他人にはちゃんとしてほしい国
「与え方が悪い」
「もっとマシなものを与えろ」
現代日本国民の多くに共通する考えである。
これ以上ないほど、
ぶっちぎりに甘えた感覚である。
国に対して、
地域に対して、
会社に対して、
親に対して、
パートナーに対して。
おまえら与える側の
環境が悪かった、
政策が悪かった、
教育が悪かった、
指導が悪かった、と。
与えられるこっち側の身にもなってみろ、
やってられねえ、
もっとまともなホドコシを与えろ、と。
責任?
そんなの
おまえらがルール決めてるんだから、
こっちには関係ねえ、と。
おまえらが考えることであって、
こっちは受け取るだけなんだから、と。
カスハラや親ガチャの思想、
親や社会を逆恨みする引きこもり、
生意気で権利ばっか主張する新入社員、
クレーマーやモンスターペアレンツはこれの最たるものだけど、
普通の一般人だって同じ。
他人はいつも自分の邪魔をしやがる、
いつも自分の気持ちを害する、と
恨む、
妬む、
ひがむ。
選挙にも行かず国の文句を言い、
いっつも会社の愚痴や
同僚の愚痴や
子供の学校の愚痴や
パートナーの愚痴を言っている。
「もっとマシなことを私に提供しなさい」と。
「そんな与え方しかできないなんてバカじゃないの?」と。
これが日本の教育のなれの果てである。
今の日本人の思考を作ってきた、
すべての教育の結果である。
与えられ続けることにあまりに慣れすぎた。
産まれて以降、
白髪が生えてくるまで
優しいお母さんお父さんに与えられ続け、
学校で「これが正しい方法ですよ」
「次はこうしてくださいね」
「こうするものなんですよ」
と一律の尊さと思考停止を義務付けられ、
会社で「ここでこのように働いてください」
と快適な暮らしと道筋をつけてもらってきた、
与えられ続けることが当たり前の、
自分で決めることがないことが当たり前の、日本人のなれの果てである。
自分で判断・選択して生きてる気になってる私ですら、
「あれ?他人や環境のせいにしてる?」
ってハッとするときがあるほどだ。
私だって与えられ続けてきたからね。
そう、日本人のほとんどに主体性がないのである。
主体的に物事を考え、
自分の足で立ち、
自分の脳ミソで動くことがない。
まともな選択をしたことがないから、
(選択をさせられたと思っている)
自分の不遇は常に誰かのせいなのだ。
自分はいつだって被害者なのだ。
私はあなたが勝手に産んだ小鳥なので、
大口を開けて待ってますので、
適切なエサを
適切な量で
適切な状態で
適切なタイミングで
放り込んでください。
そして死ぬまでこうしているべきカワイイ存在だと思うので、
ぜひ死ぬまでお願いします、
そしてそれがうまくできないのはダメですよ、あなたのせいですからね
責任取ってくださいね、
ってことなんでしょう。
おぞましい。
おぞましすぎる。
自分もたまにそうなってるんじゃないかと思うと、
ゾッとする。
ちゃんとしようっと。