「市民」
先日アップロードした「害悪でしかない妄想」では、話の腰を折るので、敢えて触れなかったが、「市民」ほど手垢にまみれた言葉も珍しい。意図的に「市民」と誤訳されているのだ。
『精選版 日本国語大辞典』(小学館)によれば、「市民」とは、
①「都市に住んでいる人。都会人。」
②「行政区画の市に居住する人。市の住民。」
③「(英citizenの訳語)西洋で、国政に参与する地位にある国民。公民。」
④「(フランスboutgeoisの訳語)西洋近代史で、前代の貴族や僧侶にかわって政治的権力を得た人々。市民階級。」
という4つの意味がある。
日本語本来の意味は、①であって、初出は、「大坂の市民主人の妻を巨戸及び巫医等は京民と同く奥様と称し」(出典:随筆・守貞漫稿(1837‐53)三)なのだそうだ。
1853年は、ペリーの黒船来訪の年だから、江戸時代ということになる。
②は、例えば、ロンドンに住んでいる人は、inhabitant of Londonロンドンの住民と呼び、また、パリに住んでいる人は、habitant de Parisパリの住民と呼ばれており、決してcitizen of Londonロンドン市民とかcitoyen de Parisパリ市民とは呼ばない。
日本国憲法も地方自治法も、あくまでも「住民」と明記しているのだから、英仏を見習って「市の住民」と呼ぶべきなのだろう。
ただ、「都民」、「道民」、「府民」、「県民」、「町民」、「村民」及び「区民」と同様に、「市の住民」の省略形として「市民」を使う分にはとくに弊害がないので、是認してよかろう。
問題は、③と④だ。順番に見てみよう。
まず、③英citizen及び仏citoyenは、ラテン語civisが語源だ。これは、古代ローマの都市国家civitasにおいて、参政権を有し兵役義務等を負う自由民たる成人男性を指し、女性、未成年者及び奴隷を含まない。
それ故、英citizen及び仏citoyenは、公務に参加する権利と義務を負う国民という意味で、「公民」と翻訳するのが妥当だ。
「公民」という言葉は、普段あまり使われないが、学校の教科のひとつとして「公民」がある。また、公職選挙法第11条は、「選挙権及び被選挙権を有しない者」という見出しが付けられ、通常、公民権停止規定と呼ばれている。さらに、アメリカの黒人が人種差別に抗議し、白人と同等の権利の保障を求めたAfrican-American civil rights movementも、アフリカ系アメリカ人公民権運動と訳されている。
ところが、フランス革命の際に憲法制定会議が1789年8月26日に可決採択したDéclaration des Droits de l’homme et du Citoyen(英訳Declaration of the Rights of Man and of the Citizen)を「人および市民の権利宣言」と意図的に誤訳したため(例えば、高木八尺・末延三次・宮沢俊義編『人権宣言集』岩波文庫128頁)、英citizen及び仏citoyen「公民」を「市民」と訳すことがすっかり定着してしまった。
③英citizen及び仏citoyen「公民」をわざと「市民」と翻訳して、②ただ住所を有するだけの「市の住民」であるかのように誤解させようとする実に悪質で陰湿な誤訳だ。
その結果、権利ばかり主張し、「社会の一員」=「公民」としての「義務」を果たそうとしない「市民」ばかりになったと言っても過言ではあるまい。選挙の投票率の低さがその証左だ。
プロレタリア革命の実現を妄想する連中は、してやったりと思っていることだろう。プロレタリア革命の妨げとなるのは、bourgeoisieブルジョワジーを守る「暴力装置」である軍隊だから、「公民」として「兵役義務」を果たすことが当然だと考えられている欧米のような国に日本がなってもらっては困るからだ。
お蔭で日本から尚武の気風が一掃され、国を守る覚悟もなく、逃げることしか考えない国民ばかりになった。
「戦争はしません 白旗を掲げましょう 話し合い和解しましょう」と外患誘致まがいのことを曰う連中まで現れる始末。
※ 「暴力装置」については、以前述べた。
次に、④仏boutgeoisブルジョワ(複数形は、bourgeoisieブルジョワジー)の語源は、ラテン語burgusブルグ城塞・城砦だ。 Hamburgハンブルク とか Saint Petersburg サンクトペテルブルグなど、ヨーロッパの都市名に「ブルグ」が多いのは、中世の都市の名残だ。この中世の都市は、封建領主の支配を受けない自治権を有していた。
そのため、boutgeoisブルジョワは、城壁で囲まれた都市に住む人を意味し、これは、王侯貴族、僧侶、農民及び農奴とは別の自由民であった。
つまり、boutgeoisブルジョワは、城壁で囲まれた都市に住む自由民を指すにすぎず、これには、「資本家」たる富裕な商工業者だけでなく、労働力を商品として売るしかない労働者も含まれる。
ところが、マルクス主義によれば、「あらゆる社会の歴史は、階級闘争の歴史である」とされ、労働力を売るしかないProletarierプロレタリア「労働者階級」の対義語として、生産手段を有する「資本家階級」のことを特にbourgeoisieブルジョワジーと呼ぶ。
このブルジョワジーは、自らの労働ではなく、投資により大きな利潤を得る一方で、資本を持たないProletarierプロレタリア「労働者階級」は、ブルジョワジーに労働力を売る以外に生きる術(すべ)がなく、その労働力を安く買い叩かれて安い賃金で働かざるを得ず、労働に見合った対価を手にすることができず搾取されているから、プロレタリア革命によって、最終的に共産主義に至るべきだという。
そして、我が国の左翼学者は、このマルクス主義用語であるbourgeoisieブルジョワジー「資本家階級」を「市民階級」と翻訳し、同様にマルクス主義用語であるboutgeoisブルジョワ「資本家」も「市民」と訳したのだ。
マルクス主義用語であることを隠すために、「市民」という言葉をオブラートとして使っているわけだ。実に姑息なやり口だ。
マルクス主義の歴史観である進歩主義によれば、boutgeois revolution「ブルジョワ革命」→プロレタリア革命を経て、最終的に共産主義に至ると考えられており、「ブルジョワ革命」は、17世紀英国の名誉革命に始まり、18世紀末のアメリカ独立革命を経て、フランス革命に発展したという。
しかし、このboutgeois revolution「ブルジョワ革命」は、マルクス主義用語であって、西洋において万人に通じる言葉ではない。
我が国の左翼学者は、この「ブルジョワ革命」を「市民革命」と翻訳している。これもマルクス主義用語である「ブルジョワ革命」を隠すために、「市民革命」という言葉をオブラートとして使っているわけだ。
この「市民革命」は、マルクス主義用語の日本独自の翻訳語だから、「市民革命」をCivic Revolution又はa people's revolutionと訳しても、通じない可能性が高い。
そもそもbourgeoisieブルジョワジー「資本家階級」が主体となって行ったとされるboutgeois revolution「ブルジョワ革命」は、マルクス主義者による捏造であって、歴史的事実に反する。よくもまあこんな嘘っぱちを言うものだと開いた口が塞がらない。
なぜならば、社会で成功を収めている資本家階級は、革命という名のテロを行ってAncien régimeアンシャン・レジーム「旧体制」をひっくり返す必要がないし、実際にそんなことを行ってはいないからだ。
英国の名誉革命(the Glorious Revolutionは、「偉大なる革命」と訳すべきであって、「名誉革命」という訳もおかしい。)は、bourgeoisieブルジョワジー「資本家階級」が革命の主体ではないし、また、 American War of Independence「アメリカ独立戦争」を「アメリカ独立革命」と呼ぶこと自体がおかしいし、さらに、アメリカ独立戦争は、法の支配の確立による個人の自由の保障と拡充をもたらしたのに対して、フランス革命は、法の支配ではなく、人の支配を是認し、人民が主権者なのだから、何をしてもよく、国家権力による個人の自由の抑圧は侵害にあらずとして、王侯貴族、僧侶及び資本家をギロチンで大量虐殺して「恐怖政治」を確立したのであって、このように全く異なる歴史的事実をひとくくりにboutgeois revolution「ブルジョワ革命」・「市民革命」と呼ぶこともおかしい。
これらの事実は、我が国の歴史学の学問的レベルの低さを物語っている。歴史学に関する世界的ベストセラーが日本から一冊も生まれていないのは、我が国の歴史学がマルクス主義に毒された異常な閉鎖空間に置かれていることが一因だ。※
このようにboutgeois revolution「ブルジョワ革命」・「市民革命」は、はじめにマルクス主義史観があって、これにマッチするように歴史的事実を無理矢理に当てはめているだけで、捏造された歴史なのだ。
それにもかかわらず、我が国の学校教育ではboutgeois revolution「ブルジョワ革命」・「市民革命」を歴史的事実として教え、純真無垢な子供たちをプロレタリア革命の担い手たるテロリストに育てようとしているのだから、呆れてものが言えない。学校教育の赤色汚染の深刻さを物語っている。
教師も生徒も保護者もプロパガンダに洗脳されていて、この異常さに気付かないことも、異常だ。
※ 我が国の人文社会科学は、「左翼にあらざれば人にあらず」であって、優秀な院生であっても才能の芽を摘み取られ、研究者の道を閉ざされる。それ故、我が国で出版されているフランス革命に関する書籍のほとんどは、マルクス主義に汚染され、フランス革命を絶賛しているものばかりだ。例えば、ミシュレ『フランス革命史』(中央公論社)、ソブール『フランス革命』(岩波新書)、マチエ『フランス大革命』(岩波文庫)、大衆向けプロパガンダだが、アニメや宝塚歌劇で一大ブームを巻き起こした少女漫画『ベルサイユのばら』の原作者・池田理代子氏も、日本共産党の下部組織である日本民主青年同盟(民青)に所属している。
汚染されていない本としては、エドマンド・バーク『フランス革命の省察』(みすず書房)、A・de・トクヴィル『アンシャン・レジームと革命』(講談社学術文庫)、ダニエル・モルネ『フランス革命の知的起源』(勁草書房)、タルモン『フランス革命と左翼全体主義の源流』(拓殖大学海外事情研究所)、ハンナ・アレント『革命について』(ちくま学芸文庫)、ルネ・セディヨ『フランス革命の代償』(草思社)など、ごく僅かしかなく、現在、入手が困難なものが少なくない。
そして、今日、『精選版 日本国語大辞典』(小学館)には掲載されていないが、「市民」には⑤「世界市民」という新しい意味が付与されている。
マルクス/エンゲルス『共産党宣言』(岩波文庫87頁)は、「万国のプロレタリア団結せよ!」という言葉で締めくくられている。「労働者は祖国を持たない」(同書65頁)とされ、万国のプロレタリアが団結して一切の社会秩序を強行的に転覆すること(プロレタリア革命)によってのみ共産主義の目的を達成できるという。
我が国の左翼学者は、マルクス主義用語であることを隠すため、「万国のプロレタリア」をオブラートに包んで「世界市民」と言い換えているわけだ。
さらに、⑥「市民運動」や「市民活動家」も、左翼運動(テロ活動)や左翼活動家(テロリスト)であることを隠すために、「市民」をオブラートにして言葉を言い換えているわけだ。
このように我が国の言語空間は、マルクス主義に毒されている。異常だ。
文科省・学校やマスコミが左翼用語を払拭する日が来るのだろうか。。。