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郡山駅発着、只見線全線(会津若松⇔小出)往復乗車日帰り旅 2024年 春

2024.05.25 14:16

臨時列車「只見線満喫号」を利用し、自宅のある郡山市からJR只見線の“日帰り全線往復乗車の旅”をした。

 

福島県の中心で、東北第二の都市ともいえる郡山市(人口約32万人)から、現行のダイヤでは只見線を利用した全線往復乗車の日帰り旅はできない。

しかし、2022年10月1日全線運転再開以後、春~秋の観光シーズンに「只見線満喫」号(会津若松~只見)と普通臨時列車(只見~小出)が増発される事で、郡山市をはじめとする福島県の人口集積地・中通りの住民が只見線全線乗車日帰り旅ができるようになっている。*下掲出処:東日本旅客鉄道㈱「春の臨時列車のお知らせ」(2024年1月19日) URL: https://www.jreast.co.jp/press/2023/sendai/20240119_s01.pdf *一部筆者にてボカシ加工

 

只見線は、2022年10月1日の全線運転再開を機に、復旧区間(会津川口~只見、27.6km)の鉄道施設を上下分離方式で福島県が保有し、県費(税金)を投入して維持管理することになった。*下掲出処:国土交通省 鉄道局鉄道事業課「JR只見線(只見~会津川口)の鉄道事業許可」(令和3年11月29日) URL: https://www.mlit.go.jp/report/press/content/001443377.pdf

これにより、会津若松と小出を結ぶ只見線(132.5km)は、一部とはいえ、福島県民の“マイレール”となった。

只見線の一部を保有することになった福島県は2018(平成30)年3月に「只見線利活用計画」を策定した。ここで「みんなの只見線プロジェクト」の中で『多くの県民が只見線に親しむ機会をつくるため、「只見線の日」制定や、1年に1回只見線に乗るという県民運動の実現を目指す』(p26)と記され、只見線を福島県民の“マイレール”とすることを目標としていた。

そして5ヶ年の実施期間が終わった昨年には、第2期の「只見線利活用計画」が公表されたが、同じ「みんなの只見線プロジェクト」の中では、“沿線住民のマイレール”という表現で、県全体から沿線7市町に絞られた。*下掲出処:福島県 只見線管理事務所「只見線の利活用」*赤枠は筆者にて記入

沿線7市町に絞ったのは、沿線住民の只見線への強固な“マイレール”意識の醸成と定着が、只見線の恒久的な存続に欠かせないと判断したからだろうと私は考えている。


しかしながら、県費で保守・管理する点と福島県の人口分布を考えると、只見線への“マイレール”意識は、福島県民全体で醸成し定着させてゆかなければならないと私は考える。そうすることで、只見線の恒久的な存続ばかりか、只見線を導線とした福島県全体への観光人流の増加や経済需要の喚起、そして交流人口増加にともなう“百聞は一見に如かず”的な原子力災害に関する正しい情報発信・風評払拭に寄与すると思うからだ。

福島県民全体で只見線の“マイレール”意識を高め、定着させるためには県の人口集積地である中通りの住民が只見線を容易に利用できる環境が必要だ。*出処:(左)国土交通省 国土地理院「地理院地図」URL: https://maps.gsi.go.jp/ *白地図に筆者にて赤線(県境)、緑線(只見線)、駅名文字等記入

しかし、現状の只見線のダイヤは、朝夕の通学客に対応した列車が大半で、全線乗車が可能が上下3本と少ない。また8時~16時の時間帯の列車も少なく、郡山から会津若松に移動しなければならない中通りの住民は、魅力的な見所が多い奥会津に午前中に行くことができない等大きく制限を受け、日帰り全線往復の旅にいたっては、不可能になっている。*下掲出処:JTB時刻表 2022年10月号 (p616) *一部、筆者加工

 

今回、只見線の2本の臨時列車を利用することで、郡山駅発着の只見線全線往復日帰り旅をし、その実際を確認したいと思った。


沿線の天気予報は快晴ではなかったが、雨は降らないという。会津平野の田園と奥会津の只見川とそれを包み込む豊かな緑、そして魚沼地方の変化に富んだ里山、車窓からのそれぞれの風景に期待し、郡山駅発着の只見線全線往復乗車日帰り旅に臨んだ。 


*参考:

・福島県:只見線ポータルサイト

・NHK:新日本風土記「動画で見るニッポンみちしる~JR只見線

・産経新聞:「【美しきにっぽん】幾山河 川霧を越えてゆく JR只見線」(2019年7月3日) 

・福島県:平成31年度 包括外部監査報告書「復興事業に係る事務の執行について」(PDF)(令和2年3月) p140 生活環境部 生活交通課 只見線利活用プロジェクト推進事業

・(公社)新潟県観光協会:にいがた観光ナビ「JR只見線

・(一社) 魚沼市観光協会:秘境を行く! JR只見線

・拙著:「次はいつ乗る?只見線」カテゴリ -- / -只見線全線乗車-

  

 


 

 

今朝、郡山駅に向かい、磐越西線の会津若松行き列車に乗り込んだ。

 

8時29分発の列車に乗るとちょうどよく「只見線満喫」号に乗り換えられるが、今回は指定券が取れず席取りのため並ぼうと、1本前の列車に乗った。

6:52、磐越西線・会津若松行きの列車が郡山を出発。

 

沼上トンネルを潜り抜け会津地方に入ると、上空には一部青空が見えてきた。明日、67回目の山開きを行う予定の「磐梯山」(1,816.2m、会津百名山18座)は、山頂がすっぽりと雲に覆われていた。*参考:拙著「猪苗代町「磐梯山」山開き登山 2023年 春」(2023年5月28日)

 

 

8:08、会津若松に到着。改札を抜け駅頭に出ると、駅舎上空には薄い雲が広がり、青空も見えていた。

 

駅舎内の「ぽぽべぇ」が立つ改札脇のスペースでは、今年4月6日に運行を開始した「あいづ SATONO」に関する展示が継続されていた。そして、構内売店の入口には、「ぽぽべぇ」のイラストが描かれた新しいスタンプ台が置かれていた。

  

売店で買い物を済ませ、ホームに向かうことにした。臨時列車「只見線満喫」号は発車は9時59分で、会津川口行きの列車(7時41分発)と小出行きの2番列車(13時5分発)の間、5時間24分列車の設定のない時間帯に組み込まれた。 

2-3番線ホームに行くと、既に数人が並んでいた。

ホームの足元には、「只見線満喫」号の乗車口を示す案内表示があった。私は、ここに立ち列車を待つことにした。

しばらくすると、向かいの5番線に、会津鉄道の観光列車「お座トロ展望列車」(月号)が入線した。そして入線から17分後、花号として会津田島に向かって出て行った。

 

ホームに並ぶ客が多くなってきて、発車時刻の10分前に、ようやく「只見線満喫」号が入線してきた。車両はキハ110だった。

「只見線満喫」号が停車すると、列車の周辺で慌ただしく写真撮影する方がいた。そしてホームには揃いの法被を着た駅スタッフがホームに集まり、列車の出発時間が近付くと10名を超えていた。

 

 

9:59、「只見線満喫」号が、会津若松を出発。駅スタッフが、小旗を振り、横断幕を広げて見送ってくれた。

 

「只見線満喫」号の車内の様子。

私が乗った2号車は、BOX席に1人以上の客が座り、それぞれのロングシートにも複数の客の姿があった。

全て座席指定の3号車は、ロングシート(これも指定席‼)を含め満席に近かった。

そして、先頭1号車。2号車と同じような客数だった。

この1号車は“サイクルトレイン”になっていて、輪行バッグに収納されていない剥き出しの自転車(ロードバイク)が2台見えた。

今回の「只見線満喫」号では、サイクルトレインの社会実験が行われていて、事前登録すれば自転車の持ち込みが可能になっていた。*下掲出処:只見線利活用推進協議会・国土交通省東北運輸局・東日本旅客鉄道㈱東北本部「只見線サイクルトレイン導入に向けて社会実験を実施します」(2024年4月11日) URL: https://www.jreast.co.jp/press/2024/sendai/20240411_s02.pdf


 

列車は快速運転で、七日町西若松を通過すると大川(阿賀川)を渡った。上流側には会津盆地を塞ぐ“大きな戸”のような「大戸岳」(1,415.9m、同36座)の山塊が見えた。

 

会津本郷を通過した直後に会津若松市から会津美里町に入ると、線路の両側に田んぼが広がった。代掻きを終え田植えを待つ畝が多かったが、小さな稲が並ぶものもあった。

  

会津高田の手前では、会津総鎮守・伊佐須美神社の山岳遷座地である「博士山」(1,481.9m、同33座)と「明神ヶ岳」(1,074m、同61座)が近付いて見えた。*参考:伊佐須美神社「御由緒・歴史」URL: https://www.isasumi.or.jp/outline.html

 

会津高田を通過し、“高田 大カーブ”で列車の進路が西から北に変わったのを機にビールを取り出し、呑み始めた。陽光を浴びた只見線沿線の景色眺めながら呑むビールは、各段に旨かった。

 

根岸手前では、田植えを終えた広大な田園越しに「磐梯山」の稜線がはっきりと見えた。

 

 

9:52、新鶴を経て若宮を通過する手前で会津坂下町に入った列車は、会津坂下に停車。上り列車と交換を行った。

 

会津坂下出発後、列車は只見線にとって会津平野と奥会津の境界となる七折峠に入った。登坂途上、塔寺手前の木々の間からは会津平野の様子が見られた。

登坂を終え、下り坂となり“坂本の眺め”を通過するが、「飯豊山」(2,105.2m、同3座)を盟主とする飯豊連峰が雲の連なりに隠れて見えなかった。*参考:公益財団法人 福島県観光物産交流協会「ふくしま30座」飯豊山  https://tif.ne.jp/yamafuku/mt30/18.html

 

柳津町に入る手前で会津坂本を通過。貨車駅舎(待合室)に描かれた「キハちゃん」は、満面の笑顔で見送ってくれた。*参考:会津坂下町「只見線応援キャラクター誕生!!」(2015年3月13日) https://www.town.aizubange.fukushima.jp/soshiki/2/3337.html / YouTube「キハちゃんねる」URL: https://www.youtube.com/channel/UChBGESkzNzqsYXqjMQmsgbg


 

10:44、列車は横断幕を広げた町民有志が出迎える会津柳津に停車。この光景は、臨時列車や観光列車の運行の際に恒例となった。

 

会津柳津を出て、郷戸手前で通過した“Myビューポイント”では、「飯谷山」(783m、同86座)の山容がよく見えた。

 

 

滝谷を通過直後に、滝谷川橋梁を渡り三島町に入った。*以下、各橋梁のリンク先は土木学会附属土木図書館デジタルアーカイブス歴史的鋼橋検索

 

 

会津桧原を通過し、桧の原トンネルを抜けた列車は「第一只見川橋梁」を渡った。列車はトンネル内から減速し、“観光徐行”しゆっくりと橋を走行した。

川面の水鏡は出ていなかったが、上流、下流側とも両河岸の青々と茂った木々に覆われて、まずまずの見ごたえだった。*只見川は東北電力㈱柳津発電所・ダムのダム湖

車内放送で観光案内もあったことから、車内では“撮影会”が行われた。3両のほとんどの客が車窓にカメラやスマホを向けて、シャッターを押していた。

 

列車は、かなりスピードを落としていたので、私は上流側、駒啼瀬右岸上方の鉄塔下に向けてカメラをズームにしてみた。「第一只見川橋梁ビューポイント」の最上部Dポイントと下のCポイントには、この列車にカメラを向ける“撮る人”は居なかった。

 

渡河後、名入トンネルを抜け会津西方を通過すると「第二只見川橋梁」を渡った。上流側には「三坂山」(831.9m、同82座)が見えた。*只見川は柳津ダム湖

ここでも“観光徐行”は行われ、桧原丸山城跡を抱える「丸山」(465m)や四等三角点“桧原”(519.1m)に向かって、只見川がスゥーっと延びる下流側の風景をゆったりと見る事ができた。*参考:拙著「三島町「名入鉄橋ビューポイント」/四等三角点「桧原」登山 2024年 冬」(2024年2月24日)

   

列車は会津宮下に停車するため減速しながら、「みやしたアーチ3橋(兄)弟」の長男・大谷川橋梁を渡った。右側の車窓からは次男の宮下橋(県道237号線)の一部が見えた。*参考:福島県土木部 まちづくり推進課「ふくしまインフラツーリズム」宮下アーチ3兄(橋)弟 URL: https://www.pref.fukushima.lg.jp/site/infra/miyashita-arch.html

 

会津宮下を出ると、東北電力㈱宮下発電所の背後、そして宮下ダムの脇を駆け抜けた。

そして、宮下ダム湖(只見川)沿いに走行した列車は、「第三只見川橋梁」を渡った。

“観光徐行”が行われた車内からは、人工物が見られない渓谷の風景が見られた。陽光は弱いながらも河岸の旺盛な緑を照らし、渓谷は生き生きとしているように見えた。

  

早戸を通過し金山町に入った列車は、国道252号に沿って細越拱橋を渡った。

 

会津水沼を通過するとまもなく、下路式トラスの「第四只見川橋梁」を渡った。

 

会津中川を通過し、大志集落の背後を駆けた列車は、只見川に近づいた。国道252号線沿いの「かねやま ふれあい公園」付近で右側の車窓から振り返ると、只見川に突き出た大志集落が見えた。*只見川は、東北電力㈱上田発電所・ダムのダム湖

 

11:28、会津川口に停車。向かい側には、12時29分発の会津若松行きの列車が待機していた。

 

会津川口で1分停車の後に出発した列車は、“2022年10月1日運転再開区間”に入り、まもなく「第五只見川橋梁」を渡った。

 

本名を通過すると、まもなく復旧工事で開放的な上路式から下路式トラスに一新された「第六只見川橋梁」を渡った。上流側直下に建つ東北電力㈱本名発電所・ダムのゲートは閉じ、放流はしていなかった。全ての落水は発電所でタービンを回しているようだった。

 

渡河後に本名トンネルに入り抜けると、民宿「橋立」駐車場の隅に立つ、只見線(135.2km)中間点を示す看板(ここが、只見線の真ん中だ!)の前を通過した。

 

ここから“呑み鉄”。

今回も只見線の全線ということで、“会越の酒”呑み比べを行うが、今日は福島県の酒が、先日行われた全国新酒鑑評会(令和5年度酒造年度)で全国2位の18個の金賞受賞を祝して、受賞酒蔵の1本を追加した。*下掲記事:どちらも2024年5月23日付け第一面 (左)福島民友新聞、(右)福島民報

“日本一9連覇”(2012~2021年酒造年度)以来の金賞受賞数全国一位にはならなかったが、今回の18という銘柄数は、首位の兵庫県とわずか1の差で、“日本酒王国・福島”の蔵と杜氏の質高く安定した技術力を示す事になった。受賞日当日には地元2紙とも号外を発行し、祝福していた。*下掲記事:どちらも2024年5月22日号外 (左)福島民報、(右)福島民友新聞

金賞18の銘柄中、14が会津地方の酒蔵で、その中から今回選んだのは南会津町・花泉酒造㈱の「ロ万 純米吟醸一回火入れ」。金賞は、純米大吟醸の原酒一回火入れ(福乃香35)という最上位酒種だが、今回は四号瓶が手に入らなかった。

「花泉酒造」は1920(大正9)年に設立された南会醸造株式会社を起源に持つ。一度廃業したものの1937(昭和12)年に合名会社として再起し、「富田正宗」や「伊奈川」などの銘柄を出荷し、1950(昭和25)年頃に「花泉」が誕生したという。*出処:日本酒のおなまえ「ロ万(ろまん)」URL: https://nihonshu-name.com/interviewlist/roman/ 

 

全国新酒鑑評会への出品は『従業員の士気が上がる。新しいことへの挑戦が大切』という杜氏の考えで、創立100周年となる2020年から始め、5回目となる今年に念願の金賞を受賞した。*出処・下掲記事:福島民友新聞 2024年5月23日付け紙面 *筆者にて赤線、ボカシ入れなどの加工

「ロ万」を、会津本郷焼「閑山窯」の酒器で呑んだ。

口当たりは吟醸酒の香りが立ち、濃厚なの吞み口だったが、のど越しはさっぱりしていた。もちろん雑味は感じず、旨く質の高い酒だった。

福島県の日本酒の力量を改めて感じつつ、只見線内で旨い地酒呑める喜びに浸りながら、「ロ万」をチビチビと流し込んだ。

  

列車は会津越川会津横田を通過し、「第六」同様に一新された「第七只見川橋梁」を渡った。

 

 

会津大塩を通過した列車は、滝トンネルを抜けて只見町に入った。鼠色の大きな雲が上空に広がっていたが、雨は落ちていなかった。

 

会津塩沢を通過すると「第八只見川橋梁」を渡った。

 

会津蒲生を通り過ぎてしばらくすると、只見線最長の叶津川橋梁(372m)を渡り始めた。

下流左岸には、“撮る人”と“ティラノサウルス”が居て、列車に向かって手を振ってくれていた。この“恐竜”は、只見線の臨時(観光)列車の運行に合わせて、茨城県から駆けつけているという。

 

渡河後まもなく、左の車窓からは“会津のマッターホルン”の名に相応しい山容の只見四名山「蒲生岳」(828m、同83座)が見えた。

そして、市街地が近付くと県立只見高校越しに只見四名山「会津朝日岳」(1,624.3m、同27座)も見えた。

   

 

12:05、「只見線満喫」号の終点・只見に到着。客はホームから長い連絡道に下りて駅舎に向かっていった。乗り換える小出行きの臨時列車の発車時刻は13時27分ということで、私も駅周辺で昼食を摂ろうと駅舎に向かって歩き出した。

 

先頭の1号車で実施されていた“サイクルトレイン社会実験”の利用者は、結局会津若松駅から乗り込んでいた1組だった。2人は自転車を押して駅舎を抜け、まもなく駅頭からペダルを漕いで駆け出していった。

*後日追記
サイクルトレインを利用した1人は新聞記者だったようで、1か月後にWebに記事が載っていた。この後2人は、会津若松市まで自転車で戻ったという。
出処:読売新聞 地域 We loveみちのく「絶景のローカル線・JR只見線の期間限定「サイクルトレイン」に乗る」(2024年6月27日)
URL: https://www.yomiuri.co.jp/local/michinoku/20240624-OYT8T50010/

 

 

駅頭のJR只見線全線運転再開カウントボードは602日を表示していた。

また、駅頭から南西の山並みを見ると、猿倉山(1,455m)から横山(1,416.7m)の稜線に現れる“寝観音”様が見えた。

  

只見駅前にある「只見線広場」の売店や休憩所を併設した「只見インフォメーションセンター」には、「只見線満喫」号から下りた客が多く訪れていた。

私は、同敷地内にある「ねっか 駅前醸造所」を訪れた。「ねっか」の主力商品は米焼酎だが、「輸出用清酒製造免許」を取得(全国交付第1号‼)し輸出用の日本酒を醸造していることもあってか、入口には杉玉が吊るされていた。

引き戸を開けて店内に入ると、正面の棚には「ねっか」が製造している製品の一部が、製造工程を示すパネルとともに飾られていた。

『蒸留する』(米焼酎「ねっか」)、『貯蔵する』(樽貯蔵の米焼酎「奥会津」)、『発酵する』(「ねっかのどぶろく」)、そして『しぼる』(輸入専用の日本酒「流觴」)。

今回は、「ねっかのどぶろく」を頂くことにした。「ねっかのどぶろく」は隣りの「只見インフォメーションセンター」でも購入できるが、『最初の“一杯”は「ねっか 駅前醸造所」で』と思っていて、ようやくてにすることができた。


昼食は、駅前通りにある「そば処 しおさわ庵」で蕎麦と天ぷらをテイクアウトし、列車内で食べることにした。


 

『小出行きは混むだろう』と早めに駅に戻り、誰も居ないホームに向かい列車を待つことにした。

 

13時10分頃ホームに多く客が集まり出し、遠くから汽笛が聞こえ車輪がレールを駆る音が近付き、小出行きの列車が回送運転されてきた。キハE120形の2両編成、先頭は旧国鉄カラーだった。 

只見線は島式ホームを持ち、2線あり列車の交換が可能だったが、昨年6月にJR東日本から只見町に対して「只見駅一部設備改修」が提示された後、実際に東側の1線が使用されなくなり、列車交換が行われなくなってしまった。*下掲出処:只見町議会だよりNo.172(2023年7月) 表紙と4ページ URL: https://www.town.tadami.lg.jp/parliament/2023/08/01/172.pdf *筆者にてボカシ加工と赤線記入

この入線してきた列車は、小出(9時発)~只見(10時29分着)間に運行された臨時列車で、只見到着後に小出に向かって回送され、再び回送運転で只見にやってきたようだった。

これは、只見駅で列車交換ができない為の措置で、この回送運転の方が交換設備などを維持するより安全確保とコスト削減につながるというJR東日本の判断だろうが、色々と問題があると感じた。

まず何より、対面乗換ができない点。「只見線満喫」号の向かい側に、小出行きの列車が停車していれば、小出に向かう客は対面乗換し、席を確保し車内で過ごしたり、安心して駅前で買い物や食事ができるが、それが叶わない。

そして、只見線で列車の交換ができないと、会津川口~大白川間の約50kmが棒線化(交換できない路線)し、列車の増発に大きな制限が加わったり、列車にトラブルが発生した場合に上下線ともにダイヤが大幅に乱れるなどの観光客を中心に多大な影響を与える可能性が高まる。

只見線は全線JR東日本の管轄だが、会津若松~只見間が東北本部、只見~小出間が新潟支社と担当が分かれている、そのため、臨時列車で直通運転が行われないなど“分断の運営”が行われているが、“観光鉄道「山の只見線」”として多くの客を呼び込み定着させるためには、只見線全線・会津若松~小出間(135.2km)を一体的にとらえた利活用の実践が欠かせない。

只見線の列車交換設備が完全に不能となっているかは不明だが、只見線の利活用を中心になっている福島県は引き続き列車の増発や観光列車の運行をJR東日本に働きかけると共に、除雪・凍結対策によりコストが掛かる冬期以外で只見駅で列車交換を可能とし、観光客の利便性を高める事も同社に提案して欲しいと思った。

 

 

列車に乗り込み席に座り、「しらさわ庵」で購入した蕎麦と天ぷらを食べた。天ぷらを食べ、日本酒「ロ万」で流し込み、〆に蕎麦を食べるという、よい昼食になった。

  

13:27、小出行きの臨時普通列車が只見を出発。

今回、切符は郡山~只見間の往復は「小さな旅ホリデー・パス」を利用し、フリーエリア外の只見~小出間を別に会津若松駅で購入していた。

 

列車が上町トンネルと3つのスノーシェッドを抜けると、左側の車窓から電源開発㈱只見発電所・ダムの洪水吐ゲートと、その奥に谷間を塞ぐ鼠色の電源開発㈱田子倉発電所・ダムの巨大な堤体が見えた。

 

列車はディーゼルエンジンの出力を上げ登坂し、田子倉トンネルを抜けると、余韻沢橋梁を渡った。左の車窓からは、田子倉ダム湖の中心部が見通せた。*田子倉ダム湖は只見川が田子倉ダムでせき止められたもの

続いて、田子倉駅跡が残るスノーシェッドを抜けると、国道252号線只見沢橋越しに岩肌が露出した山々が見え、その間からは「浅草岳」山塊の「南岳」(1,354m)が見えた。*参考:只見町ブナセンター 公式Youtbeチャンネル「雪食地形」 URL: https://www.youtube.com/watch?v=JBzi_I7g7S4

 

国道252号線と交差しスノーシェッドを抜けると、右の車窓から只見四名山「浅草岳」(1,585.4m、同29座)が見えた。

 

13:36、只見沢を渡り、只見線最長の「六十里越トンネル」(6,359m)に突入した。

  

  

13:43、「六十里越トンネル」を抜け新潟県魚沼市に入り、その直後に「第十六末沢川橋梁」(21.6m)を渡った。

新潟県側の空は、薄い雲が広がっていたが、陽射しは強く木々の緑を照らしていた。

列車は、ディーゼルエンジンの出力を控え、下り坂を快調に駆け進んだ。

  

「第六末沢川橋梁」を渡ると、国道252号線の茂尻橋の真っ赤な下弦のトラス鋼材が際立って見えた。

 

 

向平トンネルを抜けると、減速した列車は左に緩やかに曲がりながら、末沢川が注ぐ破間川に架かる「第五平石川橋梁」を渡った。

 

13:56、大白川に停車。会津若松行きの列車と交換を行った。

 

車内の様子。6~7割の乗車率で、「只見線満喫」号で見かけた方も多く見られた。私と同じように臨時列車を乗り継ぐ、只見線全線乗車旅をしている方が多いようだった。

  

「一ツ橋トンネル」を抜け「第四平石川橋梁」を渡った。右の車窓車窓から下流側に、山肌の緑と破間川の清流に包まれる、国道252号線の柿ノ木スノーシェッドの赤い鋼材が映えていた。

 

列車は、入広瀬上条を経て左側に大きく曲がる場所で、苗が並んだ田が鏡のように綺麗に見えた。畔には草刈り機を抱える方が立って、この列車を見つめていた。

 

「第二破間川橋梁」を渡ると、右の車窓から、「鳥屋ガ峰」(681.2m)山塊のなだらかな山容が見えた。*参考:拙著「魚沼市「鳥屋ガ峰」ー 四等三角点「西村山」トレッキング 2023年 初冬」(2023年12月9日)

*(注)破間川は、源流から旧大栃山村と旧穴沢村の境界(黒又川合流点付近)までを平石川と呼んでいたため、鉄橋には黒又川合流点より上流に“平石川”、下流に“破間川”という名が付けられている。 

 

越後須原の手前では、田園越しに“権現堂山”(「下権現堂山」(896.7m)、「上権現堂山」(997.7m))から「唐松山」(1,079.4m )に至る稜線がくっきりと見えた。*参考:拙著「魚沼市「権現堂山」登山 2020年 盛夏」(2020年8月13日)

  

魚沼田中越後広瀬を経て「第一破間川橋梁」を渡った。

 

藪神を出ると「越後三山」のビューポイントになるが、右端の「八海山」(1,778m)は見えたが、真ん中の「中ノ岳」(2,085.1m)は雲に隠れ、左端の「越後駒ヶ岳」(2,002.7m)は一部が雲の下に出ていた。

   

列車は減速し、終点を告げる車内放送が流れ、左に緩やかに曲がりながら魚野川橋梁を渡った。

   

 

14:40、終点・小出に到着。只見線全線(135.2km)の往路旅が終わった。

 

跨線橋を渡り改札口に向かうと、1番線ホームでは地元の観光協会がテーブルを置き物販をしていた。

改札を抜け、駅頭に出て駅舎上空を見上げると、青空が広がっていた。


復路で乗る会津若松行きの列車の発車時刻は16時12分。約4時間の長旅に備え、市街地に買い出しに向かった。

魚野川に架かる県道371号(堀之内小出)線の小出橋を渡り、上流側の欄干に立ち「越後三山」方面を眺めた。ここでも右端の「八海山」は全体が見えたが、「中ノ岳」と「越後駒ヶ岳」は変わらず頂上付近が雲に覆われていた。

 

スーパー「サカキヤ」に到着。夕食や酒のつまみを購入した。

 

次は、新潟の地酒。来た道を引き返し、小出駅前の「富士屋」に立ち寄った。

「富士屋」の店頭にはレンタルサイクルと記された幟が立ち、電動アシスト付きのロードバイクが停車していた。

2時間までが1,000円、4時間までが1,500円と、自転車の“車格”からすればリーズナブルだと思った。また、福島県側は“ママチャリ”型が大半を占めているので、羨ましかった。*参考:魚沼市観光協会「小出駅前【レンタルサイクル】始めました!」(2024年4月29日) URL: https://www.iine-uonuma.jp/202404-20242/

 

地酒を購入し小出駅に戻ると、駅窓口はシャッターが下りていた。この春、小出駅も窓口の終日営業が改められ、7時50分~15時に短縮された。

JR東日本は一応私企業で業務効率化・コスト削減をするのは当然だが、“観光鉄道「山の只見線」”の新潟県側の起点駅という事を考慮し、地元(魚沼市)への窓口業務委託を提案するなど只見線の観光路線化に水を差さない対応ができなかったのだろうかと思った。

 

改札を通ると、只見線のホームには往路私が乗ってきた列車だけが停車していた。会津若松行きの最終列車になるようだった。

只見線のホームに向かい南端に立ち、列車の扉が開くまで周囲の景色を眺めた。

  

 

16:12、会津若松行きの最終列車が、小出を出発。まもなく右に大きく曲がりながら「魚野川橋梁」を渡った。

客は少なく、先頭車両が4人で、私が乗った後部が3人だった。陽が長い夏場でも、途中で暮れて車窓からの景色が見られなくなる只見線の上下最終列車の乗客は極端に少なくなる。「只見線利活用計画」では、双方の列車の客が少しでも増えるような取り組みも欠かせない、と改めて思った。


藪神を出てから“会越の酒呑み比べ”を始めた。越後の酒は、八海山醸造㈱の「八海山 特別純米原酒」を選んだ。

「八海山」は全国新酒鑑評会では金賞の常連だが、今年は入賞だった。しかし、新潟県を代表する、外れが無い旨い酒だ。

「八海山 特別純米原酒」を呑む。

原酒というだけあって濃厚で、冷酒でありながら香りも華やかだった。ただ、呑んだ後の余韻は、純米酒そのものでスッキリと味わえた。旨い酒だった。

 

列車は、越後広瀬を経て魚沼田中を出て、しばらくすると「大倉沢橋梁」を渡った。*破間川は東北電力㈱薮神発電所・第二薮神発電所の調整池である薮神ダムのダム湖

そして、越後須原を経て上条を出てしばらくすると、「鷹待山」(339m)を巻くように入広瀬に至る大カーブを通過した。

 

「第一平石川橋梁」を渡ると、破間川の水を黒又川にバイパスさせる取水堰を越水する瀑布が見えた。

 

 

17:00、大白川に停車。会津若松発・小出行きの2番列車と交換を行った。小出行きは4~5割の乗車率だった。

郡山から会津若松に移動しこの2番列車(13時5分発)に乗った場合、ここ(大白川駅)で下車し、今私が乗る最終列車に飛び乗る事で日帰り旅が可能だ。乗り換え時間は1分だが、対面なので焦らなくても十分に乗り換えができる。

  

17:01、大白川を出発し「第五平石川橋梁」を渡った。前方にはこれから16回渡河する、破間川の支流・末沢川が見えた。

 

 

 

17:11、ディーゼルエンジンを蒸かし快調に登坂した列車は、「第十六末沢川橋梁」を渡った直後に「六十里越トンネル」(6,359m)に突入した。

    

 

8分ほどで「六十里越トンネル」を抜け、福島県只見町に戻った。

そして、左の車窓からは、只見四名山「浅草岳」(1,585.4m、会津百名山29座)の山容が良く見えた.。*参考:拙著「只見町「浅草岳」山開き登山 2017年 初夏」(2017年6月25日)


続いて、国道252号線と交差すると、田子倉駅跡が残るスノーシェッドを潜った。

スノーシェッドを抜けると、余韻沢橋梁から田子倉ダム湖の中心部が見通せた。

  

列車が「田子倉トンネル」(3,712m)を抜けしばらくすると住宅が見え始め、市街地に入ると左の車窓から只見四名山「要害山」(705m、同91座)が見えた。*参考:拙著「只見町「要害山」登山 2016年 初夏」(2016年7月20日)

 

17:30、只見に停車。新潟県側で先頭車両の客が3人降り、総客数は4人となっていた。

停車中に、“会越の酒 呑み比べ”を再開。会津の酒を呑み始めた。今回は、先日南会津町を訪れた際に手に入れた国権酒造の“黒てふ”こと「てふ 純米大吟醸」を持ち込んだ。“白てふ”(純米生貯蔵酒)、“赤てふ”(辛口純米酒)は呑んだことがあるが、“黒てふ”は初めてだった。

アテは、「かもめちくわ」。

「てふ 純米大吟醸」を呑む。

旨い! 濃厚で豊かな香りが立ちながら、キレがあり、のど越しは純米酒のような爽快感があった。

“普段酒”のような手軽さを感じるが、一口一口に確かな深みと香りがあり、純米大吟醸のイメージを変える酒だった。限定醸造だが、次のシーズンにも手に入れたいと思った。

 

18:00、1人の乗降も無く、只見を出発。まもなく、右の車窓から西陽を受けた「柴倉山」(871.1m)が見えた。

 

叶津地区に入ると、只見四名山「蒲生岳」(828m、同83座)が西陽を浴び険しい山襞を見せていた。*参考:拙著「只見町「蒲生岳」登山 2016年 初秋」(2016年10月11日)

この後、列車は「叶津川橋梁」を渡った。

 

渡河後に八木沢地区に入り、右の車窓から振り返ると只見四名山「会津朝日岳」(1,624.3m、同27座)も良く見えた。*参考:拙著「只見町「会津朝日岳」登山 2022年 紅葉」(2022年10月20日)

 

会津蒲生を経て、会津塩沢手前では「第八只見川橋梁」を渡った。

 

滝トンネルを抜け金山町に入り、会津大塩を経て「第七只見川橋梁」を渡ると、会津横田手前で里山の長閑な夕暮れの景色が見られた。

  

列車は只見駅以後1人の乗降も無く、会津越川、「第六只見川橋梁」、本名を経て「第五只見川橋梁」を渡った。右の車窓からは只見川の幅広の蛇行部に冴えた水鏡が見られた。

 

 

18:53、会津川口に停車。小出行きの最終列車と交換を行った。2両編成の小出行きの客は、なんと1人だった。

 

19:08、3人の客が新たに乗り込み、列車は会津川口を出発。まもなく左に大きく曲がり、大志集落のビューポイントを通過した。陽が落ち集落は薄闇の中だったが、左の車窓から見える只見川の水鏡に映り込んだ周囲の風景は、美しかった。

 

この後列車は、濃くなった闇の中を快調に駆けた。私は、“黒てふ”を呑みながら本を読んで時間を過ごした。

 

 

20:55、会津平野に入り会津坂下以後に少しずつ客を増やした列車は、終点の会津若松に到着。私は磐越西線の列車に乗り換えるため、客の列の後ろについて跨線橋を渡った。

 

22:13、磐越西線の列車に乗り換えて、定刻に郡山に到着。私はここから自宅に戻ったが、郡山駅から中通り・県北の福島駅や県南の白河駅にも普通列車や新幹線を利用し当日中に帰ることが可能だ。

予定通り、郡山駅発着の只見線全線往復乗車日帰り旅が終わった。初めての試みだったが、まずまずの天候に恵まれ、充実した旅になった。

郡山駅発着の只見線全線乗車日帰り旅は、乗車時間は磐越西線の往復で約2時間、只見線の往復で約9時間、合計11時間の長旅になるということで一般向けではないかもしれない。しかし、只見線の往路と復路は、陽光の角度や光量で車窓から見える景色が違って見え、一度経験すれば緑多い環境に慣れ親しんだ福島県民といえども『また、いつか列車旅したい!』と思えるほどの魅力があると改めて感じた旅になった。

 

福島県中通りの方々が『只見線に乗ってみよう』と考えた時、最初の一歩は奥会津の三島町や金山町、只見町になるかもしれない。ただ、“日帰りで全線往復旅ができる”というオプションがあれば、只見線を利用した旅への引力は高まるのではないかとも、今回の旅が考えた。

 

今後、JR東日本が運行してくれる臨時の「只見線満喫」号や只見~小出間の普通列車に乗車し旅する福島県中通りの住民が増えて欲しいと思う。同時に、「只見線利活用計画」を進める福島県は中通りの住民が只見線を利用した旅に興味を持つような取り組みをして欲しい、と今回の旅を終えて思った。

 

 

(了)

 

 

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*参考:

・福島県 :只見線管理事務所(会津若松駅構内)

・東日本旅客鉄道株式会社:「只見線について」(PDF)(2013年5月22日)/「只見線(会津川口~只見間)の鉄道復旧に関する基本合意書及び覚書」の締結について(PDF)(2017年6月19日)

・魚沼市 だんだんど~も只見線沿線元気会議:Facebook (URL: https://www.facebook.com/dandandomotadamisen )

・BSN新潟放送公式チャンネル:【そらなび ~にいがたドローン紀行~】「第73回「只見線(魚沼市)」2020年2月29日放送」

  

【只見線への寄付案内】

福島県はJR只見線全線復旧後の「上下分離」経営での維持費や集客・地域振興策の実施費用として寄付を募集中(クレジット可)。

①福島県ホームページ:只見線復旧復興基金寄附金・只見線応援団加入申し込みの方法 *現在は只見線ポータルサイト「只見線応援団」URL:https://tadami-line.jp/support/

 

②福島県:企業版ふるさと納税

URL:https://www.pref.fukushima.lg.jp/sec/16005g/kigyou-furusato-zei.html

[寄付金の使途]

(引用)寄附金は、只見線を活用した体験型ツアーや周遊ルートの整備、只見線関連コンテンツの充実化等に活用させていただきます。 沿線地域における日本一の秘境路線と言われる観光資源を活用し、更なる利用者の拡大と認知度向上を図ります。

  

以上、宜しくお願い申し上げます。