黙る
2018年12月9日
伊藤大輔牧師
ルカによる福音書1章57-66節
ルカによる福音書は主イエスと洗礼者ヨハネそれぞれの誕生を関連付けて物語を進めていく。
ヨハネの両親、ザカリア、エリサベト夫妻
彼らは歳をとり子供ができる状況ではなかった
「大切のもの」は過去にある
「今」は何もない
空白の時間
一方の主イエスを宿したマリア
子供の誕生、
「大切なもの」
それは未来の話
今ではない
今は空白の時
ルカによる福音書は戦争 敗北を経験した状況下で記され 読まれたもの
「空白の時間」
それは彼らの実体験ではなかったのか
かつては良かった
遠い将来には状況が変わっているはずだと漠然と希望がある
だが今は何もない
今は空白
ザカリアは子供の誕生が信じられず ガブリエルの言葉を疑う
その結果 口がきけない者にされてしまう
一見 罰のようにも読み取れるが果たして聖書が語っているのはそれだけなのか
ルカ福音書だけにある物語
「マルタとマリア」の物語
忙しく働くマルタ
何もしないでイエスの前に座り話を聴くマリア
マルタはマリアを叱責するが主イエスは逆にマリアを褒める
何もしない
黙って座っている
それが「たった一つの大切なものだ」と
イエスの母マリアもガブリエルから受胎告知の時
「お言葉通り この身になりますように」と答えている
「もう何も言わない」「黙る」という覚悟の表れ
主イエスの十字架も
「私の思いではなく、父の御心がなりますように」によって実現したもの
主イエスも黙られた
黙る
それは敗北の姿勢ではない
主体的決断の表れ
愛の表現
敗戦下のイスラエルは黙るしかなかった
ザカリアも言葉を奪われた
それは屈辱の時ではない
黙る
人に必要な時
神の言葉を待つ時
神を愛する時
私たちにとって最も大切だが忘れてしまうもの
黙る
恵みの時
沈黙の力
聖書の中だけのことではない
私たちとても同じ
言葉を捨てる
その勇気が神の大きな恵みに出会う入り口
マリア ヨセフ
ザカリア エリサベト
皆 黙った
そしてクリスマスが始まっていく