんだ?"と思っていたが、この本を買って読んだときは「キッドが生きていた、それを知っただけでも充分だ」と安心していた。

 その後脳卒中で倒れたという話が出て、再び消息を絶っていたが、2016年10月5日、NHK BSプレミアムで放送された『アナザーストーリーズ 運命の分岐点』に出演、キッドは脳卒中で倒れた後は介護施設に入所していた。初代タイガーこと佐山聡からのビデオメッセージを見ていた時は、昔を懐かしんだのか笑顔を浮かばせていた。


 このときもキッドが生きていて良かったと思ったが、60歳を迎えた日にキッドはこの世を去った。 


 今でも断言できることがある、ヒーローはライバルという存在がいて成り立つもの、初代タイガーマスクもライバルがいたからこそ成り立った。小林邦昭、初代ブラックタイガーも初代タイガーのライバルだったが、一番最高で最強のライバルはダイナマイト・キッドである。


キッドよ永遠あれ!


 ご冥福をお祈りします

(初代タイガーマスクvsダイナマイト・キッドの試合は新日本プロレスワールドでも視聴できます)