白い花
https://www.asahi-net.or.jp/~nu3s-mnm/wa-ku_memenntomori.htm【死のワークショップ】
Facebo1おk大日月地神示/神人 ·蛯名 健仁 · さん投稿記事 ·
【日月地神示/抜粋解説】
艮金神(うしとらのこんじん)とは、何なのか?一般的には天道における方位神のことで最も恐れられている悪神となりますが、日月地神示に現れて来る艮金神の真の解釈としては、京の都から見た方角そのものを示しており、東北地方のことである蝦夷(えみし)、又は蝦夷が祀る神=アラハバキ(荒吐神)のことを指しております。時の権力に逆らう土着民である鬼(オニ)らの棲む国・方角という意味付けになります。
ですから、中央政府=土地を奪い続け民を迫害してきた渡来人らは、昔から蝦夷勢力(土着民の怨念)、蝦夷が祀る神(自然神)の祟りを恐れ、天道=陰陽道を用いた祭事が京では頻繁に為されてきました。
アラハバキ(荒吐神)とは本来は自然崇拝のことであり、渡来人らが仏教を中心に日本を治める以前からある土着信仰(縄文以前からのネイティブ信仰)のこと。
神人を通じて降ろされる日月地神示を伝える神靈は、縄文古来から自然崇拝の教えを人民に説いて来ている靈団となります。神人 拝
https://www.sachina.jp/posts/36974985 【【縄文遺跡巡り@青森】遮光器土偶とアラハバキ神】より
こんばんは、ヒーラーの熊木幸奈です。(上記写真は木造駅にて)
青森県へ縄文遺跡巡りと神社巡りのために行ってまいりました。
縄文文明を感じ取る事とその土地の神様に会いたかったからです。
(下記写真4枚は三内丸山遺跡にて)
縄文時代は1万年以上とか、1万7千年ほど続いたと言われています。
その間、戦争の武器が一切出土してないことから、古代の日本人は平和で助け合って暮らしていたようです。これだけでもトンデモなく凄いことだなと感じます。
だって縄文時代の頃、世界では既に戦争ばかりの奪い合いの世界観(歴史)だから。
一方で日本は10,000年以上もの間、平和に暮らしていたということは、それだけ日本人のDNAに平和や調和のDNAが深く刻み込まれていると改めて実感します。
ちなみに弥生時代に入り、水田稲作が発達し出すと一気に支配される側と支配する側との分離階級が生まれ、米(富)を貯蔵が出来たことから、その富(現代で言うとお金や豊かな土地、資源)を所有しようと奪い合いの戦争(利権争い)が起こり、今に至るって感じ。
弥生時代から現代までのおよそ2300年間に徐々に不調和になってきたので、縄文時代の1万年以上もの期間、自然と調和して暮らしていた時代の方が断然長いということなんですよね^^ほんとスゴいことだなと^^
その縄文時代は、自然を慈しみ、自然の恵みを受けて、それを不自然に大きくコントロールしようとはせず、集落の皆が食べる分だけを自然から頂いて感謝しながら生きていた時代。
もちろん、小規模の栽培や食べ物を干したり発酵して保存はしていたとしても、その程度の貯蔵だった様子。
(上記写真はつがる市縄文住居展示資料館カルコにて)
三内丸山遺跡の大型掘立柱建物跡から復元した建物や様々な展示物を見ていても、高度な縄文文明を築いていたと言っても言い過ぎではない程で、海を渡っての近隣国(村)との交易も盛んで、シェアしながら暮らしていたように感じました。
きっと、今の時代の支配欲とは真逆の協力体制やシェアしていくのが当たり前な精神が根底にあったのかもしれません。
また、縄文人はおしゃれだったり遊び心もあったようで、石を加工したアクセサリーや装飾性の高い土器、その文様の芸術性、土偶に至っては現代の技術をもってしてもかなり難しいという話もある遮光器土偶なども出土していました。
そのため、縄文時代は高度な縄文文明を築きつつ、それを支える豊かで調和的な精神性があったことを感じます。
どれだけ手間ひまをかけて作ったんだろう、、、と思えるような不思議な文様の土器。
赤が貴重だったのか好きなのか、漆の模様のコントラストが素敵な漆器。
当時のおしゃれ??な髪型の人物。
(上記2枚の写真は、つがる市縄文住居展示資料館カルコにて)
そしてその数の多さ。
一日中、職人のように美しい土器作りのために時間を費やしていた方もいたんでしょうか、、、
(上記2枚は三内丸山遺跡にて)
また、亀ヶ岡石器時代遺跡にも行きましたが、お墓やゴミ捨て場的な貝塚という位置付けの場所は、これは今の感覚と違って、使命を終えた道具や命を神に送り返す場所という雰囲気がしました。そして、やはり気になるのは、そこから発掘された遮光器土偶。
魔除けや豊穣祈願の祭祀に使った女性や妊婦さんの像と言う説が一般的だそうですが、
私には宇宙人にしか見えませんね^^
自然信仰なので、妖精や精霊を神格化したのかもしれませんが、本当のところはどうなんでしょう。。。
(上記写真1枚と下記写真2枚は木造亀ヶ岡考古資料室 縄文館にて)
(上記1枚はつがる市縄文住居展示資料館カルコにて)
さて長くなったので、次回、アラハバキ神のことを書こうと思います。
一説では、縄文時代から崇拝されていた日本最古の神様とも言われているようです。
また通称しゃこちゃんという遮光器土偶という説も!
(下記写真は日本最古級の土器が出土した大平山元遺跡(紀元前13,000年頃)にて)
ちなみに今回、私が巡った縄文遺跡は3ヶ所とプラスその関連する資料館2ヶ所でした。
https://www.sachina.jp/posts/36987560 【縄文の神??龍神??アラハバキ神と古代出雲【青森神社巡り】】より
おはようございます、ヒーラーの熊木幸奈です。前回の続きになります。
*【縄文遺跡巡り@青森】遮光器土偶とアラハバキ神*
私はここ最近、アラハバキという神様がとても気になっていました。
その神様は正体不明とされているのですが、 古代の神様という説があります。
なので縄文時代から崇拝されていた日本最古の神様なのでは、という説もあるよう。
もちろん、古事記や日本書紀にも一切出てこない神様であり、研究者や地域によって解釈が色々とあって、実際のところは分からないわけです。
全国の神社にひっそりと祀られていたりするようですが、割と東北や関東の神社に祀られているようです。
漢字伝来以前から存在しているため、漢字は当て字となり様々な漢字が当てられています。
例えば、荒脛巾、荒吐、荒覇吐、阿良波々岐、荒波々幾、、、とにかく色々な説があります。
客人神(まろうどかみ)という説。
客人神って、他のところから来訪した神様って意味で、古代からいた神様を逆にお客さん扱いし、 後から来た日本神話の神様に地位を奪われてしまったような感じがします。。。
埼玉県の氷川神社は、摂社に客人神として荒脛巾(アラハバキ)として祀られているそうですが、元々は荒脛巾神社としてお祀りしていたという話も。
なので、主祭神として祀られていない場合が多いようです。そちらは素戔嗚や大己貴命など。
更に、塞の神(サエノカミ・サイノカミ)という説は、本来は村境や峠にあってお地蔵さんのように置かれており、その地域を悪霊の侵入をふせぐ魔除けのような神様です。道祖神と言われたり。
宮城県多賀城市の荒脛巾神社は足の脛(スネ)につける布を脛巾(ハバキ)というので、足の神様として祀っているそうで、靴がお供えされているようです。
ちなみにそこでは、蝦夷を制圧するために建てられた多賀城跡にアラハバキが祀られおり、多賀城を守るために魔除け的な塞の神として祀られているようですが、元々、蝦夷が信仰していたアラハバキ神なのに、大和朝廷側が逆に祀ってるの??という不可思議な状態になっている。敵の神様を自分のところで祀ってんの??
「蝦夷は蝦夷をもって制す」という塞の神としての間違った使い方?!をされて、封じ込められたように感じてしまいます、、、
あとは、脛(スネ)の字があるから長髄彦(ナガスネヒコ)とも言われてるそう。
ちなみに長髄彦とは、神武天皇よりも前に大和などを統治していた元々いた先住民の豪族ですが、結局、敗北して殺されたとされています。
ですが他の伝承では東北へ逃げたという説もあって、なので東北にアラハバキ神社が多いのは、その長髄彦を神格化したという説もあるそうです。
ちなみにジブリ映画「もののけ姫」の主人公アシタカは、脚高?→長髄彦がモデルになっている様子。
あとは、蛇神説。
ハハ・ハバが蛇の古語だそうで、なので、アラハバキと。
縄文土器を見ても、なんとなく藁紐の文様が蛇模様のような雰囲気にも見えたりとか。
ちなみに出雲系の大国主の別名が大己貴(オオナムチ)命。
なので、オオナムチ、オロチ、大蛇、蛇神を連想してしまいます。
実際に、出雲大社や諏訪大社、大国主が祀られている大神神社は、全て龍や蛇にまつわる龍蛇神信仰だとも言われています。
摂社に客人神を祀っている氷川神社の中には、以前、禁足地に蛇の池があったそうで、
御祭神の中に 大国主と書かず、大己貴命(オオナムチ)としての名前があります。
やはり何か龍蛇神との関連性を感じてしまいます。
また、アイヌの酋長によると、アイヌの古語でクナトは男根、アラハバキは女陰の意味もあるとのことです。
出雲口伝の富家伝承によれば、出雲族が元々崇拝していた神は大国主ではなく、男神クナト大神が祖神だと伝え、更にもう一つの隠されし女神がいて、それが女神アラハバキだと最終的には伝えたそうです。
その神々を朝廷側に抹殺されそうになった際に、クナト大神は地蔵へ。アラハバキ神は弁財天へと姿を変えたとされています。
この口伝が本当だとすると、かなり衝撃的な内容ですが、個人的にはそんな気も、、、
更にその伝承では、元々の古代出雲族は龍蛇の一族だと言っており、古代から自然信仰していたのは龍蛇神なのかと感じます。
更に隠されし女神と言えば、これまで散々ブログにも登場していた瀬織津姫を連想してしまいます。
関連ブログ *謎多き女神『瀬織津姫』*
瀬織津姫も弁財天に姿を変えたり、同一視されたりしていました。しかも龍神だと。
東北は出雲系の神様と関連性が深く、おそらく元々、古代出雲族が東北も治めていたため、出雲系は龍や蛇にまつわる龍蛇神信仰が多く、今の大国主命(大己貴命)や素戔嗚尊などの出雲族と融合したのかもしれません。
更には、偽書とされている古文書『東日流外三郡誌(つがるそとさんぐんし)』の挿絵の中に、なんと、遮光器土偶がアラハバキ神として描かれているようです。
その中では、東北に逃げ帰った長髄彦族はアラハバキ族と名乗って、大和朝廷からは蝦夷と呼ばれるようになったと。
ですがその書物は偽書確定らしく、ただ全てが偽りだとはちょっと考えにくい濃く膨大な量の内容でもあるため、真偽が入り混じっているのかもしれません。
ということで、アラハバキに関して、様々な説があり過ぎるけれど、結局のところはどうなのでしょうか。
やはり時の権力者の意向が入るので、本来から少しずつ、もしくはだいぶズレてるんだろうとは感じています。。。
私個人的にはアラハバキ神は古代縄文時代の土着信仰の最高神という感覚があり、自然崇拝における岩や山、川、滝、水、巫女を依代として降臨していた霊体(神様・龍神)が、自然信仰の龍神としてわかりやすい形で表現されたようにも感じたりします。
そして、自然信仰の大元の日、月、星(大地)を動かす神様という壮大な位置付けという話も聞き、そんな気もしているのです。
さて今回、私が実際に足を運んだ青森北部の十三湊周辺にひっそりと小さく佇む神明宮がありました。
どうやらアラハバキ神社とも言われるようでしたが、扁額などもなく、外からはどこにも書かれておらず分かりませんでした。
ただ、あまり大きくない岩が2石、鎮座していたので磐座信仰なのだと感じます。
また藁で2柱の龍神を作って木に括り付けてお祀りしてありましたので、アラハバキ??龍なの??と思ったり。。。
また更に北部にある洗磯崎(アライソザキ)神社へも気になり参拝に伺いました。
アラハバキが変化してアライソザキとなったように感じ、御由緒を見ると荒吐神を祖神として祀っていたと書かれていました。
ちなみに今の御祭神は大己貴命(オオナムチノミコト)です。
龍にしか見えない松の木が境内に鎮座していました。
更に北上し津軽突端の龍飛岬(タッピミサキ)へ。
最近の大雨による崖崩れによって、その日は突端には行けず、翌日大回りして行くことが出来ました。本当に突端部分は帯島となっており、竜飛弁財天が祀られていました。
こちらの弁財天様ももしかしたら、アラハバキ神だったのかもしれません。
今回の縄文遺跡や神社を巡っていく中で、島根=出雲が一般的ですが、実は、津軽=古代出雲という感覚がじわじわ来ました。
縄文時代の東北が調和的で相当栄えていたという時代があり、それを弥生時代以降、今に至るまで封印されてしまった部分が多かったことを感じる旅でもありました。
少しずつ縄文時代の頃のような自然と調和する感覚を取り戻す必要があるように感じました。
ちなみに話しは逸れますが、そんな旅の途中で泊まった温泉宿でのTVニュースをたまたま観ました。それは高校野球の決勝戦で、東北勢悲願の初優勝の場面でした。
仙台育英の監督が「全ての東北の人に栄冠が輝いた」と話しており、何かずっと封印されていた東北の扉・戸が開かれたような気がして、何かメタファーのように感じたのでした。
(ちなみに青森を周っていると、八戸など「戸」がつく地名が多いのが気になりました)
今回、青森の縄文遺跡は3ヶ所を巡り(資料館を入れると合計5ヶ所)、神社は12ヶ所を巡っていました。
龗神社以外は天候などの都合上、大幅な予定変更の末、Googleマップを見て気になったり、遺跡を巡っている最中にたまたま見つけた神社ばかりでした。
きっと何か呼ばれていたんだと思います^^
Facebook滝沢 泰平さん投稿記事
週末は札幌講演会。
自分の講演テーマのメインは、やはり今のタイミングでもっともキーワードとなっている「出雲」でありました。
北海道と出雲。一見、何も関係しないようで密接な繋がりのあるのが、この2つの地域。
出雲族、4500年の歴史を口伝にて継承してきた末裔の人々より、古代出雲人が、一体どこからやってきて、どんな歴史を辿ってきたのか明らかになりつつありますが、その中で、「鼻の長い動物の住む国から来た」という伝承があります。
3500年以上も前、現在のインドの地で母系社会の平和な社会を築き上げていた出雲族は、ある頃より西北の地域から戦闘民族であるアーリア人がやってきて、インドの地を追われることになったそうです。
この時、インドにいた出雲族は、古代インド先住民のドラヴィダ族であり、彼らの使っていた古代タミル語は、日本語の原点と言われていることから、ドラヴィダ族が日本にやってきたことが言語学者や民俗学者からも注目されていましたが、それが出雲族の源流とは知られていませんでした。
インドを追われたドラヴィダ族、古代出雲人は、次に向かった先はモンゴルであり、やがてモンゴルから樺太を経由して、北海道へ上陸したという伝承があります。
インド、モンゴル、北海道。これが古代出雲人の足跡ですが、偶然にも自分は今年2月にインド、5月にモンゴル、そして6月に北海道と、順番も含めて完全に出雲を辿っており、そのシンクロ性からも出雲の話題を北海道で話そうと思いました。
古代出雲人は、北海道から津軽半島へ移動し、そこから日本海を渡って出雲までやってきたと言われています。
そのため、津軽弁と出雲の方言は重なる部分があり、出雲の言葉の源流は津軽になるとも言われています。
やがて、出雲から東へ陸の勢力を広げ、朝鮮から渡来したスサノオの時代には、京都上賀茂に都をつくり、三輪山を中心としたヤマトの地を治めていました。
このスサノオの時代は、いまから3500年前。
ここから大和朝廷にバトンタッチした後の現代に繋がるまでの「象徴天皇の仕組み」が始まったと言われています。
ピラミッド型の王権社会、そして男性性の社会のはじまり。
いまは、新しい時代の切り替わりの節目。それは、これらのピラミッド型や男性性社会の終焉であり、来年以降の日本社会の大きな変革は、その流れにも関係していることをお伝えしました。
その中で、これから古い時代のシステムも崩れ、そこに現在の金融市場も巻き込まれて崩壊すると、世界的な食糧危機が引き起こる可能性もあり、その時に日本の中で北海道が食料庫として非常に大事な位置となるとも。
日本は世界の雛形。世界大陸を集約すると日本列島になり、日本で起こることは世界で起こり、世界で起こったことは日本で起こる。
日本雛形論の中においては、北海道は北米大陸(逆さ)。
カナダ、メキシコ、アメリカと北海道はリンクしており、特にアメリカとは
・ もともと先住民(インディアン、アイヌ)の土地に開拓民がやったきた
・ 北海道150年の歴史、アメリカも250年の歴史と短い
・ カナダも最近になって大麻解禁となったように、北米は大麻の産地、北海道も自生大麻の産地などなど、シンクロする部分が多くあります。
北米を逆さにすると、北海道大陸と似ているようで、湖や川、山の位置も雛形となっており、また都市の部分で照らし合わせると、札幌にあたるのは、アメリカのワシントンD.Cとなるようです。
そして、世界最大の金融都市であるウォール街のニューヨークとリンクするのは、北海道の金融都市だった「北のウォール街」の名称を持つ小樽。
これまでの旧時代、世界のリーダー国として牽引してきたアメリカと北海道はシンクロしており、それだけ北海道は重要なポジションになると思います。
20世紀最大の霊能者、出口王仁三郎氏は、この世界を治めている艮の金神という大神は、日本列島の丑寅である北海道(富良野の芦別岳)に鎮座しているといいます。
札幌はまた、北緯43度の通称「発酵ライン」と呼ばれるスポット。
ビールの名所だけでなく、ブルガリア、カスピ海などヨーグルトなどの発酵産地でもあり、微生物が活性化するエネルギー磁場をもっているのが、北緯43度のようです。
さらに発酵だけでなく、南フランスのルルドの泉であったり、聖地と呼ばれる場所もまた、北緯43度に多くあるので、そういった面からも北海道、札幌などは重要な役割を持ったエリアだと思っています。
札幌を中心とした、北海道全体が、これからの新時代に向けて、住まう人々の意識も上がり、地域づくりとしても良いものが出来上がってくると、世界にも反映されて、大きく影響を与えるように思っています。
八ヶ岳はまた、ミニ北海道のようにシンクロするポイントがいくつもありますが、八ヶ岳で雛形の雛形作りが進んだら、次は北海道にも人々が集う拠点、コミュニティやドームハウスなどを普及させていく計画があります。
これからも度々、北海道には訪れて講演会や何か活動をはじめていこうと思いますので、今回参加された方々も、参加できなかった方々も、また次の機会にご一緒できればと思います。(天下泰平「新時代の雛形となる北海道」より)