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ZIPANG-2 TOKIO 2020  ~ 石州瓦物語(その6)~ 「8代将軍 徳川吉宗の瓦葺き奨励策  ~ 江戸南町奉行 大岡越前守の活躍あり~」

2018.12.12 14:45

先の北海道における地震災害、関西地方ならびに中国四国地方における大雨災害で亡くなられた皆様のご冥福をお祈りするとともに、被災された全ての方々に心よりお見舞い申し上げます。  


石州瓦


画期的な発明 平瓦の開発

城下町の建設は、瓦葺き建物の普及の始まりでもあったわけですが、本格的に民家の屋根に普及するのは、いわゆる平瓦、今日の桟瓦の原形が発明されてからでした。それまでの瓦は、今日で言う本葺き瓦のことで、丸と平の瓦を交互に重ねあうものでしたが、その丸と平の瓦を合体成形させた瓦が誕生したのです。
延宝2年(1674年)4月8日、近江大津の瓦工西村五兵衛正輝(のちに西村半兵衛と改名)三井寺用達の瓦工が、10年の歳月を費やして江戸の日除け瓦をヒントに考案したのでした。


瓦屋根の施工性と防水性が飛躍的に向上しただけでなく、費用も半分近くに押えることができたのです。新開発屋根材 桟瓦が最初に施工されたのは三井寺の万徳院の玄関だったとされています。瓦伝来1000年以上を経過してようやく一般に普及する基礎ができたのです。
※万徳院は三井寺の中にお堂として存在していましたが、現在はありません。


三井寺(みいでら)
天台寺門宗の総本山。正式名称は長等山園城寺。7世紀に大津京関連の寺院として建立され、8世紀中頃に智証大師円珍が天台別院として中興した寺院です。 境内に天智・天武・持統の三天皇の御産湯に用いられたとされる霊泉(井戸)があることから、「御井(みい)の寺」と称され、後に「三井寺」と通称されるようになりました。国宝の金堂を始め、西国第十四番札所の観音堂、釈迦堂、唐院など多くの堂舎が建ち並び、国宝・重要文化財は100余点を数えます。
また、湖国近江の名称、近江八景のひとつ「三井の晩鐘」でも知られています。 


8代将軍 徳川吉宗の瓦葺き奨励策

瓦屋根は江戸が栄えた寛永年間(1624~1643年)、町家に相当多くなったと言われますが、高価なため一部階級での使用に限られていました。


『瓦は高価なもの。贅沢はいけない。』という禁止令が出されたこともあったようです。


ところが、享保5年(1720年)一転して瓦葺きが奨励されるようになります。徳川幕府は、10年年賦の拝借金制度を武士だけでなく、一般庶民にまで運用し瓦葺きを奨励した時の将軍吉宗は、瓦葺きの屋根を防火、類焼を防ぐ切り札として考え、江戸の町を初め多くの城下町の防火対策を進めたのです。ちなみに町火消し「いろは48組」が生まれたのも、竜怒水という消防ポンプ、さらには町の要所要所に類焼を防ぐ空き地や樹木地帯を設けたのも吉宗、江戸町奉行大岡越前守に差配させています。
大岡越前守は、町人の話をよく聞き町人のための政策を進めていったそうです。

紀州藩5代藩主で、のちに江戸幕府8代将軍となった徳川吉宗の肖像。
近代に描かれたものと思われます。吉宗は貞享元年(1684)に和歌山城下で生まれ、宝永2年(1705)紀州藩主となりました。享保元年(1716)には将軍となり、幕府の政治改革を行ないました。


増加する瓦製造業 江戸後期

瓦葺きの奨励策、桟瓦の発明による瓦施工費のコストダウンなどによって、瓦葺き工事は増加の一途をたどります。当然のことに、瓦製造業者も増加します。江戸も後期の頃です。 ちなみに、当時、江戸、京、大坂の町家は殆どが瓦葺きになっていますが、京はもっぱら桟瓦葺き、大坂は本葺きと地域性が現れています。


多様化する瓦の生産 登り窯の釉薬瓦 だるま窯のいぶし瓦

江戸時代も後期になると、いぶし瓦がだるま窯で生産される一方で、登り窯による釉薬瓦の生産が、主に日本海沿岸で始まります。いずれも耐寒性に優れた、赤褐色の瓦という特徴をうたい文句にしていました。 石州瓦もその一つですが、耐寒性の高い釉薬瓦が日本海沿岸に広まるきっかけの一つに石州瓦の存在があったとする説もあります。


全国に点在する粘土瓦の産地。現在24箇所!

江戸時代に考案された施工費が安くあがる桟瓦が、全国に普及するのは明治に入ってからのこと。原料となる粘土に恵まれ、交通の便のよい地域に瓦造りが育っていきます。現在(平成24年12月)は全国24箇所で、いぶし瓦や釉薬瓦が生産されていますが、中でも愛知県の三州瓦、島根県の石州瓦、兵庫県の淡路瓦は日本三大産地といわれ、三地域の生産シェアは80%以上になっています。


愛知県の三州瓦、島根県の石州瓦、兵庫県の淡路瓦は日本三大産地といわれています。


続く・・・


協力(順不同・敬称略)

石州瓦協同組合 〒695-0016 島根県江津市嘉久志町イ405 TEL 0855-52-5605

文化庁〒100-8959東京都千代田区霞が関3丁目2番2号電話番号(代表)03(5253)4111


メモ 世界の屋根シリーズ ーフィレンツェー

本号の「世界の屋根」は、ルネッサンス芸術の中心地イタリア・フィレンツェのサンタ・マリア・デル・フィオーレ大聖堂(ドゥオーモ)をご紹介します。



フレンツェの誕生は、紀元前59年ローマ軍がこの地に野営地をつくりフレンティアと命名したのが始まりです。今では、フレンツェまたはフローレンスと呼ばれ”花の都”を意味し、イタリア中部のトスカーナ地方の中心都市であります。古くから革製品、金細工等の宝飾品が有名です。

また、ルネサンスの中心であるこの地では、芸術・文学が満ち溢れレオナルド・ダ・ヴィンチ、ミケランジェロの絵画、彫刻等の作品を多く見ることが出来ます。

フレンツェで象徴されるものが、サンタ・マリア・デル・フィオーレ大聖堂(ドゥオーモ)です。この壮大さは、長さ153m・身廊部の幅38m、翼廊部の幅90mという大きさを誇る大聖堂です。道に迷ったらドゥオーモを目印に動けばいいといわれるぐらい、何処にいても見えるという存在感があるのです。

フレンツェは、岐阜市と姉妹都市であり今後ますます交流が深まることを期待しています。ヨーロッパでは、日本の文化に大変興味をもち、美術館でも特設会場として紹介されているところもあります。


鎹八咫烏記
伊勢「斎宮」の明和町観光大使


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