Ameba Ownd

アプリで簡単、無料ホームページ作成

空海伝説

2024.05.22 06:39

https://senkooji.jp/?p=342 【空海伝説1 〜十夜ヶ橋(とやがばし)〜】より

橋の下で野宿した空海

愛媛県の大洲市に、「十夜ヶ橋」(とやがばし)という橋があります。

その橋の下には空海が野宿をしている石像があります。 今を去ること約一二〇〇年前、空海は衆生済度大願のため四国の各地を行脚していましたが、この地で日が暮れたので民家を探しました。

しかし、人気がなく民家も見当たりません。

ふと見渡すと小川にかかる小さな橋がありました。

空海は、仕方なくその橋の下で一夜を過ごすことにしました。

空腹と寒さに耐えながら野宿をされた空海は、夜明けを待ちかねて一夜も十夜に感じたそうです。

やがて夜が明けた時、空海は、『行き悩む浮世の人を渡さずば一夜も十夜の橋とおもほゆ』という歌(現在、永徳寺の御詠歌)を詠んで、久万菅生山に旅立たれました。

この歌は、「悩み迷う人々を悟りの世界に導くために成すべき事を考えると、一夜が十夜も感じるほど長い長い夜であった」という意味で、空海の衆生救済の強い思いを詠まれたものです。

この言い伝えから、この橋は「十夜ヶ橋」と呼ばれるようになり、橋のたもとに大師堂が結ばれ、橋の下には横たわって野宿をする空海の石像が置かれるようになりました。

この十夜ヶ橋を渡るお遍路さんは、「もしかすると、空海が橋の下で寝ておられるかも知れないから」と、橋の上を通る時に杖をつきません。

その習慣が広がり、今では四国遍路などに掛かっている橋を通るときは、どの橋でも空海が安眠できるよう杖をつかないという慣わしになっているそうです。

また、十夜ヶ橋の下は「修行」として国内で唯一公式に野宿が認められており、野宿する巡礼者のために、十夜ヶ橋納経所ではゴザを貸し出しています。十夜ヶ橋は、「永徳寺(えいとくじ)」の境外仏堂として、四国八十八箇所霊場に数多くある番外札所の中でも一番人気のある番外札所になっています。


https://senkooji.jp/?p=350 【空海伝説2 〜五筆和尚(ごひつわじょう)〜】より

同時に5つの筆を持って一気の文字を書いた

空海は書でも人並み外れた天才でした。

その名筆ぶりは当時より評判で、後世にさまざまな伝説を残しています。

「弘法も筆の誤り」「弘法筆を選ばす」などの、書に関する有名な格言も残されています。 唐の都長安の宮中に、2間にわたる壁面があり、王羲之(おうぎし)の書が書かれていました。

長い歳月により王羲之の書が消えてしまったのですが、だれも王羲之の名声に押されて筆をとって修復に応ずる者がいませんでした。

そこで順宗皇帝は唐に留学していた空海が筆の名人と聞き及んで、宮中に呼び寄せました。 宮中に上がった空海は、驚くことに両手両足に筆を持ち、口にも筆をくわえると、壁に向かって座り、五本の筆を動かして一気呵成に五行詩をしたためたといいます。

五本のうち一本は詩の一行目を、二本目は詩の二行目を書くといった具合で五本の筆を同時に動かして五行詞を書き上げたのです。

その場に居合わせた人々は、あまりの秘技に驚き感嘆の声を上げました。

空海は、息もつかぬ間に、さらに別の一間に墨汁を注ぎました。

すると、たちまち巨大な「樹」の字が浮かび上ったので、順宗皇帝が大変驚き、空海に「五筆和尚」(ごひつわじょう)の称号を与え、菩提樹の種で作った数珠を賜ったといいます。

その数珠は現在も、京都の東寺に保管されているとのことです。


https://senkooji.jp/?p=367 【空海伝説3 〜三鈷の松(さんこのまつ)〜】より

空海が「唐」から投げた法具が「高野山」に

空海は、密教の全てを得て帰国する時、「私が受け継いだ密教を広めるためにふさわしい地(修禅道場)を示したまえ」と願いを込め、密教法具の一つである「三鈷杵」(さんこしょ)を出航する港(現在の浙江省・寧波市)から東の空に向けて投げました。

三鈷杵は金色の光を放ちながら、紫雲の中に消えていきました。 日本に帰朝(帰国)した空海は、修禅道場にふさわしい地を探す旅に出ました。

そして、ある日のこと、白と黒の二匹の犬を連れた猟師(狩場明神=高野山の地主神)に出会います。 その猟師は、「良い場所があるので案内しましょう」と言い、二匹の犬に先導させて、空海を高野山へと導いたのです。

高野山にたどり着いた空海は、山の途中にある神社で1 泊しました。

そこには、その神社の祭神「丹生都比売(にうつひめ)」がおられ、「私は、この山の主です。この山をそっくりあなたに差し上げましょう」と空海に告げられました。

こうして、空海は二人の神様から高野山に修禅道場を開く許しを得た上に、さらに「高野山に伽藍や大塔を作る手助けをしましょう」という申し出を受けたのです。

京の都に戻った空海は、さっそく嵯峨天皇に高野山の下賜を申し出ます。

そして下賜を受けた空海は、高野山を開創に取りかかりました。 その後まもなく、空海は、高野山の松の枝に「三鈷杵」がひっかかっているのを発見します。

それこそ、唐から日本に向けて放った三鈷杵でした。

この松は不思議な木でした。 松葉は通常二本に尖っていますが、この松の葉は三本あったのです。

そのため、「三鈷の松」と呼ばれるようになりました。

平安時代に、高野山を訪れた貴族たちは、御利益を得たいと、三鈷の松の根元に落ちた松葉を拾って帰京のみやげにしたといいます。

それから約千二百年を経た現在もなお、高野山の大塔前には、この「三鈷の松」が枝葉を広げています。

そして、三本松葉を探してお守りにする観光客が後を絶ちません。 高野山の檀上伽藍のそばには、空海を高野山へと導いた「狩場明神」と「丹生都比売」を祀る社が建立されています。

高野山に参拝されたら、この伝説を思い出しながら訪ねてみてください。 (この伝説にある三鈷杵は、願望を実現する強烈な力を発揮するため、護摩祈祷のときには必ず手にして人々の願望成就を行います)


https://senkooji.jp/?p=370 【空海伝説4 〜磐梯山の妖怪(ばんだいさんのようかい)〜】より

手長と足長の妖怪が悪さをしていた

昔、会津(福島県)の磐梯山に、「手長」「足長」という夫婦の妖怪が住んでおり、悪行を働いていました。 「足長」は、長い足を伸ばして、磐梯山から隣の博士山や明神嶽まで、ひとまたぎで歩き、空を真っ暗にして大雨を降らしていた。

その叫び声はものすごく怖かったといいます。

「手長」の方は、長い手で猪苗代湖の水をすくっては顔をざぶざぶ洗い、会津盆地にばらまいていたそうです。

この妖怪達が、息を吹きかけると大風が吹き、水をばらまくと大雨になったため、たびたび大洪水が起こり、作物に大被害が生じて村人は大変困っていました。

そこへ諸国行脚を続けていた空海が、この地に立ち寄られました。

そして、話を聞いた空海は、「私がその妖怪を退治しよう」といい、村人が引き留めたにもかかわらず、お経を唱えながら磐梯山を登ります。

そして、「手長」「足長」の住処を訪ねて、「お前達は出来ないことが無いと言っているそうだが本当か」と聞いた。

妖怪達が「俺たちに出来ない事は何も無い」と応えると、空海は「なら大きくなれるか」と挑発すると、妖怪達は自慢げに、あれよあれよと天まで届くほど大きくなった。

それを見た空海は、「ならば、小さくなれるか」と問い、懐から小さな壺を取り出して、「この壺に入るのはお前達には無理だろう」とさらに挑発した。

すると妖怪たちは、簡単だとばかり壺の中に飛び込んだ。

空海は、それを見届けるとすぐさま壺の蓋をギッチリと締め、 真言を唱えて封印しました。

そして、その壺を磐梯山の頂上に埋めました。

以来、会津はもとの明るい里に戻ったそうです。

磐梯山は今日、登山者で賑わっています。

磐梯山の頂上にあと少しという所には「弘法清水」があります。

登山者はこの水で勇気づけられ力をつけて頂上をめざすそうです。

また、磐梯山には、磐梯山を七回りするほど巨大な妖蛇が棲んでいましたが、空海が磐梯西麓の烏帽子ケ嶽に鎮めたという伝説も残されています。

その折り、空海は密教興隆の場を探すため三鈷杵を空中に放ちました。

その三鈷杵は、何と退治した妖蛇の尾の端があった場所に落ちたのです。

空海は、そこに一大伽藍を建立しました。 このお寺は「尾寺」と名付けられ、地元の人々の信仰の場になったそうです。


https://senkooji.jp/?p=374 【空海伝説5 〜善女龍王(ぜんにょりゅうおう)〜】より

雨乞いの戦い

平安京(京都)の神泉苑の池には、善如(ぜんによ)という竜王が棲(す)んでいると言われます。

天長元年(824)の春の事。 長い間雨が降らずひでりが続いて庶民が苦しんでいました。

そのため時の天皇が、その神泉苑にて雨乞いをせよと、西寺の「守敏」と東寺の「空海」に祈雨の習法を命じました。

まず、西寺の守敏が7日間雨乞いをしました。

ほんの少し雨が降っただけでした。

次に空海が7日間の雨乞いをします。

しかしまったく雨が降りません。

おかしいと空海が法力で調べると、なんと、守敏の仕業で全国すべての龍神が水瓶に閉じ込められていました。

しかし唯一、「善女龍王」だけは守敏の呪力から逃れて、天倖(北インド)の無熱池いることが分かりました。

そこで空海は、さらに2日間の延長を願い出て、善女竜玉を神泉苑に呼び寄せました。

そして、祈雨の修法を行ったところ、長さ9尺(約2.7メートル)ばかりの金色の竜が姿を現し、たちまち雨が降り始めました。

しかも、その雨は3日3晩日本中に降り続いたのです。

高野山に参詣すると、不動堂の南に「蓮池」があります。

その池の中央にある小島に、善女龍王を祀る社(やしろ)があります。

蓮池の小島に祠(ほこら)を造営した際、善女竜王像をお祀りすると、なんと、瞬く間に大雨が降りだしたそうです。