苦しいのはなぜ?
生きていて苦しくなっちゃうのはなぜでしょう。
そこには自分をさばき続けるジャッジメントが自分の中に存在するからです。
こうしてはならないとか、こうでなければならないとか、常に自分がしたいことや生き方について物申すご意見番が自分の中にいう存在するからです。
自己肯定感を上げるためのセミナーでよく言われる『自分を愛しましょう』というメッセージ。
それを聞いて、皆さんはどんなことを想像しますか??
私にご縁頂いた生徒さんからよくこんな質問をいただきます。
『自分ってどうやって愛すればいいんですか?』
そうですよね。自分の愛し方がわからないからここに来たんですもんね。
多くの方が、自分を愛するって聞くと、
自分の好きなことする!・・・とか
食べたいものを食べる!・・・とか
自分を優先させる!・・・とか
答えてくださいます。
そうですね。それも確かに自分を愛することだと思います。
だけど、それ頭には今までだって浮かんできてはいたけどできなかったことではないですか?
自分の好きなことをしたい!だけど自分の好きなことだけでは食べていけないとか、
自分の好きなことだけしていたら周りからよく思われないからダメ!
って自分の内側がジャッジしてやらないという選択をしてきたんじゃないですか?
食べたいものを食べたい!
だけど栄養が・・とか、
太るし・・とか、
経済状況を考えると・・とか、
みんなに合わせないとだめだよ!
って自分の内側がジャッジするから食べないと選択したり、食べたとしても罪悪感を持ちながら豊かさを味わえなかったのではないですか?
自分を優先していきたい!
だけど、自分を優先させたら嫌われる・・・とか、
自己中と思われる・・
って自分の内側がジャッジして、人に好かれるために、認めてもらうために自分よりも他者を優先しよう!と選択してきたんじゃないですか?
自分を愛するってそんな物理的な大きなことではないんです。
もっと自分の内側を丁寧に見つめて感じてあげることから自分への愛ははじまります。
何かおびえて、常に自分をジャッジしているその自分に気づいて話を聞いてあげることが愛です。
何におびえてそんなに自分を誰かが決めた正しさへ導こうとしているのでしょう?
何が怖くて、自分ではない誰かの正しさに染まろうとしているのでしょう?
その自分の中にいる自分の本当の声を聴いて、ただただ共感することこそが愛なんです。
その声を無視して好きなことをしても、好きなものを食べても、自分を優先させたとしてもその後罪悪感を感じてしまうことになってしまいます。
それは、本当に自分への愛でしょうか?
もっと丁寧に、もっと大切に自分の内側を、自分の本当の声に耳を、心を傾けて共感する。
愛とはそんなミクロな世界から始まり、最終的に罪悪感なく自分の好きなことかできるようになり、自分の食べたいものを食べれるようになり、自分を優先し堂々と生きることができるようになり、さらにそれが周りを幸せにしていくそんな循環をうむのです。
だから、まずはそうできるようになるために自分の愛し方、それを一緒に見つけていくお手伝いをさせていただきます☆彡