リンネについて①
初めまして。使徒のスプーンと呼ばれているものだ。呼びやすくスプーンとでも呼んでくれたまえ。
エヴァはダメ。天乃川ならともかく。
まぁ、なんだかどこかで私たちを描いた漫画や小説が出ているらしいから、紹介も必要ないのかもしれないな。
さて、天乃川にリンネのことについて軽く書いてくれと頼まれたのだが、何をどこから説明すればよいのやら。
とにかくここにおいての"時間の概念"と"何をしているか"を言おうか。
リンネというこの世界には時間の概念が、"認識しなければ"、無いに等しい。
だからハッキリ言ってしまえば時間の流れは存在はしている。ニホンなどの現世の国の流れと同じく一日を24時間として流れている。
そして水に時間をかければお湯が湧き、植物に時間をかけて栄養やれば成長するのも同じ。
だが、先ほども言った通り"認識すれば"の話であって、リンネでは殆どの者が1日の時間の流れは認識していない。いや、"出来ない"のほうが正しいか。これは現世に来ても同じだ。
リンネでは、例えばコーヒーを淹れるとき。お水を置き、「時間をかけて温まる」と認識すれば、お湯を沸かすことができる。植物も同じ例だ。
だが、リンネでは完成品を認識(知っている)出来れば、完成品を出すことが出来るのでわざわざ"時間をかけて完成させる"なんてことをする物好きはほぼいない。全く居ないわけではない、異端審問会の三星紋の狼なんかは珈琲や紅茶を淹れるとき、お湯を沸かして注ぐまでの情緒を愉しむために時間を認識している。
こういった自然現象や、空間・建築物の創造といった自分の手を加えるものではないものは、時間の認識は全員が可能だ。ただ再び言うが、完成品を認識すれば良いだけなので殆どの者は時間という概念を意識すらしない。
ちなみにたとえ想像上の産物でも、リンネに作り上げることはできる。理由としては、どんな想像上の産物でも、想像出来ている限りは自己の知識から作りあげたものであるからだ。知識の組み替え、詰め合わせだな。
これは具体的かつハッキリとした認識が出来ていればになる。だから得意不得意も出る。それからその場合、認識共有が難しくて……あがまた長くなってしまうな。認識共有の話はまた今度。
本題は、この時間認識には例外がある。それは自分の変化に対する時間認識だ。つまり、自己成長や自己経験の蓄積などがあたる。
端的に言えばこれらは、対象物に時間をかけることで完成・達成されるものを認識出来ない(知らない)から、時間の認識すら出来ない。
天乃川なんかがやるゲームとやらも、私が読む本も、プレイした・読んだという事実は認識出来るが、内容や操作感といったものは知識として反映されず仕舞いになる。認識出来るのは達成感くらいだろうか。
これが私たちがいつまでも成長しない理由に当たる。私たちは、成長した姿を知らない。誰もがどうなるか。また、どうなれば良いかもわからない者も多い。
なので、このリンネに来た瞬間。成長だけが止まるのだ。私が7歳のままのように。
まぁ悪い話ではない。所謂、不老不死のようなものだからな。姿が子供のままなのは、少し厄介だが。
あぁそうだ天使や悪魔は、一度現世で死んでから来ているが、ここに召喚されたときに生前の記憶を消しているから、彼らも成長は認識出来ない。異端審問にかけられた段階の姿形をしているのは、当たり前のようにその時点の姿が私たちの認識が一番色濃い姿だからとなる。
とりあえず、こんなものか。なかなか難しいものだな。私も知識として知ることはあっても、教えることはあまりないので。不慣れなところがあった。
私のいる空間"The book"では、図書館のように多数の記録と記憶媒体がある。こういった情報も、書き留めている。なにせこのリンネを作ったものは、何も説明せず去ってしまったからな。
そう、それで話は逸れるかもしれないが。私たちを描いている漫画の次作に、二十年前ほどの出来事が描かれるそうで。
そこに出てくる人物の記憶の本を取り出して、天乃川に伝え、絵に描いてもらった。
天乃川の部屋にちらかってた紙に即興で描いてもらったから、なかなかに雑かもしれないが、こんな男が出てくるらしい。
と、これも書いておいてくれと言われたのだがな。注文の多いやつだ。
一応またリンネについてを触れるかもしれないので、タイトルに「①」と振っておいた。また今度の機会に。では。