過去のSprachspiel
いろんな過去の世界線があるけど、4年前に分岐した世界観について考えることが多い。あれからいろんな運命が待っていた。だから4年前も全然4年前の感じがしなくて、遥かな古代の記憶みたいになってる。
10年前は10年前って感じなのに、4年前はもう10年以上前みたい。
当時聞いていた音楽は当時を思い出す力があります。4年前、都会を捨てて地方都市に帰ってきてしまったけど、そこからの人生計画は、全く知らなかった隠れPTSDみたいなのに最も狂わされたかもしれない。
4年前、都会にいた時に、実家もある地方都市に仕事の縁ができて、金銭面とか、何より結婚したいから、現状のちょっとやりがい感じられない仕事よりも、そちらに戻ろうと思った。その上で、地元の地方都市で生きていく上で必要な自動車免許を今更取ろうと思った。
車がなんとなく苦手なのは、中学校の時に乗っていた車の交通事故で怪我して救急車で搬送されたことがあったからだった。それから一時期、車が怖くて乗れなくなったが、そんなの遥か昔の話だし、意識の面ではとっくに克服していると思っていた。だから免許なんて簡単に取れると思っていた。
けれども、実際やってみると、緊張由来というには強すぎる震えや吐き気がしたし、帰ってきて横になると何十時間も眠ってしまう眠気と常時デプレッションみたいなのが生活全てに支障をきたした。もちろん、過去の事故のトラウマだけが理由なのかはわからない。
こんな隠れPTSDを持っているなら、都会を離れるべきでなかった。しかし都会を離れるまで、この存在に気づけなかった。私は本当は都会で唯一「まともに生きられる」人間だったのかもしれない。都会から引っ越してきて3ヵ月程度で「3ヵ月前に戻して!」と毎日心の中で泣き叫ぶようになった。人生でこんなに選択を後悔するようなことが訪れたのは初めてだった。
今はさすがにあの頃から状況は大きく好転した。しかしもちろん車は運転できないし、当初の最大の目的であった人生のパートナーとも出会えていない。都会を去ってからも4年間もそれが果たされないとは思っていなかった。しかしこの願いは、都会にいた世界線なら、それは果たされていただろうか?
ただ、この4年間で、以前よりだいぶ豊かになった。金銭面ではもうあまり心配がないくらいになった。ただ、車がない以上は地方都市では相変わらず人権がないかもしれない。やはり、人生のパートナーを得るためには、またこの地方都市を抜け出すしかないのだろうか。
そんな最近も結局この曲すごくいいな、というのには出会う。体温機能がバグっていて冷え性が酷すぎて、冬が凄く嫌いなのに、この風景が凄く美しくてノスタルジックだなあ。曲もノスタルジックだなあ。