コート心理という感覚
じじっかの価値観
ー思考デザインー
血縁のない大家族づくりを行っている
じじっかでは、
血縁のない大家族には必要な
価値観も、つくり続けています。
今まで一緒に生きてきてないし、
それぞれの事をまだ知らないし、
無理矢理、家族と言われても
簡単になれるものでもなく、
何を家族とするのかって話にもなるけど、
曖昧な中、
まずは価値観の方向性を見失わないように
【思考デザイン】じじっかの価値観が
今、約15個ほど、出来ています。
コート心理
その、思考デザインのひとつに
「コート心理」ってあるんですが、
その「コート心理」を待ち合うことが
血縁のない大家族になることじゃないかと思ってます。
バレーのコートを想像してもらい、
人はそれぞれ手前のコートのど真ん中に立ってるとします。
自分が入ってるコートではない
相手コートにいる人は、いわゆる敵。
同じコートに入っている人は、仲間。
単純に、
人と人が関わり合う中で
この『コート分け』があるよねー
ってのが、「コート心理」。
ただ、それだけのこと。
ただ、それだけのこと、なんだけど
今の今まで仲良く話してたのに
相手の一言が勘に触れた時に
一瞬で相手コートに入れてしまった経験ないですか?
「仲間」として感じとってた会話が
「敵」に話しかけるような言葉になってしまってたこと。
意外と相手コートに人を置くのが
一瞬であること
バレーコートのセンターラインって
5㎝らしいです。
「コート心理」という価値観に出逢うと
意外と日常で「あ、相手コートにいれて話してた!」って感じることがあります。
なんで私が言ってるのに伝わらないの?
この人・・・って。
自分は正解を伝えてるから
必然的に“相手が悪い”っていう気持ちが
自分の心の中のどこかしらに存在してる事に気づく。
でも、
言っても伝わらない
あの人が出来てない
こんなに教えてるのに
こんな気持ちが
心の中にありながら
伝える言葉は
正解でも
伝わらない。
お互いが敵になっちゃってるから
勝たないといけなくなる。
勝とうとする言葉や行動には
戦略や方法は伝えてはいけないものになる。
相手コートと、同じコートとの差は
たった5㎝なのに
小さな一歩の距離が意外と関係性を崩していることがある。
5㎝の差で
相手コートだと勝たないといけなくなるけど
仲間コートだと役割分担することになる。
お互いに切磋琢磨して
一緒に勝つことを目指すことになる。
5㎝の差だけで、
こんなにも違うことに気づく。
コート心理に心において
ひとつの訓練のようなものだけど
じじっかの中では
コート心理に例えて
毎日の活動の中で起こる感情を
照らし合わせてます。
血縁のない大家族って何?と聞かれることも多いけど、
みんなが仲良し!だとも、
何があっても助ける!でも、
ずっと一緒にいること!でも、
ないんです。
同じコートにいること。
それが、わたし達にとっての
じじっか家族なんです。