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「修験道」の歴史

2024.05.22 01:10

https://globis.jp/article/6734/ 【大阿闍梨、考古学研究所所長が紐解く「修験道」の歴史~塩沼亮潤×菅谷文則×藤沢久美】より

https://www.youtube.com/watch?v=7Gp3ZP0RofA

大阿闍梨、考古学研究所所長が紐解く「修験道」の歴史~塩沼亮潤(大峯千日回峰行満行・大阿闍梨)×菅谷文則×藤沢久美

慈眼寺・塩沼氏×奈良県立橿原考古学研究所・菅谷氏×シンクタンク・ソフィアバンク・藤沢氏

第4部分科会D「関西における修験の歴史~異なる3つの聖地をつなぐ古道の神秘を聞く~」

熊野古道がつなぐ3つの霊場、「吉野・大峯」、「熊野三山」、「高野山」。実はこれらの霊場はそれぞれまったく異なる宗教の聖地である。日本古来の自然崇拝に基づく「神道」、大陸から伝わって発展した「仏教」、そして、各種宗教が融合した「修験道」だ。世界では宗教が異なるがために殺し合い・戦争が繰り返されてきたにもかかわらず、日本では古来より、異なる宗教の聖地がネットワークでつながり、宗教というカテゴリーを越えて融合しているのだ。まさにその吉野・大峯山を1000日間歩き続ける「大峯千日回峰行」を成し遂げた塩沼亮潤氏、考古学の権威であり、大峯山にある真言宗醍醐派竜泉寺の山伏の顔も持つ菅谷文則氏に、山岳における修行の極意を聞く。(肩書きは2018年9月8日登壇当時のもの)

塩沼 亮潤 慈眼寺 住職

菅谷 文則 良県立橿原考古学研究所 所長

藤沢 久美(モデレーター) シンクタンク・ソフィアバンク 代表

G1地域会議

第4部分科会D「関西における修験の歴史~異なる3つの聖地をつなぐ古道の神秘を聞く~」

(2018年9月8日開催/奈良ホテル)

熊野古道がつなぐ3つの霊場、「吉野・大峯」、「熊野三山」、「高野山」。実はこれらの霊場はそれぞれまったく異なる宗教の聖地である。日本古来の自然崇拝に基づく「神道」、大陸から伝わって発展した「仏教」、そして、各種宗教が融合した「修験道」だ。世界では宗教が異なるがために殺し合い・戦争が繰り返されてきたにもかかわらず、日本では古来より、異なる宗教の聖地がネットワークでつながり、宗教というカテゴリーを越えて融合しているのだ。まさにその吉野・大峯山を1000日間歩き続ける「大峯千日回峰行」を成し遂げた塩沼亮潤氏、考古学の権威であり、大峯山にある真言宗醍醐派竜泉寺の山伏の顔も持つ菅谷文則氏に、山岳における修行の極意を聞く。(肩書きは2018年9月8日登壇当時のもの)

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https://yamap.com/magazine/42821 【日本の山を豊かにする、修験の極意とは|「千日回峰行」満行者の塩沼亮潤さん②】より

奈良・吉野の往復48kmの険しい山道を、1000日間歩く修験道の荒行「大峯千日回峰行」。修験の歴史1300年で史上2人目の満行者(修行を成し遂げた者)が、仙台・慈眼寺住職の塩沼亮潤さん(大阿闍梨)です。修験で「歩きながら祈る」という意味を聞けば、「修験の極意」と環境問題との意外なつながりについて教えてくれました。

人間は歩き、祈る生き物

春山

僕は「人間とは何か」を考えたとき、大きく二つの特徴があると思っています。

一つは直立二足歩行で長距離歩けること。もう一つは祈り。長く歩き、祈ることができるのは、人類だけだと思うんです。特に、祈りは人間にとって大切な営みだと感じています。

歩くことと祈りを突きつめた行為の最たる例が修験道であり、千日回峰行だと思っています。普通に歩くのと、祈りながら歩くというのは、何か感覚的な違いはありますでしょうか?

塩沼

祈りっていうのは、プラスの作用のエネルギーを発すること。だから、「世の中が良くなりますように」と祈る人が一人増え、また一人と増え、そういう祈りの力がどんどん強くなっていけば、世の中がいい方向に動いていくと思います。

春山

現代社会に「祈り」という行為をどう位置づけるのかが、重要になっていると思っています。

知識や技術の前に、社会観というか「こうありたい」という祈りにも似た願いがあると思うんです。ただ、現代では、「祈り」や「信仰」といった精神性が暮らしから離れつつあるように感じます。祈りや信仰を、自分たちの生活につなげていくことは、日本社会にとって切実なテーマです。

祈りと暮らしは一つになる

塩沼

暮らしっていうのは根本的に、いろんな人との心と心のキャッチボールが土台になりますよね。会話で言葉のキャッチボールをしながら、相手のことを想う。それがイコール祈りじゃないですか。

春山

相手のことを想う、イコール祈り…。

塩沼

いつの時代になっても、最後は相手を想うことが基本になってきます。

「愛」っていうものが基本で、その愛が自分の家庭や友人関係、会社、学校で関係性をつくっていきます。本当に相手を思いやった、心のあるコミュニケーションを実践していくことで、いわゆる「祈り」が日々の暮らしと一体となっていく。

深く考えるよりも、「まず目の前の人を愛しなさい」っていうところから始まるべきですよね。その愛を受け取った人が、「ああ、いいな」と思い、他の人に対しても愛を持って接していく。こうして相手を想う心が社会へと拡がっていくことで、日々の暮らしと祈りが一つになっていくのだと思います。

修験の極意

春山

祈りの対象を人だけでなく、環境や自然にも向けていくことも大切ですよね。自然環境と祈りに関して、塩沼さんはどのようにお考えですか。

塩沼

日本には修験道っていう世界があります。そこに在るのは、「自然と共存する、だからなるべく自然が怒るようなことはしない」という考え方。現代の文脈では、大気汚染とか海洋汚染とかを起こさずに、自然の循環を妨げないということですね。

そのために大切なのは「気遣い」です。私の師匠に、こう言われたことがあります。

「修験道の極意は、結局はホスピタリティだ」

春山

非常に意味深いですね。

塩沼

そのとき私は20代でしたが、70歳超の師匠に「修験はホスピタリティー」と言われたことが衝撃的でした。つまりは、相手を思いやることなんだって。だから、自然に対しても、全てが思いやりというところにつながってきます。

吉野から熊野の古道の方につながる大峯奥駈道には、50〜60人での修行もあるんです。そこにある山小屋で、みんなも薪とかを使うわけじゃないですか。

でも、山小屋に到着すると、常に薪が満タンになってるんですね。なんでかっていうと、使った分をみんな補充して帰っていくから。それは後の人を思ってのことだそうです。

春山

登山・アウトドアでも「来たときよりも美しく」という言葉や行為は大事にされているように思います。僕らの命は先祖から預かり、与えられた命。この命を次世代につなぐためにも、自分たちが暮らしてる場所を、美しいままに残して引き継いでいくことが大切ですよね。

そのための取り組みを日常から実践していけると、私たちの暮らしや営みそのものは「祈り」や「行」でもあると感じることができるようになりますよね。

環境意識は感覚から芽生える

春山

日本に暮らしながら思うのは、「この国は本当に自然が豊かな場所だ」ということです。いろとりどりの四季がめぐり、季節ごとの自然の恵みも多い。

木を植えたら成長し、いろんな植物が放っておいても繁茂する。これほど豊かな土地は、地球上でも非常にまれです。

けれど、風土が豊かだからこそ、日本には環境への危機意識が、根付きにくいんじゃないかと思うんです。つまり、日本の自然環境の回復力が凄くて、環境が豊かなことを当たり前と感じてしまってはいないか。そこを危惧しています。日本の人は本当の意味で、日本列島が育む自然の豊かさを実感できているのか、少し懐疑的なんです。

塩沼

確かに、私もコロナ禍で初めて、日本は世界で一番豊かな国だなって感じたんです。こんなに安心して、安全で美味しいものが食べれる国は、他にないなと。コロナ前はいろんな国に行っていたので、海外にいけなくなり、日本に長くいるようになったときに、そういう実感が生まれたんです。

一番豊かなのは、水だと思います。

私は9日間水も飲まないという修行(*1)をしたことがあるので、水というものは、食べ物よりも何よりも大事という実感があるんです。普通は3日も水を飲まないと危ないですからね。それを体験した身としても、こんなに水が豊かな場所はないと思います。

*1 千日回峰行満行翌年の2000年、9日間、断食、断水、不眠、不臥の四無行を守りつつ、堂内で20万回真言を唱え続ける「四無行」を満行。

春山さんがおっしゃるように、この国の豊かさに本当に感動し、感謝をし、それを実践していくっていうのは、多くの人にとっては非常に難しいですよね。

春山

日本の人が環境問題と向き合うためには、自分たちの暮らしと地続きに自然があって、その自然と自分たちの暮らしを一体として捉え、暮らしとともに環境・風土を良くしていこうっていう、そういう自然観というか、社会観が必要だと思います。

その形が「祈り」でもいいですし、祈りを体現した「暮らし」を通して、豊かな自然を次世代につないでいく。そうした文化を日本で再興したいです。その方が、SDGs(持続可能な開発目標)といった言葉や、学校の教室で一方的に教えられる環境教育よりも、日本の風土にはマッチするんじゃないかなと。

塩沼

それはそうかもしれないですね。

春山

だからこそ、山を歩く行為を通して、自然とのつながりを実感することは、日本に暮らす人にとって重要なことだと思っています。

塩沼さんもおっしゃっていましたが、「目の前にあるおにぎりが、自分の命をつくっている」という感覚。そのおにぎり、お米は、田んぼが育んでくれている。自分の命と、田んぼの風景がつながっているという実感が、命のときめきのの始まりになると思っています。

自分の命と風景のつながりが実感できる経験があれば、身の回りの風景や環境に関しても、自ずと関心が湧いてくると思うんです。

塩沼

やはり、感覚的な経験が先にこないと、環境に対しても考えが広がっていきませんよね。

祈りとともに、山を豊かに

春山

特に今、山との関わり方が重要になってきていると思っています。どうしても登山っていうと、明治以降の西欧から入ってきたアルピニズムで語られがちです。

明治以前は「山は先祖が帰り、恵みをもたらす場所」として、山と暮らしはつながっていました。気候変動を迎えた今の時代、もう一度、暮らしと地続きに山や登山をとらえなおすことができないかなと。

塩沼

まさに修験道の世界ですね。自らが自然を体験して、その中から自然と自分自身の道理を見つけていくっていう。

元々日本にあった「神道」とか、あとは海外から伝わってきた「神仙教」とか、山には神が住んでいるとか、人が死んだら山に帰っていくという世界観は、かなり前からあるものです。

そういう意味では、日本人にはもともと山を愛する思想的な土壌があったのだと思います。

春山

その背景に、やはり暮らしと山の直接的なつながりがあったのではないかと思っています。

人間の暮らしの原点は、水と土と空気。生命にとって大切な水、土、空気を育んでるのは森であり、山なんです。

残念なのは、鹿の食害などもあり、日本各地の山や森が荒れてしまっていることです。杉・ヒノキを伐採した後、植樹せずハゲ山のままで放置されているケースも見受けられます。地域の山が荒れ、美しい景観が損なわれていくのは、単に山が荒れるだけでなく、街を含めた流域全体が荒れることにもつながっていきます。

豊かな暮らしを維持するためにも、健全な山が必要で、流域に住む人たちで山を豊かにする行為や事業が、今以上に展開できるといいなと思ってます。

塩沼さんの「地球とつながるよろこび。」

春山

最後に、YAMAPは「地球とつながるよろこび。」を、会社のパーパスとして掲げています。塩沼さんにとって、地球とつながるよろこびを感じた経験はありますか。

塩沼

山を歩いてるときにお天道さんをぱっと見て、それでふと足元を見たら花が咲いてる。これはすごい感動だったんですよね。それまでは、自分が生きてるっていう感覚でしたが、花をみるだけで「あ、ここに自分が生かされてるんだ」って思う。

いろんなことを思いながら修行して、もっと上、もっと上って考えて、手探りの状態のときに、「あ、なんだ。すっごい遠く彼方にあるものが、こんな身近に、なんか、地球と太陽と自分が一体となって、なんか包み込まれているような。ああ、これは本当に素晴らしいな」って。体験者しかわからない喜びなんですが、そういう感覚です。

感謝の気持ちが、自分の心の中にいっぱい充満した時に、そういう感覚に包まれた記憶がありますね。

春山

本日は貴重なお話をお聞かせいただきました。ありがとうございました。

執筆:宇野宏泰

撮影:川野恭子

https://www.youtube.com/watch?v=NvuYcrCfdjw&t=1s

https://book.asahi.com/jinbun/article/14458489 【日本固有の山岳信仰はどのようにして日本の諸宗教と習合して修験道になっていったか】より

富山県中新川郡立山町芦峅寺 別山

 山伏で知られる修験道は、近年、一般人も修行を体験できるようになり、注目度もあがっている。この修験道は、日本固有の山岳信仰を端とし、シャーマニズム・神道・仏教・道教・陰陽道・儒教などを習合してでき、これら諸宗教にも影響をもたらしたものである。その習合の歴史の一端を、宮家準・慶應義塾大学名誉教授の『修験道――日本の諸宗教との習合』から紹介したい。

 日本では、関東平野などの一部は別として、見渡せば何かしらの山が見えるところが大半であろう。それほど日本の人々にとっては、山は身近な存在であるといえる。しかし、一部の山は私たちを温かく包み込むような「ふるさと」ではなく、精霊や神々が棲む聖地であり、死霊が浄化された祖神が棲む、異世界であった。そのため、古代の人々の山に対する接し方には二種類あった。一つは、麓の里からあがめる態度であり、もう一つが、あえて山に踏み入り、祖神や神々の力を得るという態度である。後者が修験道であり、「修験」とは、山に入り、験力をえて効験をあらわすことを意味する。

古代(奈良~平安)

 葛城山の役小角(えんのおづぬ)は修験道の開祖に仮託されている。『続日本紀』には、鬼神を使役することや、伊豆に配流された話が残されている。葛城山は朝鮮半島から多くの帰化人を迎え入れた葛城氏の治めていた地であり、役小角の伝承には、不老不死となり神通力を得るために山岳で修行する道教や北方シャーマニズム、雑密などの影響が窺える。

 奈良時代には、仏教は朝廷の管理下に置かれ、都では南都六宗と呼ばれる学問仏教が盛行した。一方で、山林修行を行う私度僧の活動も盛んであり、その流れは、平安仏教を代表する比叡山の最澄と高野山の空海へとつながっている。

 平安時代には政争に敗れた人物の祟りを恐れ、その恨みを鎮める御霊会が流行した。特に恐れられた人物が北野天神として祀られた菅原道真である。他界で道真に会い、相次ぐ天変地異や疫病の原因が自身の怨念であることを直接聞いたのも、また道真の政敵である藤原時平の病気平癒の祈禱をしたのも、どちらも山岳修行で験力を得た人物であった。さらには陰陽道と関わりのある、牛頭天王を祀る祇園社の信仰の普及にも修験者の前身の験者が大きな役割を果たしている。

 また院政期に弥勒信仰や浄土信仰が広まると、弥勒が将来救済に降りてくる地とされた吉野の金峰山への御岳詣や、阿弥陀の浄土とされる本宮のある熊野詣などが盛んになったが、これらも後に修験の霊山となっている。

中世(鎌倉~室町)

 鎌倉時代には役小角の伝記が編まれて修験道が成立していく。金峰山と熊野も発展を続け、室町時代には教義や峰入作法も定まって、室町期に修験道が確立することになる。修験者が先達をつとめ、地方の人々を案内するネットワークもつくられていき、その動きは伊勢神宮など他の大社・大寺にも波及していった。

 注目すべきことは、鎌倉新仏教の祖師たちも、このような修験道の影響を受けていたことである。

法然は美作の菩提寺、一遍は伊予の岩屋山、栄西は備中の安養寺や伯耆の大山寺、道元は白山の越前馬場近くの永平寺、日蓮は安房の清澄寺というように修験の影響が見られる霊山の寺で修行している。……その後の教団形成の過程においても、浄土真宗では蓮如が白山・石動山・熊野の阿弥陀信仰をとり入れ、時宗は熊野信仰や善光寺如来の信仰と関連づけて教線をのばしている。

本書、274頁

近世~近代

 江戸時代には幕府の統制の下、山伏は天台宗の本山派と真言宗の当山派に所属することになり、教義書の刊行や儀軌の整理が行われた。中期には庶民の霊山登拝が盛んになり、御師や里修験が盛行し、古来の霊山なかんずく、富士山や木曽御嶽には多くの登拝者が訪れた。富士山の富士講、木曽御嶽の御嶽講は教派神道の母胎となり、幕末期の天理教、金光教などは里修験の影響を受けている。

 明治時代には、修験宗が廃止され、天台・真言の仏教教団に属したが、中期には各霊山の講も復活し、戦後にはそれぞれ教団として独立し、現在も活動を続けている。 

 以上、歴史に沿って修験道と諸宗教の習合を簡略に見てみたが、私たちの想像以上に修験道が日本の文化・宗教と深く関わってきたことがわかると思う。このような修験道の習合の歴史を学ぶ意義について、最後に本書からの引用で締めくくりたいと思う。

本書を通じて読者各位が日本の典型的な民俗宗教である修験道が他の諸宗教とのかかわりをもち、その成立、展開に必要な要素を摂取して習合させてきた経緯や、逆に影響を与えたことについてお知りいただけたら幸せである。このことは日本人が自己の生活にとってもっとも必要とする宗教がどのようなものであるかを理解するよすがとなると考えられるからである。

本書「序」viii