ZIPANG-9 TOKIO 2020 令和6年 ~春~ 天皇皇后両陛下赤坂御苑での園遊会(港区)【宮内庁】
令和6年1月1日午後4時10分頃発生した、能登半島地震で被害を受けた皆さまに、
心よりお見舞い申し上げます。(編集局)
令和6年4月23日(火)、天皇皇后両陛下は園遊会を催されました。
ご歓談になる天皇皇后両陛下
美しい緑葉が広がる赤坂御苑で、天皇皇后両陛下お始め皇族方は、お招きになった多くの方々と和やかな雰囲気の中で親しくご歓談になりました。
両陛下は、様々な分野において尽力されてきた方やその家族とお会いになれたことをうれしく思われました。また、招待者の皆様が楽しまれたことを願われました。
園遊会会場
皇室の方々のお出まし
ご歓談になる皇族の方々
ご歓談になる皇族の方々
ご歓談になる皇族の方々
ご歓談になる皇族の方々
楽部による管絃の演奏
皇宮警察音楽隊による吹奏楽演奏
ツツジ
コデマリ
フジ
我々庶民の間では「花より何とか?」と申しております・・・ハイ!
ちまき鮨
オードブル
洋菓子等
これこれ、これですわ!ホンマ旨そうですなぁ…おおきに、おおきに・・・
でけたら秋には手巻き寿司ものう…いかんですろうか⁉
(天の声:アホなこといいなや、ホンマ失礼なやっちゃで!このアホ烏🐦、もう出禁や‼)
【園遊会】
毎年、春と秋の2回、赤坂御苑で催されます。
天皇皇后両陛下は、衆・参両院の議長・副議長・議員、内閣総理大臣・国務大臣、最高裁判所長官・判事、その他の認証官など立法・行政・司法各機関の要人、都道府県の知事・議会議長、市町村の長・議会議長、各界功績者とそれぞれの配偶者約2,000人をお招きになって、親しくお話しになっています。
皇嗣同妃両殿下始め皇族方が出席されるほか、各国の外交使節団の長・各国の領事館の長とその配偶者も招待されます。
なお、各界功績者は、産業・文化・芸術・社会事業などの分野で功労のあった人です。
鎹八咫烏 記
石川県 いしかわ観光特使
伊勢「斎宮」明和町観光大使
協力(順不同・敬称略)
宮内庁:〒100-8111 東京都千代田区千代田1-1 電話:03-3213-1111(代表)
紅山子(こうざんし)
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天皇皇后両陛下ご結婚満30年に際しての両陛下のご感想
ウィーン少年合唱団公演をご鑑賞になる天皇皇后両陛下並びに愛子内親王殿下
(令和5年5月4日)
今日で結婚30年を迎えると思うと、感慨もひとしおです。30年前、雨の降る中で執り行われた結婚の儀や午後の朝見の儀、多くの方から温かい祝福を頂いたパレードなどを懐かしく思い出します。
この30年間に我が国と世界は大きな変化を経てきましたが、そうした道のりの中で、たくさんの方からの助けを頂きながら、二人で多くのことを経験し、互いに助け合いつつ、喜びを分かち合い、そして時には悲しみを共にし、これまでの歩みを進めてこられたことに深い感謝の念を覚えます。
この間、我が国は、阪神・淡路大震災や東日本大震災を始め、度重なる自然災害に見舞われてきました。また、この3年余りの間には、新型コロナウイルス感染症が社会に大きな影響を与え、世界中の人々が多くの困難に直面してきました。我が国では、新型コロナウイルス感染症の問題が少しずつ落ち着きを見せ、人々が日常の生活を取り戻しつつあることに安堵どしておりますが、同時に、今なお様々な困難を抱えている人々の身の上を案じています。
つい先頃、東日本大震災で大きな被害を受けた岩手県の被災地を訪れましたが、これまでの人々の不断の努力と協力によって復興が着実に進んできていることを目の当たりにし、感慨深く思いました。それとともに、まだ課題も残る中、新しいコミュニティー作りを始め、被災地が今後更に復興していくことを心から願っております。
上皇上皇后両陛下が、常に国民の幸せを願われながら、心を込めてお務めに取り組んでこられたお姿を私たちも拝見してきましたが、そうしたなさりようを心に刻みながら、今後とも国民の幸せを願い、二人で協力しながら務めを果たしていくことができればと考えています。
世界や社会の変化はこれからも続くものであり、そうした変化に応じて私たちの務めに対する社会の要請も変わってくるものと思われますが、そうした中でも、国民と苦楽を共にするという皇室の在り方が大切であるとの考えを今後とも持ち続けていきたいと思います。
これからも各地に足を運び、高齢の方や若者たち、社会を支える人や苦労を抱える人など、多くの人々と出会って話を聞き、時には言葉にならない心の声に耳を傾けながら、困難な状況に置かれた人々を始め、様々な状況にある人たちに心を寄せていきたいと思います。そして、そのような取組のうちに、この国の人々の新たな可能性に心を開き続けていくことができればと考えています。
愛子も成年を迎え、少しずつ皇室の一員としての活動を行うようになりました。愛子は、私たちの生活を楽しく和やかなものにしてくれるだけでなく、愛子が学び、経験する一つ一つのことが、私たちにとっても新たな学びへとつながっていると感じます。
この機会に、国民の皆様より寄せていただいている温かいお気持ちに対して、改めて感謝の気持ちをお伝えしたいと思います。
これからの時代が、皆様にとって明るい希望と夢を持って歩みを進めていくことのできるものとなるよう心から願っています。
ご結婚満25年に際しての微笑ましいお写真
(詳細は下記のURLよりご覧ください。)
ZIPANG-7 TOKIO 2020天皇皇后両陛下ご結婚満30年に際しての両陛下のご感想(令和5年)
https://tokyo2020-7.themedia.jp/posts/44364773/
神在月に神々が集まる聖地で神と人との神秘的な伝統の美しさの体験を
ユネスコ無形文化遺産
佐陀神能
一般社団法人 松江観光協会では、松江の見どころ、自慢の食、伝統文化など、旅する魅力などを随時発信しております。
この度、平成23年にユネスコ無形文化遺産リスト登録された佐陀神能は、令和3年に十周年を迎えました。
これを記念し松江観光協会が事務局を務め、県内外の神楽団体を招聘し「第3回神座-神々への舞-各地に伝わる御神体出現の舞」の特別公演を2022年10月2日(日)に開催する運びとなりました。
第3回「神座-神々への舞-」のテーマは、記紀神話の一つである天岩戸神話に代表される「神体出現」。
佐陀神能(松江市)・高千穂神楽(宮崎県)・久見神楽(島根県隠岐の島町)・大土地神楽(島根県出雲市)の4つの神楽団体が、各地に伝わる御神体出現の舞を、令和元年度からの改修工事を終えた舞殿で奉納します。
佐陀神能とは島根県松江市にある佐太神社で、祭礼の中でも重儀とされる「御座替祭」(ござがえさい)に合わせて執り行われる「七座神事」「式三番」「神能」の三つの神事舞を総称したものです。
この形式での神事舞は能方式を取り入れた特徴的な神楽で、古くから行われていたことから、「出雲流神楽の源流」と呼ばれ。全国各地に伝わる里神楽に大きな影響を与えたと言われています。
今回披露される演目の一つ「大社」は、佐太神社の縁起を題材にしたものであり、神社の縁起についてや、神無月ではなく神在月と呼ぶことの由来などを見ることのできる演目となっております。
古くから日本人は想像力を駆使して、神話の世界を楽しんできました。
神楽という演目を通し、神々の物語を重ね合わせ、神在月に神様が集まるという聖地で、身も心も清められていく神秘的なひとときをぜひご体感ください。
一般社団法人 松江観光協会では、癒しと笑顔を提供する"新しい宿泊観光"を楽しんでいただくため、これからもたくさん“いいもの”を発信していきます。
■■佐陀神能の世界へタイムスリップしてみませんか!?■■
佐陀神能は、約400年も続いていると言われている“神事芸能”です。
毎年9月24日、25日に行われる御座替祭(ござがえさい)という神事で奉納されており、神への祭礼の「七座」、祝言の「式三番」、神話劇の「神能」の3部からなっています。
特に「神能」は佐太神社の神官が、京より能を習い覚えて帰りその方式を取り入れ、従来の神楽を格調高いものに創り上げたと伝えられています。
神能の演目は当社の縁起を語る「大社(おおやしろ)」をはじめ十二段からなります。
笛や鼓の軽妙な音色に合わせて、あざやかな衣装を着て、舞手がゆったりと、時に大きく、切れの良い動きを見せ、観客は荘厳な神話の世界を堪能できます。
現在では神職と松江市内の有志による佐陀神能保存会によって伝承しており、9月24日、25日の佐太神社の御座替祭に舞うほか、近隣神社の秋のお祭りなどで奉納しています。
昭和51年国の重要無形民俗文化財に指定され、平成23年にユネスコの無形文化遺産登録されました。
■■八百万の神が集う神在の社 佐太神社ってどんなところ!?■■
出雲國三大社の一つ「佐陀大社」
奈良時代の『出雲國風土記』、平安時代の『延喜式』にも記載されている古社です。
佐太神社は出雲國三大社の一つとして「佐陀大社」と称えられた御社です。
荘厳な出雲造りの御本殿三社(指定重要文化財)に主祭神の佐太大神をはじめ十二柱の神々をお祀りしています。
主祭神 佐太大神は出雲国で、最も尊いとされる四大神の内の一柱で猿田彦大神と御同神です。佐太大神は「導きの神」として知られています。
また、八百万の神々がお集まりになる神在祭は出雲の国数社で執り行われているものの中でも、文献上最も古く、かつ祭りの形態も古い形を受け伝えており、「神在の社」といわれ、全国各地から広く信仰を集めております。
■■各地に伝わる御神体出現の舞をご紹介!■■
今回の特別講演では、平成23年にユネスコ無形文化遺産リストに登録され令和3年に十周年を迎えたことを記念し、県内外の神楽団体を招聘し「各地に伝わる御神体出現の舞」を披露いたします。
(詳細は下記のURLよりご覧ください。)
ZIPANG-6 TOKIO 2020 「400年前の歴史の神話世界へ」タイムスリップ!!佐陀神能ユネスコ無形文化遺産登録十周年記念 10/2(日)特別公演開催
https://tokyo2020-6.themedia.jp/posts/37680126/
平成27年天皇皇后両陛下 行幸啓 (富山県射水市)
平成27年10月24日・25日、富山県射水市にて「第35回 全国豊かな海づくり大会」が開催
され、天皇皇后両陛下が御来臨されました。
放生津八幡宮は御神輿及び13本の曳山にてお出迎えし、両陛下の天覧を賜りました。
略記
当宮は、聖武天皇(しようむてんのう)の御代、天平18年(746)越中国守・大伴宿禰家持卿(おおとものすくねやかもちきよう)が常に奈呉の浦の景勝を愛され、郷人に敬神の念を普及せしめんとの深慮により、豊前国宇佐八幡神を勧請して奈呉八幡宮(なごはちまんぐう)と称したのが創始といわれ、秋季例大祭には放生会が営まれ、永々として今日に伝えています。
放生津の地名は、嘉暦(かりやく)3年(1328)これにより名付けられたといわれています。
村上天皇(むらかみてんのう)の御代、應和3年(963)に、攝津国守・橘朝臣仲遠(たちばなのあそんなかとお)が、相殿に宗像の三女神を祀りました。
花園天皇(はなぞのてんのう)の御代、正和(しようわ)年間(1312~)に越中守護・名越時有(なごえのときあり)が社殿を造営し、神領八幡田を寄進しました。
南北朝時代、南朝方の武士を頼って宗良親王(むねよししんのう)が越中国放生津に数年間滞在されました。
室町時代、第3代将軍・足利義満(あしかがよしみつ)が、南朝方に味方した姫野一族の領地を没収し石清水八幡宮(いわしみずはちまんぐう)に寄進。その領地に放生津湊が含まれていたのでした。石清水八幡宮領になった放生津湊は、石清水八幡宮への年貢を納めなければいけないため、運上にかかる税を停止し、代わりに石清水八幡宮への年貢を納めるよう将軍は命じられたそうです。
応仁の乱の時、越中守護代・神保長誠(じんぼながのぶ)が、畠山政長(はたけやままさなが)に味方し、武勇に秀でた猛将として活躍し、さらに長誠は、戦国時代の始め、明応(めいおう)の政変(1493年)によって幽閉された第10代将軍・足利義材(あしかがよしき)(義稙(よしたね))を6月29日の暴風の夜に救い出し、越中国放生津に連れ出したのでした。
武士が放生津に来訪した時の有様は、なんとか幕府の体裁はとっていたものの・・・。
第11代将軍・足利義澄(あしかがぎずみ)と管領・細川政元(ほそかわまさもと)を中心とした京都の幕府と、足利義材と神保長誠を中心とした放生津の小幕府が対立する構図となり、神保氏は当宮への信仰が篤く、度々社参したと伝えられています。
永禄(えいろく)年間(1558~)神保長職(じんぼながもと)と上杉輝虎(うえすぎてるとら)が度々合戦し、その兵火にかかり灰燼に帰した。その後、神保長職は上杉輝虎と和睦し、長職が当宮を再興したと伝えられています。
天正4年(1576)に、上杉輝虎が放生津で『十楽の市』を開いたことが知られています。
天正9年(1581)には、神保長住が、八幡領町で、商業を保護する制札を出しています。
戦国時代末期天正13年(1585)、豊臣秀吉(とよとみひでよし)と富山城主、佐々成政(さつさなりまさ)が対立し合戦となり豊臣秀吉が勝利し、その際活躍した前田利長(まえだとしなが)は、秀吉から射水、砺波、婦負の3郡を併せた32万石の領地を与えられ、守山城の城主になりました。
守山城主、前田利長公は信仰篤く、天正年間(1585頃~)度々当宮を参拝され、「八幡宮」の題字を染筆奉納されたのでした。
放生津八幡宮 社殿
弘化(こうか)2年(1845)2月、放生津の大火にかかり、社殿、宝物等を消失。
現在の社殿は、文久(ぶんきゆう)3年(1863)7月竣工したもので、名棟梁・高瀬輔太郎(たかせすけたろう)の作で豪壮な流破風(ながれはふ)造りの代表的傑作と言われています。
(詳細は下記のURLよりご覧ください。)
ZIPANG-3 TOKIO 2020「~ 大伴家持の足跡を『越の国』に辿る ~大伴家持により創建された『放生津八幡宮』(3)」
https://tokyo2020-3.themedia.jp/posts/6026005
創建二千年の歴史を持つ能登一宮 気多大社
ー 気多大社の故事来歴 ー
気多大社の清々しい朝の様子です。陽の光を受けてさらに氣が満ちてくる…
突如、一天俄にかき曇り、雷鳴と共に海から龍が一直線に「入らずの森」に降下しました。そして神聖なる湧き水を呑み干すと、龍は見定めた奧宮から本殿・拝殿・神門さらに真直ぐに伸びた参道を抜けて大鳥居をくぐると再び昇龍となり大海へと飛翔していく様が目に浮かびます。
気多大社の社殿に彫刻された見事な双竜(昇り龍と降り龍)。
加賀藩お大工の開祖で建仁寺流(17代) 山上善右衛門作に違いない・・・
昭和天皇をご案内する気多大社 三井宮司。いつも天皇陛下に寄り添われている入江侍従長の懐かしいお顔も・・・
昭和58年5月、昭和天皇が行幸された際にこの「入らずの森」にお踏み入りになり
『斧入らぬみやしろの森めづらかにからたちばなの生ふるを見たり』
と御製をお詠みになりました。
そんな神秘的スポットを抱える気多大社の名前からも「氣」が多く集まる神社とする伝説は揺るぎなきものになっています。
また、気多大社の御祭神である大己貴命(おおなむちのみこと)は出雲大社では大国主大神(オオクニヌシノオオカミ)といわれる縁結びの神様であることから、全国から多くの参拝客が訪れる神社となり、縁結びスポットとしても一躍注目を集めております。
年間御奉斎日
門出式(1月11日)、平国祭(3月18~23日)、例祭(4月3日)、御贄祭(5月・9月1日)、
大祓式(6月30日)、鵜祭(12月16日)など、四季折々に様々な神事が行われ、
境内はゆかしい風情が漂います。