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Bombonera(ボンボネーラ)岡山

とある人の言葉

2024.05.24 04:13

とある人の言葉。


『A級ライセンス』


○○が学校の契約解除を文書で通告された翌年。

学校なのか当時の校長なのかは確かではないが、派遣されてきた指導者もどき?がいた。


そのとき、人事は、親に向かってこういった。

「○○や○○と違って、彼はA級ライセンスを持っている。A級ですよ。優秀な資格を持った…」

と。


「○○なんかA級じゃなくてB級だろ。○○なんて…」とも。


 そのA級は、

「リフティング・ドリブルなんかいらない。走りはいらない。それが現代のサッカーだ。」

とこっそり生徒に語り、説明とマニュアルの講釈だらけで汗もかかない練習を、毎回きっちり2時間で終えた。


選手より誰より一番早く練習場から消えた。


A級は、休みの日は、2時間で自分の拘束を終えるために、

学校には来ないで、常に外で弱い相手と練習試合を設定して、こなして休日出勤代を稼いだ。

選手は時間を持て余した。


彼のもっとも優れていたところは、自分の生活を最優先することと、部員とその親にコビを売る能力だった。

だが、だまされるものは少なかった。


「子供が燃えていない」ことから親はやっぱりと理解した。心配もした。


夏の遠征では、つながり深いチームの指導者に

「おたくのBチームとやらせてください。無理ですから」

とお前とこのへんてこな野郎が言ってるぞ。

○○どうなっちゃったんだ。

真反対なことになってるぞ。

大差で負けても選手は練習もしないで走りもしないで、旅館で、はしゃいでくつろいでいるぞ。

とすぐ連絡があり…


そのヘタレぐあいが全国の他校のコーチたちの笑い草になっていた。


戦わないから相手にもならない。

練習を激しくしないから選手もヘタレになる。

個性も磨かれない。

自主練もしない走れない選手になる。


本気じゃない人間がやれば選手が本気になることは難しい。

A級は公然と選手の心の灯や夢に冷水をかけ続け、上には手を揉み続けた。


いつも「合理的」という言葉で自分が楽をすることだけを見ていた。


そいつは、資格を持ったが、

若いころ

自身が燃えて挑戦したことがなかった。


多くの選手はおおむね数日で

「見切った」

その年のCチームは歴代最弱のふぬけも生んだ。

生活もぐずぐずな選手も生んだ。


俺たちは心あるCチームの彼らすべてに言った。

気づいている者には「夢があってここにいるんだろ」

不満を持っている者には「他人のせいにすんじゃない」

ぐずぐずになった者には「自分で抜け出すんだ。夢を捨てたくなければ」と。

もちろん抜け出し、

トップで活躍した選手はいた。

人は結構健全なんだ。 


「資格」で人を測るべからず。

「医の心」医学の社会的使命を持たない医者もいる。


人は「人柄」だ。

指導は「おのれの苦しい成功体験と失敗体験に裏付けられた情熱」だ。

指導者は「育成の知性とポリシー」の体現者だ。


A級は1年もたたず去らざるを得なかったことは当然だ。

そして戦う「諦めない○○テイスト」のCチームが戻ってきた。


そんな昔のA級の話。


なんでこんなのが資格取れちゃうんだと。

いやむしろ、人格や知性ではなく、資格で職を得ようとするヒラメが多いのだろう。

ライセンスと人格はまったくの無関係だから。

人間学と整合性を持つライセンスとか、独創性を認めるライセンスなんか素晴らしいけど…


というとある人の言葉