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日本というリソース

2018.12.08 05:53

 いろいろなニュースでも平成という時代が統括されている。平成という時代は、バブル後の日本の停滞、そして大震災やテロ事件などの国を揺るがす事件や災害があった時代だった。


 私は10歳から40歳まで、少年期、青年期をそっくりそのまま平成という時代と共に過ごしてきた。良いのか悪いのかの判断は、当然できない。そこには、その世代にしかわからない時代感覚があり、そしてそれは比べることはできない。


  そして現在、平成30年も、もう20日程度で終わってしまう。気がつけば、この30年で日本はグーグルやAmazonの外資企業にコテンパンにやられてしまい、若者はスマホでゲームをして、中年のおじさん達は、停滞している

企業のなかで、がんじがらめになっている。


 社会としては、人口は減り続け、これから世界史が経験したことない超高齢化社会がやってくる。地方では空き家が増え続け、消滅都市が増加していく。


 一体、これからの新しい時代は、どうなっていくのだろうか?

 

 個人的には、ひと昔に海外に憧れていた時代があった。文化的な部分だと海の向こうの音楽や映画にハマり、海外の美味しい食べ物や輸入家具を好んだ。 


 世界は自分が思っているよりも、広く、学べるところはとても多く、スケールも違うとつくづく感じる。


 しかしこの歳になってくると、世界の面白さだけではなく、日本固有のものに心惹かれることが多くなった。

 和食が美味しく感じたり、エレカシなどの邦楽が心に響き、畳の部屋に行くと落ち着き、京都にたまに行くとホッとする。


  神社仏閣を訪れると、心が洗われ、実家に帰るとホッコリする。

 

 その昔、14世紀の頃、日本は黄金の国ジパングとヨーロッパ諸国からは言われていた。

 黄金の国ジパングは、世界の果ての場所であり、そこに住む人々は心優しかったと言われている。

  また江戸時代には、サムライという日本の戦士は、世界的に恐れられており、実際には世界大戦まで日本人の戦闘力や気概は、世界に知れ渡っていた。

 また、武士道という概念は、日本特有のものであり、日本の精神性は、独自の認識をされていた。


 その当時の先祖と我々は、何が違うのだろうか?


 日本はいまだに世界でも住みやすい国である。しかし、経済戦争では少しずつ、他国にマウントを取られつつある。


 おそらく昔の先祖には日本人特有の一本スジの入った気概、またプライドみたいなものがあったように感じる。


 海外に気後れしたとしても、決して同化をすることを好まず、あくまで受け皿として日本というスピリットがあり、そこに海外の良きものを取り入れてきたはずだ。


 しかし今は、とにかく同化すれば、オッケーという雰囲気になっている。

 海外のものを丸パクリして、あたかも先進的な取り組みをしているように見せる人たちが多くなってきた。

  しかし、そこにはオリジナリティはなく、日本特有の強みのあるものはない。


 このあたりがもしかしたら、前時代と異なっていることなのかもしれない。


 よくよく考えると、戦後の企業人たちも、その企業に勤めていることにスピリットを持っていたように感じる。

 三菱であれ、京セラであれ、トヨタであれ、伊藤忠であれ、そこには企業の気概とスピリットがあり、そのプライドで海外企業と渡り合っていた。


 はたして、今の日本企業には、そのようなプライドがある企業はあるだろうか?


 働くこということを強いるとブラック企業だのなんだと言われる時代だ。

 しかしながら、会社のプライドまで失う必要はないだろう。


 日本という国にプライドを持つこと、そして勤めている企業人としてのプライドを持つこと、また経営者は自分の会社にプライドを持つこと。そして自分の国の文化を愛すること。


 それが次の時代の指標のひとつになるかもしれない。