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天体に現れる不思議

2024.05.27 09:46

https://novel.daysneo.com/works/episode/db3e68ee69d9d8575ee70dee5bff6330.html 【21・天体に現れる不思議】より

太陽系を巡る、天に見える惑星に、古代より人類はそこに様々な意味を見出そうとして来ました。太陽は明るさや恵みの象徴、月は神秘、赤く輝く火星は戦争の象徴…といったように。

その中でも金星は明けの明星、宵の明星と呼ばれ別名ヴィーナス、または天より堕ちた堕天使ルシファーを象徴する星でもありました。

聖書や伝承にあるルシファーは、元は最高位の天使だったものが神に反逆し、神の作った人間および世界を激しく憎みまた侮蔑するようになった存在とされています。

反逆の原因は色々と伝承にありますが、自分自身が神より優れた存在であると高慢な思いを抱くに至ったため、または神の被造物である人間に仕えるように言われたのをあくまで拒否したためとも言われています。

堕天使ルシファーの象徴である金星は、空に見える星の中で一番の明るさを持ち、朝には明けの明星として輝き、夜には宵の明星として暗闇に堕ちていくような様子を古代の人々は元は最高位の天使だった、そして天から堕ちた堕天使ルシファーの伝承に重ね合わせていたのでしょうか。

しかし、不思議な事に、その後天文学が発達するに従って金星の奇妙な実相がだんだんと明らかになって行きます。

金星は地球とほぼ同じ大きさで、厚さ約25kmに及ぶ濃密な雲に覆われています。

その雲はかつては水蒸気と考えられ、地球のような大気が存在していると思われていましたが

金星の大気はほぼ二酸化炭素で、雲は硫酸で出来ています。

金星の環境は二酸化炭素による温室効果で、地表の温度が摂氏約500度と金星より太陽に近い水星よりも熱く、また空を厚く覆う雲から硫酸が雨のように降るまさに地獄のような環境である事がわかりました。

さらに奇妙な事に、金星は太陽系の惑星の中で唯一自転の方向が太陽を始めとした他の惑星とは逆に回転している事がわかっています。つまり、他の惑星では太陽は東から昇り西に沈むのに、金星では逆に西から昇って東へ沈むという事になります。

どうして金星はほかの星とは自転の方向が逆になっているのか、その理由ははっきりとはしていないようですが…。

そしてはるかな昔、金星の自転の方向がわかるはずもない時代に、太陽を始め他の星とは逆回転に自転し、まるで反逆しているような金星が神に反逆したルシファーの象徴とされていたのは不思議です。

金星を象徴とする異教の神々は他にも古代シュメールで信仰されていたイシュタル、エジプトのイシス、カナンのアシュタロト、ギリシャのアフロディーテや現在の金星の名称であるローマのヴィーナス、アステカのケツァルコアトルまでも象徴としているのは金星です。

主にエジプト、中近東、地中海地方に共通して存在したこれら金星を象徴とする信仰では

人身御供の儀式が行われ、様々な名前と姿がありますが元をたどればこれらは元は一つの金星信仰だった可能性があります。

そしてこれら古代に行われていた人身御供を伴う宗教は、ただの信仰というだけではなく

強大な権威で人を強制的に隷属させるという政治的な側面も持ち合わせていました。

・人身御供を中心とした社会支配システム

例えば、誰を人身御供に選ぶか決定権をもつ神官は、宗教の名のもとに人命を自分の意のままにできる権利を持つことになります。

すると人身御供に選ばれたくない人々は、神官に忠誠を誓い、人身御供に選ばれるのを避けようと競って神官に気に入られようとする状況になる事は想像に難くありません。

そして神官に反抗的な人間を生贄に指定してしまい、言うことを聞く者は残すようにすれば神官は誰も逆らう事のできない強固な地位を築き上げる事が可能です。

バアル信仰やダゴン信仰など、人身御供を伴う信仰が存在していた事が確認されている古代シュメール文明は歴史上突如として現れ巨大な都市国家文明を築いたとされていますが、その謎の答えは案外こうした人身御供の恐怖によって人を強固に支配し使役する当時の宗教社会システムによる所が実は大きかったのではないでしょうか。

古代の、建造するのに多大な労力が必要だった事が容易に想像できる巨大な石の文明はもしかして人身御供の祭祀を有するこうした宗教社会構造と密接な関係があったのかも知れません。

かつてのヨーロッパにおいても、ドルイドという森とヤドリギを崇拝する祭司集団がありましたが、ドルイドは当時のケルト人の社会で宗教の祭司であると同時に政治家でもあり、裁判官でもあり、その社会において強大な権益を持っていました。

ドルイドもまた、人型をした大きな木の檻に人や家畜を閉じ込め、火を放って生贄とするウィッカーマンという儀式を行っていました。

また一説によれば、サウィンと呼ばれる祭りの夜にドルイドの神官が人身御供の供出を求めて

各家を訪問した習慣が、現在のハロウィンのトリック・オア・トリートと各家を巡ってお菓子類を求める行事の原型であるとも言われています。

そのドルイドの祭司施設だった可能性があるとも言われているストーンヘンジでも、人身御供の痕跡ではないかと思われるものが見つかっているそうです。

こうした人身御供の祭祀と、それを人の支配に利用した社会構造の始まりは、源流を辿れば

古代シュメール、すなわち旧約聖書のバベル、バビロニアに行き着くのかも知れません。

旧約聖書の記述によれば、世の最初の権力者となったのはバベルの塔を築いたニムロデという人物とされています。

ニムロデという名前は、神に逆らうという意味で、もしかしたらその名の通りニムロデは

人身御供と、そうした信仰に付き物だった堕落した性的儀式を伴った信仰社会を作り出し、

死の恐怖と、その反対の堕落した性的放縦によって人々を意のままにし 神ではなく自分自身に人を従わせて巨大な古代都市、威容を誇るジッグラト、バベルの塔を築き上げた…という事が読み取れるように思えます。

実は、これは古代の話だけではなく、現代の社会でもそう違った状況ではないようにも思えます。現代では古代のように大々的に人身御供の宗教が行われる事はありませんが、それに代わって人を支配する方法が経済、金の力へと変わって、またちまたにはアダルトコンテンツが野放しで氾濫している状況のように見えます。

古代のように、これが人の心を神から離し金に隷属させ、心を鈍らせ操るために意図的になされているのだとしたら、現代の社会はもしかしたら思った以上に危機的な状況にあるのかも知れません。

こうした神の意思に反するような、まるで旧約聖書のバビロンであるかのような社会状況の最後に行き着く先は、黙示録の偽預言者が獣の像を拝まない者はみな殺させた…と書いてある通りの、過酷な世界の文字通りの実現になる事も考えられます。

その時には、聖書にある死を恐れるなという教えの通り、命を失う事になっても非道徳的、反キリスト的な信仰または社会状況に逆らわなくてはいけなくなる、将来的にそのような状況が到来する可能性も十分あり得るように思えます。

そういった過酷な未来が実現する事のない様に、私達、そして世の人々ともども、信仰というものの真実性と、世の中の真理について深く理解をしていかないといけないのかも知れません…

・金星の環境へと近づく地球

気がかりな事は、それだけではありません。現在、産業活動などによる化石燃料の使用から生じる温室効果ガスによって地球の気温が上昇する地球温暖化が問題となっています。

地球温暖化とは、石油などの燃焼によって生じる二酸化炭素やメタンなどの温室効果ガスが温室のように地球を覆い、地球の平均気温が上昇していく現象です。

産業革命以降、地球の平均気温は加速度的に上昇を続け、21世紀の終わりごろには世界平均で気温が2度から4度上昇するという予測もあるようです。

気温が上昇する事により台風や大雨による土砂災害の増加や農業への被害、砂漠化、南極や北極の氷が溶け海面が上昇し島や沿岸部が水没する事などが予測されています。

そして地球よりはるかに二酸化炭素が多く、大気のほとんどが二酸化炭素の金星は前に触れた通りそれによる温室効果で金星の地表は500度近い灼熱の環境です。

もし、金星に象徴される神に反逆するルシファーが現実的な存在で、人々に影響を与え

自分の意思を達成するために特定の人々を操り働かせているとしたら、人間を激しく憎むとされるルシファーはもしかして、地球を金星の灼熱地獄のような環境に

作り変えてしまおうと画策し実行している最中なのかも知れません。

地球が金星のような環境に近づいて行けば、生物の大量死など大きな異変が生じる事がわかっています。

さらに、地球の気温がある一定の温度に達した場合、海中に含まれる二酸化炭素の急激な放出が起こり一気に環境の激変が起こるのではとする研究もあるそうです。

なので、環境の激変で地球が生物の住めない星になる前に、温室効果ガスの排出削減や石油に代わって核融合などの安全な原子力エネルギーの利用、地球の緑化など温暖化を防ぐためにこれから非常な努力が必要になってくると思われます。

現在、様々な国で温暖化対策が取られているようですが、にも関わらず年々地球の平均気温は上昇しつつあります。我々は、このまま地球がルシファーの星・金星のようになるのを手をこまねいて見守るしかないのでしょうか…。

・地球環境の激変を防ぐために

現在、温暖化対策として様々な方法が取られていますが、産業活動による温室効果ガスの削減はなかなか難しいようです。原因の一つとして、二酸化炭素を吸収する森林などの緑地が伐採により減少しつつある事が挙げられます。

木を植えて緑地を増やせればいいのかも知れませんが、森林は育つのに数十年は時間がかかってしまいます。しかし、一つ思い付きですが、森林や植物を1から育てるのではなく森林や植物の二酸化炭素を吸収する組織、葉緑素を科学的に合成するような方法は実現できないものでしょうか。以前読んだ科学の本によりますと、葉緑素を科学的に合成することは不可能と書かれていました。しかし、あれから科学も進歩しているはずなので現在ではそれが可能になっているのかも知れません。

もし葉緑素が科学的に合成、あるいは培養できたとしたら、森林や植物を1から育てる必要もなく、また植物が育たないような砂漠や荒れ地でも緑地であるかのように利用する事が可能になるのではないかと思います。自分は化学の専門家ではないので、これが実現できるのかは判断不能です。しかしもし実現可能なら、この思い付きが化学の素養のある誰かの目に触れることを祈るばかりです。そして結局のところ、葉緑素はやはり現在でも合成不可能だったと結論が出る可能性もあります。その場合、そして他の対策が功を奏さず、地球温暖化がどうしようもない所まで進行してしまった場合、我々に残された最後の手段は、神に祈る事しか残されていないのかも知れません…

神が現実的な存在であるならば、人類を激しく憎んでいるとされるルシファーも当然同じく現実的な存在という事になります。噂によれば、この世にはルシファーを信仰している団体が存在するそうです。しかも、例に挙げた古代バビロンの神官のように相当の影響力を持っているとも噂されます。ルシファーを信仰し、その悪霊が乗り移ったかのように人間は弱く愚かで無価値な存在と決定的に断じ、世の中を強権と欺瞞によって支配する、そういった団体が力を持ちルシファーの最終目標は人類の根絶であるのに上手く欺かれその目標のために動かされている、この世がそういった世界でなければいいのですが…

キリスト教では、伝統的に聖母マリアがルシファーの頭を踏み砕くと言い伝えられています。

また聖母マリアの出現等で伝えられるメッセージでは、祈りの重要性がくり返し強調されています。ルシファーの計略を打ち破るには、聖マリアの加護と、それを求める我々の祈りが何よりも重要という事なのかも知れません…。

・多くの謎がある天体

惑星などの天体には、現代の天文学的でもわからない現象が数多くあるそうです。

例えば、金星もそうらしいのですが、月がいつも地球に同じ面を向けている理由ですとか、

月の地球を回る軌道が他の衛星に見られるように楕円ではなく、整った円のため地球からはいつも同じ大きさに見える事などがあります。

また、月と太陽の見かけの大きさがほぼ同じで、そのために日食の時には2つがピタリと重なり合うように見えるのは、天文学的には奇跡のように低い確率の偶然とされているようです。

金星でもまた、最近不可解な現象が確認されているようです。

2012年に探査衛星が金星の自転速度を調査したところ、金星の自転が16年前より6.5分自転が遅くなっている事が確認されたそうです。

大した事のない数値にも見えますが、もしこれが地球で起きたのなら世界中の時計を1から作り直さなくてはいけなくなります。

また、地球とほぼ同じ大きさの金星の自転を16年の間に6.5分も遅くするには途方もないエネルギーが必要です。その力がもし地球に作用したら、下手をしたら地球の一部が欠けるほどのものになるのかも知れません。

この現象の原因は不明のようですが、天体、そして宇宙には時おり人間の常識では計れない不思議な現象が起こるようです。

そこにはもしかしたら、何らかのメッセージが隠されているのかも知れませんね…。

・イザヤ書と、黙示録の明けの明星

金星・明けの明星は、聖書のイザヤ書と黙示録に出てきます。

イザヤ書では天から堕ちたルシファーの象徴として、そして黙示録では著者のヨハネの前に現れた、イエスキリストとも思える霊的存在が自ら私は明けの明星である、と言います。

これは、黙示録の著者ヨハネの前に現れたのはルシファーなのか…と少し気になっていたのですが、どうやらそうではないようです。

イザヤ書14章から、明けの明星が記されている部分を引用しますと、

「下の陰府はあなたのために動いて、あなたの来るのを迎え、地のもろもろの指導者たちの亡霊をあなたのために起し、国々のもろもろの王をその王座から立ちあがらせる。 

 彼らは皆あなたに告げて言う、『あなたもまたわれわれのように弱くなった、 あなたもわれわれと同じようになった』。 あなたの栄華とあなたの琴の音は陰府に落ちてしまった。

うじはあなたの下に敷かれ、みみずはあなたをおおっている。黎明の子、明けの明星よ、あなたは天から落ちてしまった。もろもろの国を倒した者よ、あなたは切られて地に倒れてしまった。あなたはさきに心のうちに言った、『わたしは天にのぼり、わたしの王座を高く神の星の上におき、北の果なる集会の山に座し、雲のいただきにのぼり、いと高き者のようになろう』。

しかしあなたは陰府に落され、穴の奥底に入れられる。あなたを見る者はつくづくあなたを見、あなたに目をとめて言う、『この人は地を震わせ、国々を動かし、世界を荒野のようにし、その都市をこわし、 捕えた者をその家に解き帰さなかった者であるのか』

もろもろの国の王たちは皆尊いさまで、自分の墓に眠る。しかしあなたは忌みきらわれる月足らぬ子のように墓のそとに捨てられ、つるぎで刺し殺された者でおおわれ、 踏みつけられる死体のように穴の石に下る。」

という風に書かれています。この個所は伝統的に、ルシファーのことを記しているとされています。

しかし、陰府はあなたのために働いてあなたの来るのを迎え、という部分やその後の、

地のもろもろの指導者たちの亡霊をあなたのために起こし、という個所、天にのぼり、玉座を高く神の星の上に置き、雲の頂にのぼり、いと高き者のようになろう…という所や、

陰府に落とされ、つまり死して、穴の奥底に入れられ…等は、新約聖書のイエスキリストの死と埋葬の場面にもほぼ同じような部分があってこの事が記されているようにも見えます。

これは、イエスキリストとルシファーは、実は同一のものであるいう事を示しているのでしょうか…。

いえ、どうやらそうではないようです。

なぜかというと、イザヤ書と新約聖書では一点、墓の外に捨てられ、という部分がイエスキリストの復活の場面と一致していません。

新約聖書の有名なキリストの墓からの復活の場面では、イエスキリストを葬った墓に三日後にマグダラのマリアが訪れたところ、遺体が外に捨てられていたのではなくて、墓は空っぽだった…と記されています。

なので、ルシファーを指しているとされるイザヤ書の14章の記述は一見、イエスキリストも記しているように見えなくもありませんが、新約聖書ではキリストの遺体が墓の外に捨てられていたわけではないのでイザヤ書の14章はイエスキリストについての記述ではない、と言う事ができると思います。

しかし、イザヤ書のこの個所から一つ読み取れる事があります。

それは、イエスキリストを聖書の通り最後に墓から復活した神の子ではなく普通の人間として見てしまった場合、イザヤ書14章はまさにイエスキリストに該当している事にもなってしまうのです。

どういう事かと言いますと、自分も以前はそうだったのですが、イエスキリストは非常に影響力のあった宗教指導者ではあったけれどあくまでも人間で、聖書は事実ではなく寓話的な物語で、キリストが復活して墓が空だったというのは信仰上の伝承か、もしくは信者が遺体を運び出したという事なんだろ…といった理解ですと、イエスキリストははっきりした正しい根拠なく聖書に出てくるパリサイ派やサドカイ派を間違いであると決めつけ、自分は天から遣わされた神の子であると断言するとても高慢な人物、という事にもなってしまいます。

事実、現在でもイエスキリストは普通の人間で単なる宗教指導者であって、聖書に書いてある通りの神の子だったわけではない…という見方は、かなりの大勢を占めているようにも見えます。

これがさらに過激になって、イエスキリストはただの人なのに神の子だなんて高慢だ、実は世迷言で世を惑わすイザヤ書が示すルシファーだ…といって攻撃する人さえ存在するようです。

しかし、どうやら古い時代の聖書では、イザヤ書14章の明けの明星という個所は明けの明星ではなくて明確にルシファーと訳されていて、一方黙示録にある私は明けの明星である、という個所は、原文では単に朝の星、あるいは明け方に輝く星といった程度の意味で、明確に金星・明けの明星を意味しているとはどうやら言えないようなのです。

どうやら何度か翻訳される内に、イザヤ書と黙示録の元々は明確に違うものを指していた個所が、いつの間にか同一のものという訳になっていった…という事らしいのです。

しかし、こうも考えられます。

黙示録に書かれている、イエスキリストと見なせる霊的存在が、私はルシファーを指すとされる明けの明星である、と宣言しているような訳へと変遷していったのは、聖書の奇跡が信じられなくなり、信仰心も薄らいでイエスキリストは単なる人間と見なされルシファーとさえ呼ばれ攻撃される、そういった苦難を予見しての、不思議な霊的な運びだったのかも知れません。

こういう事態は、おおよそイエスキリストの復活のあった時から墓が空だった事を知ったパリサイ派が、これは死からの復活ではなくてキリストの弟子が墓から遺体を盗んだと噂を流せ、と命じたといったように福音書にも記されています。

福音書に、イエスキリストが12使徒にパリサイ派のパン種に気をつけなさい、と諭したというエピソードがあります。これは不信の種、つまりパリサイ派のパン種はイエスキリストの復活の時から撒かれ、後の世になって大きく膨らんでいく事を暗示していたのでしょうか…

そしてもし、イエスキリストを霊性のない普通の人と見なしてしまったのなら、もしかして、我々はパリサイ派と同じ過ちのくり返しをしてしまう事になってしまうのかも知れません…

聖書の言葉は、どうやら一義的には捉えがたいもののようです。

なので言葉は変わらなくても、時代が変わっていけばパリサイ派のパン種は様々な形をとって人々に、社会に影響を及ぼすものなのかも知れません。また、こういう風にも考えられます。

世の中で信仰がないがしろにされていると、イエスキリストに代わって悪霊、ルシファーの力が台頭し始めるようなのです。イエスキリストとルシファーは、ある意味で表と裏の関係でもある、黙示録は、そういった原理を示してもいるのでしょうか…