『ミち』

元岡謙二

2018.12.08 12:48

ヘモグロビン。血は水よりも重く、結局、私は「母の恋人だった父」との邂逅を果たせなかった。

母の誕生日、雲が空を覆うが雨の心配はなし。お昼前、身支度を整え、川へ向かおうとする私に一本の電話が入った。

「・・・さんのお姉さんですか。」

お姉さん、ここ二十年ほど耳にしたことのない言葉。

お姉さん。私には妹が一人いた。

そうではない。妹がいる。中学校を卒業すると同時に家を飛び出した妹、父に頬をぶたれ泣きはらした妹、祭りの夜におんぶしてやった妹。

「もしもし、もしもしお姉さんの携帯ですか、もしもし」

「はい、そうです」

「落ち着いて、落ち着いて聞いてください。私は〇〇総合病院の者です。」

「病院ですか」

「そうです。落ち着いて聞いてください。妹さんは本日、男の子を出産されました。ただその後、様態が不安定となり、五時間ほど前から意識が戻っていません。手帳のアドレス欄を見てこの電話にかけました。これから病院に来ていただくことはできますか。」

そこからは非常にオートマチックに事が運び、電話を通じて、病院の住所、アクセス方法、必要な物品、当面に必要な情報がさらさらと明らかになり、気づいたら私はタクシーに飛び乗っていた。

「〇〇総合病院へ。それと疲れているのでラジオを消してもらえますか」

「分かりました。」

カーナビに目的地を設定する運転手。タクシーはのそりと走り出す。

シートに腰を下ろして一息つくと様々な疑問が頭を駆け巡った。私は、妹が家を飛び出た理由を聞かされていない。まるで最初からいなかったような妹の扱い。いつの間に順応した私。この二十年、妹はどのようにして生きてきたのか。今、妹のそばには誰がいるのだろうか。

やがてタクシーは街を離れ、大きな鉄橋へと差し掛かり、ぬぼりとした河が現れた。今でこそ矯正されたこの河も、以前は高低に従いただ流れるために流れゆき、多くの土地々々を侵食してきたのだろう。

そうだ、今日、彼と会うはずだったのに。だったのに?約束していたわけじゃない。私の自分勝手なゲーム。自分勝手。私はなぜあのゲームの招待状が彼だけに渡ると思ったんだろう。もし彼に家族がいたら。そしてその誰かがあの手紙を開封したら。

生前よく父に「おまえは思慮の足りない娘だ」と叱られた。そうだ私には思慮が足りない。思慮が足りないと言えば妹だ。中学を卒業と同時に家を飛び出した妹。姉妹揃って思慮が足りない。

妹。妹。妹。そう、妹に子供が生まれたのだ。男の子。

心の奥底の裏側の、薄ら暗い片隅の、見たこともない小部屋の奥にある仄かな思い、きっと私には家族ができないだろうという予感。父が逝き母が惚けて後を追った後、それはいよいよ確信に近づいていき、つまり私で血脈が途切れるという諦念、後ろめたさ。それがすでに打ち砕かれいた不可思議さ。あぁ未だ絶えがたきこの血脈よ。河と同じだ。ただ無目的に広がりゆくのだ。

この先で事故でもあったのかタクシーは緩やかな渋滞に捕まり、私はいぜん河の上。