「防衛」が、いかに不本意な現実創造に役立っているか
2018.12.11 12:35
「先生」とか呼ばれてるうちに尊大になって、支配的になっちゃう人ってけっこういますよね。反対意見言われたり間違いを指摘されようものなら、俺のほうが正しい!なんだ文句あるのか!みたいに逆ギレ気味になる。この時、この人は「自分を大きく見せる防衛」に入ってます。
「自分を大きく見せる防衛」は、自分の方ができる、自分の方がわかってる、自分の方が優れてるって見せようとする防衛。マウンティングとかもそうです。(すみません、僕もよくやってました。えへへ。)
この防衛の発動中は、「自分の方が優れていないと尊敬が得られない。自由が得られない。(愛が得られない)」という世界観にはまってます。
なので「実は自分は尊敬や信頼に値しないんじゃないか」「そこまでの優位性がないんじゃないか」という恐怖にとらわれている状態でもあって、躍起になって自分が優れていることをアピールしちゃうわけです。
でもこれって、「自分は尊敬も信頼もされない」という信念を握りしめてる状態になっちゃうんですよね。その前提から行動してるから。
そして、そんなふうに尊大で支配的になったら、結果的に尊敬もされず信頼もされない。
伝わりますかね。
結果「自分は尊敬も信頼もされない」という現実を効果的に創造しているわけ。
これが、無自覚な防衛、発達初期のトラウマ影響下の思考が、現実を創造する一例です。
僕らは日常的に、無自覚な防衛・発達初期のトラウマ影響下の思考を起こしているので、その地図を持って自分の現実をつぶさに眺めるなら、自分の何が目の前の出来事を引き寄せているかわかるようになる。