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(社)全日本空道連盟 大道塾静岡西道場

狸坂通りで

2024.05.13 14:40

 大学のときに入っていた同好会の、

同期生が32年ぶりに集まるので来ないかと誘われて、先週土曜に彼は地方から上京した。

 新幹線で2時間半だからさほど遠くはないそうだ。

 けれども大学を卒業してから東京へあまり行ったことがない彼は、

待ち合わせの時刻には2時間も早く着いてしまったと話してくれた。

 時間潰しに彼は書店に入る。〈洋書〉とある棚の壁には小さな短冊が貼り付けてあった。「心の底から湧きあがるのが愛です」

 歌舞伎座を外から眺めたり、海のほうの雰囲気を知ったりしていると同期会開始の時刻である。場所を離れていたことに気づいた彼は急いで向かったと話した。

 彼が言うには、彼以外の七人はみな、自らの努力で紆余曲折を経て好きな仕事に就いたり出世したりしていた。

 けれど彼だけは別段、報告するようなことがなくて、近況報告のときに口ごもったという。

「なんかお前がとても心配だ」と一人が彼に言ったそうだ。何十年の懸隔などすぐに縮まってしまう。

 彼の様子がいかにも縮こまっていたのだろうか。「誇るものがないことないよ」って言ったらしい。

 励ましてくれようとしたのか、友の一人が彼の顔に手を伸ばす。彼はびっくりしたと話した。

「学生のときからそうだけど肌綺麗だね」と一人がいった。それが取り柄なのか。

 そのあとでふたり、三人と続いて言ったということだ。さらに他の友も呼応して、友人たちはかわるがわる彼の顔を撫でた。なんかの詣みたいだったと彼は笑って話してくれた。

「あれなんかぬるぬる」「なに泣いてんだよう」って彼は背中をばんばん叩かれたらしい。それで「定時刻になると保湿成分が出るから肌がつややかなんだよう」と彼は主張したそうだ。

 みんなそれぞれ努力をして自己実現をしているのに、自分だけ立ち止まって呆けているような気がしたという。

 悔しいという気持ちはないけれど、おいてけぼりにされたような気がしたのだと彼は述懐した。

 同窓会に集まったのに、自分だけ共通の話題を忘れてしまったような。

「絵の具みたいに俺のもお前の顔に塗ってやる」と言って彼は照れ隠しに目から目へ水を塗りたくったそうだ。

「学生じゃないんだから」ってみんな笑い転げていた。笑いすぎたのか、しばらくして静かになった。

 いつしか会計も終わって店の外に出ていたと彼は言った。

 幹事役の友だちが声を張りあげた「最後に写真撮るぞう」

こんな俺でも、友だちがいるんだようって、彼は大粒の涙を流しながらうれしそうに言った。

 今日は五人で稽古をした。

 誰も迷子にならないように見守っていたいと思う。