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11月22日 富士吉田市[ふじさんミュージアム]

2018.12.06 12:20


今朝は曇、寒い。そろそろインナーが手放せなくなった。


今日は、昨日時間切れで行くことができなかった、道の駅の向かいの「ふじさんミュージアム」へ会館時間に合わせて向かう。




ここは、以前「富士吉田市歴史民俗博物館」だったところ。


ちなみに、富士山周辺にはこのほかに、ここ山梨県側だけでも「フジヤマミュージアム」(富士吉田市/美術館)や「富士山世界遺産センター」(富士河口湖町/ビジターセンター)、「なるさわ富士山博物館」(鳴沢村/博物館)といった似たような名前の施設が幾つかある。まあ、ビジターセンターと博物館の違いも、厳密に言うとよく分からないのだが。


この博物館は、富士山が日本人にどのように信仰の対象となってきたのかについて、富士信仰の歴史や「富士講」の様子を紹介するとともに、富士の自然や特産の絹織物産業などについての展示もある。



エントランスを入ると、すぐに「ミニ富士塚」と2匹の猿の石像がお出迎え。




展示室には大きな鳥居が建てられている。




その脇に、「木花開耶姫像」という女性の神様の像がある。


これは、地元・富士吉田の「御師(おし/富士信仰を広める宗教者)」の家に祀られていた像であるが、これは富士山の神様で、「コノハナサクヤヒメ」と読む。可愛らしいと言えばそれまでだが、なんかアニメの主人公の名前みたいだ。



富士山信仰は、もともとは活火山だった富士山の神様の怒りを鎮めるための行為だった。最も古い記録では、781年の噴火の様子が『続日本紀』に記載されている。その後、800年と802年にも噴火があった。そして、864年に有名な「貞観の大噴火」が起こる。現在の「青木ヶ原の樹海」は、当時の富士山の北西方向に流れた溶岩上に形成された自然林である。



つまり、富士山はあくまでも「遠方から遥拝する対象」であったのだが、富士山の噴火活動が収束すると、次第に僧侶たちが山に登るようになり、修行の対象として見なされるようになる。




「神様は仏教のほとけ様が形を変えたもの」という「神仏習合」の思想の普及もあり、富士の神様である「浅間大神」や、その本来の姿である「大日如来」の像が、富士の登山道にある祠や山小屋に次々と奉納されるようになる。


室町時代には、僧侶や修験者だけでなく、一般の登山者も富士山に登るようになった。江戸時代に盛んになった「富士講」は、村の代表者を富士登山に送ったり、地元に富士山の代わりである「富士塚」を作ってお参りするための、庶民が作った組織である。


富士山の分身とされた「富士塚」は、関東一円に作られたが、一番多かったのが埼玉の260ヶ所以上で、次が千葉の150ヶ所以上、東京の70ヶ所以上、神奈川の60ヶ所以上となる。



今年、友人たちと文京区にある富士神社でお花見をしたが、あれも思えば富士塚の一つであった。

富士山信仰の教義をまとめた人として、16-17世紀の長谷川角行についての展示もある。「14cm四方の木材の上で1000日の立行」をするなどの伝説の人物である。



また、1671年に三重に生まれた商人・伊藤伊兵衛は、17歳より「食行身禄(じきぎょうみろく)」の名で修行をした。「心を正しく持つ事。早寝早起きをし、昼夜怠けずに働く事。無益な殺生をしない事」を実践し、神仏だけに頼らない教えを人々に伝えた。彼は富士山中の烏帽子岩で入定(宗教的自殺)したが、その時に31日間の口述遺訓『三十一日ノ巻』を残しており、食行身禄の影響を受け、富士講は爆発的に流行したという。



1733年に師の入定に立ち会った田辺十郎右衛門が、聞き取った教義をまとめた『三十一日ノ巻』の実物が展示されている。なかなかの達筆である。



さて、庶民が組織的に富士山に参拝する「富士講」の流れは以下のようなものである。



江戸から富士吉田まで、数日かけて徒歩でやってくる。滝で水垢離(みずごり)をしてから、檀家として関わりを持つ「御師(おし)」の家に入る。そこが宿泊場所となるわけだが、まず神前でお勤めをし、入浴・夕飯となる。


翌日は5時に起床し、神前でお祓いしてから朝食をとる。御師の家で準備された握り飯を受け取り、北口本宮富士浅間神社に参拝。そこから御師を先頭に登山が始まり、3-4合目付近で昼食となる。その晩は7-8合目付近の山小屋に宿泊。


翌朝は早朝2時頃出発。富士山頂で御来光を拝み、下山する。その晩は御師の家に戻り、無事に登山を終えた祝いの席がある。そして翌朝、富士講の参加者は江戸へと帰路につくのだった。


いわば神職を兼ねたツアーガイド兼旅行代理店ような御師の家は、現在の富士吉田市の市街地にある金鳥居から、北口本宮富士浅間神社の長い参道までの約1kmほどにわたって数多く立ち並んでいたという。




このほか、8月下旬に2日間にわたって行われる「吉田の火祭り」で用いられる神輿も2台展示されている。そのうち1台は、富士山の形を模した風変わりな神輿である。




日本を代表する風景としての富士山は、自然景観として美しいだけでなく、信仰の対象として長い歴史を有していることがよく分かる展示となっていた。