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梨の日

映画『人魚の眠る家』

2018.12.15 08:44

映画『人魚の眠る家』

監督:堤幸彦

原作:東野圭吾

出演:篠原涼子/西島秀俊/

坂口健太郎/川栄李奈/山口紗弥加/田中哲司/

斉木しげる/大倉孝二/駿河太郎/ミスターちん/遠藤雄弥/利重剛/

稲垣来泉/斎藤汰鷹/荒川梨杏/

荒木飛羽/田中泯/

松坂慶子




撮影後に時間が空いて。

久しぶりに銭湯に寄っちゃったりして。

もしかしから行けるかも、

って始まる15分前に銭湯出て映画館へ直行。

もろお風呂上りのまま、本編にギリ滑り込めたぁぁ。


東京国際映画祭で上映された作品。

なんだかずっと気になってた。



冒頭から、まるで水の中にいるような幻想的な光と音楽が続いて。

あぁ綺麗だなぁ、なんて思っていたら、

本当に、突然、悲劇は起きた。


プールの事故で脳死状態になった娘の瑞穂。

現在の日本では、脳死判定を行う=臓器提供の意思あり。

意志がなければ脳死判定が出来ない、とのこと。

脳外科医からは、ほぼ、脳死だと告げられるけど、

反射反応を見て生きていると感じ、延命を決めた家族の話。


脳は死んでいて意識はない、

けど心臓は動いていて。

夫と同じ研究所で、電気信号を身体に走らせ、その身体を動かす

研究をしている研究員に、娘の身体を動かせるか託す夫婦。


実験は上手くいくし、身体を動かすことで、筋肉や体内は健康に。

でも脳死は脳死。




今、AIとかロボットのことが多く世に出て注目されてる中、

まさかこんな、人間的な問いを目撃するとは。




物語の途中で、自分が気持ち悪く、という言葉がちょっと違うんだけど。

なんともいえない違和感を感じるように変わっていって。

それは登場人物たちの中でも、同じように疑問を抱く人が出てくる。


死んでいる人間を、生きてる人間が動かす。

生かす。


エゴという一言で片づけられるようで、

それもちょっとたんまをかけたくなる。


その内、母だけが瑞穂ちゃんを生きていると寄り添うようになるけど。

死んでいる人間をずっと傍に置いて勝手に動かし、

確かに何かおかしいのだけど、けど。

それが母という存在だから。

瑞穂ちゃんは死んでいるけど、もし、もしお母さんまでもが

離れてしまったら?

死んでいるけど、唯一の味方にも見える。

お母さんだけが、娘の味方のような。


自分の母も、

何があっても私の味方をしてくれる。

もし自分が瑞穂ちゃんのようになったら。

自分が死を受け入れられないのも間違いなく理由だが

尽くして味方をしてくれそうで。

今は大人になったし、うちにはそんなお金なんてないから

諦めてくれるだろうけど。



脳死した人間に包丁を刺したら、それは殺人になるのだろうか。



母の苦痛の叫びと疑問が、ずっと胸をひっかいてる。

殺人罪に問われるのであれば、殺された人間が生きていたと

断定される。

その証がもらえるなら、生きているのか死んでいるのか、

国に、法に判断してもらいたいと究極の考えは

心が苦しくてしかたなかった。


子役の演技が凄すぎて逆に現実に戻ったけど。←

あと父親の顔。

研究員らしく、そして男性らしく理路整然としててあまり感情的にはならない。

でもあの瞬間だけは、

母を抱きしめてあげる時の、家族で涙を流して何かが溶け合えた

その瞬間だけは、

もっともっと、顔が崩壊するほど、感情を出して欲しかった。

どうしてまだ、どこか斜め上から冷静さを持っているような。

西島さんのぐっちゃぐちゃな顔が見たかった。



自分が母という存在になれていないのが、

こういうものを観ると本当に悔やまれる。

説明も出来ないほどの愛情を注げる相手を知らない。

私になれる日がくるんだろうか、ね。

心配にも不安にもなるし。

改めて母親という女性を尊敬し、愛おしく感じたり。



説明的でもなく、押しつけがましくもなく。

あくまで、あの家族の出来事を、ストーリーを追っているだけ。

自発的に心が感じ、考え、動いた映画だった。


子供の回想の度に、夢のようなシーンが入るのはしつこかったけど。

声だけの時があっても良かったような。

それは私が母の気持ちを知らないから、かしら。


最後の母の願望であり夢であるシーンは、

演劇だったらきっと、ちゃんと観てる側に”現実ではない”ことが伝わる気がした。

ちゃんと会話の「逝くんだね」で現実ではないことはわかるけど、

どうにも変なリアリティがあって疑問に思ってしまい、

涙は流れず。



でも、最後の繋がりはとても好き。

最初が繋がって。

そのあとの、景色も。

とても物語らしく、人魚が泡になったあとのような光景が。



人間の尊厳とか命とか、道徳的なこと。

どんなに化学が発達しても、化学を産み出しているのも

いつだって生身の人間。

人間の道徳もルールもマナーも常識も、人間が創り上げたもの。

でもその中でも、自分の心が何か判断を感じて下せるんだろうな、

なんて。


素敵な生き物じゃない、私たち。



世の中の技術がこれからどんどん発達し、

日常で使えるようになる日々がくるなら。

こういった問題や悩みがどんどん出てくるのだろうな。

でもその時は、本能、じゃないけど、

自分の感覚や心を信じてみるのが1番という答えも、

あっていいのだと思う。



題名は人魚だけど、人間のお話しでした。




ーーーーーー

ちなんだ余談だけど。

私、前に臓器提供の意思表示カードを持ってたのに

どっか行っちゃったな。←


献血すら「お姉さんの血が足りなくて取れません」を繰り返してる私の身体ですが。

多少不健康かもしれないですが。←

私も母に産んでもらったことへの感謝もあり。

もし判断しなければならない時が来たら、提供したいな。

私なんぞの身体で良ければですよ、ほんと。

なんぞ、っつったら母に失礼だけど。笑)

使えるんだったらさ。

ただ燃やしちゃうのは勿体ないし。

つー考えな私の意志を、再度確認した時間でもありましたん。